「週間・医学界新聞2361号」から転載
松井 和子(浜松医科大学医学部臨床看護学) 【相次ぐ器械呼吸使用者の事故死】筆者が、人工呼吸器で救命され、長期器械呼吸依存者となった人びとの相談を受けるようになってすでに10年近く経過する。多くは入院中の病院から退院を勧告されたが、転院先の病院が見つからない、どうしたら良いかとの相談である。筆者が相談を受ける対象は交通事故やスポーツ事故などで受傷した呼吸筋麻痺レベルの頸髄損傷である。これまで家族や医療関係者から直接相談を受け、継続的な係わりを持った25例中、明らかに器械呼吸の事故死と推測される死亡報告は5例ある。いずれもベンチレータのアラームが鳴っていたのに、迅速な対応が取れずに急性呼吸不全から死亡した例である。同じような事故の反復という印象が強い。【頻発する器械呼吸のトラブル】このような死亡事故に至らぬまでも器械呼吸、とくに気管切開による長期器械呼吸依存者の呼吸トラブルは日常茶飯事といってよいほど頻発している。例えば、ベンチレータの回路が気管切開部から外れる事故や吸引中ベンチレータのアラームを解除し、吸引後、アラームをオンにし忘れる事故などである。それは入院中でも在宅でも頻発する事故である。さらに気管カニューレの周囲に痰が付着して窒息状態になったり呼吸回路に孔があいたり、吸引後、回路を気管切開部に接続し忘れる事故も発生している。昨年夏、自宅退院したAさんも在宅2ヶ月で3回も器械呼吸のトラブルを体験し、呼吸困難の恐怖にすっかりおびえきっていた。入院中の病院が在宅化プロジェクトチームを編成し、器械呼吸の安全性には充分配慮された自宅退院の例である。しかし在宅では呼吸回路の損傷、さらに痰の詰まりや回路の付け忘れなど初歩的な人為ミスから、「とても苦しくて、怖くて、もう本当に死ぬかと思う」ほどの恐怖を体験し、非常に消極的になっていた。 【当事者不在の医療】Aさんは気管カニューレのカフのエアを抜くことで声を出して話ができる。Aさんによると、 器械呼吸に依存した状況やその恐怖感、さらに人工呼吸器の保守管理など当事者である自分を抜きに決定されてしまうことに対する無力感が非常に大きいという。「本人や家族が同席していても人工呼吸器の販売業者は医師を対象に説明しているにすぎず、本人や家族に質問の機会を与えようとしなかった。患者はあたかも判断能力がないと思っているかのようだ。とくに頸髄損傷のような重度の身体障害者は自己決定能力がなく、決定権もないと言わんばかりだ。人工呼吸器のユーザは使用する患者であるはずなのに、ユーザの意見や要望が全く取り入れられていない。一般の製品では考えられないことだ。人工呼吸器依存者にとって呼吸器は生命維持装置、しかし呼吸数や換気量の設定や確認は人間の目で確認しなければならない。回路の接続もすぐに外れたり、回路に孔があいたりする。これではいつ事故に遭っても不思議ではない」と語気を強めて事故の不安を訴えた。 筆者が10年近く頸髄損傷の器械呼吸依存者と 係わっていて初めて聴いた当事者の訴えである。 Aさんのように気管切開で明瞭に話せる頸髄損傷者は日本では極めて稀である。多くは訴えたくても声を出せず、Aさんのように長く話せな い状態にある。 【先進国の安全対策】上記のようなトラブルは先進諸外国ではあまり見られない。筆者が調査したカナダやデンマークでは現在、そのような事故、特に器械呼吸による事故死は皆無と強調された。実際、バンクーバ市内でポータブルのベンチレータを携帯した電動車椅子でポリオの女性と介助者なしで散歩をしたこともあったし、会議で数時間同席したこともあった。その人たちに器械呼吸に対する不安や恐怖について尋ねても全くなしと回答された。彼らにも器械呼吸のトラブルが皆無ではない。しかし万一事故が発生しても、自力で対処できる自信があり、かつ地域に器械呼吸の安全管理がシステム化されているからだという。その安全管理は日本と比べると、以下の3点で顕著な差異を示す。
【事故予防のためにどのような対策を講じるべきか】本稿ではわが国、とくに在宅で頻発する器械呼吸の事故とその要因、および可能な予防対策について先進国の安全対策と比較考察した結果を述べた。多くは、装置がアラームで警告していたのに迅速かつ適切に対応できずに死亡に至ったと、日本の場合、その原因を追究すると、介護者の管理ミス、結果的に家族に責任を転嫁することになりかねない。家族を追いつめることは避けたいと事故原因は追究されず、結局うやむやに片付けられてしまうのだと、器械呼吸使用者を多く組織した難病患者団体の責任者から個人的に聞いたことがある。筆者が体験した5例の事故死も同様な懸念を示す。しかし、在宅器械呼吸の安全管理に自信を示す先進国と比較すると、事故予防の余地は多くある。その1つは、器械呼吸使用者をユーザとして活用すること、2つはユーザが器械呼吸を安全管理できるように、短時間でも自力で呼吸できる離脱訓練、発声と長く話せる訓練、さらに移動障害のあるユーザの場合は自力移動の訓練とポータブルの人工呼吸器が携帯可能な電動車椅子の使用を可能にするリハビリテーションの実施である。さらにもう1つ、重要な対策は全国レベル、あるいは自治体レベルの公的な安全管理システムの導入である。 地域の器械呼吸使用者がどのように生活しているか、その生活の質をどのように評価しているかは、その国のヘルスケアシステムを評価する重要な指標になるとして、企画実施されたのが「デンマークの在宅器械呼吸に関する調査報告」である。その結果、デンマーク国内の地域器械呼吸使用者120人中110人が調査対象者となり、うち80人は重度の障害を持ち、器械呼吸に依存しながらの生活が良好と評価され、あまり良くないが19人、プアーライフが1人だったという要約である3)。日本で同様な調査を実施したらどのような結果が得られるであろうか。 2) A.I.Goldberg: Home Care for Life-Supported Persons- Is a National Approach the Answer?, Chest, 90(5),744-748, 1986 A.I.Goldberg: Home Care for Life-Supported Persons in England The Responaut Program, Chest, 86(6),910-914,1984 3) H.S.Kristensen, T.A.Nielsen and G.Nyholm : Report on Domicilliary Mechanical Ventilation in Denmark,25, Muskelsvindfonden 1995 先生のバークレーでの本は読みましたが、正直言って人ごとの様に読みました。僕も損傷部によっては人工呼吸器が必要な状態に成っていたはずです。 頸髄損傷者の一人として、人ごとで済ませてはいけないと自分に言い聞かせました。 浜松でお会いした時のお二人の人工呼吸器をつけた状態を見た時も単純に「あの様に外出できるんだ」と、死と背中合わせで行動しているとは知る由もありませんでした。先生がおられたので万全だったと思いますが。 延岡でも看護婦さんから聞いた限りでは、在宅の人工呼吸器生活をサポートしてくれる体制はできていないと聞いてはいます。 頸損で延岡の病院に人工呼吸器をつけた患者さんが入院されていることは耳にしていました。 聞いた時は「在宅は無理なんだ」と聞き流しました。 今回読まさせてもらって、本人が在宅を望めば、その方向に専門のスタッフが取り組むのは当然なんだと強く感じました。 当事者の人間として生きる尊厳を守ることの大切さを考えさせられました。僕が13年前退院するときでさえ、ドクター、理学療法士、ケースワーカーの人たちで十分検討して在宅に移ることができました。その後は行政とホームヘルパー派遣回数で、もめたこともありました。ボランティアで補うことで在宅が始まり現在に至っています。 この事を考えても人工呼吸器使用により、本当の自分の気持ちを伝えられない状況は本人にとってとても辛いことだろうと重く僕にも感じられました。 今後、行政も含めて外国に劣らない体制になってもらいたいと強く願います。
宮崎県 : KF fukuda@miyazaki-nw.or.jp
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