も く じ | |
ごあいさつ | 編集委員:藤田 忠 |
追悼:Mさんを偲んで | 熊本県:K.I. |
<海外通信> | |
☆ルセナ移住生活 | F.O. |
☆バンクーバから:措置入院となったボランティア仲間 | K.K. |
メールでインタビュー:H.K.さん | |
たかが餅、されど餅 | 新潟県:T.H. |
<特集 「四肢マヒ者のスポーツⅡ」> | |
☆障害者でも檜舞台に立って、スポットライトをあびましょう!(後編) | 福岡県:I.M. |
<特集:けい損者の便秘について> | |
☆排便管理について | 匿名希望 |
☆けい損者の排便管理と便秘 | 編集顧問:松井 和子 |
あちこち上高地、思い槍ヶ岳の旅 | 広島県:Y.O. |
『臥龍窟日乗』−ヘルパーの尊厳− | 千葉県:臥龍 |
しばらくご無沙汰している間に(後編) | 福岡県:K.H. |
腰折れ俳句(21) | 熊本県:K.S. |
故中島虎彦さんの故郷を訪ねて〈後編〉 | 編集委員:瀬出井 弘美 |
Mさんを偲んで
Mさんに初めてお会いした日を、今でも鮮明に覚えています。 私は、受傷して数年たつというのにまだ心を閉ざしていて、向坊さんの噂を耳にして北九州の自宅までお会いしに行きました。 その日は夏の暑い日でしたが「多くの頸損の方が集まる」ということでしたので、暑さに弱い私でしたが必死の思いで妻の運転で伺いました。 道案内は、当時からお世話になっていた福岡のTさんご夫妻にしていただきました。 海辺のご自宅の大広間には、いろいろな方が来ておられました。覚えているだけで「向坊さん」「太田さん」「松井先生」「M村さん」「麩沢さん」フィリッピンから帰国しておられた「T松さん」そして「Mさんご夫妻」。 Mさんは、一見すると怖い人という感じでしたので、こわごわと遠慮がちに「まだまだ障害を受け入れられない気持ち」を話しますと、ご自分の経験談等を親身になって話していただいたことを覚えています。 ●Mさん。むかって左側が奥さま。(2006年撮影) 奥様も姉ご肌のように「ポンポン」と話されますが、ご夫妻と私たち夫婦と妙に気があった感じがいたしました。 その後、各地での「はがき通信懇親会」で会うたびに遠慮なく話すようになり、妻同士はカラオケに行き、私とMさんは留守番をしているということもありました。 その懇親会も、最近は私自身が出かけることも少なくなり、Mさんにお会いしたのも小倉での懇親会が最後になってしまいました。 ただ、軽い脳卒中にて声が少し不便になってからも、電話の向こうで元気な声を聞かせてくれていましたので「また会いましょう」と話していたのですが……。 Mさんは、以前から向坊さんと懇意にしており「はがき通信」は、最初からの会員だと聞いておりました。 懇親会でのミーティング等でも熱心に意見を述べられて、頸損の皆さんのことを親身に考えておられました。 「はがき通信」において、いろいろとお世話になった方が亡くなられて本当に残念です。 亡くなられる1週間くらい前に、奥様から「苦しそう」と聞いておりましたので、天国に旅立たれてその苦しさから解き放たれて、心身ともに自由になったことと思っています。先に逝った向坊さんが出迎えてくれて、極楽浄土に導いてくれるでしょうから安らかにお眠り下さい。 心からお悔やみを申し上げます。 熊本市:K.I.
ルセナ移住生活
私は20歳の時に交通事故で頸椎損傷となりその後、向坊さんと出会ったことが縁でフィリピンのルセナで移住生活をしている四十過ぎの隠居です。 私がフィリピンのルセナ市に移住してから、早いもので13年が経過しました。 移住当初は、私と妻と2歳の息子の3人だったのですが、こちらで双子の娘が生まれて今は家族5人で楽しい毎日を過ごしています。 恐らく、この「はがき通信」を読まれている方の中には、フィリピンのルセナと「はがき通信」の関係が不明の方もいらっしゃると思いますが、初期の「はがき通信」を読まれると謎が解けます。 ちなみに、文章に出てくるルセナの、G.L.I.P=グリーン・ライフ・イン・フィリピン(別名:日本人障害者の家)ですが、現在はありません。 ◇なんでルセナに移住をしたのかと言いますと‥ 昔々……1993年2月に、今は亡き向坊さんのG.L.I.Pに短期滞在したことが縁です。その時にG.L.I.Pで働いていたヘルパーさんと2年間文通して、何度かルセナに来ながら交際を続けて結婚し、その後2年ほど日本で生活していましたがましたが、一年中温暖な気候と年金収入で生活ができる魅力に惹かれてルセナに移住をしました。 1993年の初めてのG.L.I.P滞在記は「はがき通信」20号にFOの名前で投稿してあります。今読み返すと……恥ずかしいですが、あの時の衝撃はすごかったですよ〜。それまで車椅子生活になった自分の将来に悲観的な1本の道しか見えなかった私に、日本国内だけじゃなくても外国に出て、自立生活やってる障害者もいるよ〜って向坊さんたちに教えてもらって目から鱗の状態でした。当時は、まだネットも普及していなくて今みたいに誰でも何処でも情報が発信できる時代ではありませんでした。テレビや新聞、書籍などの一方通行の情報ばかりでしたから。 あの時は、長野県の実家の役場に勤めていたので職場に無理を言って8日間の休暇をもらって初めての海外旅行でG.L.I.Pに滞在したんですけど、人生であの8日間がなかったら……今ルセナには移住していないし、妻とも出会ってなかったし、3人の子供も生まれて来なかったかもしれないですね〜? この時が、人生の分岐点でした〜。その時も、私が直接向坊さんを知っていたわけではなくて、田舎で一緒に車椅子テニスをやっていた脊髄損傷の方にルセナのG.L.I.Pの話を聞いて誘われてついて来ちゃった感じでした。 日常の中の人との出会いが人生を変えるって……あるんです。私が20歳の時に交通事故を起こしていなかったら、別の人生なんでしょうけど……。たくさんの方の縁とお陰で今の幸せな生活が成り立っているとつくづく感じています。 ◇移住を決意した動機は‥ (1)頸損+車椅子の生活になって、日本の冬の寒さが苦痛だったから。 (2)日本の実家(長野県)が山間地のため、家から一歩出ると急斜面が多く車椅子では外出できなかった(当時は自分で車を運転して通勤も外出もしてましたが……運転できなくなったら一人では家から一歩も出られない不安……)。 (3)将来的に自分で身動き取れなくなったら、施設での生活しかないなと考えてました (当時、役場在職中に老人ホームの事務員として勤務していた時に、施設の現状を知ったら自分の将来を見ているようでお先真っ暗でした……)。 (4)結婚して息子が生まれて、将来子供の進学とか考えたら子供が大きくなってから国や学校が変わるより、子供が小さい時に移住した方がいいのかな〜って考えました。 (5)当時は、このタイミングを逃して日本で生活していたら、多分年取るまでズルズル踏ん切りつかずに移住できないで人生終わるだろうな〜って思ってました。 (6)当時、勤めていたのでこちらで土地買って家建てる資金の蓄えもギリギリあったのでそれも移住のタイミングでした(ちなみに、この国では外国人名義では土地買えないので、土地家は妻の名義です)。 ◇ルセナでの生活費についてですが‥ 生活費は、日本からの私の障害年金(国民年金+共済年金)だけですが、わが家の場合私と妻と子供3人(高校1人+小学校2人)の5人家族、持ち家で毎月の生活費は日本円に換算して7〜8万円です。最近はこちらの物価も上がってきて、また子供も成長するにつれて教育費もかかるので大変ですが、唯一近年の円高傾向のお陰で生活が維持できています。急激な円安に進んだら……わが家は貧乏まっしぐら〜でしょうか……。 実際、生活費ってお金があればあるだけの生活になるし、お金がなければないなりの生活になるし……。あまり参考にならないのが他人の生活費かも知れませんので参考まで。 私はこちらで永住権を取ってあるので、日本に帰国することはほとんどありません(最近日本に帰ったのは、4年ほど前に2週間の帰国をしたのが最後です)。 ◇今のルセナの生活状況ですが‥ 何と言っても気候的に温暖なので、一年中半袖+短パン+サンダル履きのスタイルです。体温調節ができない頸損にはエアコンは必需品です。 昔と比べたら長時間の停電も年に数回あるぐらいで、断然少なくなりました。水道は、地区にもよりますが、私の住んでいる地区は相変わらずの時間断水継続中です。通信環境は、携帯電話、インターネット(日本と比べたら全然遅いですが)、ケーブルTVも普及しています。 数年前に大きな郊外型デパート(日本で言ったらジャスコみたいな)が2つできました。1つは私の家から電動車椅子で約10分で行ける距離にあります。障害者トイレやエレベーターもあり車椅子でも不自由なく衣料品、電化製品、食料品などの買い物から食事、映画、ゲームセンター、美容院、マッサージ、銀行、両替など何でもあるので便利です。市場や町の商店で買うより多少値段が高い物もありますが、広くて冷房が効いていて車椅子で自由に動けるので助かります。 大型デパート、電気、通信環境の整備が進み10数年前のG.L.I.Pに滞在していた時と比べたら、涙が出るくらい豊かな現代風生活環境になりました。 でも……豊かになった分だけ出費も増えます。豊かな生活は計画的にってことですね。 昔は昔で日本では味わえない質素な生活環境も驚きと工夫をすることによって不便ながらも楽しかったんですが……。 生活物価は年々上昇傾向にありますが、日本と比べたらまだまだ安いです(電気代は高いです。エアコン使うと日本並みの請求額です)。 食料品は、ルセナに漁港があるので新鮮な魚介類も安くて豊富ですし、野菜や果物も豊富です。 ◇私の日常生活ですが‥ 正直に言って、特別何もすることはありません。毎日が平凡な隠居生活です。 デパートへ行くのは月に1回ほど、季節にもよりますが電動車椅子で散歩に出かけるのも月に数回です。近くに海や山があるので、夏休みなど年に数回は家族でピクニックに行きますが、家族で外に出かけるとお金かかりますね……。 ふだんは家でテレビとネット、あとは自分の好きな趣味を楽しむ生活です。日本ではニートって呼ぶのでしょうか? 何しろ時間だけは人と同じにあるので、私の場合は趣味で洋ランや植物を育て、小鳥などのペットを飼いながら楽しんでいます。日本と違ってこちらは温暖な気候なので、洋ランや植物も値段が安い物が多く、一年中綺麗な花が咲いています。 日本で同じ状況で生活していたら、洋ランやペットなどの趣味もお金がかかるし冬の寒さもあるので多分、無趣味でストレス溜めて浪費生活していただろうと思います。 車椅子などの福祉機器は私の場合、日本の住民票は国外転出にしてあるので、現状では日本の役所からの福祉器具の補助交付は受けられませんので(勝手に移住したので当たり前ですが^^ )、車椅子の修理が必要な時はこちらで修理して使っています。 車椅子のパンクの修理はここでもできるので問題ありませんし、何回か車椅子のフレームが折れましたが、こちらの溶接屋で溶接したのでとりあえず乗れてます。車椅子のタイヤとチューブなどは日本の業者から実費で送ってもらって、こっちの自転車屋さんに持って行って交換してもらいます(こちらの自転車のチューブとタイヤは私の車椅子のサイズとは微妙に違うんですよね……)。 今使っている外出用の電動車椅子は、去年日本からルセナに遊びに来た障害者の方が中古の電動車椅子を日本からお土産で持って来ていただいたのを使っています。 こちらの障害者に比べたら、私のように年金をもらって車椅子がある生活はこれ以上の幸せありません。 ◇ルセナに移住されている外国人の方たちですが‥ 現在、ルセナには私と同じように、G.L.I.P卒業生の日本人の障害者の方たちが数世帯住んでおられます。G.L.I.Pとは無関係ですが、他にも日本人の年配の方々も年金での移住生活をされています。 日本人以外でも、欧米からの移住者も多く住んでおられます。やはり皆さん考えることは同じで、温暖な気候と生活費の安さ、お互いの生活に対して干渉されずに個々のスタイルで自立生活ができるのが魅力のようです。 ごく普通の当たり前の生活ですが、日本だと近所や他人の目を気にしたり、障害者、年金生活者ということでなんとなく肩身の狭い窮屈な思いをする時が……。私の場合、日本にいた時に障害者となって日が浅かったせいか、他人の目を気にしたり、やりたいことを遠慮したり、意地を張ったり、人からの善意を窮屈に感じたりして結構ストレス溜めてました……。まだ障害者として若かったんですね〜。 ◇最後に‥ 昔と違い今はインターネットの普及で何処にいても瞬時に情報が入りますし、世界中に住んでいる人たちがご自分の情報発信をされております。私が障害者になった当時は、この「はがき通信」が頸椎損傷の私の唯一の貴重な情報源でした。今でもこの「はがき通信」の積み重ねてきた20年以上に及ぶ貴重な情報が消えることなく続いていることに驚きを感じております。そして改めて、今の幸せな生活のきっかけを作っていただいた、向坊さんをはじめ「はがき通信」の皆さんに感謝しております。 ルセナのG.L.I.Pも活動が終了し、日本人障害者の家はなくなってしまいましたが、フィリピンにお越しの際はルセナにもお立ち寄りくださいませ〜! 観光名所は少ないですが、新しいホテルもできてます〜。(^0^) 追伸:暇な隠居生活ですので最近ブログとなるものを始めました。飽き性なので、いつまで続くか判りませんが趣味の洋ランの写真を載せています。お暇がありましたら、庭の花でも見にお寄り下さいませ〜。 ルセナの隠居 F.O. バンクーバから:措置入院となったボランティア仲間
今、映画館でボランティアをしている友人がVGH(バンクーバ総合病院)の短期検査治療センターに措置入院されています。中国系カナダ人の彼女(79歳)とは5年以上の付き合い、身寄りのない一人暮らしでちょっと変わった人くらいに思っていました。バスに乗り遅れ遅刻することはあってもボランティアに毎回来ていたのに、無断欠席が2週続き、気になって彼女の自宅へ行ってもいない。BC州の医療電話相談で事情を話すと、担当ナースが調べてくれ、彼女担当のケースマネジャーがついていること、入院中であることも分かりました。身体的には健康そうな人だったので、事故にでもあったかと思ったら、措置入院でした。 彼女は、Compulsive Hoarding (強迫性蓄積症、通称:ごみ屋敷)という病気、室内が物であふれても掃除もせず、ネズミ、ゴキブリ、ノミがはびこるような不衛生な住環境で長年生活していたようです。以前、何回か買い物を手伝い彼女の家まで行っても、絶対に中に入れてくれないので、台所の窓から見える限りで、彼女にそういう傾向がある、ということは知っていたのですが、臭うわけでもないし、ボランティアにはいつもこぎれいにして出てきていました。認知症的な気配もないし……でした。 ところが1年前、隣人から通報を受けた精神保健チームは、彼女とどうにかとっかかりをつけようとしたのですが、うまくいかず、そのうちに衛生局の立ち入り検査を受けて「居住不可」という判定をうけてしまいました。彼女はそのことを私たち(友人と呼べる3、4人)にも言わなかったので、何の援助もできずにとうとう措置入院となり、資産(一等地にある自宅)などの管理は州管財局に移管されてしまいました。 昨日、私たち友人3人を含むソーシャルワーカ、OT、医師によるケースミーティングが開催され、彼女は専門家にとっても難しいケースとの見解でした。私たち友人は、彼女が一人暮らしのアジア系女性なので、当初、措置入院は精神保健チームのやりすぎではないかと疑ったのです。しかし専門家の話を聴いたり、家の中の写真などをみて納得したのです。なぜ、こうなるまでに……という疑問が湧くわけですが、本人がかなりしっかりしている(ボランティアに毎週出てくるとか、選挙には投票所へ行く)ようだと、だれも個人の自由を奪ってまで、と思ってしまいます。 今、ちょうど入院1カ月ですが、まだ数カ月はかかりそうです。ただ、普通の精神科とちがって的確な住居の確保なしには退院させないので、逆に彼女にとっては良い結果になると思います。そう願いたいです。日本でもこういうケースは多いのではと思います。 (注:日本でも同様のケースはありますが、BC州のように精神障害の一つという捉え方にはなっていないようです。松井の経験では、地域包括支援センターで時々問題事例として扱われていました。なお、この方は退院され、ボランティアにも復帰、ただし友人の送迎付きだそうです) K.K. |
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