はがき通信ホームページへもどる No.100 2006.7.25.
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 向坊さんを偲んで 


 私と向坊さんとの出会いは、ある障害者冊子にそれぞれの生活を執筆したことがきっかけとなり、大阪で開催されるカンファレンス参加へのお誘いのハガキでした。その頃の私は、家族介護の問題が徐々に大きくなり将来への展望に不安を抱え、その現状を打破しようとして模索していた時期でした。
 その転機となる出会いからこれまで、私にとって向坊さんの生きる姿勢や行動は常に前方を照らす指標のような人であったように感じます。北九州市のお宅を訪ねた夏の夕刻、向坊さんと二人きりで出かけた浜辺までの散歩の光景がまた甦ります。
 いつも先を進み所々で停まっては、追いついた私に一言声をかけ和ませて、また先へと進んで行きましたね。向坊さんの人生の歩みは、重度障害者という枠を跳び越え、人としてどう生きるのかという問いに向かいつづける一生だったのだと思います。
 強靭な精神を穏やかなやさしさで包みこんだ人柄は、現状を悲観しがちな重度障害者をはじめその周辺の人たちへ、明るい影響を与えました。その大らかで人間味あふれた存在感に、こんな私でさえ強く突き動かす力を与えていただきました。 
 その後、私は人生の一大チャレンジとして家族から独立し、上京して自立生活に挑みました。向坊さんが著書やお話しして下さったいろいろな出来事を時に励みにして活かしながら、社会の中で介助者との生活を日々過ごしています。そうして、その経験を積み重ね私もそうであったように、また次の同じ障害をもつ仲間へとつなげ、自分らしく目的ある人生を築くため、わずかでも一役を担えられたらと考えるようになりました。
 年々お会いする機会が少なくなり、年に1度の「はがき通信」懇親会で共に過ごす一時が、向坊さんへの私なりの現在の姿を報告する機会でした。その懇親会で、もうお会いすることができないという現実が、どうしようもなく悔やまれてなりません。
 それぞれの所から向坊さんを慕い、集まって来られた一人一人へ確かな影響を授けるように思い出として残され、静かにお浄土へと逝ってしまわれました。
 向坊さんからのささやかな一通のはがきから生まれたこの出会いに、私はあらためて心から感謝し進みつづけようと思います。合掌 

東京都:K・H E-mail: hiron-k@pk.highway.ne.jp



 障害者にならなかった男 

57歳

 妻が初めて向坊さんに会った後に「あの人は障害者じゃないよね」と言った。私達夫婦が施設に在住の頃、向坊さんが訪ねてくれた時の妻の印象は車イス利用者とは異なる何かを感じたようであった。玉ねぎおやじも若くトドのおっさんと言われていた頃の出会いであった。向坊さんは夫と同一障害ゆえの親近感からか初対面の印象を良く憶えている。
 今更、向坊さんの功績や足跡は玉ねぎおやじが語らなくても、多くの頸損者の知るところである。「はがき通信」の一メンバーである玉ねぎおやじが頸損者の先駆的指導者としての存在を思うとき改めて寂寞の感を禁じえない。
 施設を出たり家族と同居しない障害者が増える昨今だが、当時は中途障害の頸損者が地域社会で生きることの困難さは比類無い感じであったと思う。学生の身ではあっても既に向坊さんの人生を構築する確かな材料を持ち合わせていたのだと思う。生きる力か才覚か若しくは意欲的な話し振りが、妻に言わせると障害者らしくない生き方に映ったのである。
 永年、施設に暮らし多くの障害者と接していると「自分の人生」という気迫が薄らぐのかもしれない。限られた条件下で集団で暮らせば自分の生き様は二次的にならざるを得ず、集団優先の雰囲気には個の存在が主張し難い。
 そんな中で向坊さんの訪問を新鮮に受けとめたのである。地域に暮らしたいと願う妻は私の常套句であった自立への筋書きを後押しする方向に大きく動いた。妻の気持ちは自立への不安や困難を克服する精神力が芽生えたように思う。
 向坊さんといえばフィリピンを抜きには語れない。私がその話をした後にフィリピンに行くと言い出したとき、療護施設に暮らしていて旅行すらめったに行ったことの無い妻がフィリピンという原始人が住む未開の地に(TVのドキュメンタリーの先入観です)旅行させる訳にはいかないと強行に反対した。否、否、大いに賛成して旅費の一部にと貯金を下ろすとも言った。後日談ではもう二度と生きて帰ることはなく保険金でも……
 向坊さんは頸椎損傷者として地域で暮らす孤軍奮闘の生活の裏に、玉ねぎおやじのようなその場凌ぎの先送り人生は無かったであろう。自らが自らの信念や哲学で行き抜く様を実践したように思う。向坊さんの意志力と実践力が多くの頸損者を勇気付け、自分の人生を取り戻すモデルとなったのではなかろうか。
 「向坊さんは障害者じゃないね」……妻がこのセリフを玉ねぎおやじに重ねてくれるように日々奮闘だが来世紀までかかる?

広島県:玉ねぎおやじ E-mail: ecosakohata@do2.enjoy.ne.jp



  「はがき通信」100号記念と向坊弘道氏の死を現実にして 

頸損歴41年、67歳、独居、公的介護・ホームヘルパー“足らない分は支援費”、訪問看護“医療”、デイサービス“支援費”を使用

私がこの「はがき通信」と巡り会ったのは、最近です。偶然に、清家一雄さんのホームページ「ワーキング・クォーズ(働く四肢まひ者たち)」で、多くの頸椎損傷の方々が紹介されておりました。
 さっそく清家さんに、何かお役に立てることがありませんかというようなメールを出し、向坊さんにも自己紹介を見て、同年で私より6年も前に交通事故で頸椎損傷になりながら考えられないような大活躍。私も自己紹介を書いてメールを出しました。
 これが「はがき通信」につながっていきました。5年〜6年になるでしょうか、もっと早くに知りたかった「はがき通信」です。向坊さんを亡くした今、遅すぎた感があり残念な気持ちが頭から離れません。
 私が65歳(介護保険を受ける前)に、向坊さんに「老人用の施設に入る準備をする」と、メールを出したことがあります。一笑されました。
 その後、ハワイで「はがき通信」懇親会があり、その時に、全員がバニアンホテルに宿泊ができるように手配してくれた人を、紹介されました。
 後でその人が69歳だと教えて「65〜6歳で老け込まないで、私設ヘルパーを探しなさい」と言われた。以前にもたびたび言われたことでした。私は、私設ヘルパーをまだ探せません。
向坊さん、こんなに早く逝かないでよと叫びたい。
 追伸/最近リクライニングの電動車イスにしました。



●最後のフィリピンでの越冬中の近影3

鳥取県:Y・H E-mail: hy-0025@ncn-k.net



 感謝の気持ちで一杯です 

C4、歴22年、50歳、♂

 私が向坊さんに初めて会ったのは、家に閉じこもってもんもんとした生活を送ってた1996年9月でした。訪問看護師を通じて松井先生著作の『頸髄損傷』から「はがき通信」を知りました。さっそく連絡をとりバックナンバーを送っていただき、驚きでした。「自分のことが自分でできない者がどうして一人で暮らせるんだ!」私は、いてもたってもいられなくなり、向坊さんの自宅を訪問したのです。受傷以来初めての遠出(県外)です。
 到着すると、お地蔵さんのような穏やかな向坊さんが出迎えて下さいました。まず、部屋に入ってビックリ! 小さな部屋に生活の工夫や機器がびっしり詰まっています。おまけに小さなお風呂に台所と大きな(?)太田さん。迷コンビです。向坊さんは、お金をかけなくても自立生活を送れることを自ら実践しておられました。
 帰り際には「来週、『はがき通信』の懇親会が浜松であるけど来ませんか?」との誘いを受けたのです。「オイオイ! このオッチャンなに言うゆうねん。私は、広島から北九州に来るのにあれやこれやと準備をして、決死の思いでやって来たのにいとも簡単に! よぉ言うワ!」これが“向坊”さんなのです。
 翌年、浜松の「はがき通信」懇親会に参加して私の人生は変わりました。約10台の車イス利用者と介助者で土曜日で賑わう繁華街に繰り出したのです。そこには、受傷前に見た「あたりまえ」の光景がありました。誰かが飲み屋の店員に指示しながらテーブルを動かしてもらっています。若い店員もイヤな顔はしません。自然なのです。第2回の浜松大会で学んだこと。「障害を持っているからといってⅰ遠慮することはない。ⅱ堂々と普通に生きればよい。ⅲ多少の不便はあるけど工夫すれば何でもやれる」です。
 それ以来、「はがき通信」懇親会には毎年参加していますが、圧巻は何といってもハワイ大会でしょう。この企画は向坊さんがアメリカ本土からの帰りにハワイに立ち寄った際、すごく良かったので「みんなを一度行かせてあげたい」ということから始まりました。多くの人が参加しやすいように「安く」を目指し、格安航空券の情報提供やコンドミニアム(宿泊所)の手配など多大な尽力をして下さいました。これが“向坊”さんなのです。
 私は向坊さんから多くのことを学び影響を受けました。現在の自分があるのも向坊さんのお陰だと思っています。知性と行動力と優しさを持った偉大な人でした。どうか安らかにお休みください。ありがとうございました。合掌

広島県:O・Y E-mail: ohtake@enjoy.ne.jp



 大きな存在 


 「はがき通信」の編集スタッフの皆様、いつも大変ご苦労様です。長くご無沙汰しておりました。
 「はがき通信」への投稿は久しぶりとなりますが、向坊さんに対しまして追悼記念ということで寄稿させていただきます。訃報につきましては、メーリングリストへの瀬出井さんのメールで知りました。私は一瞬目を疑い、その後心臓の鼓動が激しく高鳴ったのを憶えております。偶然にも私の地元の大学に向坊さんの甥御さんが在学しており、ボランティアとして付合いがありましたので、すぐに彼へ電話をして確認しました。そして長く電話で話しをし、フィリピンから帰られた後の容態を聞いて胸が詰まりました。
 向坊さんは、私が障害を持った初期のころお会いした方の中で最も影響を受けた方のお一人であり、私にとっても大きな存在でした。北九州のご自宅にお伺いしたとき短い時間でしたが、仏教についてのお話しをしたことが強く印象に残っております。今振り返るともっと色々と深いお話しをしておけばよかったという気持ちが残ります。
 今はただ、どうぞ安らかにと心の中で静かに手を合わせたいと思います。ご冥福をお祈りいたします。平成18年6月25日 

鹿児島県:G・R E-mail: ged03005@nifty.com



 失った時、真の意味の高潔さと哀しさが…… 


 2000年10月。「九州の向坊と言います。『はがき通信』に載っていた森さんの電動車イスを私が使用したいのですが」と突然電話が来たのです。訓練最中、私たちは精神の集中度を欠くためどんなことがあっても電話を取り上げたことはありません。しかしこの時に限って電話に出たのが今でも不思議であり、またこれこそが運命的な回線の繋がりと思っています。
 向坊先生は「森さんの障害はどの程度だったんですか?」「自転車事故によるC2〜5の完全四肢麻痺です」先生は聞きづらそうに「ところで森さんは今、どうなっていますか?」と問いかけてきました。それは取りも直さず使うことなく死亡したか、施設で暮らしているかのどちらかを意味していることは私にはすぐ分かりました。何せたった3時間しか使用せず、しかもレバーに改良を重ねた特注品であり、そして寄贈品だったからです。「8年間、訓練漬けのお陰で松葉ながらゆっくり歩いています」と答えました。その時の先生の驚愕はまざまざと思い出されます。
 「……えっ!」と絶句し、間をおいて「それは素晴らしいことです。本当に凄いことです。何か記録がありますか? もしありましたら私共の『はがき通信』にぜひ投稿して下さい。私は冬の寒さを避けるため例年フィリピンに行きますので、編集委員の藤田さんに伝えておきます。その原稿を電動車イスの背もたれバッグの中に入れて送って下さい」と言うのです。
 こうして私が森さんに限界のない集中度を8年間にもわたって課し、鬼気迫ると言わしめた220ページにもなる訓練の全記録が九州の一地方都市、それもわずか数ページの「はがき通信」という小冊子に掲載されたのです。その後、藤田さんの大変なご尽力により、インターネットとという途轍もない通信媒体に載り全国に発信されました。
 私と森さんが何より驚き、感動に打ち震えたものは何か。それはC2の森さんが立ち、歩きを取り戻したことに対して一点の疑問も挟まず、驚愕してその事実を世に問うことを強く奨めたリーダーとしての度量でした。
 それまで私は森さんの訓練に際して少しでも情報を得ようと、この記録を数多くの医療関係者とその団体に送って意見を問うて来たのです。その答は申すまでもなく荒唐無稽・重脊損者を食い物に・気は確かか・中には顔を洗って出直して来い、とのまさしく冷笑と侮蔑を浴びせられました。
 そのような経緯があり、以後私から一切発信することなく、また密室での訓練漬けの日々となっていた矢先に投稿の強い奨めだったからです。それから私は先生の著作のほとんどを取り寄せ、送られてきた「はがき通信」バックナンバーを読み漁る日々が続きました。そこで感じたこと。
 それは仏教に帰依した悟りの心がもたらす人に対する哀しいまでの限りのない優しさと高潔さ、類を見ない心の広い方ということでした。加えてご自身が最重度頸損にもかかわらず、その驚くような行動力、指導力と先見性、統率力と国際性。それに裏打ちされた博識。先生を慕う全国の仲間からのどんな些細な相談にも懇切に語りかけて励まし続けるその人間性に、私は真の指導者を見た感じがしたのです。そうして先生は脊髄に損傷を負った大勢の方々の地獄の煩悶を一身に背負い、その方たちに希望と勇気を与えるために選ばれた人だ、とも思ったのです。これは森さんにも共通するものがあったからです。
 先生の67年の人生はどんなものであったのでしょう。1959年、東大2年生の時に受傷して以来、その躯体から四肢の動きを一切奪われて47年。先生が言われる「人生が崩れる音がし、この地獄を何とかしてくれ!」と、のたうった苦悶を見事に浄化し、まさしく「よみがえる人生」を歩まれました。立ち、歩くことが叶わなかった先生は見事によみがえり大きな足跡を残したのです。
 隔月ごとに発刊される「はがき通信」を知り、心と身体に深い損傷を負った方々がどれほどの癒しと希望を得たことでしょう。6年前、九州と北海道の間に繋がった1本の電話回線が今、こうして先生に追悼文を書いている2006年6月26日には「はがき通信」を見て国内・国外から205人の重度脊髄損傷の方々が小樽に来ているのです。
 私と森さんにとって先生とは必ず会わなければならない方でした。癌の知らせを聞いていたからです。どうしてもこれだけは果たしたかったのです。そのため今年の100号記念の広島懇親会には出席する予定を立てていた矢先の訃報でした。そのことが取り返しの付かない無念で堪りません。
 先生、もう彼等の苦悶を充分背負ってきました。どうかお浄土でその荷を降ろし、思いっきり手足を伸ばしてお休み下さい。
 

北海道:右近 清 E-mail: ukon@aioros.ocn.ne.jp



 よい影響を与えていただきました 


 最初にお会いしたのは、受傷してから6年後の1994年4月に向坊さん宅での毎年恒例のバーベキュー会にお邪魔した時でした。あまりに穏やかなお顔をされていたのを良く憶えています。
 向坊さんに、さまざまなことで大変お世話になりました。なかでも松井先生と共に「はがき通信」を創刊していただいたことはとてもありがたいことでした。受傷してやっと外に出ることに抵抗がなくなりかけた時に、「はがき通信」に出会い、できないことを数え上げていくより、毎号の誌面から前向きに生きる考えや元気をいただきました。
 そういう考え方に変わるには、向坊さんが行動した結果で出された言葉や文章は重みがあり、いい影響を与えていただいたことが大きかったです。なにより見返りがたとえなくとも信念に基づいて驕らずに行動する姿勢を尊敬します。
 フィリピンで夕食中に話されたことで、インドにて現地の人と3日間の介助の約束をしてお金を渡したところ、すぐに約束を放棄して逃げられ、見るに見かねた人が3日間食事は食べさせてくれたそうです。その話のあとにご飯が食べられて良かったと(信仰による不動心にて)そんなに大したことではないような感じでおっしゃりました。自分ならパニックになりそうな事態ですが、どんなときでも考え方次第で、気持ちの持ち方次第でどうにでもなると教えていただきました。
 四肢マヒ者に希望を与える役目を終えられお浄土へ旅立たれ、心よりご冥福をお祈りいたします。向坊さん今までどうもありがとうございました。

編集委員:藤田 忠



 向坊弘道様をしのんで 


 私は、Gです。自動車事故で頸髄損傷(C3)になり、今年で35年めになります。
 5月14日に向坊弘道様の訃報のFAXを受け取ったとき、びっくりやら、ショックやらで頭のなかが真っ白になりました。こんなことがあろうはずがないと思いながら、これが現実だから受け入れなければいけないと、自分に言い聞かせているところです。
 向坊様にはひとかたならぬお世話になり今日の私があるのは、向坊様のご指導、ご鞭撻があればこそでいつも感謝しております。10数年前に自立生活を始めたいので、どこに重点をおき、留意点はどこかなどご相談申し上げたところ、向坊様のご自宅へお招きいただき1週間ほどお世話になりました。そのあいだ向坊様と太田美代子(私設)ヘルパー様には筆舌につくせないほどの、おもてなしをしていただいたことが今も忘れられません。
 北九州をはじめ福岡市内・指宿などにお招きいただいたことが、今も脳裏に焼き付いております。その中で、自分自身が生活していくうえで、どこにポイントを置いて1日の流れを造っていくかの自分なりの考え、それを基盤に一歩ずつ自立への道を歩んできたつもりです。
 また、頸髄損傷者にとっては、入浴、排泄などは重要なポイントです。向坊様のお宅にいる間は、太田(私設)ヘルパー様が全て介助してくださり本当にありがたかったです。健康管理については自分の現状をよく把握し、医療機関などと連携しながら自分自身で管理するように、ご自身の例を交え、わかりやすくアドバイスをしていただき嬉しかったです。情報収集はパソコンの使い方・組み合わせ方などご指導いただきました。この分野はやる気だけは十分なのですが、なかなか手ごわく勉強中です。
 この時の経験がなければ私の自立生活はかなり遅れていたと思われます。自立生活以降もいろいろと教えていただき、困った時の向坊様頼みという状況でした。目標であり、お手本にしていましたので急な旅立ちには途方にくれます。
 しかし、ここで向坊様から教わった情報や体験談などをもとに力強く自立生活を送っていきます。また、後に続く重度障害者のかたがたの生活支援や相談などいろいろのサポートをしていきますので天国から見守ってください。
 本当に長い間ありがとうございました。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。 

大阪府:G・M

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