はがき通信ホームページへもどる No.62 2000.3.25.
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も く じ
ball ごあいさつ 松井先生
ball 友人が亡くなって思うこと MA
ball 不安な日々 MO
ball ひっくりかえった MK
ball 使えるのは何でも 清水哲
ball 強酸性水製造機の値段 MI
ball トドのつまり玉葱オヤジに変身なのだ トドのおっさん
ball 「Stand Up 21」に参加 ガベちゃん
ball できた!車イス50台 向坊弘道
ball 障害10年目の記念日 RK
ball もっと世界が広がるはずだ ST
ball 新しい2000年を迎えて HS
ball ワゴン車で米国横断計画 読売新聞から
ball 脊髄損傷治療に希望の光 ワイヤードニュースから
ball 「はがき通信」購読者の調査より 編集委員から
ball ひとくちインフォメーション


ごあいさつ

皆さん、お元気ですか。春一番の花、さんしゅうが満開です。もう、医大のつつじに蕾か新芽か、出始めています。
前号の編集は麩沢さんのみ、向坊さんがルセナ、瀬出井さんが体調崩し、私もいつ出動要請がくるかと待機していましたが、バックアップ要員の出番ありませんでした。麩沢さん、編集作業、やり遂げましたね。これでいよいよ引退かと思っていましたら、今回は「ごあいさつ」に登場するようにとルセナからメールです。
まもなく4月、札幌のつぐみちゃんもいよいよ新入生です。公的介護保険制度もスタートですね。
私も実地勉強を兼ねて、昨年秋から某市の介護認定審査会メンバーとして要介護認定作業に係わってきました。対象を高齢者に限定、保険料や認定方法の妥当性や公平さ、サービスの供給体制など問題が山積みされていますが、介護を国民全体の課題として考え、より良い制度へと発展させるチャンスでもあります。頸損者の経験が活かせる制度へと、皆さん、積極的に発言していきましょう。

編集委員 : 松井


友人が亡くなって思うこと

51歳、男性、C−3不全、受傷後4年

皆さんこんにちは。最近、近所で子供の頃から遊んだ同い年の友人が亡くなりました。原因は脳溢血でした。
彼は20歳過ぎに交通事故を起こし、股関節骨折の大きな手術をしました。その時の輸血や投薬の副作用で、徐々に目が見えなくなり、耳も聞こえにくくなってきました。ここ10年ぐらいはほとんど両耳とも機能しなくなっていました。しかし、私が元気なときは、彼がそういう状態になっているとは知っていましたが、あえて付き合うこともなく、家が近所であったにもかかわらず、全く関わり合うことがない生活をしていました。
それが、昨年入院したと聞き、私がリハビリで通っている病院だったので、リハビリのついでに病室へお見舞いに行きました。彼は私に、昔はよく遊んだものだと懐かしそうに話をし、また退院して家に帰ったら、昔よく遊んだ近所の悪ガキを集めて、バーベキューでもして話し合いたいなあと言った彼の言葉を思い出します。
結果的には実現できませんでしたが、思い起こせば、彼はここ10年はほとんど外出もせず、病院へ行くとき以外は、いつも家の中で奥さんやお母さんと3人で生活していました。寂しく、また人恋しい日々を送っていたのでしょう。
元気なときは全く感じなかったことですが、私が頚損になり、日々家の中で妻と過ごす状態になって初めて、彼が病室で言ったことが理解できました。
私もけがをして入院をしたときは、友人や親戚の人たちが入れ替わり立ち替わり来てくれていました。在宅になってからも、初めのうちは時々話し相手に来てくれていたのですが、今ではほとんど来なくなりました。友人も皆、家庭を持ち、仕事もあるので、まず仕方ないことですが、だんだんと寂しく、人恋しくなるこのごろです。
こちらから行けばいいのでしょうが、まず車椅子では、ほとんどの友人の家の訪問は無理です。できるだけ福祉センターや障害者の会合には出るようにして、人との付き合いはしているのですが、やはり十分といえるほどの満足感はありません。それに妻とはいえ、度々外出に連れていってもらうと、体調の悪いときや、あまり気の乗らない外出などでは、よい顔をしないときがあります。
妻にしては普通にしているつもりでいるのだと思いますが、何となく雰囲気で分かるのです。また普段介護してもらっているときに、何気なくですが、辛そうにするときがあります。だから何かを頼むときなど、気を使うときがあります。
最近よく市のボランティアセンターに顔を出すのですが、そのときいつも介助ボランティアを探してほしいと依頼します。返ってくる返事は「もし運転などで介助しているときにトラブルがあれば、責任がとれないからできない」ということです。
私はボランティア保険もあるし、本人も納得してお願いするのでいいじゃないか、というのですが、分かってもらえません。悔しいです。
人間、元気で普段何もないときは、何も思わないし、またそれが普通なんでしょう。ところが、いざ身障者になってみると、改めて人間の普段の目線の位置に気づき、そして身障者の思いを理解し、いままでの気にもとめなかったことに気づくのです。
ボランティアをしている人でも、本人はボランティアをしているつもりらしいのですが、されている側から見ると、いかにもしてあげていると言うように、お仕着せで、ありがた迷惑と感じるときがあります。ボランティアをしている人が皆そうではないのですが。
結局、身内か家族に身障者が居ないと、なかなかその気持ちを理解できないのでしょうか。まだ日本はあまりにもボランティア後進国なのでしょうか。
「はがき通信」の仲間にも、たくさんボランティアに頼って生活されている人もおられると思いますが、そのときの気苦労がご察し出来ます。
古い友人が亡くなり、また友人と同じような境遇になった今、考え、また思うことをだらだらと書きました。つまらない文章で失礼します。お許しください。
奈良県 : MA nijyosan@pop16.odn.ne.jp



不安な日々

49才、1995年に交通事故で頸髄損傷C2.3・脊髄損傷・不全四肢麻痺

こんにちは。毎回のように「はがき通信」を送っていただき、様々な情報を読ましていただいている事に対して、この場をお借りしてお礼を申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。

私と「はがき通信」のお付き合いの始まりは、1996年6月に病院を退院して何ヶ月かたった時の事です。病院で一緒だった宮崎県の福田孝一さんの紹介で知りました。それ以来3年以上のお付き合いをさせて頂いています。
今までにいろんな方のお話を読ませていただいて、大変参考になる事が沢山ありました。また、文章を読んでいる内にいつのまにか自分もがんばろうと励まされる事もしばしばあります。
このように、スタッフの方や「はがき通信」の皆様のお便りで、これからも頑張ろうと思った矢先のことです。

今回の介護保険の導入で、皆さまに何か影響が出ているかどうか、お尋ねしたくて、今回ペンを取りました。実は私は先月までは、障害者に対しては影響がないと思っていました。
現に私がいつもお世話になっている専門職のスタッフの方にお聞きしても、「今回はお年寄りが対象になっているから、障害者のあなたには影響ないと思う」と伺っていましたから、安心していました。3月に入ってから役場の方から、今年の四月に介護保険が導入されても、障害者の方は介護保険の対象にならないと言われました。
私が退院したときには、まだ私の住んでいる町内にはデイサービスが無かったので隣町のデイサービスを紹介してもらい、現在まで利用させてもらっています。それが昨年、地元の町にもデイサービスが出来ました。その時にも地元のデイサービスに移りませんかと誘いがありましたが、その時はお断りしました。
やっと何年もかかって、現在利用しているデイサービスにも慣れ、スタッフの方々にいつも親切にしていただき、とても仲良くさせてもらい、デイサービスに行く日が楽しみになっていたところです。
ここまで慣れたのも、このわがままな私に気長に接してくださったスタッフの方々のおかげだと思います。
このように、生活の一部とまでなったデイサービスを、また他の施設で始めるとなると、精神的にもつかどうか、私自身心配です。しかし「甘ったれるな」とお叱りになる方もいるかと思います。
先ほどもお話したように、前回はデイサービスを移る話はお断りできたのですが、今回はどうなるか分からずに、不安な日々を過ごしているのです。
ここ一週間以内には、役場の方とお話する機会があるので、結果はその時に出ると思うのです。皆さまにも、今回の介護保険導入に関して、何らかの影響は出ているのでしょうか? もし皆さまのところにも影響がありましたら、ぜひ教えて頂きたいと思います。
また、どなたか介護保険の導入に当たって、障害者にはこのような影響があると言う情報がありましたら教えてください。よろしくお願いいたします。
よろしかったら、私のメールに直接に送ってくださっても構いません。
パソコンは自信が無いのですが、リハビリの一環として始めました。皆さま、よろしければ私のホームページにお立ち寄りください。お待ちしております。
「はがき通信」の皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。



ひっくりかえった

進行性筋萎縮症

今朝、後ろにひっくりかえった。この恐怖は常にあるが、実際には年に数回のこともあるし、月に数回のこともある。この時に、急に自信を失ってしまう。予測できないが、疲れていると起こる確率が高い。
多くの障害者が、昼間は1人でいる。倒れたまま、誰かの来るのを待っていることになる。
携帯電話の普及で、かなり、この危険をカバーできるようになった。以前、倒れたまま、寒さに長時間耐えたり、倒れた側の体がしびれたりした。
故今岡君は、リフトに逆さにつり下がったまま、ヘルパーの出勤時間まで耐えていたと。ここらへんの話は、スリルと笑い話が交じり合うので、障害者仲間の最高に受ける話である。
結局、ちょっと失敗して倒れたり、ひっくりかえったり、ヤケドしたりと、危険の可能性は、極めて高いのであるが、それでも、施設生活よりは自由だという一点において、自宅での生活を選択しているのではないだろうか?
電動車イスで川に落ちたとき、ぬれたケータイは役に立たなかった。エスカレーターで転倒したときも恐かった。結局、死ぬ時は、死ぬのであろう。
その時は、さぞかし苦しいであろう。中途半端で、お岩さんになる確立も高い。熟年者の多くが、ヤケドをしている。ヤケドに一番注意している。中途半端になりたくないという、高慢で贅沢な希望はあるが。結果は神のみぞ知る。
東京都 : MK AAV16375@biglobe.ne.jp



使えるのは何でも

こんばんは。私も1人でいる時間が長いです。(1日4時間の公的サービス利用)。1人で居るときは、ベット上で居るようにしていますが、それでも急に人に来て欲しいときがあります。
これはあくまでも連絡ができるということですが、私は簡単なことであれば、ピザ、ケンタッキーの宅配を頼みます。
一度、銀行に電話をして営業の人に来てもらったこともありました。使えるのは何でも使いましょう。


清水哲さんの紹介


昭和41年4月9日生まれ。私立PL学園高等学校、高校時代にPL学園高校の現巨人軍の桑田真澄選手、清原和博選手と共に、第56回選抜高校野球大会 準優勝、日本高校野球選抜 日韓親善試合の韓国遠征メンバーとなる。
同志社大学一回生の秋、昭和60年9月22日、関西学生リーグの公式戦、対近畿大学との試合中に2塁へヘッドスライディングを試みた時に、相手のショートと激突して首の骨を折る。第4・5頸椎脱臼骨折。
その後、近畿大学付属病院救命救急センターで手術が行われ命を取り留める。9ヶ月後、リハビリの為に星ヶ丘厚生年金病院へ転院。1年2ヶ月後、不治の為、自宅療養。
8年後、父親が脳梗塞で倒れ、それまで世話をしてくれていた母親が父親の看病をする事になり、本人の世話をしてくれる人がいない為、病院を転々としながら独り暮らしの準備を進める。
現在、枚方市の社会資源だけで独り暮らしをている。口にくわえたスティックでパソコンを使い、9年かけて書き上げた著書『桑田よ 清原よ 生きる勇気をありがとう』(ゴマ書房)がベストセラーとなる。現在、出版、講演、CD発売などの活動をしている。

情報堤供:清家一雄@WORKING QUADS



強酸性水製造機の値段


初めて「はがき通信」の懇親会に参加させていただき、皆さんからたくさんの元気をわけてもらいました。また、いろんな方とお会いでき大変実り多いものになりました。
四肢麻痺になって初めての旅行でしたが、とても楽しいものになり自信がつきました。次は海外へ行ってみようと話しています。
発表会の直後に質問された際、私の答えはかなり違っていたようです。訪問看護婦さんに強酸性水を作る装置のことを聞きましたら、「イオン分解するだけでなので、電源と電極からできている簡単な装置で4、5万円程度ではなかろうか。高くても10万はしないだろう」と言われました。
実は、以前、母が民間療法で、アルカリイオン水を飲むと体によいと聞いてきて、その時のアルカリイオン水製造機が30〜40万円もすると聞きましたので、これと同じだと思っていました。ちなみに看護ステーションでは強酸性水を作るときに同時にできるアルカリイオン水は捨てているそうです。急に寒くなりましたのでご自愛のほどお祈りします。

福岡県 : MI HDA03062@niftyserve.or.jp
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