膀胱ろうトラブル「ピョコンと肉芽が!」
受傷歴37年、C6
受傷から16〜17年目に、失禁対策のために膀胱ろう造設術を受けました。失禁を気にして控え気味だった水分も摂れるようになり、なんと言っても外出時の不安がなくなったことが一番の利点です。渋滞時の車内でも気にせず排泄できるなんて、このときばかりは優越感に浸れます(笑)。
当初から膀胱洗浄なしでも感染・熱発もなく、膀胱ろう口も綺麗でした。ただ、ときどき失禁があるので、膀胱の収縮を抑える薬(バップフォー)を飲み続けています。
造設術から10年ほど経った頃から、徐々にカテーテル交換がスムーズに行かなくなり始めました。腹壁と膀胱間に段差ができ始めたことが原因らしく、交換時に引っかかりがあり、皮膚に傷が付くのか少し出血が見られます。
そして、昨年頃からガーゼに色が着き始め、膀胱ろうの入り口がただれてピョコンと赤い皮膚が顔を覗(のぞ)かせています。「なんだこりゃ〜!?」。これが肉芽というものだったのですね。初めてのことだったので驚いて、同じ経験のあるSさんにもお話しを伺いました。
結果、造設術を受けたKリハビリ病院で、CTと尿道から挿入する内視鏡検査を受けることになりました。内視鏡なんて初めての体験でしたが、膀胱内に少し赤味はあるが問題なしとの診断でした。やはり、脊損患者に慣れている先生に診てもらうと安心です。
肉芽は、指示通りリンデロン(ステロイド)を塗布するとみるみるうちに治まりましたが、長期間使用すると皮膚が薄くなるとの注意付きです。現在肉芽は全く見えず、ガーゼに色が着いてきたらアズノールやサトウザルベ、リンデロンを塗布するなど、状態に応じて対処しています。
膀胱ろう歴も20年となりますが、今頃になって気付いたことが他にもあります。カテーテルが勝手に(笑)奥に入ってしまったり、尿が濃いときに失禁しやすい。私の失禁はこの可能性が大だったようで、オマケに奥に入ってしまうときに、カテーテルが擦れるとただれる原因にもなるということ。なので、今になって、カテーテルが奥に入って行かないようにテープ固定をしています。
今回の膀胱ろうトラブルは私にとっては一大事でしたが、「珍しいことではないよ」と先生に言われホッとしました。
神奈川県:S.K.
※上記ご投稿のKさんより、「ベッド上での電話の送受信方法」について情報提供のご希望がありましたので、合わせて掲載させていただきます。
情報をお持ちの方は、瀬出井までぜひお寄せください。もし情報をいただけた場合はKさんに転送後、「はがき通信」にも情報還元いたします。
よろしくお願いいたします。
h-sedei@js7.so-net.ne.jp
ベッド上での電話の送受信方法について
私はC6で、車いす上では多少手が利きます。
日中はスマホを首にかけ、Bluetoothイヤホンマイクで(自動受信アプリを使用)電話を受けています。でも、発信する場合は、スマホを持ち画面をタッチする必要があります。手元にあれば画面タッチも可能ですが、ベッドサイドに固定するとなると困難です。
今後、褥瘡予防のため日中でもベッド上の時間も増え、現在でも緊急連絡に対応できず困っています。
何か良い方法がないかと友人に相談したところ、以下のiPhoneの「自動で電話に出る」機能を教えてくれました。
https://dekiru.net/article/16123/
良さそうですが、現在は最小・軽量のAndroid スマホを使用しており、iPhoneだと大きく重くなり首にかけたり手で操作するには、負担がかかるかなと考えています。
そこで、実際にこの機能をご使用の方、また「他にもこんな方法があるよ」とご存知の方は、ぜひ情報提供をお願いいたします。特に身体状況が同レベルの方は、どうしているのかを伺いたいです。
神奈川県:S.K.
信州塩の道祭りに参加
「はがき通信」ではいつも何かしら役立つ情報をと模索するのですが、最近は追悼文が多く、気にしていました。今回は趣向を変えて、老いの挑戦報告です。
5月3日第9回塩の道祭り、小谷村千国(ちくに)コースに初参加してきました。塩の道祭りは毎年5月連休に小谷村、白馬村、大町市の共催で3コースあり、それぞれ約10キロ、うち小谷村千国コースを選択したのは、小谷村が地元・白子町の姉妹都市、その交流事業の企画に住民として参加したからです。
町の広報には、「塩の道祭り」は比較的起伏の少ない山道を歩くもので、上杉謙信が武田信玄に塩を送った昔の交易街道をしのぶ祭り、と紹介されています。10年強継続中の早朝ウオーキングで、平均12000歩/日と脚力にかなりの自信をつけつつある私も山道は全く自信がありません。その私が今回思い切って参加したのは毎朝ウオーキングで出会う知人の強い勧めがあり、決断したからです。
今年の連休後半は大雨と予報どおり、3日ホテル出発時は大降りの雨、雨具を身につけての出発、千国コースは9㎞、所要時間3時間半程度、参加住民の多くは高齢者、マイペースでゆっくり歩くようにと、4時間半くらいの時間が与えられました。白子町の宣伝も兼ねてと地元観光協会制作のピンクの法被(はっぴ)を渡され、リュックの上から羽織るとかなり目立ちますが、祭りの趣旨として、昔の旅姿でと呼びかけがあり、かなり趣向を凝らした旅姿が多く、私たちのピンクの法被姿も参加者の関心を呼び、各休憩所で会話が弾みました。約30分ごとにトイレと休憩所が設置、地元住民が飲食物の接待をしてくれます。参加者の中にはリピータが多く、そのためかリュックも背負わず、手ぶらで歩く人も多く見かけました。
コース半ばの千国諏訪神社がメイン会場、そこで十分休憩をとるようにと説明を受けていました。出発当初、知人と私は前後になって細い山道を登り下りして前進、次第に私がやや遅れ気味、それでも休憩所で道連れが待っている余裕がありました。千国諏訪神社では彼女は待ちくたびれたか、追いついた私につかの間の休憩を与えると出発、その後はもう前方にピンクの法被姿が見えなくなり、完全に一人旅になりました。といっても山道には参加者が続き、犬連れのペア参加者も何組も見かけました。通常、追い抜かれることの嫌いな私ですが、だんだん息があらくなり、どうぞと自ら道を譲るようになってきました。同年代の高齢者に抜かれ、小中学生に抜かれ、ワンちゃんに抜かれても平気、ただひたすら山道を上下して自身の体を前へ前へと推し進めました。
塩の道祭りは年齢を問わず、誰でも参加可能と、各要所の手前にはコース前進をあきらめた歩行者用に、車が待機していました。コースの後半、最難所の急こう配の手前にも2台車が待機していました。一瞬、ためらいながらも急こう配の坂道に挑戦し始めました。そのきついこと、息が上がって足がもちあがりません。何度も立ち止まり、息を整えて再挑戦、山道を登るというよりも自分の脚を持ち上げるという感じ、引き返す選択肢はなく、登るしかなく、何人にも追い抜かれ、ただただ重い脚を引き上げ、あえぎながら登っていきました。やっと平らな道にたどり着き、ベンチのような大木に腰かけ、息を整えました。そのすぐ先に、最後の休憩所がありました。そこで出会った参加者が千国コースはきついから昨年は白馬村のコースにしたと聞き、ここは難コースだったのか、どうりでと納得する思いでした。最後の休憩所から先は平らな山道が続き、やっと周囲を見渡せる余裕が出てきました。新緑の木々、満開の八重さくらや水仙の群生、山道の下には部分的に雪が残っていました。その先の日当たりには水芭蕉の畑もあり、大きな白い花を咲かせていました。
車道に出て、ゴール寸前でピンクの法被姿の3人連れが私に追い付き、4人でゴール、お茶を飲みながら一息ついていると、同行の役場の若い職員5人連れがゴール、先に到着していた私を見て、眼を見開き驚いた様子でした。私の道連れはとうにゴール、ホテルのロビーでゆうゆうと待機していました。現役のころ、山ガールだったと聞かされ、彼女の足手まといにならずによかったと胸を撫でおろしながらも、出発前に知っていれば、無理に追いつこうとせず、マイペースでもっと周囲の景色を楽しみながら、休憩所で地元の人々と交流しながら歩けたのにと、恨めしい気分でした。ともあれ、現役時代、運動とは通勤程度だった私が、あえぎながらも千国コースを完走できたことは老いつつある体力への自信回復にも刺激にもなると、誘ってくれた知人に感謝の思いでした。
千葉県:松井 和子