も く じ | |
向坊さんの最期 | 北九州市:太田 美代子 |
腎盂癌の再発 | 北九州市:向坊 弘道 |
ご寄付のお願いと購読料未納のお知らせ | |
2006年「はがき通信」懇親会in広島 | 広島県:ハローまり |
< 特集!「はがき通信」100号到達によせて > | |
定期発行を続けよう! | 千葉県:D・T |
すべてが終わったと思ったあの日から18年… | M・S |
< 向坊さんの追悼文 > | |
□ 向坊さんと「はがき通信」 | 編集顧問:松井 和子 |
□ 向坊さんを偲んで | 宮崎県:F・H |
□ 二人のネパール | 佐賀県:中島 虎彦 |
□ 向坊弘道様の想い出 | 埼玉県:S・U |
□ ムカリンに文句 | 編集委員:瀬出井 弘美 |
□ 命日の5月14日は母の日ですね | 福岡県:M・K |
□ 巨星逝く (詩) | 熊本県:I・K |
□ 豪胆な楽天家 | 編集部員:藤川 景 |
□ 向坊さんを偲んで | 東京都:K・K |
□ 障害者にならなかった男 | 広島県:玉ねぎおやじ |
□ 「はがき通信」100号記念と向坊弘道氏の死を現実にして | 鳥取県:Y・H |
□ 感謝の気持ちで一杯です | 広島県:O・Y |
□ 大きな存在 | 鹿児島県:G・R |
□ 失った時、真の意味の高潔さと哀しさが…… | 北海道:右近 清 |
□ よい影響を与えていただきました | 編集委員:藤田 忠 |
□ 向坊弘道様をしのんで | 大阪府:G・M |
□ 「はがき通信」のおかげで自信が | 福岡県:H・K |
□ 向坊さんとの思い出 | 広報委員:麸澤 孝 |
□ 向坊さんとの出会い | 広島県:ハローまり |
□ 送詞 | 佐賀県:N・K |
□ 向坊さまへ | 長崎県:S・Y |
□ 向坊さんを偲んで | 東京都:A・Y |
『立った!ついに歩いた!—脊髄損傷・完全四肢麻痺からの生還—』を読んで(中編) | 編集部員:藤川 景 |
ひとくちインフォメーション |
◆ご寄付のお願いと購読料未納のお知らせ
2006年「はがき通信」懇親会in広島
今年の「はがき通信」懇親会は、広島で開催いたします。「はがき通信」は、ついに100号を迎えました。100号を祝う、思い出深いイベントとなるように、実行委員を中心とし、準備をさせていただいている最中、思いもかけない、向坊さんの突然の訃報に接し、大変驚きました。心よりご冥福をお祈りいたします。向坊さんの思いをつなぎ、今年の「はがき通信」懇親会も、出会いに恵まれ、一人でも多くの方に喜んでいただけることを、願っています。たくさんのご参加をお待ちしています。 なお、最終日10月1日(日)に、「はがき通信の今後について」、の話し合いの席を設けました。とても重要な話し合いですので、お忙しいこととは思いますが、「はがき通信」存続のためにも、多数のご出席を、どうぞよろしくお願いいたします。 1.日程 2006年9月29日(金) 〜10月1日(日) 2.会場 『ホテルグランヴィア広島』 〒732-0822 広島市南区松原町1−5 TEL: 082-262-1111 『広島市東区地域福祉センター』 〒732-0055 広島市東区東蟹屋町9−34 TEL 082-263-8443 3.スケジュール ◎9月29日(金) ・会場:『ホテルグランヴィア広島』 12:30〜 受付開始 13:30〜17:00 参加者スピーチ (自己紹介等) 18:00〜20:30 歓迎夕食レセプション ◎9月30日(土) ・日本三景のひとつ、世界遺産「宮島」巡り 10:30〜12:30 市電乗車、フェリー 12:30 宮島到着 12:30〜13:30もみじ饅頭製造見学等 13:30〜自由行動 ◎10月1日(日) ・会場:『広島市東区地域福祉センター』 10:00〜12:00「はがき通信」の今後について 12:00 解散 4.宿泊 『ホテルグランヴィア広島』新幹線駅隣接 ・1名 8,500円(朝食込み) シングル10室、ツイン35室 5.参加費 ・身障者 1泊 1,500円 ・日帰り参加 500円 ・夕食レセプション 1名 6,000円 ・観光交通費(市電貸切:片道、フェリー往復) 1,500円 ・駐車場料金 1泊 1,500円 6.キャンセル ※下記の日時を過ぎた以降のキャンセルについては、キャンセル料が発生します。 ・宿泊 当日の午前 ・レセプション 27日午前 7.その他 ・車で来られる方は、駅の駐車場へお願いします。ホテル宿泊の方は、一泊1,500円ですが、それ以外の方は、規定の駐車料金が必要となります。なるべくJR等、公共の交通機関をご利用ください。 ・参加申込者には、後日詳しいご案内(参加者名簿や地図等の資料)をお送りいたします。 8.お問い合わせ先 オオタケ E-mail: ohtake@enjoy.ne.jp まり E-mail: hello-mari@enjoy.ne.jp ---------------------キリトリ線-------------------- ※参加申込者は、切り取り線から下を、8月31日(木)までに、オオタケ<ohtake@enjoy.ne.jp>までお送りください。締め切り後の申し込みも、できうる限りお受けいたしますが、なるべくお早めに、お申し込みをお願いいたします。お申し込み内容は、捨てずに保存しておいてください。 1.参加障害者氏名 2.住所(郵便番号も) TEL・FAX 携帯番号 携帯E-mail 3.同行者人数 4.参加日(宿泊か日帰り) 5.宿泊予定日と本人を含む人数 (29日 人・30日 人) 6.宿泊の部屋 シングル・ツイン 7.29日夕食レセプションの参加人数 8.宮島観光の参加者人数 9.交通手段 10.就寝、起床時のトランスファー介助 要・不要 特集!「はがき通信」100号到達によせて
1990年2月にB4判紙の表と裏からスタートした「はがき通信」は、16年5ヶ月定期発行を続け、ひとつの区切りとなる100号を迎えました。「はがき通信100号到達によせて」というテーマで原稿がよせられていますので、ご紹介いたします。 なお、「はがき通信100号到達によせて」や「向坊さんの追悼文」は、次号で引き続きご投稿をお待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。 定期発行を続けよう!
定期刊行物は3号、3月(みつき)、3年とよく言われる。3号まで続けば3月は持つ。また3月続けば3年はもつというような意味合いであろうか。逆に言えば3号でつぶれる雑誌のいかに多いことか。 「はがき通信」が次号で100号を迎えるという。まずは「おめでとう」と申し上げたい。やったことのない人にはわかるまいが、これは大変な偉業だ。継続の情熱を16年以上も維持するなんて、資金力においても精神力においても人間業(わざ)とも思えない。雑誌の売れない昨今、市販の雑誌でも15年以上続いているものはそうはあるまい。 先に亡くなった向坊弘道さんと看護大学校の松井和子先生が創刊されたとかで、その後もいろんな方が発行に尽力されておられる。聞けば「100号をめどに廃刊したらどうだろうか」というご意見もあるそうだが、なんとかならないものだろうか。 この機会にインターネット版を1号から読ませていただいたが、精神的に救われたりまた落ち込んだり、経験者の生の声であるだけにずっしりした重みがあった。私事だがこの「はがき通信」にどれだけ救われたことか。最初はスポーツの中継やおちゃらけ文などもあってなんだこれは、と思ったものだが、時間が経つにつれ、この投稿者の方たちもこれを書くことによって自分を叱咤激励したり精神的に鼓舞したりしておられるんだなあと思えるようになってきた。 「はがき通信」の凄いところは生の体験談集であるということだ。難しい医学書からは得られない体験談がぎっしり詰まっている。自分の症状を医師に尋ねても「人によって異なるから」「損傷部位によって違うから」と答えるばかりで、それは確かにその通りなのだが、この先自分のからだがどのように変化していくか分からない不安は計り知れない。 ところが「はがき通信」では北海道の人の質問に四国の人が答える。似たような症状を持った人は必ずどこかにいるはずだ。私は海外で受傷し手術を受け帰国した。日本の病院に入った時、家族は主治医に「今のうちに良い思い出をたくさん作っておいて下さい」と言われたそうだ。ただ食って排泄するだけの人生だが、それでも2年4カ月生きてきた。私を支えてきた大きな力のひとつが「はがき通信」だと思っている。 継続の方法はまだいくらでもあると思います。みんなで知恵を絞ってみようではありませんか。 千葉県:D・T E-mail: tade777@hotmail.co.jp すべてが終わったと思ったあの日から18年…
このたびは「はがき通信」100号達成おめでとうございます。松井先生、向坊さんはじめスタッフの皆さまごくろう様です。18年前、はじめて「はがき通信」を手にした時「自分たちだけじゃないんだ」とほっとした気持ちをおぼえています。 私たちと「はがき通信」との関わりについてお話ししたいと思います。 主人が事故で入院して絶望のどん底にいたころ、看護婦さんが「頸損」という機関誌を持ってきてくれました。そのことがきっかけで同じ呼吸器使用のAさんと知り合いました。そして松井先生を紹介され、先生が来県して、そこから「はがき通信」とのつきあいが始まったのです。松井先生と「はがき通信」により多くの情報を得ることができ「ペーシング手術」を受け、それによって外出可能となり、ついには「施設入所」までこぎつけました。 現在主人は施設で生活しています。14年になります。ペーシングは、横隔膜を電気刺激で動かすというアメリカ製の機器なのですが、主人とは相性が悪く現在は使っていません。それでも施設の中で「最上川の船下り」まで行けたのですから今にして思えばすごいことだと思います。 主人は今施設の中で、生活している人や職員との関わり合いの中で人間らしく生きています。病院の天井ばかり見ていたあのころには考えられなかった生活です。 「はがき通信」は一つの出会いの場だと思います。これからも頸損者の精神的、肉体的生活の向上のために情報を発信し続けて下さい。本当にありがとうございました。 追 悼 M・S |
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