No.195 2022/7/20
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 米麴甘酒と豆乳ヨーグルトで排便  

(40代、頸損12年、C4)

 これまでの「はがき通信」に寄せられた排便に関する投稿をいろいろ読んでいるうちに、自身の排便を皆さんの参考になればと思うようになりました。受傷も12年目に入ると記憶があやふやな部分も出てきて、多少の過去エピソードのまちがいはお許しください。
 急性期のころは、どういう排便の処置をされていたのかはっきりせず、レシカルボンという座薬を使っていたと思います。症状が落ち着き、慢性期の病院に入院した直後、すぐに浣腸液に変更になり、薬の変更って簡単なんだなと驚きました。同時に毎食ガスコンというお腹のガスを減らす薬と排便の前日にラキソ系も数滴飲んでいたのが、ラキソも慢性期の病院ですぐに中止になりました。入院当時は車いすにすわっている時間も短く、ご飯も美味しくなかったので、あまり食事を食べていませんでした。週2回の排便でしたが、1回の排便で両手1.5杯が私の適量のようでした。
 在宅生活が始まり、いつから下剤を飲んでいないのかはっきりしないのですが、当初から訪看さんに薬を飲みたくないと言っていると、「ガスコンやめてみる?」と言ってもらい、中止しました。当時の訪看さんは食生活や排便との関係に興味があり、発酵食品によって私の便や出しやすさがどう変化していくか興味があったようで、訪看さんのアドバイスにより、納豆やヨーグルトを前日に食べるようにしました。
 毎日市販の無糖ヨーグルトと排便の前日に納豆を食べるようにしました。しかし、ヨーグルトの乳脂肪分により体重が増え、無脂肪にしてもあまりヨーグルトによる排便の効果はないように感じていました。納豆による効果はあるものの前日だけでは足りないようで、毎日食べるのはしんどいと思い、納豆に代わるものはないかと探しました。
 そこで、発酵食品の中から甘酒を見つけ、米麴で作られた濃縮パウチタイプの甘酒を試したところ、これまでで一番効果があるように思えました。まずは納豆よりも少量で口にしやすいので、毎日続けられ、夜ベッドに横になった瞬間から気持ちの良いくらいのガスが何度も出ました。問題は当時あまり米麴甘酒がはやっていなかったので、夏になると店頭に並ばなくなることでした。そこで、手作りすることを決め、Amazonでタニカのヨーグルティアという商品を購入し、米麴と水で自家製米麴甘酒を作るようにしました。
 米麴もいろんな商品があり、旅行先や県外の友人から米麴をいただくこともあったのですが、「みやここうじ」という米麴がコスパがよく、近所のスーパーで手に入るので、今でも使っています。米麴は味噌や漬物を作るためか季節商品ではなく、1年中店頭にあり手に入りやすいのも便利です。
 米麴甘酒を作り始めるにあたって、例の訪看さんから新聞に投稿されていた米麴甘酒のレシピをいただきました。そのレシピ通りに作り、一度に約大さじ2杯の20回分作り、冷凍し、使うときには解凍し、夕飯に1つ食べるようにしています。砂糖代わりに料理にもたまに使うのですが、味はかなり甘いお米で、もう何年も食べているので味わってはいません。これでかなり摘便しやすい便になっているようで、一般の人のよしとされているバナナ状の硬さよりもさらに柔らかいと訪看さんは言っています。その後、米麴の甘酒が良いとメディアで取り上げられるようになり、夏の間も冷やし甘酒が店頭に並ぶようになりました。
 米麴甘酒で順調に排便はできていたものの、訪看さんが代わり摘便しにくい日も出てきました。他に発酵食品はないかとまた探していたところ、ヨーグルトを豆乳で作ってみようかと思い立ちました。これなら乳脂肪分もないし、タンパク質も取れるので一石二鳥だと思いました。
 作り方は、米麴甘酒で使っているヨーグルティアで、カスピ海ヨーグルトのように種にするヨーグルト10%と紀文の特濃豆乳500mlです。ヨーグルトは、まずは試しに内臓脂肪を減らすといわれる「ガセリ菌」で試したところ、夜ベッドに横になるとこれまで以上にガスが出るようになりました。これはすごいぞと思い、楽しみに摘便の日を待ちました。効果はとても良く、スムーズに排便が終りました。
 豆乳ヨーグルトの「ガセリ菌」か、紀文の特濃豆乳の豆乳成分か糖分が良いのか、有効成分は分かりません。ただ、米麴甘酒よりも豆乳ヨーグルトのほうが私の腸には合っているようです。そして、豆乳ヨーグルトを週1回作り、毎夕食に70-80ml程度食べています。他のヨーグルトでは試したことがありません。
 もちろん普段の食生活もバランスよく、いろんな食材を使うようにしています。季節のものやタンパク質、外食もしますが、週2回の排便で準備や着替えも含め1時間から1.5時間程度、処置終了後、着衣の最中にあやしい感じがし、残っていることはたまにありますが、別の日や数時間後に出ることは豆乳ヨーグルトを始めてからは一度もありません。
 排便処置の時、かなり寒くなるので冬の間は敷き電気毛布、小さめの掛け電気毛布で体をサンドイッチしています。足は小さい毛布を巻いて、その上に訪看さんがフリースで作った大きな靴下を履いています。入院時よりもよく食べるようになり、排便量は増え、合計両手2-3杯出るようになりました。60mlの浣腸液を2本使います。半分ずつ、4回に分け、半分入れては仰向けマッサージ、左側臥位摘便のパターンで、ゴミがあまり出ないようにしていると訪看さんが言っていました。その間はなるべく腹式呼吸を意識し、3カウント吸って3カウント息止めて、6カウントで吐くようにしています。排便後は、腸にかなり水分を持っていかれるみたいで、いつもより多めに水分を取ります。
 この米麴甘酒を他の方にも紹介したことがありますが、味が受け入れられない方が多いようです。私は下剤を飲むよりはマシだと思い、飲み続けています。効果のあった方もいらっしゃいますが、作るのが面倒なのもあり続けることは難しいようです。ヘルパーさんの中には、私の肌が綺麗なのは甘酒のおかげだと思う方がいらっしゃって、試された方もいますが米麴甘酒が甘すぎて、断念されていました。自家製の豆乳ヨーグルトを健常者の友人に勧めてみましたが、逆にお腹が緩くなってしまい、大変な思いをしたと言う方もいました。腸内環境は人それぞれで、食の好みや排便に対する思いも人それぞれで正解はないと思います。
 以前、おそらく牡蠣(かき)にあたりウイルス性胃腸炎になったことがあります。微熱が出て何度も吐きましたが、下からは全くで下痢にならず、頑固な便秘だなと思いました。今は、米麴甘酒と豆乳ヨーグルトのみで下剤は飲まず、浣腸液で排便ができているので良いかなと思います。


●TANICA タニカ ヨーグルティア
 ボタン部分は、爪で穴が開かないようにセロハンテープで補強しています。他にも洗濯機や電子レンジ等のボタンにセロハンテープを貼り補強しています。


 ●小分けにした米麴甘酒
 大さじ2杯分くらいで、冷凍し、食べるときに人肌程度にレンジで温めています。


 ●みやここうじ
 板状になっているので、袋を開けず、ほぐして使います。

広島県:S.O.

 マスコミから 

 避難支援者保険を発売へ、業界初 損保ジャパン、市町村向け 

 損保ジャパンは2日、業界初となる「避難支援者保険」を6月中に発売すると明らかにした。市区町村を保険加入者とし、災害時に高齢者や障害者の避難を手助けしている地域住民が負傷したり、他人にけがを負わせたりした場合に保険金を支払う。自力避難が難しい「災害弱者」のサポートに地域住民が安心して従事できるようにする。
 年間保険料は支援者数で変動するが、人口15万人規模の自治体で50万円程度と想定。高齢者や障害者らが乗った車いすを、支援者が誤って転倒させ、けがを負わせたり、他人の物を壊したりした際も保険金が出る。

(情報提供:令和4年6月2日 共同通信)


 ドライブの喜びを重度障害者に 埼玉のメーカー、車の開発めざす 

 福祉車両メーカー「ミクニ ライフ&オート」(埼玉県加須市)が、体をほとんど動かせない重度障害者が運転できる車の開発を目指している。同社はレバーを前後左右に動かし、ハンドル操作するジョイスティックカーを国内で初めて生産したノウハウを持つ。同社の技術者、斉藤征道さん(54)は「障害を持った人でも自分で運転してどこにでも行けるようになってほしい」と意気込む。
 ◇レバーでハンドル操作
 自動車の整備士だった同社の創業者は脊椎(せきつい)を損傷する交通事故に遭い、車いす生活に。「自分が乗る車がない」と一念発起し、福祉車両の製造を始めた。1984年に茨城県古河市に身体障害者用の自動車運転装置の専門工場を設立。その後、加須市に移転するなどしている。工場では通常の車を障害に応じて改造している。
 斉藤さんは初めてジョイスティックカーに触れて感動した経験がある。「これこそ俺の車」と障害を持つ知人に紹介されたのは米国からの輸入車。「障害者が自由に活躍しているアメリカでは、こんなにも障害者のための技術が進んでいるのか」と心を打たれた。以後、「ハンドル操作ができない人でも運転できる車を」と、ジョイスティックカーの開発に力を入れた。数年間、試行錯誤した末、2011年に開発に成功した。
 ジョイスティックカーの製造はオーダーメードだ。斉藤さんは「1人乗りなのか、車いすごと乗り込むのか、ジョイスティックはどこに設置するかなど考慮して改造する」と話す。見え方が左右で異なるなど、個々の細かな障害に合わせた調整は欠かせない。
 福祉車両は、車いすから車の座席に乗り移り、ハンドル操作をするのが一般的。同社で目指すのは、難病の筋ジストロフィーなどを抱え、特殊な電動車いすが手放せない重度障害者向けだ。車いすのまま乗り込み、ハンドルより弱い力で操作できるジョイスティックを備えたタイプを開発している。
 斉藤さんは、車が障害者の「足」となり、行動範囲が広がる喜びを共に感じることにやりがいを感じる。「乗れないと思っていた人が『こんなところに行って来ました』と写真を送ってくれることもあります。『こんな遠くまで行って大丈夫だった?』と驚くと共に、『よく頑張ったね。ご本人も自分も』と思いますね」と笑顔で話した。

(情報提供:令和4年5月27日 毎日新聞)


 送迎車から車いすごと転落、85歳死亡 広島県府中市 

 7日午後2時40分ごろ、広島県府中市鵜飼町の介護施設「セイフティー信和ショートステイ鵜飼」で、利用者の女性(85)が送迎のワゴン車から車いすごと転落し、死亡した。
 府中署によると、ワゴン車は停車中で、施設職員2人が介助しながら車の後方から降ろそうとしていた。ワゴン車には昇降機が付いていたが、事故当時は収納されたままだったという。同署は、業務上過失致死の疑いも含め調べている。

(情報提供:令和4年4月8日 中国新聞)



【編集後記】

 母の遺影が笑っている。どの角度から見ても笑いかけてくる。かの有名なモナリザの絵も(実物を見たことはないが)、どこから見ても微笑みかけてくると聞いたことがある。そのことを1人の友人に話したところ、「遺影の写真はそうなるように作るらしいよ」とのこと。
 今年の春は、本当に寒暖の差が激しかった。桜の花も散った4月半ば、母が天国に旅立った。グループホームから特別養護老人ホームへ。約1年の施設での生活……対面で面会できたのは二度だけだった。
 認知症を患う母が最期に何を思っていたのか……? ホームの生活相談員さんがこんなことを伝えてくれた。「お母さんに会いたいと言っていましたよ」。お母さんとは、母を産んだお母さんのこと。母が3歳のときに亡くなったと聞いている。認知症を患ってから自宅にいるときも、「早くお母さんに会いたい」と言っていたことを思い出す。
 それが母の最期の思い、願いであったならば、天国に行くことでその願いは叶ったことになる。実際は、きっと母よりずっと若いお母さんであろうけれど。

次号の編集担当は、藤田忠さんです。

編集担当:瀬出井 弘美


………………《編集担当》………………
◇ 瀬出井 弘美 (神奈川県)
◇ 藤田 忠   (福岡県) 
………………《広報担当》………………
◇ 土田 浩敬  (兵庫県) 

post_card_comm_14520@yahoo.co.jp

発行:九州障害者定期刊行物協会
〒812-0044 福岡市博多区千代4-29-24 三原第3ビル3F
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