は が き 通 信 | Number.19 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1993.1.25 |
新年おめでとうございます。今年も原稿をハガキ程度で結構ですから、どんどん送ってください。会員も増えましたので、切手を送ってくださると助かります。当地フィリピンはすごい建築ラッシュで、東アジアは今後も発展を続けると思います。健康に気をつけて、今年もがんばってください。
向坊
|
前略・・・・・・今回はなぜか(←コリヤコリヤ)編集後記の生の声が目に入り、又、たまたま机の上の書類の山(ゴミの山との噂あり)の裾野の方に新品の青い鳥ハガキ(何で40円のがあるんだ?)が目にひっかかってしまったということで・・・・・ついでといえば向坊さんの“よみがえる”シリーズの最新刊が直前に届けられたこともあって返事でも書いてみようかと思ったわけです。 先ほどから“返事”と書いていますけど、これはやっぱり返事(response)なのです。 はがき通信はタイム・ラグが2ケ月位あるパソコン通信みたいなものですね。でも2ケ月という長さが、結構頚損などの四肢麻痺者にはいいのかもしれないですね。 さて少し自己紹介。C3−4不全麻痺の頚損で残存機能は左手指の運動と全身の触&痛覚のみ。電動リクライニング車いす使用。職業は植木屋&賃貸マンション経営。職種はパソコンを用いた管理&会計。では、早々。
1992年10月
追伸:リサイクル・ペーパー(?)で失礼します。といっても、ミスプリの紙の裏ですけど。 Mac 導入おめでとうございます。PageMakerが快適に動いているところから察するに、IIsiかIIciですね。まさか、Quadraだったりして・・・。Macはいいですね。はがき通信のメンバーの様に重度の人には特にいいですね。私もプロップステーションのコンピュータ・セミナーのローカル・インストラクターとして、SE/30を1台借りています。 モノクロですけど、マウスとEasy Accessで快速に使っています。セミナー用にTrack Ballも1台購入しましたが、指が動かない人には便利そうです。 TKさんへ。ストレッチャー型の電動車椅子ですが、私の友人の女性も使っていました(今は、電動リクライニングです)。スズキ製でした。形は、Kさんのイメージしてられるものとはとんど同じでした。 彼女が初めて私の前に姿を現した時は、他人を迫力で圧倒してきた私さえもびっくりしました。Kさんもどんどん外出して、みんなをびっくりさせてください。 同志社と大体大の白熱した試合を見ながら書いたので、何度もペンが止まってしまいましした。えっ?ラグビーに決ってるでしょ。
1992.11.29 宝塚市 SS
Iさんが11月初旬に死亡してしまいました。彼には、四半世紀以上の脊損の歴史が詰まっていたのです。彼が死んで、大切な友人が去りました。残念です。 Fさんの記事で、尿路の件は、我々がいつも心配していることです。生活条件が変化し、定期的な動作を怠ると、すぐに尿路に異常が出てきます。最近では、導尿ができそうもないときは、前もって薬を飲んで、膀胱炎に対処しています。それでも、1年に1回ぐらいは、出血することがあります。 気づいたのですが、印刷がきれいになりましたね。まるで、活字みたいです。 いつか遊びに行きたいのですが、なかなか行けません。 来年早々ぐらいには行きたいものです。 草々
1992.11.24 TI
私の利用しているワープロが壊れ、先生から送り頂いた北海道の絵はがきは、淡い色で私が描きたくなるような絵ばかりでした。これから描くためのいい勉強になります。 私の絵は、春の風景が多いのですが、今年初めて冬景色に挑戦してみました。 11月11日に晴海の国際福祉機器展に見学に行ってきました。あまりにも多くの福祉機器が出展してあるので、どこから見学してよいのか迷ったぐらいです。日本製の福祉機器も外国に劣らず、利用してみたいものがありました。受傷後、初めて福祉機器展を見学しましたが、パンフレットだけを見るのと違い、実物の大きさや使い方などがよくわかり見学するのも良いものだと思いました。また、11年ぶりに知人にも会うことができました。これからも、積極的に出かけて行かなければと思いました。 では、また手紙を書きます。 これから寒くなりますので、皆さんくれぐれもお体を大切にしてください。
MI
もう少し落ち着いたら、またお便り差し上げたいと思います。 寒さの折、皆さんくれぐれもご自愛のほどを。どうぞ良いお年をお迎えください。
1992年12月25日 横浜市 県警掘ノ内公舎 HS
こんにちわ。みなさんお元気でしょうか!?。TETSU−YAです。
TETSU−YA
今日この日、元気で生きていられることに感謝をし、まずはおめでとうございます。今日の時点では長い一年に思いをめぐらし、今年の計画を立てながらこの手紙をかいています。 普段の日常生活において、皆さんからのハガキ通信は、その情報だけでなく楽しくて本当に励みになります。 今年も(非合理から合理へ、マイナスからプラスへと)、偏見と自我を含めながらも、周囲や社会との妥協点を見出しつつやっていくつもりです。 皆さん、時には先生方がワアーと悲鳴をあげるくらい、手紙を書きましょう。 (先生すみません)私もできるだけ手紙を書くようにします。 どうぞ、今年もよろしく・・・。 MMでした。
皆様のお力を借りながら、悔いのないよう精一杯頑張るつもりです。 1993年 元旦
ST
前号18号から、マッキントッシュを使った編集で、読みやすくなり、めくりやすくなりました。交換市もとても良いのではないでしょうか?意外と使わなくなった車椅子などある物で、私が今使っている、電動車椅子も向坊氏から安く譲っていただいた物です。 これからも、あまり堅苦しくなく、みんなの、みんなによる、みんなのための、はがき通信でありたいと思います。 編集していただいている神経研のみなさんお世話になります。
1/12 カーサ・ミナノ TF
宮崎の正月は晴天でポカポカと暖かく、ここ数年にない良い正月でした。日南海岸に行った人によると、初日の出がバッチリ見えたそうで、なんと海で泳いだり、サーフィンをする若者もいたそうです。 これだけ良いスタートをきった今年は、何かいいことがあるだろうと期待しています。まだまだ寒くなると思いますが、ヤクルトやジャイアンツがキャンプに訪れ、そして来る春を待ちたいと思います。
l月13日 A
追伸:昨年は病気もせず順調に過ごせましたので、今年もこの調子で行けたらと思っています。私はただいま塾の生徒と受験勉強のラストスパー卜中で、風邪だけはひかないようにと気をつけています。状況はなかなか厳しいものがありますが、生徒も頑張っているので気合いが入ります。
本年もよろしくお願い致します。 今年のお正月は天気も良く、暖かくて気持ちが良かったですね。 私は病院より1年ぶりの外泊となりました。家では毎日夜中まで起きて、お昼まで寝ているという、自由気ままな生活をしました。それになんといっても食事は最高でした。長い入院生活で、あたりまえの事を忘れてしまっているようで、寂しいような悲しいような気持ちでした。 1月末には退院し在宅生活の予定です。約2年間の入院生活でした。妻に支えられてやってきた感じがします。狭い付き添いベッドに、2年間もよく耐えてくれたものです。これからの在宅生活、不安もありますが新しい出発点として、がんばっていこうと思っています。 今年がハガキ通信の皆さんにも良い年でありますよう・・・・!
1993.1.6 KI
私は、一年前に車の後部座席に乗っていて事故に遭い、頚椎の5番を損傷して完全麻痺になりました。昭和大学藤が岡病院で一ケ月入院の後、神奈川リハビリテーションセンターへ、約八ケ月リハビリ生活を送り昨年の十月から今の賃貸ワンルームでの暮らしを始めたところです。 それまで、駆け出しの内科医として仕事をしていたのですが、気が付いた時には自分がベッドの上にいて医者や看護婦に囲まれていました。もうろうとした意識の中で、これで終ったなと思ったことを想い出します。もう社会に戻ることはないと考えたのです。しかし事態はその時の想像とは違った方向に進みました。恥ずかしながら不勉強だった私は、外科疾患の頚損については脊髄を横断性に傷害されたらどうなるか程度の知識しかなく、実際に障害を持った人がどんな生活を送っているか全く知りませんでした。リハビリをしながら自分のおかれた新しい状況を知り、重度障害者としての自分が始まったことを知ったのは、かなり日がたってからでした。 そして今、電動車椅子で大学の医局に通う毎日です。手の機能もない自分に医者としてなにかできるのかまだ分かりません。案中模索の状態です。もちろん無給ですが、医局の人達に助けられながら、勉強をしています。専門は心療内科で、いわゆる心身症などを扱っています。 自分の紹介だけ勝手に書いてしまいましたが、次はなにか情報でもあればと思います。
東京都 MI
著者のTFさん(本名)は出版を契機に11年間の施設生活に終止符をうち、東京国立市にある障害者自立生活センター・「かたつむりの家」の協力を得て、多摩市の民間アパートで一人暮らしを始めております。 「私のアパートでの一人暮らしは、多くの協力者に支えられて順調に進んでおります。訪問者護婦さんや医師が、週に2回来てくれます。 私が11年間も忘れていた下界の生活を、今回の自立生活を通して体験いたしますと、感動と驚きの連続であります。全てにおいて主体性のある、人間らしい生活をしているなーと、痛感いたしております。自立生活をして良かったなーと思います。車椅子で電車に乗ったり、様々な講演会に参加しています。有意義な一日を過ごしております」という新年の挨拶をいただきました。 先日、Wさんと一緒にFさんを訪問してきました。Fさんは、実際に生活状況をみて、ある程度安心したでしょうと云われますが、私にはまだとても安心のできる生活とは思えません。心配しすぎかもしれませんが。
松井
1.「よみがえる人生」:日本放送:1992年11月15日、宗教の時間
フィリピン出発前の向坊さんの伝言で編集されたビデオが北九州のヘルパーさんを通じて送られてきました。
通信15号で紹介しました村松健夫さんの著書「見えない絆」がテレビ化されました。ご覧になりましたか。
松井
(障害者問題双書)青木書店、198頁、1992年
今日は、神経研の非常勤研究員である、日本社会事業大学の佐藤久男先生が最近出版された本を、ご紹介します。本書のタイトルにある”障害の構造”とは何でしようか。また、障害構造論というのはどのような研究で、何をめざしているのでしょうか。 障害を捉える場合に、これを機能障害、能力障害、社会的不利という、質的に異なる3つのレベルに分類することがあります。例えぼ、神経が麻痺しているという機能的な障害と、移動ができないという能力的な障害とは、本来異なるものです。神経が麻痺していても、枚や車椅子によって移動が可能であるならば、能力障害は生じません。また、車椅子を利用している場合でも、エレベーターの設置や段差の解消などによって、社会的不利はなくすことができます。このような、障害を3つのレベルに分けて捉えるという考え方を、みなさんもすでにご存じかもしれません。これは実は、1980年に世界保健機構(WHO)が刊行した、「国際障害分類試案」にみられるものです。本書では、試案の解説とともに、その成立過程や分類の普及・活用状況、修正の動向が紹介されてます。また、カナダで提案された修正案、日本のリハビリテーション医学の第1人者上田敏さんの考え方が、詳しく検討されています。 日本は、障害を3つに分けるという考え方の普及ではかなり進んでいるにもかかわらず、それが医療や教育、福祉、職業などの政策面・研究面・実践面では活かされていないというのが、著者の見解です。本書の刊行の主要な目的は、障害の構造への理解を深め、この考え方の今後の活用を進めていくことにあるといえます。 ところで本書では、障害構造論を展開する意義が8つに整理され、8つのうちで最も重要な点として、「障害者のアイデンティティの確立」があげられています。そして、「障害構造論は“障害”をいくつかの要素に分けてその関連を把握するものなので、より客観的に“障害”を眺めることを可能にする。このため、人格主体である“自己”と“障害”が区別され、障害者が自信を持って生きていけるようになる。…」と述べられています。みなさんにとって、このような発想がどのような意味があるか、ご意見が聞けたらと思います。
W
あとがき
去年の11月まで、はがきもだめ電話もだめと封書でしか連絡が取れなかったFさんとも、必要なときはいつでも電話で連絡がとれるようになりました。あとは人工呼吸器のため気管切開をしている方々との直接コミュニケーションが課題として残されてます。昨年末、ブリティッシュ・コロンビアの呼吸療法士イレーネ・マーティンさんから送られたスピーキングバルブを使って、新潟のKさんと話しができました。いつかKさんとも電話で直接連絡がとれるようになればと期待しています。 寒さはこれから厳しくなりそうですが、庭の福寿草やチーュリップの芽が土を破って力強く出てきました。風邪に用心しましょう。
松井
*最近ふと考えたのですが、みなさんは本を選ぶとき、どのようにしているのでしようか。 私はだいたい
の順で本に出会っているように思います。みなさんの場合には、図書館や本屋へ直接行くよりも、書評から選んだり、特に人の勧めが多いのではないでしょうか。こうして考えると、コミュニケーションの手段があること、コミュニケーションする仲間がいることって、とても大切ですね。
W
|
ホームページ | ご意見ご要望 |