はがき通信って何? |
はがき通信は、事故や病気などで四肢麻痺者となった方々と、その御家族、関係者のための隔月発行の情報誌です。
第1号は1990年2月1日に発行されました。
第1号の正式な名称は「葉書通信No.1-高位頸髄損傷者の通信」です。これを編集したのは、当時、東京都神経科学総合研究所社会学研究室に勤務されていた松井先生です。
「葉書通信No.1」 はB4版の紙の表と裏に印刷したシンプルなものでした。原稿執筆者も、神経研のスタッフ以外では、向坊氏と麸澤氏(前・広報担当)の2人だけでした。
「高位頸髄損傷者の通信」という副題からも分かるように、当初は、高位の頸髄損傷者のみを対象とした情報交換誌でした。
頸髄損傷については、松井先生の著書「頸髄損傷-自立を支えるケア・システム」(医学書院)の中で詳しく説明されています。以下、その中からの引用です。
頸髄損傷とは、脊髄損傷の一種である。 (「頸髄損傷」序Ⅴ)
頸髄とは、正式な医学用語ではない。「脊髄の頚部」の略語であるという。(序Ⅹ)
脊髄の頸部が頸髄です
参照:「頸髄損傷」p.28.
日本パラプレジア医学会の調査によれば、1990年から1992年までの3年間に、日本国内で発生した外傷性脊髄損傷は9752件、うち75%は頸髄損傷である。(p.2.)
日本パラプレジア医学会・・・・・脊髄損傷を専門に研究する学術団体
第26回日本パラプレジア医学会の報告 第27回日本パラプレジア医学会の報告 第28回日本パラプレジア医学会の報告 第29回日本パラプレジア医学会の報告 国際パラプレジア医学会(デンマーク)の報告
日本の脊髄損傷者の全国組織、全国脊髄損傷者連合会(全脊連)は労働災害による被災者が中心となって結成した団体である・・・・・(中略)・・・・・その労働災害も日本パラプレジア医学会の調査によれば、9752件中18.4%(1797件)、全体の2割弱、労働災害の比重は著しく低下した。では、何が増加してきたのか。全体の43.7%(4263件)で、最も多いのは交通事故である。
(p.3.)
交通事故4263件の内訳 ※グラフは本文をもとに編集部が作成
当時、脊髄損傷は労働災害が主であり、胸腰髄損傷、対麻痺の時代であった。自家用車は現在のように簡単に持てる時代ではなかった。しかし現在は、高校生でもアルバイトでバイクが買える。・・・・・(中略)・・・・・自動車やバイクが簡単に購入できるようになったばかりでなく、そのスピードも格段に増してきた。頸髄損傷はスピード社会の副産物ともいう。(p.4.)先進国に共通するのは、脊髄損傷を現代社会の災害とするアプローチである。脊髄損傷を災害ととらえることによって、社会的な対策の必要性が顕在化する。
(p.11.)
以上、「頸髄損傷」からの引用でした。
わずか3年の間に外傷性脊髄損傷が9752件にものぼり、その75%が頸髄損傷だという現実を考えれば、頸髄損傷は、健常者とは無縁の特殊な災害ではなく、スピード社会で生活している人全てが同じリスクを負っている問題だと言えます。
頚髄損傷-自立を支えるケア・システム |
No.2以降、「葉書通信」の題名は、ひらがなの「はがき通信」になります。副題も、「高位頸髄損傷者の通信」から、「四肢麻痺者の情報交換」に変ります。
B4版の紙に印刷されていた「はがき通信」ですが、「B4版ではマウススティックで見る人にとって見にくい」という意見を受けて、No.5以降、A4サイズになりました。
はがき通信No.5A4版になり、現在のはがき通信の形態に近くなった |
その後、No.7からB5サイズになり、No.19から再びA4サイズに戻ります。
当初は一枚の紙の裏表に印刷されていた「葉書通信」ですが、その後、回を重ねるごとに原稿執筆者と読者が増えて、No.7では8ページ、No.8では10ページ、No.11では12ページと、枚数も増加していきました。
No.17からは「もくじ」が付くようになりました。
1992年の10月に東京都神経科学総合研究所社会学研究室にマッキントッシュが入り、ページメーカを使って編集したのでNo.18以降、デザインが一新しました。
1992年にマッキントッシュが導入されてから はがき通信のデザインは進化を遂げた さすがマッキントッシュ! |
No.26より、プロの編集者として豊富な経験を持ち、また「上の空」、「五秒間ほどの青空」などの著者である藤川景氏を編集顧問に迎え(無給でお願いしました)、マウススティックなどを使用する読者が見やすいサイズをアンケート調査するなど、情報誌としての「はがき通信」は精度を増します。
五秒間ほどの青空-介護する側される側
藤川景著 \1442 (三五館) 1997年2月7日初版発行 三五館 : 東京都新宿区四谷2-10 TEL : 03-3226-0035 FAX : 03-3226-0170 |
1995年11月25日発行のNo.36の時点で、「はがき通信」は発送部数は約270、印刷部数400となりました。
頸髄損傷者と、神経研スタッフと、その他の協力者の無償の働きによって創刊以来、無料の情報提供を続けてきた「はがき通信」ですが、発送部数の増加と郵便料金の値上げ等諸事情により、この体制で発行を続けることが限界に達します。
それまで、印刷、発送、切手など諸費用は、一部の寄付を除くと、大半が神経研社会学研究室の負担で賄われてきましたが、その予算が使えるのも1996年のNo.38までとなったため、「はがき通信」の継続が危ぶまれました。
No.39以降も「はがき通信」を継続するかどうか、また継続する場合は読者からの寄付で運営するのか会費制にするのか、松井先生がNo.36誌上で読者に意見を求めたところ、No.37発行までに10数人から回答があり、「寄付は困る」という方と「会費制での継続を望む」方の多いことが判明しました。よって、会費制で継続していくことになりました。
従来の印刷と郵送では年額3000円弱の会費が必要でしたが、読者とその御家族から印刷代や切手などのカンパを賜り、また発行委員の「会費はできるだけ低額に」という意向を受けて年間購読料は
\1000 (1冊あたり約 \167=安いっ!!!)に決められました。
東京都神経科学総合研究所社会学研究室スタッフの尽力によって編集されてきた「はがき通信」は、1996年春の松井先生の浜松医大への栄転を機に、No.39以降、向坊氏と麩沢氏へ編集が引き継がれます。
No.39から副題の「情報交換」が「情報交換誌」に変わっています。
No.50発送直後の1998年3月時点で、情報交換誌「はがき通信」の購読者数は416人、ページ数は12ページ、年間購読料は\1000、購読料収入残高は\165,429となっています。
No.62発送直後の2000年3月時点で、情報交換誌「はがき通信」の購読者数は490人、ページ数は20ページ、年間購読料は\1000、購読料収入残高は\288,600
となっています。会計は遠藤睦子さんの奉仕活動としてお願いしています。
No.78発送直後の2002年11月時点で、情報交換誌「はがき通信」の購読者数は508人、年間購読料は\1000、資金残高\422,887 となっています。会計は石川ミカ・石川大輔ご夫妻です。
No.94発送直後の2005年6月時点で、情報交換誌「はがき通信」の購読者数は485人、年間購読料は\1000、資金残高\479073 となっています。会計は占部 誠さんです。
1998年6月8日からは「インターネットはがき通信」の構築が始まりました。同年9月25日までにネット上に全バックナンバーを掲載。その後は過去の資料を再収集しつつ、(反応の少ない)掲示板を設置し、購読者や福祉団体のホームページへのリンクも着実に増えてきました。
1999年11月6日には、アクセスカウンターが10,000を突破。
2000年4月にはアビーロードさん(芸名)の強力な協力を得て「インターネットはがき通信」全バックナンバーのアーカイブ化に成功。これを記念してインターネットはがき通信ロゴを発表。残された課題は、誤字脱字の訂正です。
松井先生が浜松医大に移られてから4年目に入ると、浜松医大に大学院が開設され、学部学生と院生教育に加えて研究や大学の管理運営などで、ますます御多忙になったため、1999年5月24日号(No.57)より、松井先生から瀬出井氏へ編集委員が交替しました。
新しい編集委員である瀬出井氏の抱負は、「松井先生の築かれた方針を大切にして、呼吸器レベルの頸髄損傷者の方たちのことを念頭に置く暖かい情報交換誌であるよう心がけていきたい」ということでした。
なお、編集委員の交替後も、松井先生には相談役として、これまで通り、ご指導していただきます。
これよりの文責:「はがき通信」編集スタッフ (2007.5更新)