はがき通信ホームページへもどる No.81 2003.5.25.
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支援費支給制度の申請をして介護時間減少


 今回は記憶をたどって書いたので、あくまで「こんな感じ」ということでご了承ください。
 僕の住んでいる市は重度障害者たちのヘルパー派遣時間が2〜3割短くなり、これでは生活できないということで、市役所障害福祉課で重度障害者たちと支援費担当の職員とで交渉がありました。われわれの要求は、「今まで通りのヘルパー派遣時間」でしたが予算がないと拒否されました。
 そこで、今回われわれに出た介護の種類は「日常生活支援」(身辺介護、家事介護、移動介護の全部が含まれ、単価が約1800円)と「移動介護身辺型」(単価が約4000円)。われわれは介護時間を長くするために「移動介護身辺型」1時間を「日常生活支援」2時間に代えてくれるように要求(予算は変わらない)。
 しかし回答は、「移動介護身辺型」1時間を「日常生活支援」に変更するなら同じ時間数しか認めないという。そして各自の受給量で生活するのが難しいようなら施設に入るのも選択肢のひとつと言い出す始末。この日は次回の交渉の約束をして終了。
 翌々日、障害者たち(20人ぐらい)と障害福祉課の部長等と交渉。部長は市は予算がない、今まで通りの介護料を出すのには市民の理解が得られないし、高齢者の祝い金も廃止したし、工夫をしてほしいという話をした。

 障害当事者側(以下T側)「高齢者の祝い金は生きるか死ぬかではないが、介護がないと死ぬんです。お金がないと言うが、この介護時間では、在宅の重度障害者は生活ができない」と発言。
 結局、部長は金額が上がらないのならと「移動介護1時間」を「日常生活支援2時間」変更を認めました。
 T側「手続きとしては異議申し立てを持っていけばすんなり認めてもらえるということですよね」と訊いた。部長と課長がヒソヒソ話し「異議申し立ての書類をまだ作っていない」「ではどうするのですか」「紙に異議申し立てと書いて、市長殿宛で日付を書いて、移動介護を日常生活にと書いて名前を書けばいい」と言う。
 T側「部長はいいと言うけど窓口の職員がダメだと言ったらどうするのですか」
 役所側「そんなことがないようにするから」
 T側「今までそういう、部長と職員が違うこと言うことがたびたびあった」
 役所側「そういうことがないようにするから」
 T側「では、申請に行ったら窓口の職員に部長がいいと言ったと言っていいのですね」
 役所側「異議申し立ては再調査をして再決定となるのでそこまでは言えない(あくまで調査をして、という形がいるということ)」
 T側「ではどうしたらいいのですか」
 役所側「申請があったら、スムースにいくようにする、それでわかってくれよ」
 T側「異議申し立てをしたら再決定はいつわかるのですか」
 役所側「できるだけ早急に」
 T側「早急にって、大体でいいので日にちを教えてください」
 役所側「日にちをと言って、その日にできないと苦情が来るので言えない」(前に苦い経験があるみたい)
 T側「早急と言っても、こちらの感覚とそちらの感覚とでは相当な開きがあるかもしれないので日にちを言ってほしい」
 役所側「2週間くらいあれば」
 T側「24日の交渉の時、職員が異議申し立てをしたら『再調査をするので時間が増える人がいるかもしれないが、減る人も出るかもしれない』という発言が職員からあったが、障害者一人一人は弱いからそんなことを言われたら恐くて異議申し立てができなくなってしまうので、ここでそんなことはしないと約束してほしい」
 役所側「それは異議申し立てをしたら再調査をするという手順を説明したのだろう、減らさないと約束する」
 T側「では、移動1時間を日常生活2時間という申請をしたら認めてくれるのですね」
 役所側「認めるとは言えないがわかってくれよ」
 この成果は障害者がたくさん集まったからだと思う。
 4月1日、市役所のロビーで障害者(20人ぐらい)が集まり要望書を読み上げて障害福祉課へ。障害福祉課にはあらかじめ言っておいたようで、職員が待っていた。
 役所側「皆さん方から要望書を受け取り、異議申し立てをしたい人から異議申し立てを受け取ればいいのですか」
 T側「そうです」
 役所側「では受け取りますので、それが済んだらここは狭いので、お引取りをお願いします」
 それで代表が障害福祉課の職員に要望書を渡す。
 T側「確認ですが26日部長との交渉では、移動1時間を日常生活2時間にするという話になっていたのですが、部長から聞いていますか」
 役所側「部長から交渉があったことは聞いています。みなさんが来るから異議申し立てを受理するようにというだけです」
 T側「それだけですか」
 役所側「そうです」
 だいぶ話が違うではないか。確認しようと思ったが、いま部長はいないそうだ。そうこうしているうちに障害者の方々が異議申し立てを始めたので邪魔にならないように移動する。どうして話が違ってしまうのだろう。
 
匿名希望



 おかしな笑い 


 完璧な脊損から一部頸損へ、さらに介護者なしの現在。生活そのものだけに一日の大半の貴重な時間を割かざるを得なくなり、わずかな残り時間の老齢の身にとっては、もったいないほど、時間の無駄使いをしています。
 なぜか最近、毎日排便、失禁。ベッド上で右手だけでの手探り清拭で、褥瘡状の傷が2ヶ所も。消毒や手当てもできぬまま、今度は、後始末のための車イスへのトランスファーに失敗転落、落ちたが最後、いくらあがいても上がれない。休み休み30〜40分かけて、どうにかベッドへずり上がれた時は、力も尽き果てグロッキー。
 続いて後始末と洗濯、食事の準備。思わず「もう、これくらいで許して……」と神仏に。ところが、不思議にも、あまりの辛さに笑ってしまうのです。
 「苦しみて やがて可笑しき 我が身かな」  
 わが日本国はアメリカさんの号令一下、福祉はつぎつぎに削られ庶民には想像さえつかない多額の出費、政官財界の腐敗。反面、無年金障害者、施設で生きているだけの寝たきり老人、最貧国や戦火に逃げ惑うイラクの人々。
 「人間の尊厳」など、どこにあるのでしょうか。私は幸せな部類に属しているのでしょうね。
支援費上限問題個人総括(後編)


1.代表団と仲間に敬服
2.インターネットの威力(恐怖)を再認識
3.地方間格差(温度差の構図)
4.理論武装と情報戦
5.今回の結果について(当事者の意識)

  1. ところで……

     ところで、今まで厚生労働省が音頭をとって進めてきたともいえる支援費制度。施設ではなく地域生活への移行。そして、その考え方の基となっていたはずのノーマライゼーション理念。これがいとも簡単に、もろく崩れ去ろうとした原因はなんだろうか?
     DPI(障害者インターナショナル)のホームページから引用させてもらうと、《今回の問題の発端は、9月の概算要求に比べて12月の予算案で、施設に比べて在宅サービス関係の予算が大きく削られたことにあります。(中略)今回の一連の事態は、現在の日本でのノーマライゼーションの危うさを象徴的に示したと言えます。「ノーマライゼーション」「脱施設・地域生活移行」が、国の障害者基本計画でもうたわれるようになってきました。しかし、法的には、施設関係の予算については「国庫負担金」、在宅サービスについては「国庫補助金」となっていて国の責任の重さが違います。そうした施設サービスが偏重されるような法的仕組みになっていることが、背景にあります。さらには現在、利用者のサービス受給権も明記されていませんし、市町村障害者計画は法的に努力義務の範囲に止まっています。脱施設・地域での自立生活の確立が理念、言葉だけに止まることなく、着実に進んでいくような障害者基本法の改正や障害者差別禁止法の制定等も今後の大きな課題です。》とあり、真に地域での生活が当たり前になる社会を実現するために、全国の障害者の声を一つにして継続して今後も取り組んでいきましょう。と呼びかけている。正に、法的な基盤整理ができていないというのがネックだろう。
  2. そんじゃ、なぜ、法的整備がされないのか?

     プラン上では素晴らしい理想を掲げているものの、結局は予算(財源)不足になれば簡単に切り捨てられる。世知辛い世の中、結局は「金」だ。で、やっぱり"Give & Take"で考えていくことが不可欠なんじゃないかと思う。メーリングリスト上で「こもりがちの人もどんどん外に出られるようになれば、経済への波及効果が期待できるだろう」というような考えを書きましたが、これは客観的データに基づいた計算をした上でのことでなく、正直なところ当事者側の希望的観測に過ぎません。
     建物や交通機関のバリアフリー化と、ヘルパー人件費にかかる費用とそれによる障害者、高齢者の消費額をどうやって計算すりゃいいのかようわからんけど、人数が少ない点と年金も大したことないことを考慮すると、費用対効果で攻めるとかえって分が悪くなるように思う。残念ながら、消費または納税額で対抗しようとしても相当厳しいと思う。
  3. んじゃ、どうしたらいいの?

     一言で言うなら、「価値観の緩やかな変更を促す」っていう戦略が必要じゃないかと考えた。キャッチフレーズで言えば、ラグビー精神の「オールフォーワン、ワンフォーオール(みんなは一人のために、一人はみんなのために)」っていうふうに、社会の価値観が定着していくことが望ましいんじゃないかと……。
     今って、障害者、健常者、官僚、一般人など関係なく、多くの日本人の精神構造にワンフォーオールの精神が欠落して、"All for me & Give me"ばかりに偏り始めてはいないだろうか? 自分を棚に上げてそんなことを思ってしまう。
     官僚、役人の判断を、なんでそんな心ない考えができるのか? 教育が悪いんじゃないか? と思うけど、少なくとも普通学校に行っていた者は、自分らも同じ教育を受けてきている。当事者になったから切に思うだけのことであって、当事者になっていなかったら……。
     ノーマライゼーション理念が机上の空論で終わらぬようにするためにも、障害者基本法の改正、差別禁止法の制定などの法的整備にしてもその原動力になるのは、やっぱり世論かなぁと思う。当事者の主張ばかりが目立ち、「障害者にあんまりひでぇことは言えんしな……」もしくは「あなたたちは、生きているだけで十分素晴らしい」って思われているうちは、すっごく立場は弱いんじゃなかろうか?
     価値観の変更対象は健常者のみでなく、われわれ当事者も含むと思う。
     たとえば、
    <現状>
    当事者のGive(健常者のTake)
    ・年金、手当て、医療費(¥0)、生活保護、ヘルパーなどの社会保障費用
    ・住宅改造費、車イスなどの補装具、日常生活用具などの費用
    当事者のTake(健常者のGive)
    <今後>
    当事者のGive(健常者のTake)
    ・年金、医療費(3割負担)、生活保護、ヘルパーなどの社会保障費用
    ・住宅改造費、車イスなどの補装具、日常生活用具などの費用
    ・雇用、就学の均等
    当事者のTake(健常者のGive)
    ・手当てのカット(放棄)
    ・医療費3割負担
    ・納税
    ・教育現場などを通じての社会貢献
     たとえばと言っておきながらわかりづらい例で恐縮だが、つまり、本当に欲しい権利を手に入れるためには現在障害者が持っている既得権と刺し違えてでも、主張する覚悟がいるのかな? ということ。そのためには、「本当に欲しい権利って何?」ってことをしっかり議論しなきゃダメなんだけど、まとまるのかな?
     アメリカの障害者の権利法律として有名なADA(障害を持ったアメリカ人法)。これは、障害者の権利を認めている素晴らしいものという認識が当事者間にも多いと思うけど、「保障より機会均等を」ってことを望んだ法律だと思う。つまり、就労、通学を始めとするさまざまな社会参加への機会均等を得る代わりに、納税など積極的に社会に還元する。障害者も何らかの社会貢献をするんだという当事者の決意がパワーとなって、受け入れられたように思うんです(認識が間違っていたらゴメンナサイ)。
     んじゃぁ、ADA法ができてもう10年以上経った今、アメリカの障害者は皆が皆納税者になり、社会貢献してるのか? これは、今の私の知識じゃまだようわからん……あぁ、自分の言いたいことがわからなくなってきた。
  4. まとめ?

     こんなんで、総括もまとめもあったもんじゃないですが、それでも強引にまとめるとすると、
    Ⅰ今回とった抗議行動という形態に賛否両論あるだろうし、僕個人としてもこういうの(大臣室突入未遂、出入り口封鎖など見た目の激しさ)は、 決して本当の意味で世論を動かす有効手段とは思わない。だけど、日程的な余裕のなさ、厚労省の強硬姿勢からするとこれが今できる最善の方法だったと思う。
    Ⅱ今回は多くの自治体も厚労省に反対だったが、多くは財源問題に直結する故の反対であって、福祉の考え方、ノーマライゼーション理念に反するゆえの反対であったかどうかははなはだ疑問である。よって、今後はよりいっそう自治体の理解を得ることと、厚労省が約束をちゃんと履行するかどうかをチェックすることが自立生活の確保を望む当事者の最重要課題である。
    Ⅲその際、今回の結果をしっかり理解し、勘違いする自治体にたいしては、しっかり説明(反論・指摘)できるようにならねばならない。
    Ⅳあわせて、本当に欲しい権利は何か? を問い続け、いざとなったら何と刺し違えるかを見据えておくことも必要。
    Ⅴさらに、権利・保障を得る一方、自分がどんな社会貢献ができるのか? を常々考え、できることから実行していくべきである。
    Ⅵともすると、当事者のみの利益しか考えないで突き進んでしまいがちというか、そう見られがちのわれわれであるが、そうであるがゆえにそのイメージを覆す障害者側からの社会還元の提案、行動を示せればその積み重ねが世論を引き寄せる原動力になると思う。
    Ⅶ今回の件はいろいろと腹立たしいことが多かったが、国の仕組み、官僚の思惑(本音)、世論を動かす難しさ、そして自分たちの置かれている立場、自分たち自身の問題等も見えてきたことはすごく良い経験になったと思う。
     以上、あくまで私個人レベルの総括ですので、これを皆さんに共有せよなどとは申しません。ただ、これでよしとはせず、この一件を契機に一人一人考えてみることは必要だと思います。その参考にしていただければ幸いです。長文にて失礼いたしました。



とろうのおの集と言葉あそび第12弾!


あれだけのマイナス思考くりかえし長らえていることに舌を巻く
叫ぶという文字がハングルめいてくる2003年冬ことのほか
タマネギを廃棄している夕空が北までずっとつながっている
マスゲーム好きのところがもうひとつこのごろあまり聞かないけれど
テポドンが飛んできたならどうすると脅されるのはいつものこと
歴史から学びとれない人たちの声のでかさよ涙もろさよ
泣き太陽笑い太陽やり太陽引きずりおろし太陽の季節
忘れるに戦後の五十八年は短かすぎるか長すぎるか
干しあがる皇居の堀の真底からあらわれてくるゴミのいろいろ
双六の上がりかなんぞのようにおさまり返っている男たち
とやかくも内部告発しなければおかしくなってしまう男たち
いい人と思われなくてかまわないおふくろにごり酒でもいかが
理念では立ちゆかないと知るまでに四半世紀の電動車いす
ガンジーの無抵抗主義はやらなくなっても胸に燦然とある
おおかたの世論が反映されぬならカサブタはがしているほうがまし
おしんとは違っているとスリランカ留学生がいうストレートパーマして
木枯らしに吹きこめられてコンビニの弁当売り場を思い浮かべる
世界じゅうどこの国とも似ていない私たちの日々新たなる顔
パソコンが起ちあがるまで拾い読む神谷美恵子の生きがいについて
寝はぐれて遠雷を聴くそこはかと春は忍びよってきている
ネオ・コンのイラク攻撃の地図にあるバビロンの名がうちふるえている
遠雷のような爆音が国連の瓦解するさまに響いてくる
アラビアの砂将軍に押しとどめられている藪大統領
肉弾になるしか仕事がないという砂漠と瓦礫ばかりの国で
聞く耳をもたぬ心の声にまで耳をふさぐことはできまい
これよりは裸の王様そしてその一の家来として連なるか
いつもなら花見に浮かれ同人誌作品集など組まないところ
徒労でも蟷螂の斧いまどきの短歌を編んで配っている
いかさまの大統領どのありがとう「とろうのおの」を編ませてくれて
だいたいは馬鹿だけれどもそうそう馬鹿じゃいられない私たち
手も足も出ない頸髄損傷で狼藉をはたらかずにすんでます
菜の花にレンゲに土筆えんどまめ私が悪うございました
れんげ田にもぬけのからの車いすあとはご想像にまかせます
じゃがいもしか獲れない土地でじゃがいもが嫌いな男のようなもの
泣きつくし笑いつくして呆けつくし考えつくしすぎなとなる
散歩道にツクシが四本立ちました都会の友に嫌がらせめき
一年に六軒が店じまいして五キロ四方に酒がなくなる
胃薬のできてくるまでカチガラス夫婦の巣づくりを見上げている
才能ある男の子どもを産みたいのそう言われても電動車いす
縄抜けの術のようにもくずれ落ち電動車いすから放たれる
野ねずみに埋められて食べ忘れられ芽を出すどんぐりのような幸い

 言葉あそび集

医学博士号とって医学は稼ごう、チェーンメールにくさります、遷都せんと、銚子のいい漁師、熱がピータンと引く、男は独居、券3枚で県産米プレゼント、東風虎、政府と国民を混戦さす、ホラを吹くのは四月ばっか、反戦病にかかる、コサック農民、はめ殺しのマゾ、UFOの営利案、ガランとした寺院、イカ様のタコ坊主、寺院としびれる、吉本がこてこて資産税をしぼり取る、軽微なガード、バウリンガル使ってみたい女ごころ、秘宝は南米の奥地にあんです、君たちの生い立ち、暴行欠席に悩む、穴吸いの口紅、もれなく紙おむつプレゼント、樽の中身がばれる、チリ紙を撤収せよ

 玉葱おやじの不安解消費用 


 支援費制度が始まって介護時間のみに気を取られているが、重度障害者が社会人として暮らすのにいったいいくら行政が負担しているのだろう?
 生活を支えてくれる多くの人々の「ハタラキ」を勘案しながら、春眠を貪りつつ思いを巡らせた。もうろうたる思考の中で銭と暮らしが交錯する。
 甥が大型トラックの運転手になった。朝7時に出勤、帰宅は午後10時を過ぎるとも言う。給料を時間で割れば最低賃金も危うい。妹も過疎の村で訪問介護に就いた。2、3軒の滞在時間の正味時給を拘束時間で割ると、300円にも満たない日もあるらしい。移動距離も半端じゃないのに、自前の車で燃料代も自分持ち。支給される交通費は、事務所への往復で消えるとぼやく。
 翻って、玉葱ご夫妻様は寝てても入る年金に加え、暮らしを支えるに必要なことを多くの人から受けている。ボランティアさんの存在を除いても受けるサービスの金額の大きさに驚く。生きるということは、こんなに費用のかかるものなのか!
 甥の走らす大型車が撒き散らす危険(リスク)を、通行する人の何人が気にして保険に入っているでしょう。妹が何の保障もなく、山道や畦道を駆け抜けて在宅老人の家々を巡るリスクに思いが巡る。
 支援費に夜間の不安解消の見守り費用を加味すれば介護費用の高額さに胸を痛める。玉葱夫婦・妹・甥それぞれの地で経済の仕組みの中で生きているのだが、不安の受け止め方はそれぞれ違う。
 玉葱夫婦の不安な夜間を解消したい費用の大きさと、低賃金で走り回る妹や甥の稼ぎと比べて隔絶の差を感じる。税金で賄われる介護費用に文句を言えない玉葱夫婦である。夜間のセキュリティーに知恵と工夫が必要であろうと愚考のうちに暁の朝を迎えた。宿泊ボランティアさんの寝息に安堵しながら平穏な日々の続くことを願う。
 「はがき通信」の頸損者で夜間を単身で暮らす勇気と根性に敬服する玉葱ですが、危険を予知する能力を日頃から養うことが必要だと思う。首から上は絶好調でも、首から下は他人任せの無責任玉葱おやじである。反省。

玉葱おやじ ecosakohata@do2.enjoy.ne.jp





 写真だより

(57才、頸損歴25年、C4.5、電動車イス)

 入浴などの介助をしてくれた娘2人が自立し、ベッド周辺や風呂場など居住環境を改造しました。
 ベッドサイドにリフターが備え付けてあり、床走行式リフトのように場所を取りません。



(ベッドサイドのリフター)


 入浴用のシャワーチェアーは、イス部分が分離して水圧式リフターを使用してそのまま浴槽に入ります。



(風呂の水圧式リフター)



 4ドアセダンからリフトシート仕様車の福祉車両に買い換え、その名のとおりシートが車外へせり出すので、移乗介助が今までより楽になりました。




(自動車のリフトシート)K・S

写真提供:向坊 弘道・編集顧問


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