は が き 通 信 | No.59 - Page. 1 . 2 . 3 . 4 . 5 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1999. 9. 25 |
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(C4 完全四肢麻痺 52歳 頸損歴9年)
「はがき通信」57号で次のような投稿の表示形式を提案した男です。「投稿文の始めの部分を使って、障害の程度、残存機能、年齢などを2行ほどで書いていただきたい」 7月下旬に楽しみに待っていた58号が郵送されてきました。佐賀県のNさん、北九州市のHさん、宮崎県のFさん、ご理解とご協力ありがとうございました。実をもうしますと、「そんなことは自分で調べろよ!文章の出だしにいちいち自己紹介なんて書いていられないよ」と無視されるのが落ちだろうと思っていました。
横浜市 : KM
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(33歳、男、受傷8年、C5・6完全マヒ、平地でなんとか車椅子がこげるレベル)
はじめまして。北九州のSと申します。以前から「はがき通信」を購読させていただいておりましたが、投稿するタイミングを逸していました。今度、「はがき通信」の「懇親会 in 広島」に参加させていただくことになり、ご挨拶をしておこうと思ったしだいです。 その後、飯塚のせき損センターでの入院生活を終え、幸運にも大学に復学することができました。車椅子での大学生活は苦労も多かったのですが、仲間や家族、大学側の協力により無事に卒業することができ、同時に国家試験を経て、歯科医の免許を得ました。 しかし、これは一つの区切りに過ぎず、むしろそこからがはじまりだったと思っています。さまざまな体験を通して社会生活の厳しさや楽しみ方を味わい、現在は大学院(3回生)で勉強しつつ、自立生活を模索する毎日です。 今後の生き方は健常者の後追いをせず、固定観念の殻をいかに破っていけるかということにかかっていると感じています。 初投稿で話がかたくなりましたが、実物は体育会系酒飲み野郎です。今後ともどうぞよろしくお願いします。
福岡県 : JS j-shima@kyu-dent.ac.jp
![]() ![]() ![]() 親きょうだいと離れた自分の家で1ヶ月生きられたなら、重度障害者として自活・自立することは可能だし、すでに私より若くて、もっと重度の知人が自立を実践しています。 3月に肺炎で入院しましたが、12日間で退院でき、その後は体調も悪くないので、この春から夏にかけてを、自立への取り組みを再開する契機にしたいと考えました。 考えたものの、実際に動き始めるにはどこから手を着けてよいのか迷いながら、「岡山自立生活応援センター」などの助力を得て、1ヶ月間に必要な介助の人を5月末までに決めることができました。 これまでは金・土・日の毎週末2泊という「3分の1自立」でしたが、6月4日から、初めてひと月つづけての長期外泊を始めました。7月4日にようやくこれが終わったばかりの今、まだ反省や総括をするゆとりはありません。ほっとするのと同時に、これまでにない疲れも覚えています。ともあれ、今の時点で、思い浮かぶことをいくつか挙げてみます.
さて、これからどうするのかと、何人かの人にも尋ねられました。
岡山市 : HH
![]() ![]() 「はがき通信」を読ませていただきき、皆様の前向きな姿勢に息子ともどもがんばらなければと思います。 4月に呼吸器の調子が悪くなり、息子も初期肺炎で入院しました。今はすっかり良くなり妹の子供をデジタルカメラで撮ってカレンダーを作ったりしています。 インターネットを引きたいと思っていましたが、ようやく高田にも12月頃にはISDN回線が引けるようになります。楽しみにしています。かしこ
福岡県 :HK
![]() ![]() でも、まだまだこれから親として、やらねばならないことは待っています。気を取り直して、長男ともども風を起こさなくてはと思います。 最後になりましたがハートフル熊本大会に聖火リレーと陸上の選手として出場することになりました。熊本の国体には水泳で出ることを夢見ていた長男にとって、また違う形で全国大会のキップを手に入れました。嬉しくもありまた何事も念ずれば花開く思いがいたしました。 私事ばかりになりました。これからますます暑い日が続きますが、どうぞ体調をこわされませんようにお暮らし下さいませ。これからもどうぞよろしくご指導下さい。
熊本県 : Y & A
![]() ![]() 「はがき通信」を読んで、皆さんのバイタリティあふれる行動力には、ただただ驚き感服するばかりです。 個人で原因・症状が違うので、一様ではないかと思いますが、もし起立性低血圧を克服された方がいらっしゃいましたら、その経験を教えていただけないでしょうか。 とても暑い夏になりました。皆様もお元気でこの夏を乗り切られますように。 かしこ
石川県 : TH
![]() ![]() 受傷後初めて病室へ見舞ってくれた当時8ヶ月の長男を見ながら、心の中でこんなことを考えていました。ですがそう思うのも当たり前のことです。昭和60年2月、交通事でC5・6の脱臼骨折により頸損となった私は、この年の8月がくるまで、脊髄損傷者の出産の話など聞いたこともなかったのですから。 私が初めて脊髄損傷者出産の話を聞いたのは主人の口からでした。朝のワイドショーを見てきた彼が話してくれたのです。その女性は脊損だったと思いますが、それでもそのニュースは私に大きな希望を持たせてくれました。 体調も安定し再び夏が巡ってきたころ、私は婦人科受診を希望しました。その時点での婦人科の先生のお話では「受精さえ成立すれば可能です。ただし出産は帝王切開になりますが」とのことでした。「帝王切開」については初めから覚悟の上! ただ心配だったのは、麻痺した母胎で果たして流産せずに胎児が成長できるのか? そして麻痺していることが胎児の成長に悪影響を与えないか? ということでした。もちろんこの件について質問をしました。答えは……どちちらも「大丈夫です」とのこと。この一言で私の決心は揺るがないものになりました。その日は基礎体温をつけるように言いわたされ診察は終了。それから毎日基礎体温をつけました。ですが急激な身体の変化は基礎体温にも現れ、以前のような奇麗な線を辿ってはくれません。結局その後の受診はせず退院となりました。 そして4年が過ぎた冬の日、何とかそれらしい基礎体温表を手に受診。「排卵もありますし、これなら妊娠が可能ですよ」のお墨付きをいただいて帰りました。ですが妊娠出産については当病院での前例ゼロ、先生の医師歴の中でも取り扱いゼロ、症例報告も少ない。まさに手探りです。お任せしたとはいえ、長男の妊娠出産とは状況は大きく異なり全てが未知の世界です。まさに“人生のアドベンチャーワールド”とも申しましょうか! 妊娠の兆候を認め受診した当日は入院中に診察を受けた先生とは違っていたことで、一抹の不安を感じたのは正直な気持ちです。ですが「不安」という意味では、これまで私を診ることのなかった先生も同じだったことでしょう。先生はご自分で文献を収集し、私にもたくさんの情報を提供して下さいました。それは不安を与えるのではなく、これから自分の身の上に起きるかもしれないことへの予備知識であり、異常を早く察知する上でも貴重なものでした。その一方で自律神経過反射によるアラームサインについて、少しでも相手に理解できる表現をすることの大切さも再確認しました。そして情報提供のコミュニケーションが、いつしか信頼関係も築いてくれました. 初診から出産を迎える日まで、実に多くの困難が待っていました。 事の始まりはやはり尿路感染でした。妊娠が確認された時点でバルンカテーテルにより排尿管理が始まったのですが、妊娠13週、17週、22週には腎孟腎炎、右水腎症を併発。25週には肺炎、さらに27週に4度めの腎孟腎炎。17週の時以外は1週間から10日間の入院治療。回診の先生から「ベッド、キープしとこーか?」と冗談を言われ、母には「この鞄(入院時の必需品の入った)このままにしちょいたがいーわ!」と言われる始末。でも反論できない! 4度めの入院中の平成3年1月17日.発熱により切迫早産の兆候が確認され産科病棟に転科となり、退院の日を迎える4月まで3ヶ月間の入院生活となりました。 入院中はカンジダ尿症、緑膿菌感染、褥創、貧血を合併し、発熱のたびに抗生剤の点滴、数値の上がらない貧血に対し3度の輸血も行いました。そして出産予定日を1週間後に控え「もうこれしかないからね」と言われながらグロブリン製剤の点滴も受けました。抗生剤のフルコースとはまさにこのことでしょうか!? さすがにこの時点で心身ともに疲れた私は「疲れました」と婦長さんに弱音をポロリ……。それを静かに聞きながらゆっくり励まして下さった時のことは今も忘れません。 そして平成3年4月2日。5時間の分娩所要時間を要し普通分娩で長女を出産しました。1度出産経験があること、産道の作りが良いことで、数回の診察で経膣分娩でいけるとのことでした。それでも何が起こるか分かりません。その日は手術室も確保されていましたし、前日から分娩室には普段置くことのない機材がICUから運び込まれていました。 麻痺により陣痛が分からないため、それが引き起こす自律神経過反射に対する対策として硬膜外チューブも3月に挿入されていました。それでも当日は若干の処置のずれで、子宮口全開時には一時、血圧200/120にまで上がりました。その時の胸部の圧迫感と呼吸困難はこれまでに経験のないものでしたが、処置によりそれらの症状が薄らぐなか、長女の元気な産声を耳にしました。 こうした悪戦苦闘のすえ生まれた長女も、はや小学2年生。妊娠から出産、そして今なお途上にある子育て、その全てにおいて主人や母、そしてお兄ちやんになった長男とすでに他界した父、家族の支えなしでは不可能でしたし、今もそうした現状に変わりはありません。ですが事の初めに、手探りながらも暖かく大きなカで無事に出産へと導いて下さった主治医の先生や病棟のスタッフのみなさんには、感謝の言葉もないほどです。 障害を共にした瞬間から当たり前のことが当たり前でなくなる。女性にとって妊娠出産もその1つです。ですが受精に関しては男性の存在なくして成立は不可能。立場を逆にしてみると男性も決して無関係ではありませんし、受精にだけ関して言えば男性のほうがより難しい問題とも言えます。 国立身体障害者リハビリセンター病院による24名33件を対象とする脊髄損傷者の妊娠出産状況の報告では、初診の段階で中絶を勧められたケースも数例報告されています。確かに脊損・頸損者の妊娠出産は一般の場合と比べ、多くの問題を抱えています。ですが双方の協力と適切な指導・管理・処置によって無事出産を迎えることが可能だと、私は思っていますし、そうした認識が一般的となるためにも1つでも多くの症例が報告され、それに関わる情報が提供されるべきだと思います。当たり前が当たり前でなくなる。でももう一度それを可能としていく。それは私たち障害を共にする者にとって笑顔の源であり、生きていく上で大きな自信になるはず。 日常生活のどれをとっても満足にこなせない私ですが、長女を出産したことは私の唯一の自慢です。
島根県 : AT
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