No.191 2021/11/23
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 ドライヤースタンドでヘアドネーション 

(40歳代、頸損C4、頸損歴11年)

 以前、ヘアドネーション(髪の毛の寄付)をするため髪を伸ばしていたのですが、効率よく髪を乾かす方法はないかと探していたところ見つけました。ドライヤースタンド。アマゾンで、2,000~3,000円程度で販売されています。左→右→後→介助者にスタンドを持っていただいて、頭頂部の順番に4段階に分けて乾かしています。





 バランスを崩さない程度に、洗面台の鏡で乾き具合を見ながら頭を前後左右に動かしながら、椅子の上に置いて使っています。ドライヤーの位置は介助者に動かしてもらいますが、乾かしている間、介助者の手が空くため、他のことをしてもらえる時間ができました。ドライヤーは、大抵の形のものなら対応すると思います。乾かした後は、スタンドにドライヤーをつけたまま置いています。
 ヘアドネーションの詳しい情報は、JHD&C「https://www.jhdac.org/hair.html」のホームページをご覧ください。おおまかなところで言うと寄付できる髪は、カラーをしていても白髪でもパーマをかけていても大丈夫です。ただ、31センチ以上の長さが必要で、私は特に40センチ以上の髪の寄付が少ないと聞いて、結果58センチを寄付しました。1つのウィッグを作るのに、30人~50人の髪の毛が必要になるそうです。



 そして、伸ばし始めて5年、ヘルパーさんの友人が賛同サロンとして美容室をされていたので、そこで切っていただきました。伸ばしている間は、トリートメントをしたり、ナイトキャップをして寝たりと大事にしていました。頑張れて良かったです。

広島県:S.O.

 『臥龍窟日乗』-72- 裸の島 

 まだ映画青年だったころ、一風変わった映画に遭遇した。ドキュメンタリー風のモノクロ映画で、台詞がない。音楽だけが流れる。登場人物は殿山泰司と乙羽信子の夫婦、それに二人の男児だけ。
 一家四人の家族が住むのは、瀬戸内海・三原に面した宿祢島(すくねじま)だ。周囲たかだか300メートルに満たない、茶碗を伏せたような小島である。だがこの島が凄まじい。頂上まで畑で覆い尽されている。
 畑の野菜に撒く水を得るため、夫婦は伝馬船を漕いで内陸へ通う。肥桶(こえたご)に満たされた水を天秤棒にかけて、険しい山肌を登るのが、彼らの日課だ。水の重みで撓(しな)った天秤棒が肩に食い込む。人間が生きるということの因業(いんごう)と悲哀。
 ある日突然、息子の一人が病にかかり、死ぬ。埋葬の翌日から一家は日常に戻る。伝馬船で水を運び、山頂に運び上げる。ようやく運んだ肥桶を、母は大地にぶちまけ、畑にうつぶせて泣きじゃくる。この泣き声だけが唯一の音声だ。
 「ワシかて泣きたいんじゃ」黙って妻の狂態を見つめる殿山の表情がいい。やがて妻は立ち上がり、何事もなかったかのように、残った水を野菜にかけていく。生きるというのは、こういうことなのか……。
 『裸の島』、進藤兼人監督作品。独立プロとして立ち上げた近代映協が経営的に行き詰まり、わずか十数人のスタッフが宿祢島に泊まり込んで撮影した。後にモスクワ国際映画祭グランプリ、メルボルン国際映画祭グランプリなど数々の賞を受賞した。近代映協は蘇った。

 私事だが、母が亡くなってから3年になる。96歳まで生きてくれた。呑んだくれの親父のDVを受け、幼少の私は、母が早死にするに違いないと思い込んでいた。葬儀のあと、母の形見だと言って、妻がA4大の封筒を差し出した。中には何故か、父の軍人手帳、17歳で戦死した弟の写真、都市銀行の通帳が入っていた。この齢の女性にしては、ちょっとまとまった預金残高だった。
 名義書き換えのため銀行に赴くと、母の出生以来の戸籍謄本を持参せよと言われた。他に法定相続人がいないかどうか、確認の必要があるとの論法だ。母に隠し子がいたとでもいうのか。ムカッときたが一理ある。
 母方の祖父母が愛媛県の出身だとは知っていた。訪れたことはない。届いた戸籍謄本を見ると、現在の宇和島市だ。宇和島の南、宇和海に突き出た由良(ゆら)半島の付け根辺りが祖父母の出身地だ。十代で故郷を離れ、北九州に住みついた。
 歳をとると、自分のルーツがやたら気になるもので、祖先探索の旅が始まった。観光ガイドから江戸時代の古文書まで漁りまくった。古文書までは辿りつけないと思っていたら、公立図書館に依頼すると、現地の図書館に掛け合ってくれ、コピー製本ではあるが借りられることも分かった。
 
 資料のなかに『由良半島』という写真集がある。原田政章という写真家が撮ったものだ。昭和22年から撮影を始めた。魂(たましい)を掻き毟(むし)るような光景だ。この写真集もニューヨーク万博銀賞を得た。
 由良半島はほぼ全域が畑だ。『裸の島』を連想したが、スケールが違う。山肌に石垣をこしらえ土を入れて、山全体が階段状になっている。現地では段畑(だんばた)と呼んでいる。
 瘦せた老人が肥桶を担いで険しい山肌を登る。肥桶の中身は水ではない。糞尿だ。老人の姿が『裸の島』の殿山に重なる。そしてわが祖父に重なった。若い祖父母がなぜ故郷を捨てたのか、今となっては知る由もない。先行き不安感だったのか、絶望だったのか。ただ北九州に移ってからも、祖父母の生活が楽にはならなかったことだけは、拭えない事実だ。 

千葉県:出口 臥龍

 退職から1年 

(C6)

 蒸し暑かった夏がようやく終わり、秋の訪れを迎える今日この頃ですが、皆様お元気ですか?
 私は、退職した2020年末から3つのことを行う決意をし、今に至ります。
 ①体の歪みを取るためにJ-Workout(脊髄損傷専門トレーニングジム)に通い始めること
 コロナ禍で、せき損センターの外来リハビリが昨年5月から停止になりました。体を鍛える機会がなくなり困っているときに、 福岡にJ-Workoutが開設されたことを知り、門を叩きました。
 受傷から34年間、退院後はリハビリをしておらず、上半身はS字状に、下半身は足首や膝の腱が拘縮はなはだしい状態でした。
 今ではご指導のおかげで、介助してもらいながら立位を保持することができました。今後は、自分で立ち上がることができるよう励んでいます♪



 ②自己導尿生活に変えること
 長年、ユリドームでオシッコ袋生活をしておりました。
 膀胱が60ccしか溜められなかったためです。しかし、昨年末の検査で、括約筋の働きが非常に悪くなっており、腎臓にも逆流する可能性があることがわかりました。幸いにも、2年ほど前に開発されたべオーバ錠が私には効果的で、現在では250ccまで溜められるようになりました。この3月にはボトックス術を受け、膀胱の蓄尿能力が安定してきました。
 この結果、熱発の頻度が減り、さらにオシッコ袋のことも気にせずに、半ズボンなども着ることができるようになりました。

 ③2021年合格を目指して法律系の資格の勉強開始
 当初から退職して体を鍛えなおしてから、再度パートでも良いから社会復帰しようと思っています^-^。



そのためには専門知識を身につけて臨もうと思い、始めました。無謀にも、2021年11月合格を目指して励んでいます。以前の号で書いたように勉強は頭の格闘技と思い、自分に言い聞かせています^-^。

 ●肺活量を増やす訓練の様子


 現在は、以上のような生活をしております。
 コロナでいろいろな制約があり、ストレスが溜まりやすい毎日ですが、皆様どうぞお体に気をつけてお過ごしください。

福岡市:E.U.

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