新しい年2000年を迎えて
「はがき通信」の皆様、お元気でお過ごしでしょうか。春近しとは言え、まだまだ寒い日が続いております。私はお陰様で元気に過ごしております。
昨年は、家族にとっていろいろと大変な年ではありましたが、主人も無事に退院することができました。2000年を迎えた1月も過ぎ、ふと気が付くと2月も半ばを過ぎ、月日の流れの速さに驚かされます。この頃になり、主人も長男も、毎日、毎日の積み重ねの中から、少しずつの進歩が見られるようになりました。
主人は、昨年1月10日に倒れてから丁度1年が経ちました。排泄が何も分からなかったのに、時間でトイレに行く訓練の結果、今は昼間のトイレは完全に教えるようになりました。夜のトイレ(尿)は、4回に2回〜3回程度教えるようになりました。寝込んでしまうと、まだまだ分からないようです。
国リハから退院した当時よりずっと改善されました。それから今年2月24日朝、急に杖を離れ、2歩、3歩、4歩と1人で歩けるようになりました。まだまだ危なげな歩きですが、歩き出したことに、びっくりするやら、喜ぶやら、大変でした。転ばないようにしっかり見守っています。信じられない出来事でした。
2月26日には、7歩、2月28日には11歩も歩きました。赤ちゃんが急に歩き出したときのように、大喜びでした。日常はまだ杖を使ってトイレに行ったり、洗面所に行ったりして歩いています。これからも、杖を離れ、1人で歩けたことに自信と希望を持ち、頑張ってほしいと思っています。
長男も12月10日、事故の日から3ヶ月の入院の後、やっと退院することができました。私はやっと、約1年近くの病院通いから解放されることができました。退院後もまだまだ足の痛み、背骨の圧迫骨折による背中の痛み、肋骨の骨折による胸の痛みと、多くの痛みを抱えながら毎日リハビリに通院し、一生懸命頑張っていました。1日でも早く良くなり仕事をしたいの一念です。
最近は痛かった右足首もほとんど痛みが取れ、早く歩けるようになりました。背中、胸の痛みも少し楽になったようですが、まだまだです。毎日足のリハビリと一緒にマイクロ波をかけています。足の方は、今年はもう1度手術し、右足骨折部分に埋め込んだビスと鉄板を取ります。この2度目の手術が終わると、やっと完全な足に戻ります。もう一山越え、頑張らなければならない大切な年でもあります。
主人も、長男も皆命を守られ、この新しい年2000年を家族揃って迎えられることができた事は大きな喜びでした。今年こそ、何事もなく皆元気で過ごせる良い年でありますようにと、祈る気持ちで主人の介護に日々忙しく過ごしております。今のところ主人は別に変わったこともなく、週1回のリハビリ教室(保険センター)、月1回の言語リハビリ(国リハ)に通い、私は同じ障害を持った方達の家族の集まりである「言語障害者の家族の会」に参加しています。
人によって脳に障害を受けた場所が異なります。お互いに今どのようなことが大変なのか、退院後どのような点が良い方向へ改善されたかなど、この会は大変参考になる話し合いの場となっており、多くの方々との出会いの輪が広がっています。
お世話になった先生、スタッフの方にお会いし、お話しできることでほっとする私です。
「はがき通信」の方々からは、お見舞いのお年賀、お手紙を頂き、心より嬉しく感謝しております。ありがとうございました。これからも宜しくお願い申し上げます。
埼玉県 : HS
ワゴン車で米国横断計画
全身の筋力が低下する難病、筋ジストロフィーのために電動車いすの生活京都千代田区二番町の貝谷嘉洋さん(29)が今春、操作レバー(ジョイスティック)一つで運転できるように改造したワゴン車で、米・カリフォルニア州バークリーからフロリダ州まで、約六千キロ米国横断旅行に挑戦する。
貝谷さんはこの旅行を成功させ、日本で遅れている障害者用車両の普及をアピールしたいとしている。
14歳から車いすと全面介助の生活を余儀なくされた貝谷さんは、1993年に関西学院大学を卒業。その後、「障害者政策を勉強したい」と単身渡米し、カリフォルニア大学バークリー校の大学院に留学中に、ジョイスティックを利用した障害者用の車に出合った。
レバーを前後させればアクセルとブレーキ、左右の操作で車体の向きを変えることができる。また、ボタン一つでギアチェンジでき、右手6キロ、左手2キロの握力しかない貝谷さんでも、操作は簡単だったという。
計画では、3月上旬に渡米して運転免許を取得し、ボランティアの友人2人とともに4月にバークリーを出発、テキサス州やルイジアナ州などを経て5月初旬にフロリダ南端の島キーウェストにゴールする予定。
旅行中の運転は貝谷さんただ一人。費用は約8百万円で、3分の2は装置購入と車両改造費。節約のため、夜はテントで夜露をしのぐこともあるという。
米国では、障害者支援として全米3か所でジョイスティックを利用した車の教習が行われており、州によっては購入費補助もある。
しかし、日本では補助制度や教習施設がないために普及が遅れ、97年に東京都八王子市の市民団体が購入した1台だけだという。
貝谷さんは「日本では障害者は保護の対象だが、環境さえ整えば何でもできることを証明したい。日本でもジョイスティック・カー普及に一役買いたい」と意気込んでいる。
まだ資金が不足しているため、「ヨシを運転させるベンチャー」事務局(03−5215−1485)で、援助を求めている。
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