はがき通信ホームページへもどる No.131 2011.10.25.
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【メールでインタビュー】


 「飛璃夢」を23年発行しつづけるH.K.さん 


 頸損歴33年のKさん、神奈川県内を拠点にするF.L.C.(Friendly Life Community)の代表、その機関紙「飛璃夢」の編集発行者、途上国障害者への車いす支援活動、電動車いす・電動車いすスラローム(陸上競技)1998年国体金メダル受賞者、2001年結婚を機に詩画制作の開始、個展開催など多彩な経歴の持ち主。



Kさんとの出会いは、「はがき通信」を私が編集していた頃、共に隔月の年6回発行、いつも飛璃夢のあとを「はがき通信」が追いかけているような気持ちだった。この10月現在で飛璃夢は136号、23年間継続発行の要となったのがKさん、これはたいへんな実績、そこで飛璃夢の長期継続発行の秘訣を探りたくインタビューに応じていただいた(松井)。

>最初に飛璃夢を発行された動機や目的についてお伺いします。飛璃夢という命名にはどんな意味が込められているのでしょうか。
 主治医から一生電動車いすの生活と言われ、「死んでしまいたい!」とさえ思ったほど辛かった。入院中に励ましあった仲間と「障害があっても家に閉じこもらずに外へでよう」という目的でF.L.C.という会を1985年に立ち上げました。その会報が飛璃夢(トリム)です。
 飛璃夢とは、バランスをとるという船舶用語「トリム」を引っ張り出し、夢が羽ばたいて飛んで行けるようにとの当て字です。

>飛璃夢を23年もの長期間、継続発行してこられた要因は何でしょうか。とくに編集発行の要であるKさんの健康管理についてお聞かせ下さい。
F.L.C.の活動の中の一つとして、飛璃夢の発行がありますが、特にこれまで継続できた要因のとして、無償で原稿をお書き下さる執筆者の方々のご理解とご協力があります。もう一つは飛璃夢の印刷や発送作業を手伝ってくれているボランティアの方々の協力も欠かせません。
また、障害者団体定期刊行物協会に加盟して、「低料第三種郵便」(低料金)での郵送も継続できている要因の一つだと思っています。昨年、郵便不正事件が起きた時にこの「低料第三種郵便」が見直(廃止)されるかも知れないと報道された時には、普通郵便での飛璃夢の発行継続は難しいと思いました。
私個人の体調管理としては、泌尿器や褥瘡など特に他の頸髄損傷の方とは変わりないと思っています。ただ、昨年50歳を迎えた頃から、体力的に衰えてきたようにも感じています。風邪やメタボなど今まで以上に体調管理には気をつけようと思っています。

>この間、重度障害を持つ人々の生活環境、条件など大きな変貌を示しています。特に電話や郵便などが主な通信手段からメールやインターネットの時代になりましたが、その変化は飛璃夢にどのような影響を及ぼしていますか。
F.L.C.でも、昨年からホームページを開設して、飛璃夢ページ(会員専用)にPDF版を掲載しています。これは紙媒体だと自分で読むのが大変という会員からの要望もあり、パソコン画面でもみられるようにしました。HPアドレスは、【 http://members2.jcom.home.ne.jp/flc-hp/ 】です。
 発行部数は、多い時で500部以上印刷していましたが、現在は400〜450部くらいです。
 インターネットの進歩により、原稿依頼や原稿(画像も含む)の受け取りが早くなったり、また、紙媒体と違って再度原稿を入力し直さなくても、ファイルとして受け取った原稿をそのまま校正できるなど便利にもなりました。
 編集作業は、創刊号から担当していた西川氏の活動が多忙になってきたため、74号からは私が引き継がせてもらっています。編集作業自体はそれほど大変ではありませんが、原稿依頼が一番苦労しているところです。前述しましたが、原稿料などをお支払いできないので執筆者のご理解とご厚意により、飛璃夢が今号まで継続できていると言っても過言ではありません。

 >インターネットの時代、紙媒体の機関紙の役割をどのようにお考えでしょうか。
インターネットの活用はとても役に立っている部分があります。だからといって紙媒体が必要なくなったというわけではなく、会員や購読者の中にはインターネットをしていないという方もまだまだ多くいるのも事実です。また、飛璃夢の配布先は会員や関係者だけでなく、病院や福祉施設、そして関係機関などの情報コーナーのようなスペースにおいてもらい、広く多くの方々に障害や福祉関連のいろいろな情報を知ってもらえるようにしています。そのような観点からも紙媒体は今後も重要だと思っています。

 >飛璃夢の継続発行は、Kさんの生活、人生にとってどのような影響を与え、意義があったのでしょうか。
私にとって飛璃夢の発行は、自分自身でもさまざまな情報を得ることができました。さらには、執筆者、ボランティア、その他多くの方々との出会いがあり、人間関係を築くことができたと思っています。

 >飛璃夢への今後の展望、抱負をお聞かせ下さい。
これからも多くの方々の協力を得て、よりいっそう充実した機関誌にしていきたいと思っています。また、これまで通り会員や関係者は勿論のこと、これからは地域の人たちにもつなげていけるような内容も充実していきたいと思います。

 >「はがき通信」について何かご意見がありましたら、お聞かせください。
 「はがき通信」は、特に頸髄損傷者にとっては同じ障害やレベルの方々からの生の情報がたくさん詰まっていて、とても有意義な機関誌(情報発信)です。これからも双方の機関誌の特性を生かして、お互いより良い情報発信をしていけることを願っています。




 たかが餅、されど餅 

54歳、C4、頸損歴18年

 はじめに、この7月に14年間生活した施設を出て、地域移行したことを御報告いたします。人工呼吸器を(就寝時、ギャッチアップ時=1日平均20時間)利用しているので、それなりの課題がありましたが、経緯については他で御報告することとし、今回は施設を出ることのモチベーションの象徴でもある「餅」のことを書きたいと思います。

 経緯
 2005年4月 施設利用者の自治会総会において、施設から唐突に施設内で餅を食べることを施設利用者全員一律に禁止される。
 2005年5月 納得できず、まずは他施設の状況調査を依頼→引き受けてくれたにも関わらず、そのまま調査もせず。
 2007年3月 ケア会議で改めて個別判定による餅解禁を要望→施設の運営会議で検討すると回答がありながら、結果も伝えられず。
 2009年4月 4月からのケア会議の事前打ち合わせから改めて餅解禁を要望→一般的な危険性を理由に許可できないとの回答。
 2009年9月 他9件とともに餅禁止を第三者委員に苦情申し出→第三者委員も含めての話し合いで餅については時間切れで話ができなかったが、後日の文書による助言では、一人の第三者委員からは施設と本人でよく話し合うようにとのこと、もう一人の第三者委員からは全ての案件について本人のわがままであり、他の入所者が皆さん同じようなことを言い出せば施設は運営して行けないとの意見。
 2009年12月 他3件とともに餅禁止を県の福祉サービス運営適正化委員会に苦情申し出→2010年3月から9月 適正化委員が2度来訪して双方に個別に事情聴取〜3度にわたって文書での申入れと施設回答のやり取り。餅については、私の主治医への相談等を施設に提案してくれたが、施設から主治医への相談もなくひたすら拒絶→10月 適正化委員会から施設への最後の申入れ文書で終了。
 2010年12月 施設から「知人・家族の持ってきてくれた餅をその時居室で食べることは解禁」と自治会総会で発表、ただし施設介護員には一切関わらせないと強調。

 問題点
 (1)施設は餅禁止を全員一律に適用→嚥下(えんげ)能力に問題のない人のことを配慮しない→それが集団生活のルールと思っている?
 (2)施設は危険を理由に餅を禁止したのなら、なぜ知人・家族の持ってきてくれた餅を許可できるのか?→施設介護員の責任問題が理由?→施設は誰のためにあるのか?
 (3)今回、地域移行して在宅でヘルパーさんの介助で餅を食べられることとの差は何なのか?→在宅では自己責任vs施設では自己選択・自己決定・自己責任は名ばかり=施設は福祉の世界で言う「パターナリズム」をどうしても脱却できない=利用者の自立を妨げている。
 (4)入所者皆さんが同じことを言い出せば施設は運営できないとは?=施設介護員の手が足りない? 実際、県内他施設と比べて介護員/利用者は少なめ。それにも関わらず、私のいた施設は毎年事業活動収入の1割位の純資産を増やし続けている→何のための純資産?=誰のための施設?
 (5)第三者委員の一方的意見は、利用者は何も言うなという、苦情解決という仕組みそのものを否定する意見。そもそも、第三者委員を一方の当事者である施設が選任する現状の仕組みも問題。
 (6)適正化委員会は、本人と施設と個別に対応するので、とても月日がかかりながら問題の解決に至らなかった。本人+施設+委員の3者会談を場合によっては開くべきであり、何よりも強制力を付与されなければ存在価値そのものが問われるのではないか?

 まとめ
 家族は「他に行く所がないのだから、今施設にいられることを感謝こそすれ、不満を言うなどもっての外」と言っていました。そう言われれば、「たかが餅」とあきらめるのが施設利用者の一般なのかもしれません。「されど餅」=あきらめてしまって何も言わなければ、施設運営はこれでいいと思われてしまいます。怖いのは、新人職員にまでその考え方が浸透していくことです。考え違いで末端の物事まで判断されては、利用者の不幸。しかも、現状の苦情解決の仕組みは、機能していないのです。
 私のいた施設には残念ながら、組織として個人の声を真剣に捉えようとする姿勢はないようです。いくら声を上げても、どこにも届かない無力感。私は幸い外からの力を得て、施設を出ることができましたが、全国の施設利用者の中には、同様の思いを持っている人がいると思います。一方、公的なり、研究機関なりからアンケート等が行なわれているようですが、施設で協力しないなり、対象には選ばれないなりしているのか、私の所には一度も来たことがありません。
 だから、外からの力が是非とも必要です。公的機関からの施設利用者「全員」を対象とする意向調査なり、施設への第三者評価を義務化し、そこに利用者「全員」のヒアリングを入れてその扱いの成り行きを定期的に追跡するなりの仕組みが必要です。
 私は、障害者制度改革推進会議をインターネット動画で見ているのですが、そこで議論されていることと私のいた施設との議論とのギャップは甚だしいものがありました。施設管理者は、推進会議のことさえも知らなかったし、それを伝えても見てもいないようでした。
 これでは施設はいつになっても変わらないという思いが、私の地域移行を後押ししてくれたようにも思われます。そういう意味では「餅のおかげ」? しかし、なんとかしてほしい。
 2011年9月30日記

新潟県:T.H.

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