はがき通信ホームページへもどる No.173 2018.10.25.
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 生活環境の変化で不安な未来 

C5、59歳

 自然災害によって尊い命が失われ、まだなお被災地では不安な日々を送っている方たちが多く苦しんでいます。平安な日常が戻って来ますように願っています。多くのことがいっぺんに噴出したような2018年、まだ終わっていませんが事故、酷暑、豪雨災害、台風、地震、政治の堕落、人間関係の希薄さ、残り3か月あまりとなりましたが、先の見えない不安を感じる世の中に。
 首相の安倍さんは、働き方改革を政策にしていますが障害者雇用促進法だけ一人歩きをして、本人に無断で算入し、ほとんどの省庁で水増していたという事実が明るみになったが、甘すぎた官僚の確認で終わらせるらしい。副総理の麻生さんは人つくり改革だーと声をあげたが、部下の不祥事(?)責任の擦り付けでうやむやにしてしまった。野党は、安倍政権の支持率を下げるためにだけ貴重な時間を費やした。
 麻生議員は、私の選挙区から出馬している。福岡8区。声をあげることは大切です。正しい思想は残ると言います。頑張ってください。私たちは真実を見極わめて、生きるべき道を健常者の方たち以上に考えていかなくてはならない時代に来ています。命はもろい、しかし、人間は意外と強いものです。意識を変えて、新しい環境に適合する力を持っています。
 編集の戸羽さんが編集後記に書かれた、「はがき通信」の存続の危機、今後医学は発展しても、四肢マヒで苦しむ仲間が0になることはありません。私たちが生きて苦しんで前に進めた術が少しでも役立てられるなら、「はがき通信」の経験を次に伝える・この思いを残していきたいですね。

 私もある男性の行動力に感化されてフイルムカメラを勉強し、改造してフォトセラピストに挑戦しました。彼は、自力での呼吸が困難な方で酸素ボンベを車椅子の後ろに背負い、買い物や散歩を楽しんでいました、安心して自宅までたどり着くために、ガソリンスタンドでバッテリーを充電して帰宅していたと言う。自分の行動力のなさを恥じました。くじけそうになったときに彼を想い出します。
 今年の夏も肉体的、精神的に追い込まれた毎日でした。殺人的な暑さでしたが、そんな私を救ってくれたのは呼吸法でした。ゆっくりと鼻呼吸をして、何度パニックになりそうになった私を落ち着かせてくれたことでしょう。

【鼻呼吸の重要性】......《ネットから引用》
・血中にもしくは、脳に酸素をより多く送り、頭の回転がよくなる。閃(ひらめ)きが多くなる。
・リラックス効果がアップする。
・副交感神経が優位になる。
・意識的に吐く息を長くすることで、毛細血管が広がり、内臓、手足の先まで血液が流れ、皮膚表面に栄養が行き渡りやすくなる。

 正しい呼吸は、運動量の少ない私たちに最適な健康法です。人は、1日に2万回近く呼吸を行なっています。39年前に知っていれば、かわいコちゃん♡の居る店で豪遊¥✖……元気だけは残っていたかなぁ。
 これは私の好きな時代劇の台詞ですが、「人というものは良いことをしながら悪いことをする。善と悪とがないまぜになった生き物でございます。人の世も尋常一様にはまいりません。かように是非弁別の分かち難きことは見て見ぬふりをするのも肝要かと……」
 肝要過ぎても好くありませんが、心のバランスをとることは必要です。音楽を聴いたり、妄想♥にふけったりと私の場合悪が強いですが、1日を大切に生きる日々の繰り返しですね。



 夏の天使の画像を添付しました。みなさん、お身体ご自愛ください。

福岡県:K.M.

 『臥龍窟日乗』 -55- 『グラバーの暗号』余話 

 『グラバーの暗号』は望外な出足で、私自身が驚いている。本が売れないという時代のこの「異変」は、帯に推薦文を書いていただいた本郷和人先生のネームバリューと、副題の「龍馬暗殺」のインパクト、それに出版社の販促のおかげだと思う。筆者の力では決してない。あらためて龍馬ファンの層の厚さを感ずる。ありがたいことだ。
 どんなに面白い本を書こうと、世間は振り向いてもくれないという「鉄則」は、もともと本ヤである私には骨身に沁みて分かっている。
 はじめ編集者からは副題は入れないほうがいいという提案だった。だが私は「龍馬暗殺」の四文字にこだわった。龍馬ファンという「マーケット」が狙いだったからだ。若い人たちがグラバーというタイトルに食指を動かすとは思えなかった。
 『グラバーの暗号』の発売月に、安部龍太郎先生が『信長はなぜ葬られたのか』(幻冬舎新書)という本をお出しになった。私の敬愛する歴史小説家だ。さっそく買い求めた。  
 信長暗殺は明智光秀だというのが定説だ。近年、立花京子さんという研究者が、信長と公家衆との対立を論証し、光秀と公家衆が結託したのが「本能寺の変」だという説を発表。これが真説だろうとの流れになりつつある。
 対立の原因は、信長が神社を建立し自らを神として祀(まつ)ったことにある。安部説では、信長はもう一組の強力な組織を敵に回してしまった。イエズス会だ。
 信長は安土城でイタリア人の宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノに謁見(えっけん)するが、日本でのキリスト教布教を説くヴァリニャーノと対立し、とうとう彼を怒らせてしまう。翌年「本能寺の変」がおき、信長は遺体ごと行方が分からなくなった。信長を討った光秀の背後に、公家衆とイエズス会が控えていたというのが安部先生の説だ。
 ここで思い起こしていただきたいが、信長は長篠の合戦で鉄砲を有効利用し武田軍を斃(たお)している。鉄砲は長篠に先立つこと30年もまえに種子島に伝来したが、日本での普及は遅れた。弾の材料となる鉛や硝石が日本ではまかないきれなかった。輸入に頼るしかない。
 その当時、カソリック教会から派遣されイエズス会は、キリスト教の布教と同時に重要な任務を帯びていた。植民地ぶんどり合戦の情報収集、すなわちスパイ活動だ。鉛や硝石の供給もポルトガル、スペインの宣教師や貿易商が牛耳っていた。
 正面切って彼らと争ったのでは鉄砲の弾は入手できない。弾のない鉄砲なんて、毒のないマムシみたいなものだ。信長は窮地(きゅうち)に立った。秀吉や黒田官兵衛らとも通じていたイエズス会は信長を見限り、明智光秀に言い含めて本能寺を急襲させたとしても不思議ではない。イエズス会が日本の歴史に深くかかわっていたのは、ルイス・フロイスの膨大な『日本史』をひも解けば明らかだろう。
 大航海時代に植民地政策を進めたポルトガルに代わってスペインが世界の舞台に躍り出る。その背景は南北アメリカの言葉に残されている。ブラジルがポルトガル語で、南米の西海岸をメキシコまでさかのぼるのはいずれもスペイン語だ。アメリカの地名、サンフランシスコやロサンゼルスすらスペイン語だからスペインの海軍はよほどあくどかったのだろう。
 江戸時代にいたって、寛永16年(1639年)の南蛮船入港禁止を機に日本は鎖国に入る。そのあいだにカソリック系のポルトガル、スペインが衰退し、産業革命により経済力をつけたイギリス、フランスなどが台頭する。
 そして明治維新。同じ火薬の匂いが漂ってきやしないだろうか。
 『グラバーの暗号』を世に問うとき何人かの方に目を通していただいた。「面白くはあるが荒唐無稽(こうとうむけい)すぎやしないか」という意見が大半だった。筆者が学生のころの明治維新は、徳川幕藩体制と尊王攘夷派の対立という見解が主流だった。しかし欧米列強の介入は300年もまえから始まっていたのだ。
 再来年のNHK大河ドラマは「明智光秀」と聞いた。当然「本能寺の変」は避けて通れない。定説にしたがって明智光秀の単独謀反と捉えるのか。近衛前久を筆頭とする公家衆やヴァリニャーノを登場させるのであれば、どのように絡ませていくのか、興味津々ではある。

千葉県:出口 臥龍

 西日本豪雨災害を経験して思うこと 

 これから書くのは、自立生活センターびんご設立から1年4ヶ月が過ぎ、ホッと一息ついたころの出来事です。
 新人職員2人の歓迎会が延びに延びてもう7月、いかにゆうてもそろそろやろう!ということになり、7月5日に決めました。ところが当日の夕方、ミーティングを終えて予約した福山市内の店に移動しようとしたところ、尾道地区に大雨洪水警報が発表されているのに気づきました。しかし、一度決めた日時はそう簡単に変更できないし、したくないのが私の性格です。
 確かに雨が降り出してだんだん強くなってきていましたが、「雨なのだから席が空いているだろう」くらいにしか思っていませんでした。結局、新人歓迎会を強行したのですが、代表として非常時に対する認識が甘かったのではないかとも思います。



 その後、大雨は6日になっても断続的に降り続き、最終的には避難指示まで発表されました。さらにこのあと思いもよらぬ出来事が待っていました。

2018.07.07 土曜日
 「11:24尾道市 【尾道市内全域の断水について】
 大雨により本郷取水場のポンプが水没したため、7月7日(土曜日)12時00分から尾道市内全域を断水します。復旧の目途(めど)は立っておりません。
 皆さまには大変ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします」12:58尾道市 【防災情報】より
 断水15分前に情報を知り、12時きっかりに断水が始まりました。まともに準備もできず、慌てて飲み水用の水を買い求めに行くも、どこのスーパーでも売り切れていました。水を使わずに食べられそうな惣菜もパンもすべて売れており、ケースの中には品物がひとつもなく、異様な感じがしました。
 そして、西日本での豪雨災害が全国的なニュースになると同時に各地から私たちの安否を気遣って下さる連絡が入り、飲料水を送って下さる方もいらっしゃいました。しかし、尾道に入る道路が至る所で寸断されてしまったので、送っていただいたはずの水がなかなか届きません。結局、断水生活が終わりに近づいたころ大量に水が届くという皮肉な状態になりました。
 また、ふだんはスーパーに行けばすぐに買えるような品物も同様で、道路が復旧するまで流通しないことになります。なんとかレトルト食品をかき集め、3食同じようなものを食べていました。
 そのうえ、給水所がある地域では渋滞がひどく、介助者が給水所に行っているあいだ、私は必要な介助を受けることができなくなりました。こうして長時間かけて水を手に入れても、トイレ、洗濯や清拭、歯磨き、食器洗いなどであっという間に使ってしまうので、毎日の水汲みは欠かせません。



 そして、酷暑の中で介助者は疲労が溜まり、私も思うような生活ができずに、ストレスが日一日と溜まって来るのが自分でもわかりました。そこに輪をかけて風呂にも入れなくなると、健康を保つことも困難になります。
 断水から1週間を過ぎる頃、福山市の障害者施設や特養施設で入浴をさせてくれるところの情報が入りましたが、いざ連絡してみると、順番待ちだとか、ケアマネを通せとか介護保険は?などと聞かれて、らちがあかず、やむなく断水のない福山市のとあるラブホテルに目をつけました。写真は、そこに駆けつけているときの様子です。
 このように不自由な生活が10日間ほど続きましたが、もっと大きな災害があったときのことを考えると「日ごろからの備え」という、基本的な考えかたが重要なことがわかりました。障害を持つ私たちは、災害時に避難所で過ごすことも、仮設トイレや仮設風呂を利用することも難しくなります。それは、おそらく健常者よりも辛い目にあうということであると言っても過言ではないと思います。
 今回の豪雨災害により、そのことを身をもって経験することができて、今後の「どんな重度な障害があっても地域で暮らしたい」という当団体の支援のあり方に大いに参考になりました。どこもかしこも災害だらけと言っても過言ではない昨今の日本列島、安全なところはないと心得て、災害時に備え次の行動を考えていたほうがいいかもしれません。

広島県:M.K.

※障害当事者が豪雨災害に遭われた貴重な体験記を拝読し、広島頸損ネットワーク・会報誌『きりん』より転載させていただきました。

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