相談できる医師を持つことは大切
私は4年前の受傷後より、留置カテーテルを挿入しています。
入院中より多少の尿漏れはあったものの、自然排尿だと思い、それほど気にはしていませんでした。
しかし、2020年の4月頃よりリハビリパンツとパットを通して、車椅子までびしょ濡れになるような尿漏れがたびたび、酷いときには車椅子の下の床まで、バケツをひっくり返したような量の漏れがありました。
普段より留置カテーテル内の付着物が多く、2週間に1度のカテーテル交換、2週間のうちに4回の膀胱洗浄を訪問看護師さんとデイサービスの看護師さんにしてもらっています。
カテーテルの自然抜管も度重なりそのつど、看護師さんに処置してもらい対応してもらっていました。
度重なるトラブルに不安が募り
「①尿漏れの原因? ②付着物は何故できやすいのか? ①②の対処方法」
が知りたくなりました。
そこで、かかりつけ医の往診時に思い切って尿漏れの件を相談してみましたが、専門は内科、専門外なのでわからないとのこと。泌尿器に関しては綱渡り状態であったことを思い知らされました。
そこで、リハビリで入院していた病院の泌尿器科をあらためて受診し、上記①に関しては頸髄損傷者は過活動膀胱になる傾向が多く、それに対する対応として・β3受容体へ作用する薬剤と・副交感神経が抑制される抗コリン剤―2種類があり、抗コリン剤は副作用として便秘を発症させる可能性があることから、まずβ3受容体へ作用する薬剤(ペタニス)のほうを処方していただきました。
②に関してはカテーテルという異物を入れている以上、私の場合は細菌が繁殖しやすく、それの副産物として砂状の物や浮遊物が発生しやすいのだそうです。
それならば、細菌を消滅させればいいのではと抗生物質の処方していただくことをお尋ねすると、全身に悪影響を及ぼすものではないこと、抗生物質を常用していると耐性菌ができてしまい、いざというときに効かなくなってしまうことを教えていただきました。
尿漏れ対処方として、薬剤を使用しても尿漏れがまた続くようなら、カテーテルの太さを太くすることも考えていくべきでしょう(カテーテルを太くするとそれに伴い尿道も太くなっていくようです)。ということで、現在は過活動膀胱の薬剤で対応しています。
納得のいくわかりやすい説明でした。
「今後もいつでも相談してください」と言われ、腎臓のエコー検査を終えて特に異常はなく、ホッと胸をなで下ろしました。
やはり、泌尿器科は、頸髄損傷の後遺症のことが理解できる医師とコミュニケーションができるツールを作っておくべきだと今回、思い知らされた一件でした。
クランベリージュースにクランベリーカプセル、尿の排出を良くする漢方薬(ツムラ40)、結石を溶解する効果の期待できると思われるウロロカルン錠。
尿のことで頭を悩ませる毎日ですが、気長に付き合っていきます。
奈良県:M.K.
夕食抜き
2019年10月の「はがき通信懇親会」において控えめな言葉ながら「ちょっと太ったんじゃない」と言われ、2020年の年賀状につけた私の写真を見て「あまり太ると健康に悪いよ」と率直な指摘を受けて、改めて2019年7月の生活習慣病予防健診結果を見れば「メタボリックシンドローム判定が予備群相当」と書いてありました。2020年9月の生活習慣病予防健診を控え、何かしなければと思いました。思いついたのは、夕食抜きでした。
それまでの食生活は、7:30朝食=果物+ヨーグルト(排便対策)+牛乳、排便を行なう火金は、おかゆ+とろろ昆布のすまし汁+漬物(時に+納豆+キムチ+オリーブオイル:左記3点セットはF氏から排便に効果ありとの御助言を受けたものです。F氏は浣腸前日夜に摂食するそうですが、私は浣腸当日に摂食して効果ありを確かめています)。
9:00(火金は10:30)コーヒー+お菓子、
12:30昼食=麺類が主、
15:00お茶+お菓子、
19:00夕食、
23:15夜食=お酒+つまみ、
と1日になんと6食でした。10時と15時のおやつは、施設時代にその生活習慣がついたものです。施設においては、管理栄養士がいて1400kal/日の栄養管理と、さらに定期的な体重測定を行なっていました。その頃は55kgぐらいだったと記憶していますが、施設を出て10年ぐらいで70kg以上になってしまっていたのでした。好きなものを好きなだけ食べていれば、当然の結果と言えます。
さて、昨年の6/20からの食生活の変化は、昼食を13:30と遅くし、15:00のおやつを18:00にして、夕食抜きにするというものです。就寝前の夜食を抜くのがダイエットには効果があるとわかっているのですが、夜のお酒が1日の在宅ワークご苦労さんということでやめられない。夕食抜きは、完全麻痺の私だから空腹感を感じないのでできるらしいのです。健常者で普通に働いている人には、続けられるものではないとのヘルパーさんの感想です。逆に、満腹感を感じない私だから、ボーッと太ってきたのかもしれません。
結果をグラフに示しました(測定方法は、はがき通信139号に記載)。開始1ヶ月での10kgの減量には驚き、密かに喜んだものです。しかし、その後は一進一退、というか最近は元に戻りそうです。おやつの茶菓子が1個から2個に、昼食の麺類が前は半分だったのが1人前に、料理人だったヘルパーさんが来てくれるたびに中華料理をリクエストしたり、夜食のお酒がノンアルコールビールから寒くなってからは燗酒(かんざけ)に、御歳暮にいただいた美味を食べてしまったり、正月くらい美味しいものを食べなければ、とかいろいろ悪いこととは知っていながら……この投稿を機会に考え直して再トライしてみますか?
(2021年1月14日記)
新潟市:T.H.
トランスファーリフトを利用した体重測定法https://www.normanet.ne.jp/~hagaki-t/pcc139a.html小さなおじさん 其の4
腰痛の鎮痛剤が効かず座っていることができなくなり、透析クリニックへの通院もできなくなったお袋は急(きゆう)遽(きよ)入院が決まる。行き先は親父の死んだあの病院だ。そして、それは、住み慣れたわが家にはもう2度と戻ることのない一方通行の旅を意味していた。
急な展開にあれこれと思い悩む間もなく、まずはお袋の通院、デイサービスにヘルパーさんを止め、わし1人用のヘルパーさんへの調整を済ませた。新たに増やすのは大変だが、減らすのは簡単なのだ。
そうして入院当日。前の晩に横浜から来てもらった叔母(お袋の妹)に荷物の準備を頼み、鎮痛剤が効かずに痛がるお袋を助手席を倒して寝かせ、お袋の目にする最後の我が家と別れを惜しんでいざ病院へと向かう。病院では車いすではなく、ストレッチャからそのままベッドへ。こうしてお袋の寝たきり生活が始まった、はずだった。
さて翌日。面会に出向き、エレベータが開くとそこには目を疑うお袋の姿があった。なんと車いすに座っているではないか。「腰は? 痛くないのか?」と聞けば、「我慢できる程度」と穏やかに答える。お袋のこんな表情を見るのは久しぶりだ。どういうこと!?
すぐさま医師に面談を求めて問えば、鎮痛剤のカロナールをクリニックで処方されていた300から500に変更したとのこと。それで、あの激痛を鎮めることができたのだそうな(腎不全の上に心臓疾患のある患者へのカロナールの使用に関しては言及すまい、激痛に苦しむさまは見ていられなかったのだ)。
が、そうなればフラフラしながらも1人で歩いてしまうらしく、昨夜は深夜の巡回時にベッドにおらず、探せば別の部屋の空きベッドで寝ていたとか。思わず、声を出して笑って看護師ににらまれた。トイレに行って、自分の病室が分からなくなったとお袋も笑っていた。
それでベッド下には、足を下ろせばナースルームにそれと分かるセンサー付きのシートが敷かれ、さらに1人で歩いて転倒しないよう、起きると車いすに乗せられ腰を固定されていた。ちょっと哀れにも思われたが、また骨折では、今度こそ本当に寝たきりとなってしまうのでやむをえまい。
ちょっと待て! ということは、通院が可能なのでは? 退院できるのではないか!? 迷わず問うと、すぐに結論は出せないが、カロナール500で安定することが確認できれば、それも考えられると嬉しいお返事を頂戴できた。
思いもしなかった展開に、あたふたするもさて考えろ。どうすればいい? 何を準備すればいい? 最低限の条件が、透析クリニックに再度の受け入れ許可をもらうこと。何と言ってもこれが大前提だ。わしは、あの先生に失礼なことを言っていないか? 大丈夫、きっと大丈夫、たぶん。
あとは毎日のヘルパーさん、通院の搬送さん、入浴のためのデイサービスといったところか。福祉村の話し相手もまたお願いしなければ。そこに病院側のソーシャルワーカから、訪看さんも条件に加えられた。なるほどそれは頼もしい。
そこでお袋に「家に帰りたいか?」と問うと、二つ返事で懇願された。よっしゃ、いっちょやりましょうかね。まずは、ケアマネさんに連絡して現状を伝え、すべての根回しを相談せんと。おっといかん、中断していた玄関の改装も急いでもらわねば。というわけで、「お袋さまの帰還大作戦」が目まぐるしくも、華々しく幕を開けたのであった。
鈴木@横須賀
『臥龍窟日乗』-68- 人間万事塞翁が馬
人生カウントダウンの世代に入って、どういうわけか世の中がよく見えるようになった。慣習、しきたり、法律、宗教、制度、人間関係、しがらみ、社会の仕組み、政治の世界、そして人の心など。若いころには疑うことのなかった社会の裏側なんぞが、大変クリアに分かってきた。そのことが、良いことなのか悪いことなのか、判断はつかない。だが、人間の世の中、善いことばかりで成り立っているわけではないことが見えてきた。
政治の世界が金と権力で動いているくらいは勘づいていたが、所詮は人間のやること。ゼニと陰謀でこの世の中は動いている。インターネット至上主義の時代になって、人間はますますえげつなくなってきた。ネットの陰に隠れて、他人を誹謗中傷する輩の存在が、逆に見えやすくなってきたともいえる。
コロナが発生してから1年が経ったが、人間社会の裏面があからさまになってきたことは見逃せない。今後、世の中がどのように変化していくか、おおいに気になるところだ。1980年代あたりから、ITの急速な発展によって、人間社会が迷走していないとは断言できないだろう。社会が右肩上がりに進化していくと信じている人なんか、もはやいないだろうが、将来の人間社会の在りかたについて、いったん腰を据えて考えてみるいい機会ではなかろうか。
*
「人間万事塞翁が馬」という中国の故事がある。前漢の『淮南子(えなんじ)』に出てくる。人間(ニンゲン)ではなく、原典に従ってジンカンと読みたい。世の中というほどの意味だ。高校の教科書あたりに出ていたので、どなたでもご存知だろうが、「あれっ、何だったっけな」という方もおられるだろうから、昔話風におさらいしてみよう。
塞翁(さいおう)という老人が馬を飼っていた。その馬が逃げたというので、周りの人々が慰めたところ、塞翁は「これはいい兆候だ」と言い放った。しばらくして、逃げた馬がみごとな駿馬を連れて戻ってきた。人々が喜んだところ、塞翁は「これは悪い兆候だ」と反論した。塞翁の息子が駿馬に乗って、落馬して大怪我をした。人々が慰めたところ、塞翁は「これはいい兆候だ」とうそぶいた。まもなく戦争が起き、村の青年の多くが兵隊に駆り出された。塞翁の息子は、怪我を理由に兵役を免れた……。
という具合に、塞翁の運命は良いことと悪いことが次々にひっくり返っていった。ことほどさように、人間の運不運はどう転ぶかわからない。誰でも一度や二度は経験したことだろうと思う。
*
わが人生になぞらえると、演歌の世界じゃないが、山口県で生まれ育った私の小学生時代は暗かった。父のDVに耐えかねて、陰気な少年だったと思う。小学校卒業とともに、関東に移転したが、中学時代の3年間はわが人生の花道であった。背丈も父より大きくなった。ところが高校に入学してから文学かぶれとなり、不登校が続き、創立百年以上の名門校で初の落第生となった。
これが弾みになって大検合格。大学には入ったものの、全共闘時代になって大学閉鎖。しょぼくれて東京に戻ったところ、オランダ政府のクイズに当たって、ヨーロッパ周航の無料航空券をゲットした。単身、海外旅行をしてきたクソ度胸が買われ、出版業界を歩むことになる。厄年のときに独立して、事業はどんどん拡張していった。順風満帆と思われた50代半ば、台湾で事故にあい頸髄損傷と相成った。これでお終いかと思われたが、昔取った杵柄、高校時代の地獄の体験が奏功して、文筆業に活路を見出した。まさに人間万事塞翁が馬。幸運と逆境。人生、どっちに転ぶか分かったもんじゃない。
コロナ禍を機会に、世の中の在りかたというものを振り返ってみる必要があるのではなかろうか。
千葉県:出口 臥龍