は が き 通 信 | Number.1 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1990.2.1 |
寒中お見舞い申し上げます。
1990年2月1日 松井
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現地のスタッフもやっと少しづつ仕事ができるようになりました。採用しているデ・メサファミリーの酋長が病気のために今年は長期滞在希望者を断わっています。
受傷時は高校在学中でもあり、身体障害者という言葉を聞いたときのショックはとても大きいものでした。頸髄固定手術を受けた後、リハビリテーションを目的として、現在の沢渡温泉病院に転院してきました。時のたつにつれ、働きはもどらないものの発熱、褥瘡、起立性低血圧、尿路管理などの基本的な自己生活管理は順調にいきました。リハビリテーションといっても私の場合、症状が固定した今は、現在の体調を維持する事が主で、ROM訓練、マウスティックを使用したパソコン訓練くらいです。 受傷後6年がたちますが、自分の障害を受容することは皆さん経験済みでしょうが、本当に大変なことです。私が、一人の障害者として生きていけるのも勿論、家族を始め沢渡温泉病院の職員の方や色々アドバイスをしてくれた障害者の皆さん、その外大勢の皆さんのお力のおかげだと思っています。そしてワープロで自分の思いを活字にし、手紙を書いたり日記を書いたり、電動車椅子で自分の思うところに動けるということも、頚損になった私にとって素晴らしいことのひとつです。 最近は外出に心がけ、頸損連絡会の総会に出席したり、ピア・カウンセリング集中講義に参加したり、昨年は電話級アマチュア無線技士の免許を取得しました。私は退院後、療護施設へ入所が決まっていますが家で生活している皆さんから見れば何故?と思われると思います。確かに家族と生活することも大切です。でも18歳で受傷した私は家には帰らず介助者に頼りながらも親から独立した生活をしたいのです。 施設で生活していても障害者運動をしたり、サークル活動や、その地域で立派に生活している人もたくさんいるようです。そして施設退所後もバークレイのように、完全な四肢麻痺者が、一人もしくは障害者どうしでの生活を日本で実現するという事が私の大きすぎる夢です。 自分の考えばかり書いてしまいましたが、90年代に入り、福祉や福祉機器などもいままで以上に進歩する事と思いますが、時代が進むにつれ、交通事故や労働災害などで頚髄損傷、とくに高位の頚髄損傷者が増えることは確実です。私たち高位頚損者は、これから増える高位頚損者が、生き生きと人間らしい生活をおくれる社会を作っていくことが、これからの役割だと思います。 まだまだ寒い日が続きます。風邪など引かれませんようお身体を気をつけて、お過ごし下さい。
JMITTE
あとがき 堅苦しい通信にならないようにと工夫したつもりですが、いかがでしょうか。感想をおよせ下さい。隔月くらいの間隔で通信を出せればと考えています。次号は3月下旬を予定しています。なお私どもの研究室で通信を出させていただく間、当研究室の若手の研究員、渡辺さんが参加してくださることになりました。大学院を終え神経研に来て5年目の、まだまだ修行中の身です。私自身の勉強も兼ね、最近出た本や論文の中から、ちょっとおもしろいデータやトピックスを紹介していきたいと思います。どうぞよろしく。(渡辺)
東京都神経科学総合研究所 社会学研究室 松井+渡辺
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