No.178 2019/8/25
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 走ってさえいれば振り切れる 

50代、男性、受傷後17年、C5/6

 私は結婚して34年になります。結婚17年目の夏に事故に遭い四肢マヒの身となりました。受傷した日の2日後は妻の誕生日でした。

 受傷した月日は、誕生日と同様に、毎年やって来ます。その前に不快な梅雨が1ヶ月も続くのも毎年のことです。受傷前は気にしたこともなかった低気圧と湿気、それと寒暖差が、痛みだけは感じる四肢マヒの身体に襲いかかり、もろくて弱くなっている精神を痛めつけます。
 昼でも夜でも現状への不満が膨らむと、その原因となった取り返しのつかない失敗の記憶が頭に浮かびます。確定した過去を変えられないことはわかりきっているのに、くよくよと後悔し、息が詰まりそうになります。これが、毎日のように繰り返されます。
 「過去の亡霊」に怯(おび)えています。まるで、暗い海を仰向けになって漂流しているようです。泳げない身で後を気にして振り向けば、たちまち暗い海中に沈んでしまいます。海面に戻ることもできず、受傷とは無関係の失敗の記憶にまで囲まれてしまいます。過去のすべてが現在につながっているということでしょうか。それにしては、過去にあるはずの輝かしい業績も幸福なひとときも思い出すことはありません。
 仰向けになって漂流するのであれば、前だけを、少し上向きの前だけを見て浮かんでいることです。未来は可能性でできています。現在のすべてを未来に持ち込む必要もありません。未来を考えるのなら、現在よりも幸福な自分を目指すことも自由です。とにかく、前だけを見ていれば、過去に囚われることはないはずです。

 かつて捜査中の事故で脊髄を損傷し四肢マヒとなった元科学捜査官リンカーン・ライム。彼を主人公としたアメリカの作家ジェフリー・ディーヴァーによる推理小説シリーズの第1作が『ボーン・コレクター』です。在宅となって早い時期に、電動車いすの上で背中を丸めて読みました。主人公の相棒となる元モデルの女性警察官アメリア・サックス。その亡き父の教えが「走ってさえいれば振り切れる」です。この教えが、とても印象的でした。

茨城県:DRY

 障碍(しょうがい)者は地域で生きていけるか? 

C4・5、頸損歴27年、男性、43歳

 去年の暮れ、20年来、手伝ってくれていたご近所さんが脳梗塞で倒れてしまいました。現在、日常生活には戻られていますが介護現場に戻れるかは自信がないとのこと。近隣の事業所に頼み込んでどうにか介護スケジュールの穴を埋めることはできましたが普段から頼りにしていただけに精神的な穴を埋めるに至ってはおりません。

 私は両親同居のもと、人工呼吸器を使いながら在宅生活を26年続けています。四肢麻痺で自発呼吸はなく24時間、人の目が要ります。
 この障碍を乗り越えて何とか地元で、自立生活ができないものかと試行錯誤してきましたが現行の制度の範囲では経済的、ヘルパーの時間枠、地域のマンパワー、等の条件を満たすことが難しく思うように話が進みません。 また、時折、市からも親亡き後の生活のことについて考えているのか、何らかの対策を用意してほしいとの旨を遠回しに聞かれるようになりました。 ただ、市のほうでもこれといった打開策は持ち合わせていないようで具体案は示されてはいません。
 どのような患者でもいつでも受け入れてくれる施設はあるにはあると聞いてはいますが自分の期待しているものとは違うようですしそのような選択肢は何としても避けたい。

 ではどうしたいか。
 自分としては可能な限り在宅での生活を続けそのうえでより望ましい形での在宅の次を模索したいと希望しています。 まずは在宅での生活を続けるための環境作りでしょうか。
 幸い、同じ市内に似た障碍レベルの頸損の方がおられ一人暮らしをされているのでとても参考になります。
 すでにヘルパーの時間枠を増やすことは喫緊の課題となっていますが、たびたびの市との話合いにもかかわらず平行線の状態が続いています。また、夜間のヘルパー確保の困難さを理由に夜間の時間枠を増やすことはできないと釘を刺されており今後も粘り強い交渉を強いられそうです。
 そして慢性的な介護人不足であることも事実です。少子高齢化はさらに進むでしょうし人手不足はより加速するのは目に見えています。

 実現可能な方策はないものか?
 ヘルパーさんともそのことを話したりするのですがやはりこれといった案はありません。
 それでも在宅での移動時間をなくし、1事業所単独では無理にしても行政が音頭を取って近隣の事業所に声をかけ、人を集め、1室で一元管理可能な集合住宅のようなものを用意してくれれば地域の人的資源でなんとか回せるのではないか。 そんな前向きな意見が出てくるのが救いです。

 つい先ごろ、金融庁から老後資金が年金だけでは2000万円不足するとの報告書が出ました。何にいくら費用がかかるのか、改めて見直しが行われるでしょうしその過程でこれまであやふやにされていた老後の先にも目が向けられるのではないでしょうか。最期まで日常を続けることの大切さが世間の共通認識となり、そのために必要なインフラ、人的資源、社会の仕組みの整備の必要性が議論されるようになってくれればと願ってやみません。

大阪府:K.Y.

 麻雀という頭脳スポーツ 

 こんにちは! 東京在住のaiと申します。頸髄損傷C6、受傷から10年経ちました。以前はバンド活動という趣味について投稿させていただきましたが、今回はまた別の趣味のお話です。

 突然ですが、皆さんは2018年度から始まった「Mリーグ」をご存知でしょうか? Mリーグとは、競技麻雀のチーム対抗戦です。サッカーで言うところの「Jリーグ」と言えば、何となく伝わるでしょうか。「麻雀ってギャンブルじゃないの? 競技麻雀って何?」と思われる方が多いかもしれません。「麻雀は認知症予防になるって話題だよね!」と知っている方もいらっしゃるでしょう。競技麻雀とは、頭脳スポーツとしての麻雀。戦略を楽しむゲームってことですね! なぜこんな話をするかと言えば、もちろん私が麻雀好きだからです(笑)。
 頭脳スポーツのいいところは、体が不自由なことがハンデにならないところです。思考を伝えることができれば、障害があろうと体格差があろうと性別がどうだろうと関係ありません。頭脳スポーツがオリンピック種目に加えられることになれば、わざわざパラリンピックとわけることなく障害者もオリンピックに出られるのではないかと言われていますね。
 私は学生時代に麻雀を覚えて、仲間内でワイワイ打つのが好きでした。正解というものが存在しないゲーム性に惹かれて、純粋に頭の体操としておもしろいと感じました。障害を持った今でも、普段から手軽にできるネット麻雀を楽しんでいます。年に1回程度ですが、脳性まひの友達と一緒に雀荘で打つこともあります。麻雀のルールを知らない介助者さんでも介助ができるように、写真のような道具に麻雀牌(ぱい)を並べて、切りたい牌の番号をコールすることで伝えるのです。この道具は、麻雀好きの介助者さんが作ってくれた手作りのものです!



 Mリーグが始まるまでは、自分で麻雀を打つことはあっても、麻雀プロの対局を観戦したことはありませんでした。しかし、Mリーグで麻雀を観戦するようになって、自分で打つのとは違った魅力があることに気づかされました。例えば将棋だと、対局者にも観戦者にも同じ盤面が見えていますよね。麻雀だと、自分が打っている時は他の3人の手の内が見えません。観戦ならば、全員の手の内が見えている状態! それぞれの打ち手の立場で局面を見てみると、自分が打っている時とまた違った景色が見えてくるのです。改めて、麻雀っておもしろいゲームだなぁと魅力を感じました。YouTubeでは麻雀プロがどういう意図で打っているのか一打一打の意味を解説してくれるチャンネルなどもあり、いろんなタイプの戦略を知ることができて楽しいですよ!

 2019年度のMリーグは、10月に開幕します。何だか難しそうというイメージを持っている方も、スポーツ観戦するくらいのノリで見てみてください。世間的なギャンブルのイメージが払拭されて、頭脳スポーツとしてもっと競技人口が増えたらいいなぁと思います。そして、もっと気軽に賭けずに麻雀をしに出かけたい!というのが本音です(笑)。これを読んで、少しでも興味を持ってくださる方がいれば幸いです。

東京都:ai

 潮風にふかれて 

68歳 C3~4 受傷歴11年

 6月下旬の日曜日、障害者の集まりでアジ釣りがあり参加してきた。
 少し風は強いが曇り空で気温も高くなく、絶好の釣り日和。自宅から現地までの45分のドライブは社会福祉協議会から借りた介護車両を友人が運転する。友人の小学6年生の娘さんの同行でワイワイにぎやかに車は走る。
 怪我をする前の私は月に2日~3日は磯の上に立ち、仕事終わりに週4日防波堤で竿を出す、自他共に認める釣りキチだった。今回同行してくれた友人2人も磯の上で一晩過ごすような仲だった。四肢麻痺になって仕事ができない辛さより竿を握れない悔しさが勝っていただろう。取引先会社の2人は仕事の合間に回復期病院で療養中の私を時々見舞ってくれた。愛用していた釣り道具は引き取ってもらった。それ以後私たちは釣りの話をしなくなった。

 6月の初めにアジ釣りの話をもらったとき、2人に連絡して私仕様の道具を作ってくれるよう頼むと、ふたつ返事で引き受けてくれた。1週間後には自宅に来てくれデモンストレーション。ヘルメットの上に金具をつけ、竿とワイヤーでつないである。竿はロッドキーパーで受けて竿尻には調整可能な錘(おもり)が付いている。錘のおかげで首を軽くそらすだけで竿は上がってくる。全長⒌3mの竿は私が使っていたものを残しておいてくれていた。



 さて、いよいよ本番。11年ぶりの潮風にふかれて感慨にふけっている横で道具がセットされていく。周りのメンバーから「すごいー」の声が上がる。仕掛けは下に餌を入れるカゴがあって上に針が4本のサビキ仕掛け。5分も待たないうちにヘルメットを通してアジが針にかかったコトコト音が伝わってくる。車椅子をチルティングしていくと竿が上がってくる。5センチほどのアジが重たくてヘルメットがずれる。20センチほどのハマチの子が釣れたときには竿がもっていかれる。釣り上げた私は思わず「やったぜ~」 喜んだのは私だけでない。2人の友人はそれ以上に喜んだ。



 雲行きが怪しくなってきたので「次はタイを釣りに行くぞ~」と宣言して帰路につく。釣れた魚は私が持ち帰るとヘルパーさんに叱られるので友人の手に。はしゃぎすぎと喋りすぎで痙性が強くなり、しばらく尿もれが続いたのはご愛嬌。🎵海よ~、俺の海よ~

徳島県:M.R.

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