No.182 2020/4/25
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 自分で選べることのありがたさ 

50代、男性、受傷後18年、C5/6

 イソップ物語『北風と太陽』は、北風と太陽が旅人の上着を脱がすことができるかという勝負をしたとき、北風が冷たい風を吹きつけても寒さに震え上着をしっかりと押さえてしまう旅人を脱がすことはできなかったが、次に太陽が燦燦(さんさん)と照りつけると旅人は暑さに耐え切れず自分から上着を脱いでしまったというお話です。この勝負は、寒さ対策になる上着を脱がすという時点で、寒さの象徴である北風には不利です。
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 汗をかけず暑さに人一倍弱い私には、暑さに関する持論がいくつかあります。そのひとつが、「現状でなく変化で決まる」というものです。私が暑いと感じるのは、今の室温そのものが一定の温度に達したときよりも、問題なく過ごしていた先ほどよりも大きく上昇したときです。『北風と太陽』の勝負が太陽に有利なものであったとして、旅人が北風のせいで冷え切ったところから始める点で、太陽にはより有利な展開となっています。
 私が暑さだけでなく寒さにも弱いように、長い道のりを歩く旅人には太陽も北風も度が過ぎると苦手となるでしょう。そもそも温度の問題であれば、暑さと寒さの中間の適温があるはずです。私は、20畳を超えるLDKの隅に置いたベッドに向けたエアコンの入り・切りで過ごしていた期間を経て、今は6畳部屋で自分に向いていないエアコンを操作して過ごしやすい室温を得ています。ぬるま湯の過ごしやすさだけでなく、自分で選べることのありがたさも実感しています。
 運動障害と知覚障害の両方を抱える私がどちらか一方を選べるとしたら、と夢想することがあります。日勤か夜勤かパートタイムの健常者を夢想することもあります。現実には二者択一は許されず、両方の障害を背負わされているわけですが。
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 私は3ヶ月ごとに隣町の総合病院のリハ科を受診しています。数年前のことですが、介護保険への切り替えを勧められました。病院が勧める理由についても、私のメリット・デメリットについても説明はありませんでした。そのときは、ある年齢に達したら強制的に移行させられるからそれまでは今のままで、という理由で回避しました。あれから状況は変わったのかもしれません。今でも私は自分で選べる立場にいるのでしょうか。

茨城県:DRY

 『臥龍窟日乗』-63- ロジスティック曲線 

 孫が地方の学校に進学することになった。はなむけの言葉はないだろうかと考えた。じきに浮かんだのが「少年よ大志を抱け」という、あの有名なフレーズだ。だが何か違うなという躊躇(ためら)いが残った。あるヘルパーさんの言葉が、頭のどこかに引っ掛かっていたのだ。ご自分のお子さんに、
「大人になったら何になりたいのって訊いたら、普通のサラリーマンって言うんです」
 と、このお母さんは苦笑いした。末は博士か大臣か、とは言わないが、せめて中小企業の社長くらいは期待していたということだろうか。素直に笑えない現実だ。
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 団塊世代である筆者の生きた60年前と、現在の世代のあいだに、深いふかい溝を感じる。人々は皆一様に貧しく、生きていくのにがむしゃらな時代だった。けれども未来という言葉に大きな期待を持てたという気がする。
 実際に、時代の変化は凄まじかった。太平洋戦争敗戦の荒れ野原から、わが父祖たちは立ち上がり、復興にすべてをかけた。
 朝鮮戦争による特需が発生し、これをきっかけにして高度経済成長に繋(つな)がる。神武景気、岩戸景気、いざなぎ景気と浮足立ち、ニクソンショック、オイルショックなどの歯止めを架せられながらも、日本経済はその都度したたかに蘇った。
 筆者の生きた年代になぞらえると、高度経済成長期は小学校6年から26歳にわたる13年間だ。よく例えにつかわれるが、朝、目が覚めるたびに生活が豊かになっていくという現象を、身をもって体験した。

 筆者の父は化学肥料を造る工場に勤めていたが、24時間フル操業、勤務は三交代制がとられていた。朝8時の出勤者は午後4時まで。4時からは深夜12時まで。12時からは翌朝の8時までというシフトだ。たかが肥料工場だ。24時間操業だなんて、いまではとても考えられない。
 敗戦5年目には、社員の子弟を丸抱えする小学校を。ついでに保育園まで建ててしまった。病院、共同浴場、娯楽のための講堂も矢継ぎ早に建設した。
 スピーカーに布を張った真空管ラジオが、テレビに化けたり、氷のブロックを入れる木製冷蔵庫が、ピッカピカの電気冷蔵庫に変身したりした。まるで魔術でも観るようなときめきの日々だった。
 そんな時代に生きた子どもたちは、どんな精神構造をもつようになるのか。明るい未来、豊かな生活、夢のような毎日。自分の将来は約束されたと、固く信じてしまうだろう。だからこそ誰もが「大志」を抱いて頑張ってこられた。
 確かに夢は一部では現実となった。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』なんておだてられ、その気になったりもした。実態のない経済に翻弄され、バブルに狂騒した。ハッと気づいた時には、地球環境の激変、資源の枯渇に慌てふためくことになった。
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 ロジスティック曲線という言葉がある。数理生態学などの分野で使われる。グラフの底辺を這(は)っている直線が、ある時点で急上昇に転じ、短時間でふたたび横這いに戻る。もしくは急降下する。Sの字に似ているから、S字曲線ともいわれる。
 特定の生物が、ある時、爆発的な増殖を始めることがある。平行に推移する個体数が、谷を駆け上る勢いで蔓延(まんえん)する。食料となる地球資源を食い尽くして、やがて滅亡する。至近な例としては、コロナウイルスが挙げられようか。
 高度経済成長期に思いを馳せていたら、なぜかロジスティック曲線が浮かんだ。高度経済成長って、いったい何だったんだろう? 森林を伐採し、石炭を掘り尽くし、天然ガスを燃やし、石油資源も枯渇が間近いといわれる。天地創造主(そんなものがあると仮定しての話だが)が造りたもうた物質の素を破壊してまで、エネルギーを得ようとする。いつ消滅するやもしれない「豊かさ」を追い求めて。

千葉県:出口 臥龍

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