No.185 2020/10/25
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 ◆小さなおじさん 其の3 

 さてお袋との2人の生活であるが、I子ちゃん(今さら)の奮闘にて要介護認定を済ませ、判定を前にケアマネが決定する。お袋とわしの意向を汲(く)み、よく話を聞いてくれるし自分の意見を押し付けることもない。そして、仕事が早くフットワークが軽い。さすがはI子ちゃん。まずは、わしの相談員も交えて障害枠でのヘルパさんのスケジュールを決め、お袋の判定が出しだい増員して週に7日来てもらえる手筈が整った。
 ヘルパさんを利用の方はご存じのように、ヘルパさんは家とではなく個人と契約するため、住人が2人であろうとも食事と洗濯は契約者分しか扱えない。大きな声で言うことではないが、このあたりは事業所も心得たもので、食事は「契約者分を多めに作る」ことで対応し、洗濯も「分類は難しい」との理由で一緒に回してくれることとなった。行政も暗黙の了解なのではなかろうか。

 月水金の朝は、お袋用のパンを焼いてバターにジャムとコーヒ、わしはコーヒのみ。お袋を透析に送り出してから、急いでデイの準備をしてデッパツ。晩もお袋にはパンとコーヒ。ごめん。1日1食のわしは、デイで昼食を済ませたのでコーヒのみ。
 おっと、お袋を寝かせてから八海山を2合は欠かせない。火木土日は、夕方にヘルパさんが炊事、洗濯、掃除で90分入ってくださることとなる。少し寝坊をして朝昼兼用でお袋にパンとコーヒ。上記のように夜は多めの料理をお願いして2人で食し、お袋が寝ると例によって八海山を。この時間が唯一息の抜ける時間であった。
 間もなくしてお袋の要介護認定が出て、いよいよ週に7日の介護支援が始まることとなる。火木土は、これまで通りわしの障害者制度枠で。日曜はお袋枠に変更して、月水金日を新たにお袋の介護保険枠にてまかなう。今まで入っていなかった月水金の夕方にも、わしに替わってヘルパさんがお袋の食事の準備をしてくれることとなる。
 買い物はおうちコープに毎週届けてもらうこととなり、お袋の食いたいというものをヘルパさんにお願いできるようになった。そんなドタバタ劇が繰り広げられる中、お袋に異変が生じた。表題の「小さなおじさん」の出現である。

 腰痛に悩むお袋に処方されていたのは、鎮痛剤のカロナール300。しかし、痛みが一向に軽減されない。それを透析クリニックの主治医に伝えると、処方がトラムセットに変更された。が、これもお袋を助けてはくれなかった。それどころか幻視が現れた。最初はわしの横に犬が。「あらどこの子? いい子ね」に始まって「今日は猫ちゃん、どこから来たの?」と。
 このときは笑って済ませていたのだが、あるとき、お袋がトイレから泣きながら飛び出してきて「小さなおじさんたちが会議をしていて用を足せない」と言う。「早くお引き取りしてもらって」とすがるように言う。驚きつつもちょっと愉快で、ひとまずトイレに出向くも当然ながらわしに見えるわけもなく、お袋に聞こえるように「会議は別の所でお願いしますね」と大きな声で言って戻り、お袋と一緒にトイレの中を確認していなくなったのを納得してもらった。
 この日はこれで済んだのだが、この小さなおじさんたちはわしら2人の寝室に移動したらしく、それから数日、この寝室の空中を泳いだりベッドの下を走り回ったりとお袋を悩ませ続けることとなる。
 この小さなおじさんの正体は座敷童だったのか、はたまた妖精さんだったのか。いずれにせよ、お袋には好まざる存在だったようだ。悔やまれるのはおじさんの身長、容姿、服装と言語、それに泳ぎ方をお袋に聞かなかったこと。痛恨の極みである。

 話を戻し、その旨主治医に伝えて鎮痛剤を元のカロナール300に戻してもらうも、残念ながら1度出た幻視が消えることはなかった。お袋の起きていられる時間も減り続け、とうとう透析への送迎に利用していた搬送車に、座っていることもままならぬ状態で医師より入院を勧められる。
 その先は、このクリニックの系列で親父の死んだところ。通院が困難となった透析患者の墓場として理解しており、お袋もわしも毛嫌いしていた場所である。親父の葬儀後にお礼に上がった帰り、「これで2度と来ないで済むわね」というお袋の言葉が脳裏に蘇る。透析さえ続けられれば長生きはできるのだが、この入院はお袋が生きているうちに、この家に戻ることはないということを意味しているのだ。とはいえ、迷う時間もほかの選択肢もなく入院が決まる。

鈴木@横須賀

 ◆見た目でわからない障害 

50代、男性、受傷後18年、C5/6

 アンデルセン童話『みにくいアヒルの子』は、アヒルの親のもとに生まれた黒いひな鳥が、容姿のみにくさからいじめを受け、死を選択しようと白鳥の住む湖に行くが、いつの間にか本来の白鳥の姿になっていたため白鳥の群れに迎え入れられ、ようやく平穏な生活を手にすることができたというお話です。物事を見た目で判断してしまうことは、誰にもあります。本質を見抜く力とは何でしょう。そもそも本質とは何でしょう。

 救急病院の担当医には、「どんな形であっても社会と関わってください」と言われました。私の数少ない「健常者」との関わりの中で、ご自身の身体的悩みについて私に告白された方が4人います。若く快活な男性は、片方の肺を切除していました。その上、内分泌器の不調により毎日、午後には動けなくなるほどの疲労感に襲われるそうです。若く美しい女性は、昏睡が原因の高次脳機能障害で障害者手帳所持者でした。私よりも年長の男性は、片側の股関節を人工関節に置き換えており、自らを「障害者」と呼びました。この3人が抱えている事情は、見た目ではわかりません。また、彼らが私を聞き役に選んだ理由もわかりません。
 4人目は、25年以上前からの知り合いです。それほど親しいわけでもない彼が遠方に去るにあたり、わざわざ挨拶に来てくれました。型通りの挨拶を交わした後で、彼が唐突に自身のペースメーカー治療について話し始めました。もちろん私にとっては初耳です。最近の不調についても触れながら、彼は私に「あなたは車いすに乗っているからわかりやすいけど」と言いました。彼の真意はわかりませんが、「弱者ヅラをするな」と言われた気がしました。
 私の口から、「内部機能障害なら私にもある」というセリフは出ませんでした。なぜなら、車いすはわかりやすいという彼の言葉は正しいからです。私がお世話になった医療関係者、福祉関係者、さらには親類縁者にも、内部機能障害に悩む方はいたかもしれません。その方々に対し私は、障害者であることを武器にしていなかったでしょうか。

 私が友人の運転する車で、大学病院の駐車場に進入したときのことです。優先駐車場の前で、ふくよかな女性と車いすの男性高齢者が言い争う場面に出くわしました。女性が男性に対し、「・・・ヅラしてんじゃねえよ・・・」と叫んでいます。
 気がつくと私は友人に「妊婦と車いすでは、どちらが弱者かな」と言っていました。私は、ふくよかな女性を妊婦であると思い込んだようです。特権意識のぶつかり合いで、弱者争いをしているとしか見えなくなっていました。
 夏でもニット帽を手放さない友人が私に答えました。
 「あの女性が間違っている。誰がわざわざハゲヅラを選ぶかね」
 人は、自分の価値観で物事を判断します。時には、見たい物しか見えないこともあるようです。

◆茨城県:DRY

 ◆『臥龍窟日乗』-66- IT産業戦国時代 

 完全四肢麻痺の筆者にとって、社会との接点はパソコンだけだ。テレビは観ない習慣だから、ニュースを見るのも原稿を書くのもパソコンが唯一の頼りとなる。極端な話、パソコンがなければ生きてはいけない。だから受傷直後より、パソコンの訓練は死に物狂いで取り組んできた。
 リハビリ病院で最初に勧められたのは、音声入力だった。肺活量は1000㏄にも満たないから、声が出ない。なんとかパソコンが聞き取ってくれた。活舌は悪かったものの、一応文章らしきものにはなる。
 「母が美容院に行った」が、「母が病院に行った」と出るくらいは、まぁご愛嬌のうちだ。
 ところが誤字脱字の修正となると、難渋を極めた。たとえば「上から何行目の文章の、最初から何個目の文字を三字選択」なんて叫ぶのだが、修正文の修正に数十分もかかってしまう。根がせっかちなもんだから、ストレスの上にストレスが重なって、手紙一本書くのにヘロヘロになってしまう。けっきょく音声入力は一年もたたずに頓挫(とんざ)した。
 ウィンドウズ7のころに、スクリーンキーボードがあるのを知った。ジョイマウスを装着し、呼気で文字を入力していく。これは楽だった。この手法で本10冊分以上の文章を書いた。Ⅿさんという方がサポートしてくださったが、残念なことにお亡くなりになった。ウィンドウズ10にもスクリーンキーボードはあったが、あまりに大きすぎて、原稿用紙が隠れてしまう。
 文章というのは、書いた部分を振り返りながら進めていくもので、キーボードで塞がれるのはきわめて具合がわるい。国リハ研究所のIさんという方に、『簡タッチ』というキーボードを紹介していただいた。これは大きさを自在に変えることができる。当分これでやっていけると安堵した。ただしマイクロソフトのエッジは相性が悪いので、エクスプローラーで使ってくれとの条件が付いた。
 ところが世の中、甘くはない。
 せっかく馴染んだエクスプローラーを、マイクロソフト社がやめるらしい。しかも本社の決定事項だそうだ。あるヘルパーさんに聞いた。これは一大事。ウィンドウズ7から10への切り替えどきも大騒動だったのに、またしても難題を吹っかけるのか。
 自慢じゃないが、小生、超が付くほどのパソコン音痴。原稿用紙のマス目を、握りしめたペンで埋めていくのでなければ、文章を書いた気にはなれない。というアナログ爺なのだっ。マイクロソフトクリームとアップルパイの違いすら、よく分からんのだ。
 そんな時代遅れがパソコンにかじりついたのは、一にも二にも、指が使えなくなったからに他ならない。その惨状たるや、山の頂上に大石を運び上げたとたん、石が山裾に転げ落ちるシジフォスの悲劇みたいなものだ。
           *           
 パソコンなるものが一般社会に普及したのは1980年代に入ってからだった。情報伝達の面でITは、驚天動地の発明だったと思う。人間社会の在り方、人間関係すら変えてしまったのだから恐るべき機器である。
 情報伝達機器では、すでに携帯電話が普及していたが、ガラ携帯にコンピューターが導入されるまで、あっという間だった。コンピューターを持って歩けるのだから、こんなに便利なことはない。だが、この展開は、コンピューター機器メーカーですら推測できなかったのではなかろうか。
 スマホが爆発的に普及したのは、この5年くらいのことだと思う。指が使えないから、スマホには縁がないと決めてかかっていたが、これを機会にググってみた。スマホの販売件数はパソコンの5倍にもなった。なぜ人々はスマホになびいてしまったのか? パソコンに比べ、使えるアプリケーションの量が圧倒的に多い。携帯電話に、コンピューターの機能を取り入れただけだとタカを括っていたのが、どえらい間違いだった。
 マイクロソフトやアップルなど、初期のパソコンのOSには、適合するソフトが限定されている。だからパソコンメーカーは、追いまくられるようにヴァージョンアップせざるを得なかった。決定的なのはグーグル社がアンドロイドを買収した「事件」だろう。
 パソコンのOSに比べ、アンドロイドの強みは、さまざまなアブリケーションに適合するということだ。つまり多くのアプリケーションに付随した利権や広告収入を、ごっそりアンドロイドすなわちスマホに持っていかれる。
 いまIT産業は戦国時代だ。間諜(かんちょう)(産業スパイ)、謀略、乗っ取り、野合、合従連衡(がっしょうれんこう)、密通などなんでもありだ。アメリカ、中国、韓国がリードしてきたが、伏兵インドの動きも不気味だ。
 マイクロソフトが社運をかけて、エクスプローラーからエッジに切り替えるのは、まさにそういうことだろうと思う。企業のサバイバル戦争だから、それも致し方ないのだろう。いまや旧世代となったエクスプローラーではあっても、それを必要とする層がいるからには、存続させてほしいものだ。

千葉県:出口 臥龍

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