With You〔前向きな障害者と仲間達〕創立20周年記念祝賀会
ロシア春夏脳炎、障害歴25年、61歳
「はがき通信」の皆様、ご無沙汰いたしております。日本各地で梅雨も終わりきる前に、大雨による河川の氾濫、土砂崩れなどで目を覆うような災害が続いています。その復旧も思うように進まない中、追い打ちを掛けるように40度前後の酷暑に見舞われ、この原稿を書いている今、まさに台風12号が上陸しようとしています。皆様、ご無事でいらっしゃいますか? このようなときに、表題のようなことに触れるのはどのようなものかと考えたのですが、大切な記念日を迎えた私たちです。その報告をさせていただきますことを、どうぞお許し下さいませ。皆様のご無事を心よりお祈りいたしております。
2018年6月3日にWith You〔前向きな障害者と仲間達〕創立20周年記念祝賀会が函館湯の川温泉・花びしホテルにて開催されました。出席者は43名でした。正午の開会に合わせて、メンバーが早目に集まり順調な滑り出しとなりました。会場には贈られたお花が飾られ、とても明るく華やいだ雰囲気に!
開催にあたり会長の私から、With Youを作った当時の思い出や心持、エピソードなどを交えて挨拶しました。しっかり用意した台本を暗記する間もなく本番を迎えてしまい「どーしよー……(T△T;)」とうろたえながら、自分で作った台本に20年間の記憶がよみがえりウルウルしてしまいました(少しどころか、かなり恥ずかしい経験でした)。
1996年にわずか9人でWith Youの前身は出発しました。内にこもらず少しでも外へ出たいという思いに駆られて、右も左も分からぬまま、とにかく障害者と家族が集まり動き出した私たちでした。そのころの道南地方には車いす用トイレのある施設は少なく、スロープも探すのは大変でした。そもそも街中を闊歩(かっぽ)する車いすユーザーを見ることはほとんどありませんでした。けれども私たちは、1人ではできないことを「赤信号みんなで渡れば恐くない!」と半ば強引に、暗中模索で動き始めました。
その後、1998年5月24日に正式にWith Youを地元の障害者数人とその家族、友人たちと共に立ち上げました。モットーは
『街の風景に障害者の色が
溶け込む日を願って
楽しもう、外に出よう、With You!』
です。「With You」には 〜遊ぼう、優しく、勇ましく、友と結ばれて、はるか彼方を目指そう……あなたと一緒に!〜 の意味を込めました。それから多くの人と関わり合って、喜怒哀楽を積み重ねながら、車いすを苦にせず、食事、ドライブ、観光、芸術鑑賞、スポーツ等を体験してきました。そして気付いたら20年が経ち、総会員数は74名になっていました。With Youは、人と出会う場所であり、その中で高め合える所です。また、それまでとは違う自分を発見して、次のステップへ踏み出す場でもあります。
何より、ただ側にいて心が安らぐ空間でありたい、と思います。
(……実際には当日、こんなに長い挨拶は致しませんでした)
続いて、来賓(らいひん)の方々からの心温まるご祝辞、メッセージ、祝電。そして、さらに心を熱くして下さる、ミュージックセラピスト池田千鶴子さんのハープ演奏へとプログラムは進みました。ハーピスト池田千鶴子さんとWith Youの出会い、そして池田千鶴子さんの経歴ご紹介後、ハープ演奏は池田千鶴子さんの即興から入り、〈赤い花白い花〉、〈春の日と花と輝く〉で皆さんの心はすっかり千鶴子ワールドに引き込まれました。1曲目から目頭を押さえている方もおりました。時間が許せばもっともっと聴いていたかったのですが、全員でアニメーション映画「トトロ」より〈さんぽ〉をハープと合唱して、宴へと移行しました。
乾杯の音頭は副会長のHさんにお願いしておりましたが、ハープで涙した方からもらい泣き。Hさんも感激して声が出ず、それでも頑張って「ハッピー、乾杯!」あの日一番の拍手が起こりました。楽しい宴を皆さんの笑顔と笑い声がますます盛り上げます。お腹も程良くなったところで、これまでのWith Youの活動をスライドで紹介いたしました。昔の思い出に、しばし箸を休めて見入ってしまいました。その後、しばらく団欒(だんらん)が続き、〆の乾杯に。これからの活動を誓い合って「かんぱーい!」お開きとなりました。記念撮影は、ホテルのスタッフも手伝って下さいました。おかげさまで和やかにスムーズに……終わらず、あちこちで立ち話や記念撮影が始まり、久し振りの出会いもあって、別れ難いままに再会を約束して、ようやく解散したころには予定終了時刻を30分近くオーバーしていました。
1年以上前から準備してきた20周年記念祝賀会、無事に終えることができました。皆様の温かい気持ちがいっぱい詰まった祝賀会でした。
みんな、みんな!
いままで、ありがとう!
これからも、よろしく!
たいせつな、なかまたち!
北海道:A.S.
受傷30年に際して
C6
夏真っ盛りの中、皆様、お元気にされていますか?
昭和63年すなわち平成の前年に受傷した私は、ちょうど30年目を迎えました。
よく30年もったなあというのが素直な感想ですが、まずは、その間、かかわって下さったすべての方に心から感謝申し上げます。
頸髄損傷を負った当初は、一生車椅子では歯科医師としては意味がない。
好きなスポーツもできないから、もう死ぬしかないというネガティブな思いに支配されていました。
現実を忘れたくて、早く死にたくてお酒を大量に飲んだし、関係のない親や兄弟に当たり散らしました。
しかし、神様は思慮深い方のようで、失ったものの代わりをたくさん与えてくれました。
ラグビーができなければ、車いすバスケを、歯科医師の代わりに情報処理や法律の知識を身に着ける機会を与えられました。
今はありがたいことに、福岡で15年間会社員をしており、ようやく落ち着きましたが、ここまでくるには、数々の人生のピンチもありました。
入りなおした学校を卒業してすぐ就職した職場での突然の営業不振によるリストラの嵐に見舞われ、同僚たちが次々と去りました。
転職先でのひどいいじめ、そしてうつ病になり1か月間の入院や夫婦ともに無年金障害者の我々は職がなくなりお金のないことのみじめさを体験しました。
人生は山あり谷ありの連続であり、怪我して車いすになったことだけが最悪の事態ではないと感じられるようになりました。
なぜなら、不自由だから、人にお願いしないといけないことが多く、苦しい時だけ頼みごとをするのは心苦しいから日頃からの付き合いをきちんとしようと決心すると、人との対等な関係が広がってきます。そして必要な時に必要な人が与えられるようになりました。
前述の無年金状態だった嫁は、あるご縁で社労士の先生と知り合いになり、年金事務所の不手際(いわゆる消えた年金記録)の被害者であったことがわかり、年金をいただけるようになりました(これもまた、怪我した故の良き贈り物だと思います)。
これからは障害に併せて、高齢化も考えて生活をしなければなりません。
借金できることも幸せなことだと考え、20年間住み続けられるように、この6月に風呂の全面改装をしました。
できる限り、人様に迷惑をかけずに自分でできることはやれるような環境とともに、介護されるとしても介護しやすい、されやすい環境を元気なうちに準備し続けている毎日です。
最後になりますが、不運に遭ったとしても以降すべてが不遇かどうかは、その人の気持ち次第でどうとでもなるような気がします。
そこに、気の知れた家族や友人たちがいてくれたらどんなに心強いことか!!
私は彼らにここまで引っ張られてきたような気がしてなりません。
自分をあきらめずに、前だけを向いて生きてゆきたいものです。
ご精読いただきありがとうございました。
福岡市:E.U.
電動車椅子購入記
受傷して16年、初めての電動車椅子を購入して10年。まだ走りそうではあるが、完全に壊れてから役所の購入助成金の手続きを始めるのでは、足がない期間が長過ぎるので遅い。すでに現在乗っている電動車椅子は耐用年数が過ぎているので、申請はできる。
正直、役所での交渉事は苦手だ。しかし、足がなくなってからでは遅いので、意を決して、区役所へ行った。
区の補装具担当者は開口一番、「動いて乗れるなら申請はできませんよ!」…… きつい言葉と思った、しかしこれで帰るわけにいかない。
私は、「すでに10年乗ってボロボロですよ、それにこの車椅子はほとんど自費で購入しているのです。申請して判定を受けさせてくださいよ」と返答した。
すると、区の担当者は私に関する資料を持ってきて、「あなたは労災事故だから労災で車椅子の交付を受けてください」と言ってきた。
まずは、私の状況をお伝えしようと思う。C4クラスで動かせる部位は首から上のみ。特殊コントロールをオプションでつけられる電動車椅子が必要で、車種も限られてくる。
もう一つ、受傷原因が労災であった。これが結構やっかいで、労災は障害福祉より優先するらしく、区ではなく労災で電動車椅子の交付を受けなさいという決まりがあるらしい。初回の車椅子は、言われるがまま労災で交付金を申請した。300万円の車椅子に交付金は、45万であった。残りは全部自費で支払った。
労災事故での一時金が300万円ほど支給されていたが、電動車椅子の購入にぜんぶ使ってしまった。
補装具制度や助成事例が分かってくると、購入する前に制度のことをもっと労災の担当者なり車椅子の業者さんが、詳しく教えてくれればいいのにと思った。
この「教えてくれればいいのに」というワードを受傷してから何度思ったことか!……障害福祉制度のことを勉強してから障害者になるという人はいないはずだ。聞かないと教えてくれない障害福祉の担当者や業者さんは配慮が足りないと今でも思う。
交渉の話に戻そう。今回は、区役所に行く前から労災に見積もりを送り、助成金がいくらまで交付されるのか聞いておいた。チルトが基準内になったので95万円という回答だった。
私の希望している、長時間乗っていられて、小回りが効く電動車椅子は270万円以上でかなり不足している。
障害者手帳で頸髄損傷1級の認定も受けているのに障害福祉で補装具の申請、そして、判定も受けさせないのはおかしいと思った。しかし、区の補装具担当者は他法優先が原則だからと譲らない。
労災では、基準外支給というのがあって、その判定が不支給であれば障害福祉で申請を受けてやってもいいという判断らしい。でも、何故か労災は基準外支給の制度を使わせてくれない。
つまり、両者共、高額の補装具支給は避けたいのだなと思った。
労災と障害福祉の両者と1年ぐらいかけた交渉の末に労災が落とし所の金額を支給決定したので妥協をした。
認可がおりたので、電動車椅子の製作を正式に依頼した。私の希望した車椅子は、日本製の6輪中輪駆動、コンパクトで段差にも強いRELという「さいとう工房」が製作、販売をしている電動車椅子である。完全オーダーメイドなので、しばらく月日はかかった。何度も体合わせと打ち合わせして満足するものを製作していただいた。ユーザー目線である。
待つこと約1年、待ちに待った納車の日が来た。
さっそく外で乗ってみると、今まで乗っていた電動車椅子が欠陥車に思えるぐらい素晴らしい。
歩道の段差にスピードを落とさず突っ込んで行けるし、最寄り駅の狭いエレベーター内で旋回できる。都営大江戸線では駅員の介助なしで乗れる。とにかく毎日、外出するのが楽しい。生活の質は大幅に上がった。
今回の件で、障害福祉課の職員が、障害者に対して福祉サービス等の受給に関する情報を積極的に提供し、必要ならば関係機関と調整してくれれば、重度障害者でもサービスを受けやすくなると思った。
東京都:T.S.