No.197 2022/11/25
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 尿道の痛みについて 

 私は頸損になって、28年です。C7で、手動車いす利用、52歳、無職です。
 ある程度自分のことは自分でできますが、家事や入浴等、ヘルパーさんや近くに住む叔母に頼って生活しています。また春に褥瘡の手術を受けて、まだ治りきっていません。
 同居家族は夫63歳、頸損C6、無職です。

 私が今一番困っていることは、長年自己導尿と留置カテーテルで傷つけてしまった尿道が治らないことです。自分できちんと記録を取っていた訳ではないのでうろ覚えなのですが、当初は尿道全体が痛かったと思います。
 3年前に膀胱瘻(ろう)にしました。その後数か月は、抗生剤と痛み止めを飲んで過ごしましたが、患部から出血するようになったので、セルフカテーテルにゲンタシン軟膏とワセリンを導尿の要領で患部に塗るという方法を併用することにしました。(カテーテルに軟膏を塗るという方法は私の発案です)それでいくらか改善しました。
 でも、それで現状維持のままです。悪化はしないけど、完治しません。薬を飲むのを止めたり導尿を止めたりすると、また痛みが増すのです。
 ただ、当初よりは幾分痛む箇所が減ってきている気がするので、導尿の回数を減らすことが可能なのかなと考えたりしています。まだまだ時間がかかりそうです。
 私の身体の感覚は、基本的には胸から下がありません。尿道の場合は、入口の表面を指で触っても感覚はありませんが、カテーテルを挿入すると痛みを感じます。
 カテーテルを留置していた頃は、留置しているという感覚はありませんでしたが、尿道を痛めてから痛みを感じるようになり、さらに何故か左足がしびれてきて、薬を飲んだり軟膏をカテーテルで塗るとそのしびれが収まりました。痛みを100パーセント感じている訳ではないと思います。
 もしも同じように悩んでいる方がいらっしゃったら、お話を聞いてみたいと思いまして投稿しました。
 よろしくお願いします。

福島県:ことぶきのこ

post_card_comm_14520@yahoo.co.jp

 まさか?!の褥瘡 

 両足・座骨の褥瘡が完治してから約4年。座り過ぎの圧迫やズレ圧で、たまに小さな亀裂や皮膚剥離ができたり治ったりの繰り返し。それらの保護も兼ね、弱くなった完治後の患部に創傷被覆材を貼っていました。
 経過観察のため、2、3ヶ月に1度皮膚科受診。いつも良好と診断され、もうそろそろ受診もいいかなと医師と話した2週間後の6月21日、失禁等のために充てているパットが原因不明の浸出液で汚れていました。まさか?と治った褥瘡を見ても何の傷もなく、様子をみることにしました。
 翌日、昨日より浸出液の量が増え、念のためにと皮膚科受診。医師もどこからだろうと首をかしげていましたが、小さな治った切り傷のようなところをつつくと、5cmのポケットができていました。医師と看護師さんと一緒に、思わず驚きの大合唱。
 そういえば先週原因不明の熱と、この数ヶ月側臥位になると汗に悩まされていました。静かに、表面から見えないところへできていたようです。
 年齢を重ねるごとに、お尻や座骨部の肉は減ると聞いていたので、褥瘡ポケットが治るのか?と不安がよぎりました。
 手術、入院と言われましたが、7月9日、待ちに待った3年ぶりの山下達郎コンサートがあるので手術はしたくないとか、コロナ禍で面会も付き添いも不可の中で、入院はしたくないとか言いたい放題。いつもわがままな患者です(笑)。

 いくら、完全看護で看護師さんがしっかり支えますと言われても、頸髄損傷の介助はそんなに簡単なものではない。着替え、体位交換、排泄摘便も看護師さんにとっては手慣れたものかもしれないけれど、頸髄損傷者にとって着替え、体位交換を普通の人と同じようにされると体中を痛め大変なことになる。
 痙性の理解がない看護師さんも多く、あわてて押さえつけられ息が止まりそうになることがある。摘便も頸髄損傷者はそう簡単ではなく、排便がスムーズにいかない。
 膀胱瘻からの尿もれのガーゼ交換時、カテーテルを決まった位置へ動かないようにビニールテープで固定が必要。痒い、痛い所に手が届かない。体温調節ができないので……とか、その旨を一生懸命伝えました。
 医師が「ほんとうにわがままなんだから。」とにっこり。結局、1泊2日入院で手術を受けることになりました。手術法は、治療がしやすいようにポケットを十文字に切り開く。陰圧療法も薦められましたが、あまりいい情報を聞かないのでしませんでした。手術翌日、傷の血管が破れ出血、縫合となり、入院は2泊3日となりました。
 医師が私の思いを伝えてくださったようで、入院中、看護師さんがこまめに声をかけてくださったり、私の意向をしっかり聞いてくださって不安はありませんでした。手術のためか尿もれがひどく困りましたが、病棟に排尿ケアチームがあり、いろいろと案をくださってとても嬉しかったです。

 28日手術、経過良好で30日退院。通院で抜糸、訪問看護、夫の協力で順調な回復(薬はフィブラスト・プロスタンディン・カデックス)。山下達郎コンサートも、許可が下り行くことができました。
 コンサートという目標と、良い時間が過ごせたのも順調な回復のひとつなのかな。わがままな患者は、栄養には気を付けるも、いつもより除圧に気をつけながら相変わらず座位生活の日々。それにもかかわらず、ひどい尿もれが続くなか褥瘡の治りは順調で、手術から3ヶ月が経ちましたが上皮化し、傷口もとても小さくなり尿もれも治まりました。
 医師も驚く回復だそうで、早い完治を願うばかり。このたびのように、表面からは何も見えなくても奥に褥瘡ができるということを知りました。発熱、頭痛、汗など過反射が続くようになったときには、褥瘡も視野に入れようと思います。

広島県:M.K.

 最近の鎮痛対策 

(1987年C5損傷、73歳)

 受傷して半年ほどわたしは毎日震えつづけていた。あまりにも歯がガチガチ震えるので、奥歯をかみしめていた。そうしないと舌をかみそうだった。
 震えが止まると今度は痛みが襲ってきた。痛みを形容するのは難しいが、痺れ痛といったところか。痛みは背中全体、特に左の肩甲骨周辺が痛い。ものに当たっていると突き刺すように痛い。
 なんとかして痛みを軽減したい。昔の車椅子は単純なもので、背もたれはシート1枚でできていた。ハイバックのシートの肩甲骨付近をたて20cmぐらいの幅で横長に切り取った。だいぶ楽になった。現在の車椅子のクッションは2重のウレタンになっているので、背中に当たる側のクッションを肩甲骨に沿って切り抜いた。やらないよりはまし。
 頸損痛に関してはさまざまな対策をとってきたが、ここでは主に薬について述べたい。
 テレビCMで武田鉄矢が「神経障害性疼痛にはリリカ」と言ったときには、ついに求めていた薬が出たと思った。すぐ主治医(内科医)に電話して出してくれるよう頼んだ。しばらく飲んだが効かない。いまではタリージェに移行した。飲んではダメ、飲んではダメのくりかえしだ。

 そんななかで2つ、毛色の変わった薬体験について述べたい。1つは漢方薬、もう1つは抗うつ剤。

 ◇漢方薬

 2021年9月、72歳、ヘルパーに教わって新宿のオペラシティーに漢方医を訪ねた。漢方は初めて。これは効いた。それまでどんな西洋薬も効かなかった頸損痛にこの漢方は効いた。その場でついでに腹に負った火傷も診てもらった。紫雲膏(シウンコウ)という塗り薬が出た。主治医は「火傷はタンパク変性だからつける薬はない」とにべもなく、皮膚科の専門医が出してくれた薬もいっこうに効かなかった。だが、これは効いた。紫雲膏は、わたしの漢方医に対する信頼を深めることになった。

 そのとき出た薬は以下のごとし。
 桂枝茯苓丸(ケイシブクリュウガン、関節・神経痛を和らげる、エキス顆粒、夕食前)
 四物湯(シモツトウ、疲労回復、血液循環をよくする、朝食前)
 麻黄附子細辛湯(マオウブシサイシントウ、方剤、朝夕食前)先生曰くトリカブトも入っているから40分以上煮るように。さじ加減というのはこのこと。家内が出勤前にこれをするのは大変だった。  これらを飲むと体が温まり、この冬は暖房がいらないほどだった。体温は6度前後だったものが7度前後に。室温が20℃より下がるとほかのひとが気の毒でやむなく暖房をつけた。どうやらこの薬は血流をよくし、体温を上げることによって痛みを減じるという仕組のようだと感じた。
 漢方を飲みだしてから血糖値が高くなった。毎日インスリンの注射を打って下げているのにこれは困った。それも困ったが、血圧の上昇が最大の難点だった。それまで上110ぐらいだったのが150ぐらいになった。「血圧が高すぎるので降圧剤を飲みましょうかね」と主治医に言われた。漢方医にかかったことは言ってなかった。泣く泣く痛みより血圧を取った。今でも未練が残るが、高血圧は命に関わる。
 その後降圧剤は飲んでいない。でも現在150から200ある。耳鳴りがする。それなら、高血圧は漢方と関係なかったのかもしれない。悔いが残る。あのまま漢方を続けていれば……。起立性低血圧のことも考えなければならないし、頸損は大変。

 11月。上の例はれっきとした漢方医の話だが、これはあきれるほどインチキなやつ。あるひとが近所に行列のできるマッサージ屋がある、自分も行ったがとても気持ちがよかったというので呼んだ。照明を落とした部屋でわたしは仰臥位に寝たまま。何の資格を持っているのか、訊きたかったが訊けなかった。そのひとはわたしの背中に手を入れて、上から下までまさぐっていたが、終盤急に腹側に小さく切った色紙を貼りだした。これは訊かざるを得ない。問うと、色にはそれぞれ力があって、それを使おうとしているとのこと。1万円以上かかった。西洋医はいちおう医師の国家試験を通っているから安心。漢方医も同様だが、整体やマッサージなど紛らわしいのも偉そうに開業しているからご注意。

 ◇抗うつ剤

 12月。これもヘルパーからの情報。ここのペインクリニックは、膝が痛くてやっとこさ来院したおばあさんが、帰りには杖も使わずピンシャンして帰るという。ここなら効くかもしれないと、いつものワラづかみ。もらった薬を飲みはじめてすぐ意識がもうろうとしだした。3日後の夜、変調をきたし、危ないと見て取った家内が主治医に往診を請う。往診時の記憶はほとんどない。先生は「おくすり手帳」を見て、麻薬系の薬が出たのではないかと言ったそうだ。
 あらためて手帳をもとにネット情報「ハイパー薬事典」で調べてみた。《 》内は引用。

 出た薬は、アナフラニール錠10㎜(1日3錠)、トアラセット配合錠DSEP(1日3錠)、ミルタザピン錠15㎜(眠前1錠)、テトラミド錠10㎜(眠前1錠)。

 アナフラニールは抗うつ剤。《正式ではありませんが、痛みの神経をしずめる作用があるため、鎮痛補助薬として片頭痛や群発頭痛、神経痛などの治療に応用されることがあります。》
 トアラセット配合錠「DSEP」は、《2種類の有効成分からできている鎮痛薬です。第一の成分はトラマドール(トラマール)。オピオイドと呼ばれる特殊な鎮痛薬で、ふつうの鎮痛薬が効きにくい神経痛などによい効果を示すのが特徴です。麻薬系強オピオイドのモルヒネに比べ作用がおだやかで、便秘などの副作用も比較的少ないです。
 もう一つの配合成分は、昔からあるアニリン系解熱鎮痛薬のアセトアミノフェン。こちらは、痛みの神経に働きかけ、痛みに対する感受性を低下させて痛みをしずめます。必ずしも強力とはいえませんが、安全性が高く、各種の痛みに汎用される良薬です。処方薬としてはもちろん、一般薬(OTC)の多くにも採用されています。》
ミルタザピンは、抗うつ剤。
 テトラミドも、抗うつ剤。
 どうもトアラセットがクサイような気がする。過去の記憶が吹き飛んでしまった。1日のスケジュールは、ヘルパーが知っているからなんとかなる。あるヘルパーに聞くと「うつらうつらして、反応が弱かった」との答え。何の記憶もない。
 「自分の脳は三鷹以前・三鷹以後に分かれた」と看護師に訴えたことがある。答えは「海馬から消えた記憶を一つずつ取り戻していきましょう。一時的なものです」という優しいものだった。

 ◇今飲んでいる鎮痛剤

 現在毎日以下の薬を服用。
 ノイロビタン(ビタミンB、今まで口内炎の予防薬だと思っていた。)《ビタミン不足で生じる神経痛や筋肉痛、末梢神経炎(手足のしびれ)などに適応します。》
ミオナール(50㎜、筋緊張をほぐす、毎食後)
 ロキソニンとムコスタ(60㎜、鎮痛剤、ムコスタは胃薬、用法は頓服になっているが、わたしは眠前に用いる)
 タリージェ(5㎜、末梢神経痛、朝夕)
 マイスリー(5㎜、睡眠薬、眠前。鎮痛薬ではないが不眠症のわたしには不可欠)
 セルシン(2㎜、頓服、震え止めとして昔から愛用)

よく眠った朝は痛みが少ない。夜に向かって痛みは増してくる。痛いうちは眠れない。眠前には眠剤のほかにロキソニンが欠かせない。眠剤と鎮痛剤を飲んで1時間ほどすると痛みが和らいでくる。これで効かないときはセルシンを追加。《筋肉をほぐす作用があるので、緊張型頭痛や頸椎症、腰痛症、肩こり、けいれん性の病気などに応用されることも多い》とか。これでも眠れないときはタイコー。
 薬のほかに、なるべく痛くない態勢で睡眠に当たることが肝要と考える。わたしのばあい右側臥位が一番楽なので、睡眠時にそうなるように仰臥位・側臥位の順番を考えておく。何にしても簡単には眠れない。以上、バタンキューのひとには関係のないお話でした。

東京都:F川

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