も く じ | |
ごあいさつ | ホームページ版原稿編集担当:藤田 砂織 |
2015年「はがき通信」懇親会 in 横浜のご案内 | |
睾丸の痛みの相談 | 編集担当:瀬出井 弘美 |
パジャマの下衣を探しています | 札幌市:M.S. |
この男、どうサバイバルしてきたか | 神奈川県:M.K. |
悩める排便 | 熊本市:K.I. |
不思議な出会いに感謝!! | 福岡市:E.U. |
全員参加企画『いいモノ見つけた!』〜17〜 | 編集担当:戸羽 吉則 |
社会福祉士資格の取得 | 新潟市:T.H. |
アイススケートに行く(応援係) | 匿名希望 |
『夜と霧(新版)』 書評[2] | 東京都:藤川 景 |
ほうけてしまった | 鈴木@横須賀 |
『臥龍窟日乗』−メニューについて− | 千葉県:出口 臥龍 |
頸損と介助犬(その3) | 東京都:K.S. |
ひとくちインフォメーション |
皆さん、こんにちは。昨年の秋に、近所の自立生活センターが行った「自立生活プログラム」というセミナーのお宅訪問の場にお声がかかりました。セミナーを開催している会場から私の家が5分以内なので、「見学場所に」ということでした。受講生10人プラス介助者だったので、2班に分かれていらっしゃいました。うちはマンションで、エレベーターには車椅子1台ずつしか乗れません。なので、まず全員が揃うまで待って、それから私の簡単な自己紹介や生活スタイルなどを話して質疑応答に入りました。お声がかかってからは楽しみでわくわくしながら、質問内容の想像をしたり、どれくらいのお洒落をしたらいいかな?(家にいるのにメークばっちりで外出着っていうのもハリきり感満載だし。。。)お茶は出すのか? 頸椎損傷の人もいるかな?等々、当日のことをあれこれと空想していました。ですが、実際の質問内容は、想像とはほとんど違って日常の基本的なことや些細な事柄が多かった気がします。 例えば、●顔を洗うのはどうしてるか ●薬は何を飲んでるか ●入浴の仕方 ●リフターの使い方 など、まさにこれから自立しようとしてる方たちの疑問でした。私が勝手に想像していた質問内容は、実際に生活を始めてから表れてくる疑問や悩みだったと気付きました。病院を退院して、自立生活を始めたのが20年前です。自分も通ってきた道なのに、そのころの疑問や不安感を良い意味でも忘れて、先へ進んでいるのだと感じました。当日、お会いした方たちのその後は聞いていませんが、自分にも「自立生活ができそうだな」と希望を持っていただけていたら嬉しいです。 ※151号「車椅子使用中の傷害保険」を拝見して役所へ問い合わせましたが、私の地域にはありませんでした。代わりに「ちょこっと共済」という保険を教えていただき加入しました。東京都が行っている交通災害共済です。 ●「車椅子使用中の傷害保険」http://www.normanet.ne.jp/~hagaki-t/pcc151c.html#13 ホームページ版原稿編集担当:藤田 砂織 |
2015年「はがき通信」懇親会in横浜のご案内
今年は、10月に懇親会を開催したいと存じます。今年はちょうど「はがき通信」発行25周年・懇親会開催20年という節目の年に当たります。交通の便も良く、公共の乗り物を使っての観光も十分楽しめる場所です。年に1回、全国の誌友が顔を合わせて語り合い、交流するチャンスです。 今年の懇親会も出会いに恵まれることを願い、たくさんの方のご参加をお待ち申し上げております。「はがき通信」は「会」ではなく購読者のグループですので、どなたでもご参加いただけます。 【日程】 ●2015年10月2日(金)〜4日(日) 【会場】 『かながわ県民センター』ホール2階・304会議室 神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町 2-24-2 TEL: 045-312-1121(代) (横浜駅西口から徒歩約5分) http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f5681/ 『崎陽軒本店』 神奈川県横浜市西区高島 2-13-12 TEL: 045-441-8880(代) (横浜駅東口) http://www.kiyoken.com/restaurant/ ※各横浜駅(西口・東口とも)はバリアフリー 【スケジュール】 ●2日(金) 会場:『かながわ県民センター』ホール・2階 ※受付は必ず済ませてください。 ・13:30〜 受付開始 ・14:00〜15:00 開始挨拶後、スピーチ等 ・15:20〜16:45 講演(質疑応答含む・障害当事者予定) 事務連絡終了後、会場移動 会場:『崎陽軒本店』 ・18:30〜20:30 夕食レセプション ●3日(土) 1日観光(自由行動) ●4日(日) 会場:『かながわ県民センター』304会議室 ・10:00〜12:00 「はがき通信」会議、終了挨拶等 【宿泊】 『横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ』 神奈川県横浜市西区北幸 1-3-23 TEL: 045-411-1111(代) (横浜駅西口バスターミナル前) http://www.yokohamabay-sheraton.co.jp/ 宿泊料金(朝食なし) ・ツイン 17,280円 ・トリプル 20,520円 ・シングル 14,040円 駐車料金:1泊1,860円 ホテル朝食:2,200円 チェックイン/15:00 チェックアウト/12:00 ※車いす用トイレ1階にあり ※チェックイン・チェックアウトは各自でお願いいたします。 【参加費】 ・身障者1泊・日帰り 1,000円 ・夕食レセプション1名 7,500円(アルコール・ソフトドリンク飲み放題付) 【キャンセル】 ※下記の日時を過ぎた以降のキャンセルについては、キャンセル料が発生いたします。 宿泊・夕食レセプションとも 9月27日(日) 【その他】 ◇参加申し込み者には、後日詳しいご案内(参加者名簿や地図等の資料)をお送りいたします。 ◇なるべく公共の交通機関をご利用ください。 ◇お車で県民センターに来られた場合、出庫時に1階の管理事務所にて障害者手帳を提示すると無料になります。 (利用時間7:30〜22:00) ◇受付時に夕食代(2日)、参加費を徴収いたします。 ◇トランスファー介助についてはホテル側でもお手伝いいただけますが、基本的に介助者同士で協力し合うことといたします。 ◇新横浜駅(新幹線)から横浜駅は、市営地下鉄に乗り換えて11分です。(両駅ともエレベーターあり) ◇横浜駅より東西自由通路から西口・東口とも地上へは、エレベーター利用です。 【お申し込み・お問い合わせ】 実行委員 伊藤 道和 E-mail: gorilla@kk.catv-yokohama.ne.jp その他の実行委員 星野 太志 瀬出井 弘美 ---------------------キリトリ線-------------------- ※お申し込みの場合のお届け事項は、次の8点です。参加申し込み者は、キリトリ線から下をFAX、郵便、Eメールで 9月1日(火)まで に伊藤までお送りください。 締め切り後のお申し込みもできる限りお受けいたしますが、なるべくお早めにお申し込みをお願いいたします。 お申し込み内容は、捨てずに保存しておいてください。 1.参加障害者氏名(ふりがなも) 2.住所(郵便番号も) TEL&FAX: E-mail: 携帯番号: 携帯E-mail: 3.同行者人数(わかれば氏名も←ふりがなも記入) 4.参加日(宿泊か日帰り) 5.宿泊予定日と本人を含む人数 (2日 人・3日 人) 6.2日夕食レセプションの参加人数 7.交通手段 8.就寝、起床時のトランスファー介助の要・不要 睾丸の痛みの相談
瀬出井のところに、頸損のご主人の奥さまからご相談のお手紙が届きました。 ご主人は、平成3年に事故に遭い受傷。現在75歳、C4・C5レベルとのこと。 受傷以来、排尿は、尿道からの留置カテーテルでの管理。今までトラブルもたくさんはなかったそうですが、昨年から「睾丸が痛い痛い」と言うようになり、内科の往診のドクターの紹介で現在は、泌尿器科のドクターの往診によりカテーテル交換もお願いされるようになりました。ドクターが言われるには、「長い間、カテーテルを入れているためでしょう」とのことで、“慢性副睾丸炎”と診断(ただし治療は別に何もしておらず)。 ドクターは、膀胱ろうや神経障害性疼痛に効く薬としてCMでも流れている“リリカ”を勧めるも、ご主人は、「この年になって痛みがとれる保証もないのに今さらする(膀胱ろう)必要もない」。リリカに関しては、以前服用して体調がおかしくなったので嫌がっているとのこと。 往診のドクターを変更することは難しく、また、病院に受診することも身体的に困難な状況でセカンドオピニオンはできません。現在は、血流を良くする漢方薬の服用と、痛いときに睾丸を冷やす程度の対処法だそうです。 「はがき通信」の購読者の中で留置カテーテルに(膀胱ろうでも)されていて、睾丸が痛いという方はいらっしゃいませんか? いらっしゃいましたらご投稿いただくか、瀬出井宛てのご連絡でもかまいません。情報提供のほど、どうぞよろしくお願いいたします。 ※お手紙の末尾の……「70代の老夫婦は家の中での生活が精一杯です。24年間も良く介護してきたと自分で自分をほめています(誰もほめてくれないので)。まだまだ介護は続きますが、それでも生きていてくれれば幸せと日々思っています。」の一文が胸を打ちました。 編集担当:瀬出井 弘美 パジャマの下衣を探しています
良いパジャマが見つけられずにいます。日頃、次の3点で困っています。 〈1〉側臥位の姿勢でパジャマ側面の縫い目が食い込んで痛い。 〈2〉市販のパジャマでは股上が短い。 〈3〉ウエストのゴムの締めつけがきつい。 この3点が解決できるパジャマもしくは代用品になりそうなものに心当たりのある方がいらっしゃいましたら、教えていただけませんでしょうか。 〈2〉の股上は、おヘソの上15cmは欲しいです。 〈3〉のゴムは、2cm幅の平ゴムが入っている、もしくは入れられると良いです。 情報提供をよろしくお願いいたします。 札幌市:M.S. この男、どうサバイバルしてきたか
遠い昔、記憶にないぐらい遠い昔、まだ20代半ばの生意気な男だった頃の記憶はほとんど残っていない。想い出さないのは地頭が悪いためだけではない。意識的にも、無意識的にも過去を追憶しないように心を鍛錬した結果が、昔の僕をあいまいにしている。 そういう記憶の中にあって、異様にはっきりした思い出がある。頸損になってからの僕はしばらく寝たきりだった。体は動かなかったし、手も動かなかった。今の僕を知る人には信じられないだろうが、ほんとうに頸損初期の段階では、ひょっとしたら僕は植物状態で一生を終えるかもしれないと、母に宣告すらした医者がいるのだ。 何年かして、僕は郷里の松江に七沢更生ホームから一時帰郷した。そこで母がぽつりと言ったのを覚えている。「みつが頸損になる少し前、占いをしてもらったのだよ。占いではみつは若殿様のように暮らすと言われ、ずいぶん嬉しかったのだけど、頸損になって、医者から寝たきりになるかも知れないと言われて、あー、占いが当たったと思った。若殿様は風呂にしたって、トイレにしたって、人が世話をして自分では何もしないのだから。みつはこれからずっとそうなんだ」 確かに40年近く前の母の言い分は間違っていない。風呂にしてもトイレにしても、今も未来もひとりではできやしないのだから。何という親不孝な男だと涙が出そうだった。それにしても母の失意は、僕の失意でもあったのだ。その上、失意は癒されることなく僕の心に今も住み着いたままだ。 さてこの一文はサバイバルがテーマだ。しかも「どうサバイバルしてきたか」だ。サバイバルと言えば、普通は勇ましいし、挑戦的で、負けん気のある心の状態をイメージする。進軍ラッパを吹く車いすの上の頸損のように。 正直に言えば、昔僕の心は十分すぎるほど弱々しかった。サバイバルなど夢にすぎなかったし、現実には失意に押し潰されていた。何ひとつ飾る必要はない。僕は道を失って、生きる気力をなくしていた。そんな僕を誰が救いあげたのだろうか。 10代半ばまでは物書きになるのが夢だった。それがいつか坊さんになりたいと思うようになった。ただ世俗への欲が深かったから、40歳も過ぎてから出家もよかろうと勝手な考えをしていた。しかしこういう気持ちは単なる憧れで、漫画に自分を投影する子供の思いに似ており、覚悟のある大人の意志ではないのだから、社会人になると、10代の頃の想いは雲散霧消していた。そして凡々たるサラリーマンになって、頸損の日を迎えたのだ。 どうひいき目に見ても、毎日定時に通勤するこのサラリーマンは仕事以外、女のことばかり考えて、時々読書もしたが、人間を磨くことのない普通の男だ、沈み込んだままで、浮かび上がるには困難な現実が待っていた。頸損になったからといって、ひょいと新しい人に生まれ変われるはずもない。そんな僕を誰が救いあげたのだろうか。 僕を社会復帰させるきっかけはどこから来たのだろうか。まず、頸損会のことを取り上げておかねばならないだろう。僕が七沢更生ホームで、明日に希望を持つこともなく、郷里の松江に僕が住む住居が完成するのを待ちながら、無感動に暮らしていた頃、ちょうど神奈川頸損会の立ち上げがあったのだ。僕は幸運にも立ち上げに参画できた。2人の頸損が僕を七沢更生ホームから連れ出し、仲間に合わせ頸損会を立ち上げる意義を熱く語った。その時、彼らは僕に小さな希望を残してくれていたのだ。すでに2人とも鬼籍に入ってしまったが。 公正であるためには、やはり妻のことも触れなければいけないだろう。彼女は福祉大学を卒業し、神奈川リハに就職し、すぐに僕と知り合ってしまった。神奈川頸損会が立ち上がって、そんなに月日はたっていない時期で、今思えばふたつの出来事が前後していれば、彼女は僕に関心を示すこともなく、であれば何も起きなかっただろう。無感動な男を好きになる女性はいない。だけども僕にはもう小さな希望が心に住み着いていたから、奇跡が僕を抱いてくれて、掛け値なしで、停まっていた僕の心が動き出していた。そして最初に僕がしたことは郷里に戻るのを止めることだった。 とすれば、僕を救いあげたのは“希望”なのか。 当時の僕は体調・健康管理等の自己管理には熱心ではなかった。生きる意欲のない者に自己管理という言葉は意味をなさないだろう。例えば便失禁はあまりにも普通にあったので、コントロールできるという話しを信用しなかった。だが間違っていたのは僕の方で、実態は無理だと決めつけて、コントロールへの努力をしないでいただけのことだ。 僕の心に希望が住み着いて、気が付いたのだ。ネガティブな風景の中では、何にも心が動かされないのに、ポジティブな心の中では努力もしないのに、喜びも悲しみも鮮やかだし、計画し行動する前向きさ、あまつさえ好奇心までもやってくるのを。(生まれつきポジティブな思考を持つ人は結構いるらしい。でも大方の人は鍛錬してポジティブ思考を自分のものにする。そう、取得には日々の鍛練がいるのだ。) ポジティブに考えるようになってからは自己管理に苦労することはなくなった。いつも熱心である必要はない。開始する前のちょっとした熱意、ちょっとした継続、そしてそれが習慣になれば、すべてが変わる。便失禁でさえ、今では1年に1〜2度あるかないかなのだから、効果は絶大だ。 とは言え、僕の心はまだ弱々しく、次から次へとやってくる心配事は、ときどき心を凍らせ、今で言う心身症の一歩手前まで連れて行くこともあった。だがいつも幸運が僕を引き戻してくれ、そのたびに心は強くなって、したたかになった。であっても、失意は僕の心に住み着いたままで、主人顔をしていることに関しては間違いのないことだった。失意は喪失感と読み替えてもいい。40年の月日が過ぎてもなお思う。失われたものを代替えすることなどできないのだと。 僕はこんな日常の中で、次の4つの信条を座右の銘にしている。 〈1〉 継続すること 〈2〉諦めないこと 〈3〉好奇心を持つこと 〈4〉運を信じること これらの言葉は僕が日常を生きていくのに、よいガイドラインだし、いつも思い出す言葉としても覚えやすい。 しかし具体的に毎日僕がするもっと直接的な言動がある。“僕にはできる。大丈夫、僕にはできる。”と繰り返し繰り返しつぶやく。念仏のようにつぶやく。すると不思議なことに、内側から勇気のようなものが湧いてきて、一歩前に進める。 太宰治「葉」の一節、「お前はきりょうがわるいから、愛嬌だけでもよくなさい。お前は体が弱いから、心だけでもよくなさい。お前は嘘がうまいから、行いだけでもよくなさい。」のように、少し変化球的に一歩を進めることだってある。つまりは、それらは物事を前向きに考え捉えようとする言葉であり、行動だ。何か特別のものがあるわけでない。 28歳で復職してから60歳の定年まで働いた。それから1年間訓練校に通ったのち仕事を得て、今年65歳の再度の定年を迎えた。そしてなお就活している。自分でも驚くほどよく働いたと思うけど、やったことは“僕にはできる”を呪文のように繰り返しているに過ぎない。 過去の積み重ねがあって今があり、今の積み重ねが未来をつくる。決してスキップすることなどない。が、思うのだ、過去に捉われて、今を不自由にすることはない。未来に捉われて、今を不自由にすることはない。 もっともこんな思いで、日常を過ごせるようになったのは、ここ何年かのことだ。以前はポジティブであっても、生き方には窮屈な所があった。ベースでは自分を励まさないでは生きていけないような、切羽詰まったところがいつもあって、喪失感と相まって、「生きるを楽しむ」には遠い生き方だったと思う。 仏教には「白雲自在」という言葉がある。白雲は自由自在に風とともに形を変え空を流れるように、人間の心も自由無碍(むげ)にしておくことの大切さを説いたものだが、今の僕にはその言葉がますます近しいものになってきている。40年の頸損の月日を旅して、もはや高齢者と呼ばれるようになった今、在りたい自分の姿も見えてきた。 だからと言って言動が変わることもなく、日常の動作は以前のままだ。つまり、心の在り様がどうであれ、日常において物事を前向きに考え捉えようとしている限り、自然と物事はあるべきところにおさまるということかもしれない。 そういえば何かの心理学の本でこんな一文があったような気がする。“死を前にして、生きたという実感は、直近をどう生きたかで決まる”極論すれば、過去どんなに幸福であっても、死の直近が悲しみに打ちひしがれたものであれば、悲しみの内に死ぬのだ。喜びであれば、喜びの内に死ぬのだ。もっとも悲しみにもいろいろとあり、死が悲しみからの解放だったりすることもあるだろうが、ここでそういう突っ込みはしないことにしよう。 神奈川県:M.K. 悩める排便
「はがき通信」の皆さん、こんにちは。 この通信が届く頃は、爽やかな新緑の季節が過ぎて、うっとうしい梅雨時期と思われます。この前、正月を迎えたような気がしますが(ちょっとオーバーかも?)月日の経つ速さに驚かされます。 頸椎受傷者にとっては、多少の差があっても排便の悩みをお持ちだと思います。私も受傷してから24年になりますが、いまだに排便のコントロールに悩んでいる一人です。 「はがき通信」におきましても、今までにいろいろな方の投稿があり、改善策として「人工肛門」「盲腸ポート」等の投稿がありました。 ただ今回の投稿は、良い改善策という話ではなく、こんな悩みを持っていますという話です。私は週2回排便しますが、長年妻にしてもらっていました。 しかし、仕事から帰ってからの排便介助は妻の負担が重くなり、昨年末より週1度、訪問看護師さんにお願いするようにいたしました。慣れていた妻から訪問看護師さんに変わったのと、看護師さんのときは夜から昼に変更したことで大きく環境が変わり、排便コントロールがいっそう大変になりました。 排便方法は、排便前日に下剤(フォルセニッド3錠、アローゼン1袋)を飲みます。排便2時間前に座薬(テレミンソフト)2個挿入します。排便時には、浣腸120ccを4回に分けて入れ2本くらい使います。浣腸してもスムーズに出るわけではなく、1回ごとに摘便を駆使しながら行います。この摘便には要領が必要で、訪問看護師さん泣かせでもあります。浣腸にて、出てくる液がきれいになるまで出し切ります。通常全て終わるのに1時間くらいかかります。 それでも順調にいくときはそんなに苦にはならないのですが、一番の問題は、環境は全く同じなのに下剤が全く効いていないときです。座薬挿入後も便が下りてこないため、浣腸を4本近く使って2時間以上かかるときもあり、介助する方もされる方もぐったり疲れます。 次に問題なのが、排便の次の日に便混じりの粘液が出ることがあります。これは、下剤が効かない等で排便が順調に終わらないときに多く発生します。排便の次の日が外出日のときは、非常に気を遣います。また、浣腸を多く使うせいか、排便後は胃の不快感があり食事ができないほどです。 少しでも快適な排便ができるように、青汁を飲んだり食事に野菜繊維の多い物を摂るなどして、日々涙ぐましい努力をしているつもりですが、うまくいかないときは本当に情けなくなるときがあります。 こればかりは個人差が大きくて「良い情報」は難しいでしょうが、皆さんに少しでも改善した情報があれば教えて下さい。 私たち頸損者には、「排便」「排尿」は永遠の悩みでしょうね。 熊本市:K.I. |
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