今回は、最近終了した歯科診療のエピソードを報告します。 そもそもは昨年10月、以前治療済の左上奥歯に詰めていた物が抜け、さらに外周部も崩れてしまって左奥歯が使えなくなったことから話は始まります。痛みはないのですが、施設看護師さんに相談すると一度歯科受診してみようということになりました。 11月上旬、以前1度だけ(2001年1月)受診したことのある歯科に連れて行ってもらいました(ドクターは若い先生に代わっているようです)。しかし、該当部のレントゲン写真を撮影しただけで、あとは何もしてくれません。ドクターは付き添ってくれた施設看護師さんと、私から少し離れた所で小声で話をしているのですが、私には良く聞き取れません。そのまま診療終了。診療室を出てから施設看護師さんに聞くと、「痰を出すことができないと(特に気管切開していてカフなしカニューレを使っていると)、治療中肺に水が溜る危険性がある。治療を行なうには全身麻酔の設備のある病院が必要。痛むようになったら、応急処置として痛み止めを詰めることはできるから、その時は再受診してほしい」とのことです。 そんな大仰な! 以前治療してもらったことがあるのに? ただ、考えてみれば前回の受診時はカフ付きカニューレで、その後発声可能にするためにカフなしカニューレに変えてもらったのでした(2001年9月カニューレ変更、「はがき通信」№73「人工呼吸器とさよならする方法を教えてください」2002年1月25日発行参照)。カフなしにしていいことばかりではないようです。私自身は8年ほど前、施設入所前の在宅の時に、カフなしカニューレで歯科の訪問診療を受けた経験もあり、心配は要らないと思いますし、また何とか治療してもらえないかと良く考えてみると、一時的にカフつきカニューレに変えるという手もあります。 ドクターが代わって、及び腰になったのか? ドクターと直接話をすることができなかったので、何とも仕方がありません。看護師さんも、ドクターに難しいと言われるとそこで思考が止まってしまうようです。釈然としないまま、しかし、痛みもないのでそのまま様子を見る他ありません。 11月下旬、間違えて梅干を噛んでしまって今度は前の挿し歯が欠けてしまいましたが、痛みがないのでこれもそのまま様子を見ることにしました。 今年に入って1月上旬、ついに左奥歯に痛みを生じ、4日間「ロキソニン」を服用したりして痛みを堪えた後、件の歯科を受診しました。わずか15分ほどの処置で痛みがピタリと止まってしまいました。歯科技術の進歩に驚きです。しかし抜本治療は行なっていないとのこと、痛みが早期に再発しないことをまずは祈るのみです。 1月下旬、2週間前の応急処置がどうなっているかの確認と聞いていたのですが、「全く痛くない」→「神経が死んだ」ということで、これから本格的治療を行なってくれるとのこと。11月に受診した時の「全身麻酔が必要なので、本格治療は難しい」は何だったのでしょう? 推し量ると、11月には痛まなかったので、「痛くないならリスク(頸損ないし気管切開しているので、治療中に水その他が肺に廻るかもしれない)を負うことはない」との判断があったのでは? もしそうだったなら→教訓「痛くないなら、崩れたくらいで歯医者に行くな」。 診療時、ドクターは床に膝を付き、普通とは異なる姿勢で治療してくれます。それというのも診療椅子ではなく車イスに乗ったままで、高さ調節も角度調節もできないからです。終わった時には、ドクターの肩と腰がいかにも痛そうです。申し訳ない。 もうひとつ、治療が終わった後、普通はうがいをするはずですが、ドクターは助手の人に例の歯科用バキュームで吸わせつつ注射器に入れた水(?)を治療後の歯にかけてくれます。極力肺に水が廻るリスクをミニマムにしようとする工夫のようです。注射器もわざわざの手作りらしく、重ね重ねありがたいことです。 さらに、痛くないので治療してもらえなくとも仕方ないかと思っていた「前歯の差し歯の欠け」までも埋め込んでもらいました。突破口が開ける(なんとか治療を開始してもらえる)と、後は思った以上に進展(今できることはできるだけやってしまおうと)するようです。感謝。感謝。 4月上旬、トータル8回に及ぶ歯科診療が終了しました。当初、治療不可と言われていたことが遠い昔のようです。ありがとう! ばんざい! 【まとめ】頸損ないしは気管切開でも治療可能であることをなんとか示したいものと、別の気負いがありました。あのまま治療は難しいというドクターの認識のままであったなら、次に訪れる気管切開の障害者の治療にも影響しかねません。痛みが出てくれてありがとう。 後の対応を見ていると、最初の受診で私と直接話をしてくれたら、もう少し違う展開になったのではないかとも思います。しかし、これも気管切開をしていて、また御丁寧にも過去の経過から現在の状態、処置希望を私自身がパソコン上でまとめ、紙に印刷して持っていったので、ドクターが私はしゃべれないものと勘違いしたのかもしれません。紙を持っていくことは、限られた診療時間に正確に事情を伝える上で今でも有効と考えますが、施設看護師さんに前もってお願いして私と直接話をしてもらうよう頼んでおけばよかったと思います。 しかしながら、何かいつもと違うことをしようとする時の「大気圏突入時の摩擦抵抗」のような反作用力にはなかなか慣れることができません。 【教訓のまとめ】「痛くないなら崩れたくらいで歯医者に行くな」「突破口が開けると後は思った以上に進展する」「直接ドクターと話をせよ」 【追エピソード】さらに、1週間経たずして別の「差し歯」がポロリととれてしまいました。梅干もないおにぎりをほおばっただけなのに、御飯と海苔のネバネバに持っていかれたという感じ。今度は摩擦抵抗もなく、幸い差し歯がそのまま残っていたので、なんと1回の受診でペタンコで終了でした。 (2003年4月28日記) http://www.mhlw.go.jp/shingi/other.html#isei 「3A+Aのページ」 http://www.h4.dion.ne.jp/~the-36th/ 新潟県:TH th36th@hotmail.com 桜の花が散り、若葉が輝く季節となりました。「通信」の皆様、お元気でお過ごしでしょうか。主人も私もお陰様で変わりなく過ごしております。 今年は世界を揺らす大きな出来事がありました。3月21日に勃発した米英イラク戦争です。多くのイラク市民と米英兵士の多数に上る尊い命が失われ、多くの物が破壊され失われました。本当に心痛む思いでした。この戦争も約1ヶ月でやっと終結いたしました。しかし、フセイン大統領は捕まることもなく一体どういうことになっているのか、何を目的にこの戦争は始まったのか、米英はフセイン政権からイラクの人たちを解放するための戦いと言っているが、あまりにも多くの犠牲者の出たことには、「本当にイラクの人たちのための戦争だったのか?」と考えさせられます。特に小さな子供たちの大きな怪我に苦しむ姿、小さな命を奪われた親の悲しみは身を切られる思いでした。 戦争に続き、またまた中国から世界各地へと広がりつつある「SARS(重症急性呼吸器症候群)」の問題で、世界中を恐怖の渦に巻き込んでいる現状です。コロナウイルスの遺伝子の組み換え現象とかいう説が唱えられています。死亡率が高く、もう500人以上もの命が奪われています。いつ日本への感染があるかわからない現実です。本当に恐ろしい現実です。このようなことがテレビ、新聞のニュースで毎日報道されています。明るく良いニュースはあまりなく、日々の生活一日一日が何事もなく過ごせることを幸せと思う私です。 先日4月24日にたいへん楽しいことがありました。それは、遠く東スロバキアから来日した民族舞踊団一行の来日オープニング公演を、近くの三芳町文化会館へ主人とみんなで見に行くことができました。美しい民族衣装を着て、軽快なリズムに乗って歌って踊って本当に楽しい夕べでした。2時間ほどの舞台でしたが、主人は「きれいでかわいい、かわいい、お人形のようだ」と大喜びでした。アンコールには日本の歌『サクラ、サクラ』を上手な日本語で歌いました。次に会場の皆さんで『おお牧場はみどり』(スロバキアの歌)を歌い、本当に舞台と一体となった素晴らしい公演でした。久しぶりに楽しい2時間を過ごすことができました。あまり外出することのない主人は、「来てよかった、よかった」と大喜びでした。終了後はロビーで団員の方たちと記念の写真を撮ったり、スロバキアのかわいい民族服を着た小さなお人形をお土産に買って帰りました。きっと楽しかった思い出がいつまでも残ることと思います。久しぶりに心躍る夕べでした。これからもできるだけ楽しいことに参加できるように心がけていきたいと思っております。 では、「通信」の皆様、季節の変わり目です。どうぞお身体に気をつけお過ごし下さいますように。 S・Y NPO法人「日本せきずい基金」 まだ決算が出ておりませんが、3月末の残高は1,630万円です。 昨年度の募金の概況は、個人から:約600万円(約600人、@1,000円〜50万円)、ラグビー関係:約200万円、ヤフーオークション:55万円など合計1,037万円です。 活動しながらの残高は現状維持、というところです。 [問い合わせ先]日本せきずい基金事務局 〒183-0034東京都府中市住吉町4-17-16 TEL: 042-366-5153, Fax: -314-2753 |
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