あちこち上高地、思い槍ヶ岳の旅
いつかは登ってみたかった槍ヶ岳ですが、頸髄損傷による四肢麻痺という障害を負っては見ることすら叶わぬ夢と思っていました。しかし新穂高ロープウェイで登った標高2156mの展望台に立つと北アルプスの壮大な山々が目前に広がり感動しました。まさに絶景です。憧れの槍ヶ岳(3180m)を近くに見られて大満足です。 ●新穂高ロープーウェイ展望台(後ろは飛騨山脈、最高峰は笠ヶ岳)/槍ヶ岳(黒く尖った山) 新穂高ロープウェイは、第1と第2があり第2始発駅まで車で上がれます。第1始発駅のホームには、2ヶ所の階段にスロープを掛けてやっと到着するので、大変なうえ時間的ロスもかなりあります。何も知らない私は、第1から乗りました。「おい!係員、ひとこと言えよ!」 上高地(長野県)は、私の人生55年で目にした最も美しい場所かもしれません。穂高連峰の谷間の真っ白な雪と淡いコバルト色の梓川と新緑の木々のコントラストが抜群でした。まさに絵になる風景なのです。木造つり橋の河童橋を渡り木陰にいると、澄んだ空気に不浄な心が洗われます。大正池からの眺めもグーですよ。上高地には自家用車での乗り入れはできません。したがって、バスおよび観光タクシーでの入山になります。 平湯の大滝は、凄いのでしょうが、電動車イスでは滝壺(たきつぼ)の近くには行けません。ちょと頑張って当初の予定通り、乗鞍(のりくら)高原(車で上れる日本最標高地点、2702m)に行けばよかったかな? 1日目、2日目は晴天に恵まれましたが、3日目の高山は雨でした。カッパを着ての朝市見学でしたが、前日の居酒屋で仕入れた情報をもとに飛騨牛(ひだぎゅう)のサンドイッチ、メンチカツ、肉巻き、カリン糖饅などを買い込んで、12:30発の特急「ひだ」に乗り込み、帰路につきました。 ◇旅行日程 5月20日(金)〜22日(日) ▽1日目 自宅(7:00)→東広島駅→名古屋→高山→白川郷→平湯温泉に宿泊 ▽2日目 新穂高ロープウェイ→上高地→平湯の大滝→高山に宿泊 ▽3日目 朝市→高山町並み見学→名古屋→東広島駅→自宅(20:30) 交通機関は、名古屋および高山まではJRで、各観光地への移動はリフト付き観光タクシーを利用しました。 ●上高地(梓川と河童橋、後方は穂高連山) 今回の旅に関しては、Kさんから多くの情報をいただきました。高山の民芸居酒屋「京や」は、雰囲気・味・メニューの多さともに最高です。面白く、優しく、パワフルな女将さんに、M理さんの顔でサービスしてもらいました。皆様のおかげで楽しい旅ができました。ありがとうございました。 広島県:Y.O. 『臥龍窟日乗』−ヘルパーの尊厳−
身近でこんな「事件」がおきた。大手の全国紙でも報道されたので、ご存知の方もいるかも知れない。 A君は20代後半の男性だが、生まれながらの知的障害者だ。身体が大きく身長は180センチを超える。アパートで独り暮らし。もちろん家事や買い物はできない。24時間、ヘルパーの介護を必要とする。どうしても人並みの教育を受けさせたいという親御さんの強い希望で、定時制高校を卒業した。感動のエピソードだ。 介護に入っているのは、NPO法人で就労支援施設と居宅介護をやっている。A君の親御さんはそこの理事でもある。施設名を仮にBセンターとしておこう。 24時間介護だから当然、夜も男性ヘルパーが添い寝する。Cさんはもう5年以上、A君のヘルパーをやってきた。年齢は60を超えていて、あと数年頑張って世界を旅して歩きたいというのが夢だった。規定の残業時間を大幅に上回るほど働いた。 A君のアパートにはDさんという女性も家事介助で入っていた。CさんとDさんはあまり仲がよろしくない。Cさんが添い寝で入った翌朝、A君の背中に紫色の痣(あざ)があるのに、彼女は気付いた。 DさんがCさんを追及した。口論になった。カッとなったCさんは、茶碗に生米を入れ麺ツユをかけてA君に食べさせようとした。そしてDさんに毒づいた。 「あんたにゃ分らんだろうが、これが現実なんだよ」 Cさんにしてみれば、 「半日付きっ切りになる者の苦労が、分ってたまるか」 という気持ちだったのだろう。 ところがDさんが、背中の傷の一件を親御さんに報告し、ことが「事件」に発展した。まず市の社会福祉課、社会福祉協議会で問題になり、革新系の議員によって市議会でも取り上げられた。警察が動き、労働基準監督署の査察が入った。Cさんの月収が50万円近いことから労基法違反の疑いも出てきたからだ。騒ぎはさらに大きくなり、県議会でも取り上げられ、県の社会福祉課がBセンターからの聞き取りを開始した。Cさんは「事件」が明らかになった時点で解雇処分となった。 「A君に謝罪したい」 とのCさんの申し出をうけ、Bセンターが仲介に立って両者が面会した。「すまなかったな」というCさんの言葉に、ふたりは手を取り合って泣いたそうである。A君には知識はないが心がある。遺恨を残す別れとなったが、5年に及ぶ付き合いのなかには忘れがたい思い出の数々があった。だが、この面会に呼ばれていた親御さんは、とうとう現れなかった。 思い当たるフシがあった。私はBセンターの介護サービスを受けている。通所と呼ばれる授産施設もあるため男性職員が多い。Eさんという40前の男性がわが家の担当だったが、ある時から顔を見せなくなった。利用者に腕を噛(か)まれ、肉を食いちぎられるほどの重傷を負ったらしい。 担当が代わりFさんという50代の温厚な男性が来るようになったが、半年経たずして膝を痛め辞めてしまった。風呂で突き倒されたのが原因だった。 つぎに入ったGさんに訊(き)くと、同一の利用者らしい。Gさんも通所に通うため彼に同行するが、機嫌が悪いと突然殴りかかってくる。 「そりゃ怖いっすよ、腕力あるから」 この利用者こそ、A君だった。 私には「事件」の当事者Cさんを庇(かば)うつもりはさらさら無い。障害者をヘルパーが虐待するなんて決してあってはならないことだ。だが単純に、責める気にもならない。 過日、親御さんが果物を持ってBセンターを訪れた。 「皆さん、頑張ってください」 と「激励」して帰ったそうだが、誰ひとりとして手を付けなかった。いまBセンターは存続の危機にある。嫌気がさしてヘルパーが辞めて行くからだ。 A君は方々の施設で断られ、Bセンターが最後で唯一の受け皿だったのだ。これは「ネグレクト事件」の一つに留まらない、もっと大きな根深い問題を孕(はら)んでいるように思えてしかたない。 千葉県:臥龍 しばらくご無沙汰してる間に……〈後編〉
(4)実習 社会福祉士国家試験受験資格を得られる通信制の大学および専門学校では、学校側が実習先を確保しておいて生徒を割り振るというところもあったが、私の選んだ大学は、実習先を自分で探さなければならなかった。だが、かえってその方が私にとっては良かったのかも。 ……ケイ損の私が実習先を探すのに苦労したポイントは、『行った先で人の手を借りずに動けるか』と『相談業務を主とするところ』の2点です。前者は、実習をさせてもらうにもかかわらず、私のお世話まで頼んだらナンノコッチャって感じになるので。後者は、実習相談室のN教員より“有意義”な実習ができる実習先を探すように念押しされ、体を使う作業の多い実習先は私にとっては対象外だったらからです。しかし、これらのハードルは高く、なかなか受け入れてもらえる先が見つかりませんでした。そこで、最後の砦(とりで)として、ケガをした当初にお世話になった“せき損センター”に意を決して依頼してみることに。すると、ありがたいことにOKをいただきました。 でも、またここで一つ問題が……。大学側は、実習指導・支援体制の整備に時間を有する等の理由で病院での実習を“原則”として認めていませんでした。しかし、かつての勉強で『原則あるところに例外あり』という言葉をよく耳にしていたので、N教員を窓口として交渉に交渉を重ね“例外”として許可を得ることに成功。やっと卒業にむけての目処が立ってきたのでした。 せき損センターでの実習は、医療ソーシャルワーカーであり社会福祉士のOさんのもとで受けました。9月半ばから始まり、月・火・木・金の8:30〜17:00までの実習を23日以上かつ180時間以上行えば終了です。 家からせき損センターまでは、車で約1時間。ヘルパーさんには朝の6時に来てもらい、ベッドから車椅子への移乗や更衣などを済ませ、7時過ぎに自宅を出発。この年の春に母は入院することもあったので、送迎は父に頼みました。今回はスクーリングと違い、父はその場に待機せず、文字通り送迎のみでした。 せき損センターの施設は勝手知ったるもので、移動に困ることはほとんどありませんでしたが、たまにスロープの先にある部署に行く時には、Oさんに上り下りの介助をお願いしました。あとは、私が実習に入るまでに、私の作業しやすい机を用意して下さっていたり、控室も入りやすくしてくださっていたので、「〜してください」とお願いすることが最小限ですみました。 ここでまた余談ですが、私は『※私の中で母に頼ってもいいと思える回数、年に2回まで』というような感じで、自分で人に頼ることを制限するクセがあります(もちろん、時と場合による)。これは根っからの性分なのか、ケガをしてから身につけた特性なのかは分かりません。 この実習でも、「実習生として行くのだから、実習以外の部分で甘えることは極力避けよう」と思っていました。おそらく、頼んだら快くしてくださる方ばかりだとは思いますが、“こう!”と決めた時の私にとっては、頼むこと自体が非常にストレスに感じてしまうのです。ですから、スクーリングでは、母や通信仲間に頼んでいた水分摂取や食事の準備を一人でできるように工夫して実習に望み、病院側も先に書いているような配慮をしてくださっていたので、精神的に本当に助かりました。 肝心な実習内容は、患者さんとの相談業務に参加させてもらったり、退院・転院に向けて連携が必要となってくる施設や機関のソーシャルワーカーのお話を聞くために、病院の車を出して現場に連れて行ってくださったりと、本当にいろいろな経験をさせていただきました。 そして、大学の実習相談室のN先生がおっしゃたとおりの、とても有意義なものとなった実習は10月末に無事終了し、翌年の3月、卒業の運びとなりました。 以上、つらつら振り返ってみると、『大学へは行かない』つもりだった私が大学を卒業できたのは、『時の流れと人との出会い』のおかげだったことに気付きました。 時の流れとしては、自分も年齢や経験を重ね、精神的に多少なりとも大人(!?)になったこと、家族構成や体制の変化、福祉制度が措置から契約に代わり利用しやすくなったことが大きな要因としてあげられ、人との出会いは助言や協力、要所要所のポイントで後押ししてくださる人物が現れたからです。 そうそう……、そもそも私は何かしらの専門性(=『社会福祉士』)を身に付けたいがため、大学に行くことを決めたのでした。こんなに長〜い文章を書きながら、この時点でこの説明をするのはかなりの不親切だとは思いますが、一応“社会福祉士”とはどういうものかと簡単に説明しますと、『日常生活に支障のある人を対象に、福祉に関するさまざまな相談に応じたり、助言や援助を行うことを主な仕事とする人』のことです。私の、「いろいろな人と関わり合いをもちながら働いてみたいと思うようになっており……」という動機にピッタリでしょ♪(「えっ!? そうだったの??」とお思いになられた方はこれまでの文章を読み返してみて?) 大学を卒業したことでこの受験資格を得、今年の1月に試験を受けてきました。そして、この春、晴れて社会福祉士となりました。 私にとって、この資格は、これから新しい社会に飛び出して行くためのパスポートみたいなものです。これまでみたいに、また長〜〜い旅路になるやもしれませんが、いつか、どこかにたどり着けるよう頑張りたいと思います。 福岡県:K.H. 腰折れ俳句(21)
だるまさんがころんだ秋の影法師 赤とんぼ来て入れかはる風の色 遠き国のしじまを連れて渡り鳥 花野来てけものの如く座りけり 火には火の紙には紙の文化の日 イラスト/K.S. ハロウィンが近いから南瓜だなんて安易で安直。それはそうだけれど南瓜が無性に好きなのです。愛しているのです(言い過ぎ?)。 いやいや好きというのはそれくらいほれ込んでしまうこと。「なんでも、なんども」 つまり何でも絵にする。何度も絵にするのが理想だけれど偏ってしまう。 さてさてこの南瓜がおもしろい。かたちにひかれました。 熊本県:K.S. 熊本県:K.S. 故中島虎彦さんの故郷を訪ねて〈後編〉
外へ出ると、会館に入ってからどしゃ降りに降り出した雨がきれいに上がっていた。「やはり晴れ女ね私はv^^」Kちゃんたちと記念写真を撮ってから、長崎へ向かうお二人と別れた。さて、そこから宿に直行。和多屋別荘は敷地面積も広く、川辺に佇(たたず)む、古い日本家屋風の風情のあるお宿だった。嬉野温泉は、美肌・美人の湯として有名らしい。 ユニバーサルルームということだったが、部屋に入るのに廊下からスロープがあり、ドアが手前に引くタイプなので踊り場ではなくスロープ上で待機しなければ入れない。松井先生たちのお部屋のほうが引き戸になっていて、思わず苦笑。それから、洗面所の水道が手をかざすと水が出るセンサー感知タイプなのだが、お湯が出ない。温泉に来て、まさか水で顔を洗うとは思ってもみなかった。浴室からいちいち汲んでくるのでは、安全性や利便性を考えて先の水道を取り付けた意味がなくなってしまう。 そして、お風呂のことでひとトラブル? 事前に連絡をして車イスのまま入れる“シャワーチェア”があるというので予約をしておいたのだが、それが浴室の中に見当たらない。あるのは、四つ足の腰かけるいすのようなもの。エッ!? これがシャワーチェア?? 確かにいすには違いないが……。フロントに行って事情説明するもなかなか納得というか、わかってもらえず、結局、いろいろあって最終的に「佐賀嬉野バリアフリーツアーセンター」というところからシャワーチェアを借りることができた。灯台下暗し。聞けば、昨年の12月、ユニバーサルデザイン全国大会が嬉野で開催されたというではないか。 浴室の構造も(写真参照)浴槽の手前にあるすのこの取り外しができず、松井先生たちも入るのに手伝うわよとおっしゃってくださっていたのだが、浴槽に入ることは断念した。造り的には、足腰の弱いお年寄りと車イス者との中間仕様(?)のような感じかな。でも、かけ湯をバンバンしてもらうだけで翌朝まで十分体も温まり、疲れも取れ、眺めもよく私的にはとても満足だった。2晩続けて温泉に入るなんて、もう2度とないかもしれない。 旅行は、行って見ないとわからないことも多くて大変なこともあるが、それを含めて楽しく、よい思い出となる。頸損など、まったく歩行ができない障害者がお風呂に入るということまで想定した宿泊施設は、まだまだ少ないだろう。まず、基本的にリフターがないと無理だし。 頸損者として宿を利用した問題点を中心に挙げてみたが、宿自体のおもてなしは食事もおいしく、九州各地のお土産が揃った大きな売店など、十分満足のゆくものだった。特に、食通のMさんも絶賛の品数豊富な朝食のバイキング、大浴場も屏風(びょうぶ)のような衝立の御影石が立っていて、広々として趣があって泉質もすばらしくとてもよかったそうだ。宿のホームページを見ると、「直線美」と「木と石の調和」をコンセプトに、天然御影石と檜(ひのき)を用いて設計されたと書いてある。H口さんオススメの、ホテルメイドの「佐賀牛カレー」もお土産に購入した。そして、広島のKさん情報による虎彦さんも是非にとオススメだったという、嬉野温泉名物の温泉湯どうふ。とろりとして、プリンみたいにクリーミーでおいしかった。 松井先生が焼物がお好きとのこともあり、やはり佐賀に行ったからには焼物を見ないとということで、翌日はH口さんからお聞きした「有田陶磁の里プラザ(有田焼ショッピングモール)《http://www.arita.gr.jp/》」に行った。道路、各店舗ともバリアフリーになっている。駐車場も広い。気持ちのよいお天気! 店舗を見て回りながら、両親に湯飲みを買った。 しかし、所狭しと陳列されて車イスで回るにも割らないか、落とさないか慎重になってしまう焼物の数々、関東人としてはここに地震がきたらとつい心配してしまう。高価な焼物も置いてある。きっと地震が少ない土地柄なのだろう、いたるところに震災のカンパボトルを見かけるが、のんびりとした雰囲気にちょっと温度差を感じた。地震を気にしなくてよいのは、精神的にありがたい! そこから、お天気がよかったので、長崎のハウステンボスまで足を伸ばし、施設内のお店で長崎チャンポンを昼食に食べた。 ●H口さんのNPO法人事務所の前にて 最終日は、チェックアウト後まだ時間が少し取れたので、「今右衛門古陶磁美術館」に寄った(バリアフリーではない)。この日も天気に恵まれる。連休から有田の陶器市が開催されるそうで、各店舗は紅白の幕を掲げ、どのお店も準備に忙しそうだった。そこからもう一軒、途中にあった焼物のお店に寄り、佐賀市内のH口さんのNPOの事務所に向けて出発した。 事務所は、道路からちょっと入った閑静な住宅街の一角にあった。H口さんは、褥瘡などでちょっと体調をくずされていて短時間しかお会いすることができず、残念! 少しお話をしてから、事務所の前でご一緒に記念に写真を撮った。H口さんがお見送りしてくださる中、リフトカーを空港まで配車していただいたFさんの運転で、一路福岡空港へ。道路が空いていて早めに着いたので、空港内のMさんオススメのお店で博多めんたいこを購入。その後羽田に到着し、無事に帰宅。 翌日、H口さんに、お世話になったお礼のお電話をすると「今日は雨が降っています」「やはり晴れ女ね私はv^^」お話しの中で出たのだが、佐賀市内の「青年の家」はリフターも付いた宿泊施設とのこと。そして、H口さんのNPOで、ヘルパーの手配も可能だそうだ。佐賀旅行をお考えの方は、一度ご相談あれ〜。 H口さんはじめ、空港まで送迎をしてくださったFさん、運転担当のIさん、本当にいろいろお世話になりました。人生初の佐賀行き、松井先生とMさんとも個人的に旅行ができ、おかげさまで楽しくお天気にも恵まれ、よい思い出となりました。帰って来てから編集者のYさんにもご報告。 旅行は楽しいが、体力的なものなど、年々遠出が大変になってきている。これからも行かれるときに行かれる場所に、少しでも多く行きたいものだ。 編集委員:瀬出井 弘美 ◆お知らせ◆ 【編集後記】
この「はがき通信」が発行される頃は、横浜懇親会も終わっているでしょう。 参加者は少なめですが、3月の大震災を筆頭に、大型台風、火山の噴火、竜巻による突風、集中豪雨などなど未曾有の被害に自然災害の恐怖をこれでもかと思い知らされる今年1年、懇親会を開催できるだけでもとても有り難く感じております。 さて今号は、新企画としてインタビュー・コーナを作りました。まず手始めとして、松井先生にKさんへのメールでのインタビュー情報をまとめてみていただきました。インタビュー形式を取ることにより、可能となる原稿収集の幅が広がることを期待しているところです。 また、ルセナでの生活を選択されたOさんは、最初はホームページ経由でメールをいただいたのがご投稿のきっかけとなりました。バンクーバ情報といい、海外通信はインターネットが普及していない頃は考えられないことでした。やはり、インターネットの便利さをもっとも感じるご投稿です。 関東以北では節電が叫ばれた夏がようやく終わり、1年で一番大好きな秋の季節を少しでも楽しみたいものです。 次号の編集担当は、藤田忠さんです。 編集委員:瀬出井 弘美
………………《編集委員》……………… (2010.4.1.時点での連絡先です) 発行:九州障害者定期刊行物協会 |
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