はがき通信ホームページへもどる No.171 2018.6.25.
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 バクロフェン持続髄注療法:ITB療法(intrathecal baclofen therapy) 

 今年になり、冬時期には毎回強くなる痙性・痙縮がこれまで以上に強くなり、腹筋から胸部辺りまでをきつく締め付けられる状態になった。
 それまでは、身体の姿勢をいろいろ変えてクッションやベルトを工夫してしのいでいたが、痙縮は治まらず呼吸することも苦しいときがあり、尋常でない状態へさらに悪化していると思い、いつも通っている病院で診察を受けた。
 病院は自宅から近隣にあり、整形外科の主治医の勧めで、半年前から開設された脳神経外科/痙縮外科の診察を受けてみた。
 そして、現在の苦しい状態を抑えるには、バクロフェン持続髄注療法が最も効果的だと説明され、この療法に対する抵抗感や入院への不安など諸々あったが、現状を脱するすぐの方策として決めて、事前の検査入院:トライアルを受ける手続きを行った。
 トライアルは背骨へ直接注射で投与し、3段階に増量し効果を計る検査。私の場合、1回投与した段階から4、5時間後に効果が現れた。それから改めて担当医と話し、バクロフェンポンプ埋め込み術についての詳細等説明を受け、手術を実施することになった。
 その時期、インフルエンザが蔓延(まんえん)して入院患者が多く、手術当日まで3週間ほど待つことになり、その間も痙縮は治まることもなく続いて、ベッド上で睡眠を取ることができず、電動車椅子のチルトやリクライニング、フットレストの電動機能を頻繁に作動させながら身体の姿勢を変えて仮眠を取るようにして、しばらくの間を何とかしのいだ。
 手術前日、血液検査・全身麻酔のため、呼吸・心電図・レントゲン・歯科での検査、トライアル時にCT・MRIを済ませた。
 手術時間は、全身麻酔で2時間半ほどかかり無事終了し、その後病室へ戻り、お腹へ埋め込んだ機械を作動しバクロフェンを投与した。
 その日の夕方頃から、徐々に下半身のツッパリが緩みだし、腹部の方まで広がってきた。翌日、排泄を行ったことで体調的には不調で、それまでの疲れとが合わさり点滴を続ける中、夕方までベッド上で側臥位を繰り返して過ごした。
 夕食後、鈍くなっていたツッパリ感が強くなっているのを自覚し、翌日、担当医がバクロフェン薬の投与量を初期から30%増量した。
 その日から2日間、痙縮はほぼなくなり入院から1週間後、無事退院することができた。気がかりだった排泄の際の腹圧やシャワー浴も通常通りで行い、抜糸は外来で10日後行った。
 現在の状態は、身体にあった痙縮は完全に抑えられている状態で、しばらくの間経過をみてバクロフェン投薬の適量を調整する時期のようだ。それまで介助中やベッドへの移乗の際、反射として起こる痙性・身体の反応もほぼ起こらない状態になっている。
 こうした感覚は、急性期の状態に似た感覚で同じ姿勢がしばらく続くとツッパリ感ではない痺れやダルさを感じて、就寝明けは膝を屈折したり左右側に体位変換を行って過ごし、朝夜のストレッチ運動は日課にしている。
 ITB療法ウェブサイト: http://itb-dsc.info/new.html

東京都:H.K.

 『臥龍窟日乗』 -52- 『一億総屈折化』 

 大宅壮一という評論家が『一億総白痴化』という言葉を流行らせた。1957年のことだ。一億はその当時の日本人口。すなわち日本国民がこぞって白痴化の道を突き進んでいると揶揄(やゆ)したものだ。
 日本でテレビ放送が開始されたのは1953年。筆者が6歳だった。『一億総白痴化』の論拠は「紙芝居同様、いな紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと並んでいる」というものだ。テレビ放送が開始され、わずか4年後にテレビは低俗の烙印(らくいん)を押されてしまった。
 いま思い起こしてみても、人気番組は「プロレス中継」だったり「8時だヨ!全員集合」だったりした。それらをボクらは毎週心待ちにして観たものだ。低俗と指摘されようと白痴と叩かれようと、これらの要因はしっかりボクらの脳みその思考回路に組み込まれており、自分ではいかんともしがたいのだ。水が低きに流れるように、そもそも人間は低俗に群がるようにできているものなのか。
 ではなぜ冒頭の陳腐な言葉を持ち出したかというと、昨今の凶悪犯罪を見るにつけ、いつから人間はこんなに狂暴で卑しくなったのかと考えさせられるからだ。『一億総白痴化』をもじっていうなら『一億総狂暴化』ではないのかと。それが極端であるなら『一億総屈折化』と置き換えてもよい。
 毎週のように全国どこかで犯罪がおきる。幼い女の子の強制わいせつ、通り魔無差別殺人、施設での大量殺人など、これでもかこれでもかと事件が起きる。暴力犯罪は怨恨を理由に起きるのがほとんどだったが、昨今では「人を殺してみたかった」という動機がやたら多い。日本人はいつから人の命を軽んずるようになったのであろうか。
 ボクらが若いときにも、もちろん凶悪犯罪はあった。ヘルパーさんに聞いてみる。「吉展ちゃん事件とか宮崎勤事件」とそくざに返ってくる。つまり記憶に残る事件というのはさほど多くはない。ひとつの事件が何ヵ月も語り草になったものだ。
 ところが、いまはどうだ。事件が起きると模倣犯のようにつぎからつぎに連続して起きる。まるでゲームのように連鎖して起きる。これをどう捉えたらいいのだろうか。
 大宅壮一はテレビの出現を『一億総白痴化』と表現した。筆者は、インターネットによって『一億総屈折化』が起きていると指摘したい。
 いつぞやも書いたように、インターネットは人類に計りしれない恩恵をもたらした。人類最大の発明だと思う。地球の裏側の人びととかんたんに交信できたり、大英博物館の所蔵品を検索できたり、これは夢のような話なのだ。
 しかし一方では、利用者が自由に書き込みできることから、無責任な誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)が飛び交う荒んだ社会をも生み出した。芸能人のスキャンダルを喜んだり、差別発言を平然とする層が幅を利かすようになった。外からは正体の見えない防弾ガラスのなかに身を隠し、無意味に人を殺傷する。いつから日本人はこんなに卑しくなったのだろうか。まるで箍(たが)がはずれた桶みたいなもんだ。
 箍という言葉で思いついた。ボクらが子どものころ、世間にはたしかに『社会の箍』ともいうべきものが存在した。それは共同体に生きていく掟(おきて)でもある。
 たとえばボクが年長組のとき、長屋の脇で焚火をやったことがある。それを見咎(みとが)めた近所のおばさんにこっぴどく叱られ、母には頬をつねられた。年端のいかない子どもに掟を教える場合には、ときとして体罰は必要だ。いまでは死語となったのかもしれないが、躾(しつけ)という言葉があった。いい言葉だと思う。身体の痛みによって善悪を教え込む。これは虐待では決してない。どこが違うか。愛情があるかないかだ。
 最後に筆者が体験したエピソードを紹介しておく。近くにできたスーバーマーケットに行ってみようと、ある日、車椅子で出掛けた。小学校低学年と思しき5、6人の自転車少年が、筆者に絡みつくように併走した。新型乗り物で遊んでいるとでも思ったのか。「君たち危ないから近づくのはやめなさい」と注意したら、すぐうしろを歩いていた30過ぎの母親が、顔を真っ赤にして怒鳴り返してきた。
 「危ねーと思ったら、こんなところにひょこひょこ出てくんじゃねーよ」(そのまんま)
 こういうのを虐待という。

千葉県:出口 臥龍

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