も く じ | |
ごあいさつ | 広報委員:麸澤孝 |
初めての海外、初めてのフィリピン | 愛知県:Taiko |
痛みを緩和させる療養方法は? | 千葉県:MN |
USJに行ってきました! | 大阪府:Ikuko |
無防備は無謀か?玉葱おやじは行動派 | 広島県:玉葱おやじ |
63歳にして何ができるのでしょうか? | 鳥取県:HY |
新世紀の幕開け、夢が叶う幸せのおすそ分け! | 広島県 :MK |
緊急避難 | 全国障害者介護保障協議会 |
肺血栓塞栓症で入院 | 宮崎県:Kurotaka |
With You、友、遊、勇、悠…… | 北海道:PONPOKO |
自立を夢見たが | 編集顧問:向坊 弘道 |
浴衣を変える!浴衣のバリアフリー&ユニバーサルデザイン | 山口県:ミカリン |
正論? | 神奈川県:YI |
ひとくちインフォメーション |
東京では桜も終わり緑が濃くなり、頸髄損傷者にとっては最高の季節になってきたようです。 広報委員:麸澤孝 ホームページ fuzawa@par.allnet.ne.jp
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交通事故で頸損(C4)になり、あれよあれよと言う間に早10年が経ちました。私は向坊さんや何人かの頸損の方が冬はフィリピンで暮らしていることを知り、以前からフィリピンへ行ってみたいと思っており、昨年(2000年)12月19日〜27日の期間でフリーターの友人と一緒に行ってきました。しかし、初めての海外、パスポートの申請から飛行機のチケットの手配などたくさんのことが初めての経験で、準備する中、とても興奮していました。 パスポートは申請して1週間ほどで受け取ることができ、もっと時間がかかると思っていた私はとても驚きました。航空会社はノースウェスト航空を選び、大きな理由は2人分の往復チケット代が約9万ちょっとと安かったことです。 このフィリピンの旅をするにあたり、不安はいくつもありました。飛行機の座席にずっとすわっていられるか、現地での介助、体調管理など。でも、なんと言っても言葉が心配でした。フィリピンでの共用語は英語とタガログ語と聞いていたので自分なりに英語の勉強は少しはしていきましたが、すべてのフィリピン人が英語を話せるとは限らないということを知り、タガログ語の必要性もフィリピンに行ってから強く感じました。 そして、出発当日、名古屋国際空港19:30発の飛行機。2時間前にはチェックインしなければならないので、16:30には空港に着けるように自宅を出ました。まず空港での問題が、機内へ移動するときに乗る空港の小さい車椅子でした。とても体の大きい私(身長178cm位、体重70kg位)が乗れる物ではありませんでした。搭乗ギリギリまで自分の電動車椅子に乗っていられると思ったのですが、荷物を積む関係で早めにその車椅子へ移動してほしいと女性の係りの方が言いにきました。搭乗までそれほど時間はかからないということだったので移動したのですが、失敗でした。結局、1時間も乗るはめになり、フィリピンに着く前に疲れてしまいました。まぁ、ビジネスクラスに乗れたので良しとしよう。それから、電動車椅子のバッテリーですが、ドライバッテリーだったので取り外さずに済み、ドライバッテリーにしていて正解でした。 そして、ようやく日本を発ち、機内では期待と不安が入り混じり落ち着かない状態でしたが、3時間30分ほどでフィリピンに着き、空港へはローズ・プリンセス・ホームの日本人とフィリピン人のスタッフの方が迎えに来てくれて、異国の地で日本語を聞いたときはほっとしました。しかし、日本のような寒さのないフィリピン。ムッとする暑さが妙に嬉しかったです。 最初の2日間は、マニラ空港から車で40分ほどの所にあるローズ・プリンセス・ホームに泊まり、3日めからはルセナ市の向坊さんのGLIP(日本人障害者の家)でお世話になりました。ローズ・プリンセス・ホームはケア付きの日本人用の施設でとても新しく、ここで暮らしてる日本人も何人かみえて、充実した生活を送っておられました。部屋はシャワー、トイレ、エアコン完備の2人部屋に泊まり、食事も日本食が主でスタッフはフィリピン人がほとんどですが、日本人のスタッフももちろんいました。ここには移動用のリフターがなかったので、移乗するときはスタッフの方が手伝ってくれて、また24時間、スタッフの方は待機してるので、何かのときは電話で呼べばきてくれるようになっていました。 フィリピンに来て翌日の昼頃に向坊さんの手配してくれた女性アテンダントさん(シェリル・22歳)が来てくれて、フィリピン滞在中はシェリルに身の回りのことをお願いしました。そして、このローズ・プリンセス・ホームの近くに住んでおられる頸損の清川さんにもお会いして、いろいろ教えていただきました。 そして3日め、いよいよ向坊さんのいるルセナ市へ出発。バンに木のスロープをかけ、リクライニングの車椅子をほとんど倒して乗車。約4時間ほどかけて、ルセナ市のGLIPへ到着しました。しかし道中、排気ガスが凄く喉が少々痛かったです。久しぶりに向坊さんと再会し、向坊さんのアテンダントさんのミラとジョイスに挨拶をして泊まる部屋に荷物を運びました。とりあえず夕食までは時間があったので、ジョイスとシェリルに近くにある駄菓子屋(サリサリストア)へ連れて行ってもらいコーラを買ったのはいいのだが、ビニール袋にストーローさして飲むのには驚きました。夕食はアテンダントさんが作ったのをいただき、その日は疲れたので早めにベッドへ移動しました。 翌日は8:00ごろにベッド上で朝食を済ませ、それから車椅子へ移動しました。そして、以前から手紙やメールなどをやり取りしていながら一度も会ったことがなかった藤森さんが訪ねて来てくれて、初めて会うことができました。その後、藤森さんがGLIPの近くに住んでおられる日本人の方たちの家を案内してくれて、初めて町並みを見ることができました。道によっては非常に悪いところもあり、チンコントロールで電動を操作するのが難しく、体がよくずれてしまうので注意が必要でした。しかし、夜はクリスマスの時期でもあり、ほとんどの家が電飾してあり、本当に綺麗でした。この日は夕方ごろから福井さんのお宅にお邪魔してビールと食事をいただき、ほろ酔い気分でGLIPに帰りました。私は思いました。本当に福井さんは酒好きのようだ。 23日は午前中はトイレで、午後からショッピングセンターへ買物に出かけました。フィリピンでの初トイレで心配でしたが、浣腸2つを使い何とかクリア。午後の買物は、クリスマスの時期だけにとにかく人と車だらけ。事故が起こらないのが不思議でした。しかし、行くとこ行くとこ周りの人の注目の的で、視線は日本より凄かった。とりあえずお土産を少し買い帰りました。そして、驚いたのはクリスマスの時期は子供や大人が家の前に来て歌を歌ったり、ギター弾いたりして小銭を稼ぎに来ることでした。現金なことに、小銭を渡したとたん彼らはすぐ行ってしまうのでした。 24日は私の28歳の誕生日でもあり、夜は向坊さんとアテンダントさんが祝ってくれてケーキをご馳走になりました。さすがクリスマスイブということもあり、この日は夜中まで歌がどこからともなく聞こえてきました。25日のクリスマスも夜遅くまで外は騒がしかった。しかし、この2日間、GLIPにはいろんな人がきていた。26日はこの時期には珍しい台風の影響で雨。買物に行く予定でしたが中止。 27日の朝6:30の便で帰国だったので、荷物の整理をすることにしました。夕方ごろになり雨も止んだので、福井さんや藤森さんなどGLIPの近くに住んでおられる方たちに挨拶をしに行き、福井さんのところでビールをまたご馳走になりました。夜中の12:00にGLIPを出発だったので、まだ4時間ほど時間がありましたが、そのまま電動に乗ったまま迎えの車を待つことにしました。そしたら再び雨。そしてこの雨の中、空港まで約3時間ほどで到着することができ、帰りはビジネスクラスを期待しましたが、エコノミークラスでとても窮屈な思いをしました。 名古屋空港に着いたのが11:00ごろ。前日は雪が降ったらしくすごく寒く、フィリピンの暑さが恋しく思えて仕方なかった。こうして初めてのフィリピンの旅をトラブルなく終えることができました。これも向坊さんや、あちらで住んでおられる方たちのおかげだと思います。本当にありがとうございました。 愛知県 : Taiko taiko@gld.mmtr.or.jp
毎々、「はがき通信」をご郵送いただき篤くお礼申し上げます。小生、20年ほど前に後縦靱帯骨化症の疾病で、頸椎C4〜C7の椎弓の切除を受けました。しかし、予後は重篤で、頸髄損傷による左半身優位の痙性四肢麻痺の身障者となり、現在も在宅療養を続けております。 昨年11月に急に両肩および右腕に激痛を覚え、いろいろと手当を加えましたが一向に回復の兆しがありません。従来、疼痛が発症しても坐薬などの強い鎮痛剤で痛みは緩和されましたが、今回は効果がありません。 それで、今月初めに病院でMRIの検査を受けたところ、頸椎の4と5の間の椎間板ヘルニアの症状が悪化しておりました。すでに後縦靱帯骨化症で手術をして萎縮し、細くなった頸髄への圧迫度が増幅して、これがために頸肩腕痛が増悪し始めたものと思われます。この症状に対して現代医学では処置なく、治療はお手上げの状態です。 そうは言っても放置しておくことはできず、殊に、痛みのために夜半眠れないのが一番身体にこたえております。今までは、4時間おきぐらいにうつらうつらと寝ているうちに全身の拘縮と疼痛で起き上がり、1〜2時間、体を調整してから就床しておりました。このたびはこの周期が2〜3時間と狭まり、痛みも一段と加重しております。 このために新しい薬剤の使用、首筋を圧迫しない枕の購入・作製、ベッドの頭部の高さの調整、エアパッドの利用の工夫等々、いろいろな痛みの緩和に努めていますが、効果は表れません。つきましては、会員の方々のうちで何か良い療養方法がありましたら、お知らせ下さるようお願い申し上げます。 平成13年3月21日 千葉県 : MN(75歳) 3月3日にUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行ってきました!まだやっていないアトラクションもありましたが、バック・トゥ・ザ・フューチャーとジュラシック・パークは入場してきましたので、ちょっと一言。 【バック・トゥ・ザ・フューチャー】付き添いがいること、バランスがとれることが条件でした(移動など手伝ってくれないので付き添いがいるんです)。まず、個室に案内され、入ると例の映画に登場する車が1台あってそれに乗るのですが、4人がけのシートが2列あり、前にある安全バーを持たないといけないんです。でも、C5−6の私の場合、握力も腕の力もないので真ん中にすわり、両サイドの人と腕を組んでいました。バック・トゥ・ザ・フューチャーは3Dで、前にあるスクリーンに映し出された映像に合わせて車が激しく動くというものです。私は両サイドの人と腕を組んでいましたし、過激なものが大好きなので不安もなく楽しんできました。 【ジュラシック・パーク】これはもろ「急流滑り」です! いま振り返ってもよく乗ったなと思います。ボートが11隻あり、そのうち1隻だけに「リフト付きシート」があるんです。最後列に1つだけなんですが、シートなんていうものではありません。係りの人は、「専用シートがありましてシートベルトもありますから大丈夫ですぅ〜」と、いとも簡単に言って案内してくれましたけど。シートは、飛行機に乗るときに使う直角90度の小さな車椅子! まさしくそれでした。いえ、もっと小さいかも……。しかも鉄! シートベルトといってもお腹のとこだけ。見た瞬間「無理!」と思ったんですけど、この機会を逃しては……と乗ることにしたんです。で、シートにすわり、電動でシートが横にスライドし、下がってボートに乗り込むんですけど、このときに前の安全バーに足の向こう脛と膝が当たるんです。なんとか強引に乗り込みましたけど、身長160センチの私でこれですから男の人は乗れないのではないでしょうか。こうして乗り込んだのはいいんですけど全くバランスはとれず、また、隣の人の腕にしがみついていました。でも、このシートは端の席なので1人の人としか腕が組めないんです。もう降りることもできないので、最後は顔面を打つことを覚悟してどこに顔を持っていこうかということばかり考えていました。 で、いよいよラストの瞬間! ボートが落ちるとき、想像以上に真下を向いたので「甘かった! 顔面強打する〜!」と思った途端、のけ反った姿勢で水をかぶっていました。あれって、最後あまりに急な傾斜なのでお尻が浮くんですよね。それでのけ反ったようです。 おかげで帰ってきて2週間お尻が痛くて痛くて……。褥創の心配もしましたけど大丈夫でした! 乗り物なんて一生乗れないと思ってましたから、とてもいい体験ができてヨカッタです。私の状態を知っている人は、「よく乗ったな」と思うのではないでしょうか。 <その後、姫路市の田村辰男さんからも下記のような見学記が届きましたので、合わせてどうぞ!> 車イスで利用できるアトラクションが非常に多く、1日では回りきれません。ターミネーター2・3Dなどがお勧めです。ETはハンドルが持てないとダメと言われ諦めました。車で姫路から1時間40分。道さえ空いていれば非常に楽です。 車イスについての情報は、下記HPの「バリアフリーガイド」を参考にしてください。 http://www.usj.co.jp/index1.html USJのアトラクションは、大きく分けて二つに分けられます。
USJのアトラクションは、大半がシアター型になります。つまり車イス、電動を含めまったく問題なく楽しめます。シアター型といっても3D立体映像、派手な爆発、激しく燃え上がる炎、呼吸困難になるほどのスモーク、実際にぬれるほどのシャワーなどさまざまな工夫がされています。さらに床自体が揺れたりもし、単純な映画を見るのとはまったく別物です。 次のライド型はさらに車イスのままの乗れるモノと乗れないモノに分けられ、僕が利用したのはジョーズのみです。 ◎ジョーズ…車イスのままボートに乗る。 △ET…車イスのまま乗れるが、ハンドルが持てないとダメ。 ×ジュラシックパーク、バック・トゥ・ザ・フューチャー…ボートなどに乗り移る必要あり。 乗り移りも同行の介助者が行う。 以上、最重度の方でもライド型以外は利用できます。さらに乗り移りのための介助者がいればライド型も利用できる、可能性はあります。 大阪府 : Ikuko ikuko@neti.com 3月24日の揺れ揺れ大地にトイレから転がり出た楽居は、ホウ酸団子を食ったゴキちゃんのように腹を返して手足バタバタ……恐いーっ!と。玉葱はパソコンに向かっていたが耐全自弱、揺れ揺れ心も平常心を装っていた。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。 夜半に入り、お気遣いの電話やメールをいただいた。心より感謝いたします。なお、玉葱の口座には、お振込みの余裕が十分にございますのでよろしく! 昨年秋口の揺れ揺れ体験にもかかわらず、何の備えもしなかった。そして、今回の芸予地震に……。幸いにも被害はなかったが、玉葱ジシンはジシンを恐いと思いつつ、逃げるジシンはない。しかし、防備の予定はしない。1畳ベッドで動きの取れない玉葱に万全の備えは思い付かない。仮にあったとしても、高額の機器を備える費用は負担できない。重度の障害を持つ多くの人々に、その費用負担の過重感は否めない。ハイテクのパソコンも携帯電話も混線で用を足さなかったから、外部との連絡を取れなければ不安と恐怖が募るであろうと想像する。障害を持ち自らの力で危機を脱出できない者が、パソコンだインターネットだとうつつをぬかして自室に閉じこもる姿はいかがなものか。日頃から近所の人やお隣りさん、駆け付けてくれる知人や友人との人間関係を密にしておくことが大事のように思う。人の善意や好意に頼るのが一番良い方法ではないでしょうか? 人道的とか行政システムの危機管理も必要ですが、高価な機器を備えるよりも確かな人間関係を構築する努力が先決であろう。玉葱は、決して捨て鉢やヤケクソで無防備を唱えようというつもりはないが、自力脱出のできない人々は機器や装置に頼るよりも、人との関わり合いで対応したいものです。無防備は無謀でしょうか? 美貌の人は人災に防備をしましょう。 広島県 :YS ecosakohata@do2.enjoy.ne.jp
昭和40年8月23日(26歳)福井県小浜市で交通事故により、頸椎5〜6圧迫骨折(重体・新聞、テレビ報道小さく)。2ヶ月後、星ヶ丘厚生年金病院(大阪・枚方市)に転院。固定術を受け、リハビリ。昭和43年9月29日、母のいる町、清水病院(鳥取県倉吉市)へ転院。昭和52年2月、電動車いすに出会い、生きることを実感する。昭和61年5月、母の家(築12年)へ退院するも、母のボケも始まる。 平成3年12月、買い物に便利な場所に、チョットした炊事ができる家を建てて引っ越し。この時にパートナー(明電舎)を設置。ベッド〜電動いす、電動いす〜ベッドへの移動はリモコンを首にかけ、それをまた親指に引っかけ(でも、指は動かない)、かろうじて左手の親指に感触があり、リモコンに顔の顎部分を押しつけて前後、上下に移動させます。 母は平成4年の4月に亡くなり、現在は自立独居老人です。ヘルパー、訪問看護婦等々、人々の世話で生きてきました。ちょっと疲れています。でも最近、Mさんを知り、がんばる勇気が出かけています。63歳にして何ができるのでしょうか。 鳥取県 : HY hy0025@ncn-k.net |
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