No.199 2022/3/25
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 3分間の絶景 

 私が幼いころから慣れ親しんできた光景の一つに、千光寺(広島県尾道市)の風景とロープウェイがあります。思い返すと、幼稚園から帰る坂道で、ロープウェイが宙ぶらりんで、じーっと停まって動かない風景をよく目にしたものです。今の時代ならその上をヘリコプターが飛んで大騒ぎになるか、テレビ中継などをされることでしょう。なんとものんびりとした時代でした。



 千光寺公園の展望台は尾道観光の定番とも言える観光スポットですが、実はこれまで階段しかなかったため、車いす利用者はせいぜい千光寺公園内の美術館に別ルートで行くくらいしかできませんでした。
 しかし、2020年から2022年3月まで行われた改修工事によってバリアフリー化されたということで(テレビニュースでご覧になった方も多いと思います)、大阪から来た友人と行ってみることにしました。
 あえて何も連絡せず、電動車いすの私と手動車いすの友人、介助者1名で訪れると、係員の方が自然に対応してくれたので驚きました。
 エレベーターで上がっていくと、ロープウェイ本体までは5段ほどの階段があり、車いす用の昇降機が設置されていました。私の電動車いすは190キロあり、私の体重を合わせると250㎏もの重さになります。昇降機はあまりの重さに止まりそうになりながらも、私をロープウェイの入り口まで運んでくれました。
 千光寺に向かって出発したときには、一瞬電動車いすごとフワリと宙に浮かび船が岸から離れるように、ゆっくりゆっくり登っていくうち、小学校時代に走って登った鐘撞堂が真上から見えて何とも不思議な気持ちになります。



 頂上まではわずか3分間。ロープウェイを降りるとまた階段があり、昇降機が待っていてくれて出口まで運んでくれます。目の前には展望台があり、またエレベーターに乗って絶景地点まで行くことができます。





 うん十年ぶりに展望台からの風景に会えて「あ、これか」と思いました。
 尾道水道を挟んで向島と、そのまた向こうの海までを見渡すことができます。今にも手が届きそうな尾道の古い町並みが周りの山々と調和して、まるで箱庭のようです。この風景を見ると、また来たいなと皆さん思われるに違いない尾道の良さを再認識することができました。
 どうぞ、みなさん、一度千光寺山ロープウェイに乗ってみてください。ちなみに、土日は混んでいるので平日に利用したほうがいいと思います。

広島県:M.K.

 上虚下実 

(60代、男性、受傷後20年+、C5/6)

 「身体は上虚下実が良い状態」と教えてくれたのは訪問の鍼灸師(しんきゅうし)だった。
 全身どこにも汗をかけない私は、いつも赤い顔をしている。火照った顔を冷やすために霧吹きは欠かせない。その一方で足は、いつも冷たい。この状態を鍼灸師は「上実下虚」と呼んだ。足の気が頭に上がっている、良くない状態らしい。
 鍼灸師は、全身に鍼と灸を施し、数十分後に「整いました」の言葉と共に施術を終える。途中で私が眠ることもよくあった。結果的に頭が涼しくなったことも、足の温もりを知覚できたこともない。「上虚下実」なのかはわからない。ただ首と肩のコリは軽減していた。
 足の冷えはシャワーの後に甚だしい。浴室のシャワーキャリーの上で排便とシャワー浴を済ませてベッドに戻ると、膝下が氷のように冷たくなっているらしい。真夏でも電気毛布を使って下半身を温めなければならない。この養生を「頭寒足熱」という。この言葉を教えてくれたのは救急病院の担当看護師だった。2002年7月、暑い時期だった。
 身体の使い方に関する書籍の一つに、“腹圧を高めるときに、どうしても歯を食いしばって力んでしまうという場合は、口を軽く開いたままで練習してみてください。首や肩の力みがとれて、下腹部へ意識を向けやすくなるはずです”、“肛門は締め、口は開くと覚えてください”とあった。同様の指摘として、中国武術に関するブログの一つは「上籔下欽」という言葉を用いていた。
 貝原益軒の『養生訓』には、“気を和平にし、あらくすべからず。しづかにしてみだりにうごかすべからず。ゆるやかにして急なるべからず。言語をすくなくして、気をうごかすべからず。つねに気を臍(へそ)の下におさめて、むねにのぼらしむべからず。是気を養なふ法なり”とある。佚斎樗山(いっさいちょざん)の『天狗藝術論』には、“先づ仰のけに寝て、肩を崩し、胸と肩とを左右へ開き、手足を心のままに伸べ、手を臍の辺り虚欠の所に置き、悠々として萬慮を忘れ、とやかく心を用いることなく、気の滞りを解き、気を引き下げ、指の先までも気の往(ゆき)わたるように、気を総身に充たしめ、禅家の数息観の如く、呼吸の息を数え居るに、初の内呼吸あらきものあり。漸くに呼吸平かになる時”とある。
 両者の教えは「気をへそまで引き下げる」という点で一致している。後者はさらに、肩の力を抜き、手足を楽にし、とやかく考えることをやめ、穏やかに息をする、という方法まで示している。
 理学療法士にストレッチをしてもらう時は、ガッツリしてくれるように頼んできた。正しいストレッチの在り方は関係ない。昭和生まれのおっさんは、ガッツリとやってもらわないと物足りないのである。もちろん、痛みやコリを自覚できる肩周りをやってもらう時には「脱力」と念じながらリラックスすることに努めてきた。妻が顔や首のリンパを流すために顔のマッサージをしてくれる時には、口を開けて顔がリラックスするようにしている。所謂アホ面(づら)である。古典の教えを知る前に自然と体得していたようである。
 リラックスの心得のあるはずの私が苦労するのが、血圧測定時と就寝時である。
 血圧測定に備えて、肩の力を抜き、手足を楽にし、とやかく考えることをやめ、穏やかに息をしていても、カフが上腕を締め始めると全身が緊張してしまう。ただし、カフが緩めば緊張も解ける。
 就寝時は消灯と同時に、とやかく考え事をしてしまう。四肢麻痺の身で生きていく令和のことではない。受傷をして苦労と工夫を重ねてきた平成のこと、そして障害とは関係なく生きていた昭和のことである。後悔も懺悔(ざんげ)も無駄と知りながら思い出してしまう。頭の中を虚ろにすることが何よりも難しい。

 *** 


 正月のお笑い番組で「ハンチングにメガネの小太りのおっさん」のネタで笑った。
 ハンチングをかぶる中年男性が増えたことは、我が家でも少し前から話題にしていた。かくいう私が2年まえからハンチングの愛用者である。夏は麻の風合いのブラウン系、冬はグレー系のウールと使い分けている。私がハンチングを使うようになった理由は、私のデカ頭に乗せられるキャップを見つけられなかったからだ。自分が愛用しだしてから、ハンチングをかぶる中年男性が増えていることに気づいた。
 私が幼い頃に熱中した『タイガーマスク』の伊達直人も、『あしたのジョー』の矢吹丈もハンチングをかぶっていた。日本全国の昭和生まれのおっさんの潜在意識にハンチングへの憧れがあったとしても不思議ではない。
 一方、食料品を売る店員の制服にはキャスケットが多いことにも気づいた。細かいことを言えば、矢吹丈がかぶっていたのはキャスケットである。
 ハンチングであれキャップであれ、私には頭の上に乗せるものが必要である。
 「上虚」を目指している私ではあるが、頭の中はまだ虚ろになれない。虚ろなのは頭の上なのだよ。

福岡県:DRY

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