No.200 2023/9/9
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も く じ
★お知らせ(1)【朗報】新体制にて続きます      
★骨折のその後とネット版「はがき通信」 匿名希望改め、ポスト
★お知らせ(2)ご寄付のお礼、監査報告 
★「はがき通信」のもう一つの役割 千葉県:松井 和子
★国リハの小さな売店 東京都:F川
★「はがき通信」のあゆみ
★コロナ感染記 静岡県:ロッツォ
★八十路を生きる 佐賀県:K.N.
★「はがき通信」ありがとうございました 新潟市:T.H.
★「はがき通信」にいただいた思い  北海道:A.S. 
★歩きたいARUKITAIある期待  福岡県:DRYことT@KC 
★かけがえのない仲間たち  広島市:M.K.
★「はがき通信」からたくさんの元気と情報をもらいました 福岡市:Y.I.
★この出会いに心からの感謝を込めて 福島県:T.S.
★「はがき通信」ありがとうございました! 札幌市:戸羽 吉則
★帯状疱(ほう)疹(しん)ワクチンを接種 静岡県:ロッツォ
★「はがき通信」ありがとうございました。 東京都:T.F. 
★最終号に際して  川崎市:S.K.
★「はがき通信」さんありがとう  奈良県:M.K. 
★膀胱ロウになるまでの経緯  匿名希望 
★終活を始めています  鈴木@横須賀 
★『臥龍窟日乗』-81- 寺村(左膳)道成日記  千葉県:出口 臥龍 
★特集のまとめ  
★区切りの200号(最終号)…たどり着けて本当によかった! 神奈川県:瀬出井 弘美
★これで肩の荷が下ります 編集担当: 藤田 忠
★全員参加企画 いいモノ見つけた!まとめ  
★ マスコミから

 「はがき通信」からのお知らせ(1) 

 【朗報】「はがき通信」は新体制にて続きます

 次世代へのバトンタッチは半ば諦めかけていたところ、3月下旬にお一人の方が不安な気持ちもありながら熟慮の末、手を挙げてくださいました。「はがき通信」を存続させたい一心からのご決断でした。
 
 残念ながら紙面の発行は最終号となりますが、これから新体制でインターネットを主体とし た四肢マヒ者の情報交換ホームページ「はがき通信」として、始動に向け年内を目処に鋭意準備を進 めてまいります。スタッフ一同、次世代にバトンを渡すことができ、「はがき通信」がこれからも続いていくこととなり、感謝の気持ちでいっぱいです。  
 今後も「四肢マヒ者の情報交換」の趣旨は変わらず、引き続きホームページ下部に記載の メールアドレスまでご投稿をお待ち申し上げております。  
「はがき通信」ご投稿の宛先

post_card_comm_14520@yahoo.co.jp

 
 新体制が整い次第、「はがき通信」ホームページにて、始動について告知させていただきます。
時おり、ホームページのチェックをよろしくお願いいたします。

 骨折のその後とネット版「はがき通信」 

(C4)

 「はがき通信」198号のご挨拶で、骨折を報告した匿名希望のホームページ担当者です。骨折はその後、かかとに水疱の褥瘡ができたものの、フィルム保護とかかと部分のシーネ(副木)を削ってもらい、完治いたしました。骨折は、健常者の方なら、固定を外しても大丈夫な状態になり、それならと外しました。その後も4週間に1度、整形外科を受診し、レントゲンを撮り、経過を見ていただいています。やはり、立ったり歩いたりして足に体重をかけていないので、くっつきにくいようです。それでも、ギブス固定をせずに治せたこと、「はがき通信」に感謝しています。

 そして、このたび、「はがき通信」がこのまま消滅してしまうことは、社会にとって大きな損失になると考え、私にできることで、「はがき通信」が何らかの形で続いていけるよう手を挙げさせていただきました。何ができるわけでもない一頸損者で、日々の生活で精一杯で、重責を担うことができるのか、不安ではありますが、やらずに後悔するよりやって後悔しようと思います。私一人が手を挙げたことで、安泰ではなく、すぐに後継者を探すことが私の役割だと思います。

 「はがき通信」誌面が届くのを楽しみにされていた方にとっては、大変心苦しいのですが、誌面版を続けることはかなりの労力が必要で、私一人ではとうてい無理だと判断しました。これまで、役割を担ってきた方々、本当に素晴らしいです。足を向けて寝られません、頭を上げることができません、敬意しかございません。なので、ネット版なら私にもできるのかもしれないという思いです。

 藤田忠さんに、立候補のご連絡を差し上げた際に、「はがき通信」は「会」ではなく、「ゆるーい購読者のグループ」に話し合いの結果決まった経緯を教えていただきました。2007年に「はがき通信」スタッフ会議としてメールでの会議をしたメール(どのような経緯をたどり今の形になっていったのか、過去の編集部の方々のメールのやりとり)を送ってくださいました。それぞれ個性ある意見が飛び交う中、そこには、「はがき通信」を愛する人たちの思いがありました。メールのやりとりはドラマのようで、本気の人たちの話し合いでした。ゆるーい購読者のグループとなっていますが、改めて責任の重さ以上に、なくしてはいけないと感じました。

 今後は、匿名希望ではなく、ホームページ管理人『ポスト』と名付けまして、お世話になります。管理人と表記しましたが、決して、私のホームページではなく、「はがき通信」を大切に思う方々のために、「はがき通信」がこれからも誰かの役に立ち続けられるように、サポート役として頑張ります。どうぞ、よろしくお願いいたします。

匿名希望改め、ポスト

 「はがき通信」からのお知らせ(2) 

 1.ご寄付のお礼

 「はがき通信」に寄せられた2022年度の寄付金を公表させていただきます。貴重なご寄付を賜りましたご寄付者の方々に厚く御礼申し上げます。
 また、これまで多くの方よりご寄付を賜っております。おかげさまでカラー印刷等々をはじめ、金銭面では心配はなく安心して続けることができております。重ねて厚くお礼申し上げます。

ご寄付をいただいた方
※寄付者リストは、誌面版のみ掲載

 資金をどうするのかスタッフ間で会議しました。2023年度(199号と最終200号)の印刷・発行などの経費を支払ってから最終的な資金の残金が確定となります。
 紙面発行するときに「はがき通信」スタッフではできないことを、2団体に担っていただきました。そのため寄付の提案があり、賛同を得て寄付させていただくことになりました。
 そして寄付金と今年発行の2つの号の経費を引いた全額を新体制にて、運営資金(セキュリティ対策・有料サービス・ソフト更新など)として大切に使わせていただきます。

  2.会計監査報告
<「はがき通信」会計監査報告>

※会計監査報告は、誌面版のみ掲載

※購読者数は2023/3/10現在183名です。

 ※コロナ渦のリスクのある中で監査人のIさん・会計担当の占部さんに無理なお願いを申し上げて対面にて、2020~2022年度の会計監査をしていただきました。コロナ渦の中で心より御礼申し上げます。
 お二人のおかげで購読者の方々へ最終号にて、適切な会計がなされていることがご報告できました。

 「はがき通信」のもう一つの役割 

 「はがき通信」は200号で最終版です。瀬出井さん、藤田さんほか編集スタッフの皆様、長いことお疲れ様でした。
 とくに瀬出井さんと藤田さんは、重い障害を抱えているからこそか、継続しなければという重圧に押しつぶされそうになりながら、さすが向坊さんがこの二人であればと、あとを託された務めを十分果たされたと敬意を表し、深謝しています。

 「はがき通信」は1990年の第1号から年6回、2023年4月までの33年間、うち私が担当したのは最初の5年間、その後は向坊さんへバトンタッチ、実質当事者である四肢麻痺者担当の情報交流誌となりました。当初は、当事者にとって貴重な情報交流の場であっても、パソコンやネットの普及によってもはや紙媒体の通信は不要、「はがき通信」の役割は終わった、もう廃刊してもよいのではと指摘されてきました。私もそのひとりでした。
 いざ最終版を迎え、いろいろと感慨にひたりつつ、「はがき通信」の役割は情報提供だけだったのかと、考え始めています。コロナ禍以前は毎年1回開催の交流会で当事者や家族と出会い、その継続的な交流も大きかったのではないか。
 当時、大型の電動車いすで長距離移動など考えられなかった時代です。当事者や付き添う家族にとって参加はまさに冒険、日本の中間点だからと当初、浜松で開催された交流会に病室から参加したような当事者、参加を重ねるごとに逞しくなり、介助者も家族から友人のような介助者へ変化、そのうち交流会の主催者となる当事者も出現してきました。
 その一人、残念ながら数年前に死去、毎年私にも自家製のカレンダーを送ってくれました。もうそのカレンダーなしと思っていたら、ご遺族から遺作カレンダーが郵送、そのなかに生前用意されていた別れの手紙が同封されていました。そこには、今度生まれ変わってきたら、困っている人のために尽くせるような活動をしたいと、結ばれていました。生前、当事者として存分な活動をされていたのにと、私にとって忘れられない出会いと交流でした。
 頸髄損傷という大災害から九死に一生を得た当事者だからこそ、深い交流が積み重ねられてきたのではないでしょうか。「はがき通信」の創設者、故向坊弘道さん、本当に偉大、向坊学校の出身者と自負する当事者もいるように、「はがき通信」は、単なる情報交流誌でなく、手も足も動かせない当事者の自律生活促進の学校でもあったと、再認識しています。

 現在、コロナ禍での移動制限が緩和されたとはいえ、老化に伴う身体的な移動制限が加わり、直接の交流は困難になったとしても、可能な通信手段を使って交流を継続できればと願っています。
 末尾になりましたが、藤川景さん、痛みを抱えながら通信の校閲を長いこと担当していただき、まことにありがとうございました。

千葉県:松井 和子

 国リハの小さな売店 

 (74歳、1987年C5損傷) 

 1987年ごろ国立障害者リハビリテーションセンターの病院に入院していた。国リハには小さな売店があった。紙おむつ、日用雑貨、菓子などがぎっしり並べられ、そのほかに本や雑誌などがならんだコーナーもあった。キオスクに毛の生えたほどの店だ。

 わたしは退院して5年ほどたったころ三五館という小さな出版社から『上の空――頸髄損傷の体と心――』という本を出版した。音声で動くテープレコーダーのカセットテープに声を吹き込み、テープ起こしをしてもらうという方法をとった。楽なことではない。
 無名の筆者と無名の出版社だからそれほど売れるはずはない。だが椎名誠氏がオビを書いてくれたおかげもあって、新宿紀伊國屋書店が300部引き受けてくれたと担当編集者はうれしそうに報告してくれた。引き受けるといったって売れなければ本は出版社に返るのだから、そりゃなんぼでも引き受けるでしょうとわたしは照れ隠しで言った。大書店には大書店なりの経験があり、読みを外すことはまずないとたしなめられた。
 しばらくして国リハの売店で100部売れたという話が耳に飛びこんできた。国リハでの入院生活のありさまも書いたから入院患者も興味を持ってくれたのだろう。それにしても100部売れるとは。紀伊國屋なみだ。本が売れない本が売れないという嘆きはもう数十年前から続いているが、本というものはしかるべき場所に置けばそこそこ売れるのだと知った。
 目をとめたのは入院患者だけではなかった。1993年のある日、松井和子さんが拙宅を訪問された。松井さんは当時「はがき通信」の編集委員だった。きっとあの売店で拙著をご覧になったのだろう。その日わたしは「はがき通信」と出会った。その後校正担当になり、131号からは校閲担当をおおせつかった。学校卒業後けがをするまでずっと本作り一筋の道を歩いてきた。けがによって一度は絶たれた道が「はがき通信」によってこんにちまでつながったのだ。

 国リハの研究者が拙著と出会ったのもこの売店だったにちがいない。研究所では当時紙の本を電子書籍化することに取り組みはじめていた。今でこそだれもが原稿をパソコンで書くから、原稿そのものがすでに電子化されている。すぐ本にできる。だが当時はいったん原稿用紙の文字をオペレーターがフロッピーディスクに入力していた。それを機械にかけてゲラを出す。
 研究所はさらに出版社が電子化された文章を販売すれば、紙の本は読めなくてもパソコンでなら読めるというひとの役に立つにちがいないと考えた。当時のわたしには意味がよくわからなかった。研究者というのはややこしいことを考えるものだと、文系のわたしは思った。ところが数十年ですっかりそういう時代になってしまった。いまや本も電子化されたものなら、たとえば紀伊國屋のホームページからデータを取り込むだけで即座に読める。料金はカードから引き落とされる。

 
●レーザー光線でパソコンを操作する

 それと同時に研究所ではレーザー光線によるパソコン入力の研究にも手を染めていて、1号機をわたしに渡そうとしていた。本の「あとがき」に文章を作る上での難渋を書いたからだろう。
 わたしはその後「光入力式キーボード」を手に入れた。頸損にとってこんなに便利なものはない。いまのわたしにとって最もいいのは起立性低血圧に備えてうんとリクライニングした姿勢でも使えることだ。さらに「光マウス」も開発された。この文章もそのふたつの道具を使って書いている。
 国リハに小さな売店がなければ、「はがき通信」との出会いも光キーボードとの出会いもなかっただろう。

東京都:F川

「はがき通信」26号あとがき『上の空――頸髄損傷の体と心―― 
はがき通信−26号 (normanet.ne.jp) 
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