この胸のうちを、同じ大学(山口県立大学)でデザインを学んでいる大学院生(女性)へ伝え、一緒に形にしていくことになりました。共同作業をスタートさせたばかりですが、わかったことが一つあります。それは、日本の伝統文化〜夏の風物詩〜である浴衣は、健康な人を対象にデザインされてきたということです。車いすを使っている私が、伝統の(多くの日本人が着ているものと同じデザイン)浴衣を着易くするためには、バリアがいっぱい(バリアフルな状態)なのです。その夏の風物詩を楽しむためには、浴衣をバリアフリー化する必要があります。 ここでもう一つわかったことがありました。整理すると下記のようになります。 ◇日本の伝統文化 夏の風物詩である浴衣は健康な人を対象にデザイン。多くの日本人が着ているものと同じものを着たいという気持ち。 ◇障害を受け入れていない自分 バリアフリー 既成のものをリフォーム、改造していく日本の新しい文化。 障害を持っている自分が、既成の着にくいものに自分を合わせていく必要はない。自分に合った、そしておしゃれなものを新しく創造していきたい。 ◇障害を受け入れた自分 ユニバーサルデザイン 素材としての浴衣生地を活かし、生地から新しいものを創る。 障害を受け入れている私と、受け入れていない私が心の中を行ったり来たり……。2つの気持ち、どちらもが私の中にある正直な気持ちです。それを素直に、つまりどちらをも形にしていきたいと彼女に話しました。私自身が浴衣を着たいのはもちろんですが、ふだん外へ出ることがなかったり、難しかったりする人たちも、この浴衣を着てお祭りなどへ行くことが「まち」へ出るきっかけになればと思います。今後の経過はまた報告していきたいと思います。 山口県:ミカリン mikarin@mx5.tiki.ne.jp 神奈川県横須賀市の I です。わが町から総理大臣が誕生しましたが、誰もが住みよい日本にしていただきたいものです。 さて、以前、由紀さおりと安田祥子のコンサートに行った折り、こんなことがありました。私の隣にすわっていたおばあさんが、ステージの2人がある童謡を歌い始めるとその歌を一緒に口ずさみ始めたのです。きっとおばあさんの好きな歌か、何か思い出に残る歌だったのでしょう。すると、おばあさんの隣にすわっていた40代くらいの女性が、「せっかく聞いているのにうるさい」と言ったのです。おばあさんは一瞬怪訝そうなびっくりしたような顔をして、ハミングをやめました。私も周囲の人たちも突然のことに何も言えませんでしたが、その眼差しは明らかにおばあさんに同情的でした。 その女性が言ったことは、理屈で言えば『正論』でしょう。ただ、その歌を思わず口ずさんだおばあさんの気持ちに思いを馳せて、そのくらいのことを許容する思いやりの心を持ってほしかったのです。この女性から見れば、私がやっている身体にハンディのある方々の登山のサポーターなど、「他人に迷惑がかかるのに、どうして障害者が山になんか登るのよ」ということになるのでしょうね。 そういえば瀬出井さんと伊豆に行ったとき、テーマパークの中の急坂を車いすを押していたら、前から歩いてきた数人のオバチャン連中の一人がすれ違いざま、「車いすでこんなところにきて、押す人が大変じゃない」と言ったのを思い出しました。本人(瀬出井さん)はどうやら聞こえなかったらしく、あとで聞いてメチャクチャに怒っていました(そのとき、聞こえなくてよかった(笑))。自分で押してるわけでもないのに、何とも大きなお世話です。その人たちにとって、私がどうして、どんな気持ちで坂を車いすを押しているかなんて考えもしない(想像もできない?)ことなのでしょうね。彼女が傷つくことを、平気で口に出してしまうような人たちなのですから。でも、これも理屈で言えば『正論』です。 人の気持ちや、立場を理解するのはとても難しいことです。ましてや私は健常者、障害を持っている方たちと接し、いつも健常者の目線で物事を考えていないか、行動していないか悩みます。私は車いすではありませんが、自分が車いすであったらと想像してみる、イメージングすることは、その人に「近づく」のにとても重要だと思っています。自分が快適に生活することのみを求め、想像をふくらませないから『正論』だけを言う人間が増えるのではないでしょうか。そして、他人のために身を削って得られる“心のふくよかさ”はあると、私は信じています。 何だかうまく言葉にまとめられませんが、最近感じたことを書いてみました。 神奈川県 : YI
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