No.178 2019/8/25
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 電動車イスの業者さんに感謝! 

 皆さまこんにちは、2回目の投稿です。
 私が電動車イスで通勤をはじめたのは、今をさかのぼること4年前の2015年6月のことでした。1年半の休業期間を経て職場へ復帰しました。
 社会復帰をするにあたり、本当にたくさんの方々に現在もお世話になっております。
 時には嫌なことにも遭遇します。また、助けられることもあります。そんな皆様方へ深く感謝しております。
 そこで、この場をお借りし、ご紹介させていただこうと思います。

 記念すべき第1回目は、自治体から紹介された電動車イスの業者さん、K氏。今でもクビにならずに、その会社に嘱託で在籍しています。少し横柄なしゃべりで取っ付きにくい方ではありますが、悪い人ではなく、惜しげもなくオリジナル理論を聞かせてくれる方です。

 そんなK氏から聞かされた話が、今でも忘れられません。
 「マシリトさんよ。国が何で障害者に、手厚く年金やら、生活支援の補助をしなさるかご存知か?」 「さぁ〜、国家として国民への保証。といったトコでしょうかね」と、当たり障りなく答えると、「名目はそうかもしれませんが、国の本音の部分は違います。国は税金をジャブジャブ使って、あなたたちを遊ばせているわけじゃないんです」
 ポカ~ンとしていると、K氏はさらに続けて言った。「国が手厚く保護する目的は、納税義務を果たしてもらうためです」と、ピシャリと答えた。最初は耳を疑った。このオッサンはいきなり何を言っているのであろうか?……と、最初は思ったのだが、よくよく考えると、おっしゃる通りに思えた。おそらくではあるが、社会復帰を目指す障害者へのK氏流の激励だったのでしょう。
 おかげさまで、電動車イスは故障することなく、今も通勤することができています。感謝しております。Kさん。この場をお借りし御礼申し上げます。

通勤マシリト

 気管切開後痕を洗っていたら穴が空いちゃった! 

C1レベル

 2019年1月5日の訪問入浴中、いつものように浴槽内で身体を洗っている最中、気管切開痕を綿棒で洗ってもらっていたら急にむせてしまいました。このときはむせた原因はわからず、自分の唾を誤嚥(ごえん)したと思い入浴を続けていたら、首元まで浸かっているお湯から「泡が出ている」と入浴スタッフが教えてくれました。
 看護師にその場で確認をしてもらうと小さい穴が開いていました。とりあえず入浴中はタオルで穴の部分を保護し、ベッドに移動後携帯で写真を撮ってもらうと、1ミリ前後の穴が開いていました。空気漏れを防ぐため、その日は防水フィルムで応急処置をしてもらいました。


▲1ミリほどの穴が開いちゃった

 その後主治医に状況を説明し、どういった対処をしたらよいか指示を仰ぐと、「とりあえずは空気漏れがないようにして下さい」と言われました。呼吸をするたび、防水テープがカエルのように膨らんでいましたが、その日はバリアフリー調査の予定があったため、そのまま外出をしました。


▲保護テープで応急処置

 しかし外出先でだんだんと不安に感じたので、元主治医のT先生に連絡を取りました。T先生から「防水テープで塞ぐのではなく褥瘡予防用シートみたいな物を使って保護するように」と指示がありました。また「このような事例があるのでしょうか」とお聞きしたところ「稀にあります」と仰っていました。
 保護シートが市販で売っているかわからなかったため、いろんなことを経験している先輩のMさんに聞いたところ、「ドレッシングテープは売っていると思う」と教えてくれました。家族が生活圏内の薬局等に赴くも、褥瘡予防保護シートの取扱店がなく、仕方なくそのまま防水フィルムにガーゼと綿球をあてがい患部を保護しました。

 週明けの月曜日(7日)に訪問看護師に看てもらい、状況判断から専門医に看てもらった方が良いとのことでした。元主治医が勤務する病院(O府立K医療センター)に問い合わせると、早急に診察が必要とのことで、翌日8日に受診してもらえることになりました。受診した先生の判断では、「目視では小さい穴でもすぐに閉塞するという保証はなく、また開く可能性があるので何とも言えない」という返答でした。とりあえずCT検査をしなければ穴の深さが分からないので、改めてCT検査の予約をしてその日は帰路に着きました。次の受診予定は2月12日でした。

 翌日の9日に泌尿器科の先生が往診に来られた際この傷のことを話したところ、地元の明石市で診察してもらえる病院を紹介していただけることになりました。受診日が24日に決まり、それまで褥瘡予防保護シート(以下、デュオアクティブ)で対応していました。厄介なのは、空気を取り込んだ際に息を止めると「ピュ~」と笛みたいに鳴るので、自分でも「うるさいなぁ」と思いました。呼吸器の呼吸回数(通常は1分間に12回)が多く過呼吸のため、アラームが頻繁に鳴ることがあり、昼夜はもちろん就寝中も大変苦痛でした。
 24日の朝、耳鼻咽喉科で受診し、CT検査を行ったのですが、検査結果が翌週の31日に分かるため、この日も帰路に着きました。31日に再度受診してもらうと、気管切開痕の皮膚の厚みがとても薄く切開した部分の皮膚もとても弱いので、T先生と同じく閉鎖手術が望ましいという判断でした。手術の方法は穴の周りの皮膚を引っ張りながら縫合して、さらに違う部分から切開した皮膚を被せて縫合する、ある意味例のないものでした。正式には気管切開口閉鎖術というそうです。
 手術前に血液検査を試みましたが、30分も奮闘した結果、血管が浮き出てこなかったので断念し、主治医が受診日となる2月5日に採血してもらうことになりました。そしてようやく2月14日の午後に閉鎖手術を行いました。
 手術時間はおよそ1時間足らずで無事終了し、日帰りできました。次の日もガーゼ交換のため受診し、傷も消毒だけ済ませ、デュオアクティブを貼ったまま、術後経過観察することになりました。


▲術後


▲抜糸前

 1週間後に抜糸し、その後は2週間に1度の受診で済みました。完治するまではデュオアクティブテープを毎日貼っていたので、首回りの皮膚は真っ赤になっていました。入浴の際は首回りをタオルで保護し、水が傷口に入らないように注意しました。傷口も安定していき、最終4月4日に受診を終えることができ、今は安定しています。


▲気管切開痕完治

 最後に、清潔を保つためにやっていたことがこんな非常事態を招くとは思っていませんでした。今回は本当に大変な経験をしました。気管切開痕は皮膚の厚みもないと身をもって知ることができました。きれい好きもほどほどにしておいた方が良いと思いますので、皆さんくれぐれも気をつけて下さい。

兵庫県:S.Y.

 minoruの挑戦 

 よろしくお願いします。
 脊髄梗塞4年目です。症状は脊髄損傷と同じです。
 自分から採取した幹細胞を培養し、再び点滴にて体内に戻したあと、継続的にリハビリをおこなうという脳梗塞と脊髄損傷に特化した再生治療を受けることにしました。

 4月初旬に入院して細胞の採取は終わりました。培養期間は1か月くらいです。
 5月中旬に、培養した自分の幹細胞を点滴投与しました。

 私の場合、脊髄梗塞を発症してから4年経過しているため、1回の投与ではまったく効果が現れませんでした。主治医の勧めで2回目の投与を7月下旬におこなう予定です。
 リハビリは1日4時間、体幹強化と下肢筋力強化のために、歩行訓練などパラスポーツ並みの内容を今も継続しています。現在では、リハビリはすべての面で、良好です。主治医は1年かかって好転するケースがあると言っています。今はただリハビリに、全てを傾注しています。
 とりあえず投与後40日経過したご報告です。

2019年7月4日

minoru

 自立生活スタートから16年目の近況報告 

C4-5

 「はがき通信」には何度か登場させていただいている福島のSです。早いもので、受傷してから37年、支援費制度スタートを機に自立の第一歩を踏み出してから16年が経ち、私は今年で還暦を迎えます。今でもどうにか実家の老母が夜泊まりに来てくれるので、正確には半自立なのかも知れません。ただ、現在84歳の母は何度か肺癌の大きな手術をしておりますし……だけでもなく当然いろいろありますので、とにかく気持ちだけでも、「私が老父母を支えなければ」、そんな気負いが今の私を奮い立たせてくれる原動力になっているように思います。いくつになっても親は本当に有り難い存在ですね。さて、前置きがちょっと長くなってしまいましたが、今回は私の自立生活において最も重要で何よりも大変で今も大きな課題である介助体制づくり、並びに私の地域の現状を中心に、盲腸ポート造設から8年目の近況報告も含めてお話させていただきたいと思います。

 どこでも同じなのでしょうが、私の住む地域も年々老人が増えていくという田舎ですので、介護と言えば老人介護、介護保険が中心です。介護保険事業所が障害サービスの指定も受けているというところがいくつかありますが、過度のヘルパー不足にて、重度訪問介護を受けてくれる事業所は現時点では皆無なのだそうです。以前にサポートしていただいていた事業所が2つ、残念ながら今はなくなってしまいました。数年前に相談支援員としてご紹介された若者が今は系列事業所のヘルパーとして奮闘されておられるとか(駆り出されたのかも知れません)。このようなとても愕然(がくぜん)とした現状の中で1つだけ希望が持てることは、重度訪問介護にも力を入れているという事業所が最近栃木県からこの福島県南に一支部として参入して来られたということでしょうか。ここも結局「今は人手不足で受けられず」だそうですが。実は、私はここ数年「自薦登録ヘルパー」さんのみでどうにかこうにかシフトを組んできたのですが、足りないところを一般の事業所さんにサポートしていただきたいと思い相談支援員さんにご相談してみたところ、わが地域の厳しい現状を再確認することになった、ということです。まぁ以前と変わらずなのかな。でも、社協さんだけしかヘルパー派遣事業者がない、という地域もたくさんあるので、ここは明るく前向きに乗り切っていかなければ、ですね。 最大なるピンチは最大なるチャンス、試練を喜ぶと宇宙が味方をしてくれるのだそうです。改めて、自分の介助スタッフは自分で確保する努力をするぞ!と覚悟しました。付け加えれば、これまでの一時的な夜間介護ではなくより安定した夜間介護も含めて、真剣に取り組んでいかなければならない課題は山積みなのだという現実に目を向けながら、取り急ぎ、できることからコツコツと頑張っていきたいと思います。

 さて、盲腸ポート造設から丸8年、現状は「それほど変わらず」というところでしょうか。盲腸ポート自体、主治医も含めて身近な医療機関ではまったく認識されていない施術ですので、私としてはかなり不安ではあります。田舎だからというわけでもなく、盲腸ポートをご存じのお医者さんは本当にいないんですね。前回の経過報告でもお話しましたが、O市立総合病院ではもう盲腸ポート造設手術は行っておりません。千葉のN病院でもやられていたらしいのですが、改めてホームページを見ると盲腸ポートの紹介が見当たらないので、今はわかりません。関東東北方面では間違いなく、盲腸ポートは消えてなくなるのだろうと思います。ただ、ガストロボタンの交換だけは今も同じ先生がやってくださるので、来年、私はOの病院で3回目の交換をしてくる予定でおります。
 あまりお役に立てるご報告はできませんでしたが、最後に、還暦を目前に思うことを。老人介護などとひとごとのように書いてしまいましたが、私も間もなく突入かと思うと本当に不安でなりません。老化退化日々増進、といつも口にしてしまう言葉が一日一日と笑えなくなってきますね。そんな自分のことだけで精一杯な現状にもかかわらず、少しでも誰かの役に立たなければ、地域の役に立たなければと、今、無性に焦ったりもします。受傷後幾度となく「生かされている」という言葉をかけていただきましたが、慰めの言葉として有り難く受け止めておりました。それが今は、私の長い人生に何か意味がありますようにと真剣に願い、「生かされている」という言葉を心から信じたいと思ったりもします。

2019. 7. 3.

「盲腸ポート造設から6年目の近況報告」」

福島県:T.S.

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