はがき通信ホームページへもどる No.166 2017.8.25.
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 私の困っていること 


 昭和20年1月、兵庫県加西市に生まれ、現在72歳です。
 平成15年5月、自分の不注意により崖から転落し、受傷しました。障害程度はC2〜C4で、N市民病院に約2ヶ月、大阪のI病院に6ヶ月、兵庫県立リハビリT病院に6ヶ月入院し、退院後バリアフリーの住宅を新築して妻と2人で暮らしています。

 1週間の主なスケジュールは、次のとおりです。
〈月〉デイサービス
〈火〉 9時〜10時 訪問リハビリ(医療保険)
   10時か12時 買い物(介護保険)
〈水〉自由
〈木〉 9時〜10時 訪問リハビリ(医療保険)
   10時か12時 散歩(移動支援)
〈金〉デイサービス
〈土・日〉自由
 排便は3日おきに妻の介助で浣腸しています。
 排尿は膀胱ろうで、受傷1年後に手術をおこないました。
 最初の電動車椅子は、平成17年3月にきました。現在は2台目で、メーカーはIMASENでEMCというモデルです。
 7年ほど前から環境制御装置「みてら」を呼気スイッチで使用しています。電話、ベッド(シーホネンス和夢「純」)、テレビ、照明、エアコン、扇風機、BDレコーダーに対応しています。



 田舎で不便ですので、自家用車がなければどこにも出かけられません。退院時に車椅子対応の自動車「ノア」を購入しました。すべての車椅子に対応していると思っていましたが、この時点ではまだ電動車椅子用はありませんでした。車椅子ができあがり、乗り込もうとすると頭がすれすれでしたが、なんとか乗り込むことができました。

 困っていることを2つ書きます。
◎ 排痰(たん)
 受傷後から痰がよく出て、排痰に苦労しています。I病院のPTの先生が教えてくれた、腹圧をかける方法を今も行っています。腹圧のかけ方は、呼吸に合わせてお腹がふくれたりへこんだりしますが、介助者がへこむタイミングに合わせて、両手でお腹を押さえます。初心者はなかなかこのタイミングをつかみにくいので大変ですが、上手になれば気持ちよく排痰できます。
 痰は口の中に出てきますが、これを取ってもらうのがまた大変です。「ティッシュを広げて口に当てれば、すぐに痰を舌の先から押し上げますので素早く包み込むように取って下さい」と、介助者に説明してから取ってもらいますが、包み込まずにおしりを拭くように拭き取ったりでうまくいかないことがあります。



 普通のティッシュはザラザラで、口周りが痛くなります。最近テレビかラジオの情報で、人は涙や唾液など、器官を洗浄するための分泌物が1日1リットルぐらい出ているそうです。それが全部食道を通り胃に行きます。胃では細菌やウィルスを強烈な胃酸でやっつけてしまいます。この情報を活かして、最近は痰を飲み込むようにしています。

◎ こんなことってある!? 座高が伸びた!
 平成27年7月、函館と札幌を旅行しました。飛行機で函館空港へ行き、レンタカー(ノア)を借りて函館山等市内観光をし、ホテルに泊まりました。次の日の朝、出発するぞと元気よく車椅子で車に乗ろうとしましたが、頭がつかえて乗れませんでした。ロビーに引き返して、座り直したり、タイヤやロホクッションの空気圧を見たり、3回ほど繰り返しましたが乗ることができませんでした。
 仕方なく車椅子をティルトして身体を寝かせた状態で車に乗り込み、30分ほど遅れて出発しました。それから3時間半走り、お昼ごろに羊蹄山の道の駅に到着し、車から降りました。1時間ほどして出発の際に車に乗り込むと、なんと!いつものように乗れたではありませんか!
 何だったんでしょうか……?
 それから今日までに同じことが2回ありました。出かけるのは妻と2人だけのことが多いので、寝かせて乗り込むのは大変です。これからも心配でなりません。

兵庫県:T.T.



 「C型肝炎奮戦記」 

C4−5、58歳

 こんにちは! すっかりご無沙汰続き、久しぶりの投稿です。
 今年の夏も広島はカープで盛り上がり、暑さ倍増です。



 報告が遅くなりましたが、2015年10月21日から3ヶ月間、C型肝炎の治療を受けました。おかげさまで、今のところウィルスは消え、経過は良好のようです。
 高校2年生17歳の夏、急性肝炎にかかり治療を受けました。それ以降、検診で1度だけ数値が悪いのが見つかり治療を受けたことがありますが、3ヶ月で治ったし、何型肝炎とか気にすることもなく過ごしていました。
 1994年に受傷し、3年半後退院。在宅生活3年が過ぎたころ体調が悪くなり、検査を受けると肝臓の数値が悪くC型肝炎と診断されました。どこで感染したのか知っておいた方がいいと助言があり、調べてみました。受傷した時にはすでに感染していたので、手術を数回受けましたが輸血等ではなく、たぶん子供の頃の予防注射かなあ、と思っています。17歳で肝炎になったときは、体調が悪く保健室に行って検尿。褐色の尿が出て保健室の先生から、「たぶん肝臓よ。ついこの間も同じ症状で1人来たから」と言われたことを思い出したからです。
 このまま放って置くと、肝硬変、癌(がん)になるリスクが高くなるので、インターフェロンの治療を勧められましたが、副作用を聞かされお断りしました。副作用の内容は、発熱、ひどい吐き気、痒(かゆ)み、倦怠(けんたい)感、鬱。今、もうすでに吐き気や痒み、倦怠感に加え痙性やひどい痛みを抱えながら過ごしているのに、もうこれ以上しんどい思いはしたくない、短命でいいので一日一日を精一杯楽しく生きたい……。週2〜3回の注射と服薬による進行を抑える治療と、年2回の検査を選択しました。血小板は少なくなるも数値は落ち着き、その間キョーレオピンを飲み始めると、数値はさらに安定しました。
 しかし往診のないわが町では、週2〜3回、片道30〜40分かけて注射のために通院。1回はヘルパーさん、あとは夫の付き添いでの通院ですが、気が付くと自分の時間は減り、夫の休日も半分を取り上げることとなり、夫ともども年齢とともに疲れが溜まるようになりました。そしてこの間、夫と自分の実家で生活している親の介護も始まり、嬉しいことですけど娘たちの結婚、出産とさらにことが増え、なにかと忙しくなりました。「副作用のほとんどない新薬が認可されるので、受けてみませんか?」と勧められていましたが、なかなか気持ちが進まず……。
 そんな中、4年前ですが肺炎、その後気管支炎を繰り返すようになり、さらに体の痛みが強くなり体力の低下を感じるようになり、夫は腱鞘炎(けんしょうえん)がひどくなり、2年前に体調を崩して入院しました。
 夫の体調異変を機に、新薬治療を開始することにしました。「ウィルスが消えると慢性肝炎で硬くなっている肝臓も良くなると思いますよ。癌の発生はまた違うレベルの問題です。治療中は経過観察のため、週1回受診してください」と医師から説明がありました。新薬が認可されたのは、2015年5月の終わりでデータが十分でなく、少しでも多くのデータ集めが必要なため、時間を置き、開始時期は吐き気の強い夏場を避けました。 
 薬はソバルディ400mg朝1錠、レベトールカプセル200mg朝夕各1錠。ソバルディ1錠の単価の高いこと、なんと1錠6万円。びっくりです! 医療保険だから負担はない、と言われても市町が負担ということになります。「わが町は財政が豊かではないので、やめましょうか」と言うと、「大丈夫です。そんな心配はいりませんよ」と……。ありがたい新薬ですが、どこからこのような桁外れの価格がつくのでしょうかね。
 服薬開始後、インフルエンザ予防注射の時期を迎えましたが、悪影響を与えるかもしれないということで、用心のため受けないようにと言われました。インフルエンザ予防は念入りに注意しましたが、幸いにもこの年は流行が遅く、治療後の予防注射で間に合いました。痒みや花粉症に似た症状が1ヶ月続いたものの、吐き気や発熱はありませんでした。
 ただ、服薬開始直後から、お腹の動きが悪くなり、ガスは溜まり、排泄(はいせつ)苦との戦いが始まりました。痙性も強くなりました。予想外の副作用です。抗生剤服用も同じ症状で苦しみますが、これは数日間で解決。しかしこのたびは3ヶ月続くのですから、心は沈むばかり……。魔の週2回の排便日。下剤を増やしたり、腸の動き、環境を整える食品、お腹を温めたりマッサージしたりしましたが、努力は薬には勝てません。座薬を数個使ってトイレに2時間も座って、看護師さんも汗だくで摘便してくださってもなかなか出ず。午後からの入浴時まで引きずっての長時間。ひどいときは、夜への延長戦も。何度も治療をやめようか、と思いましたが、訪問看護師さんやヘルパーさん、夫、娘たちが「頑張って!」と背中を押してくれ、なんとか治療を終えることができました。
 「よく頑張ったね。ウィルスも消えてよかった!」と一緒になって喜んでくださった訪問看護師さん、ヘルパーさん、嬉しかったです。「頑張って!」の声が、重たくも感じたときもありましたが、今となっては感謝の言葉しか見つかりません。しかしこの3ヶ月間、小学校のころに夏休みを待ったときのように、1日1日がほんとうに長く感じました……。
 現在、10万しかなかった血小板も17万に増え、エコーで見えにくかった肝臓がきれいに見えるようになったそうです。吐き気も楽になりました。ただ、痙性、筋緊張は強くなったのが悩みです。でもでも、やっと何年も続いた肝臓での通院から解放され、気持ちや時間にゆとりができましたから、よし!としましょうかね。通院のお手伝いをしてくださったヘルパーさん、移送サービスさん、そして体力勝負の排泄に、気持ちよく付き合ってくださった看護師さん、ほんとうにありがとうございました。

広島県:M.K.



 節目にあたって 

50歳、C6−7

 初夏の足音が聞こえる今日このごろですが、皆様お元気になさっていますか?
 この誌面が届くころには、「高校野球」で盛り上がっていることでしょう……。
 今年は年明け早々、東京出張が入り、かなり大変でした。
 出張に出る場合、仕事の準備も当然ですが、移動手段や介助者の確保と併せて、尿や便の管理にはとても注意力を集中させます。私の場合、マグミット服用による4日に1度の自然排便なので、移動日と滞在日を2日目と3日目にあてるようにと考えます。ですから、会議後の飲食は極力控えています。(苦しい!!)
 今回は緊張もあったせいか、便がおりてきているのはわかるのですが、なかなか予定日に出ずに、気持ちが焦りましたが、摘便で結果オーライでした。

 そこで慣れないところに行ったときに不便に感じることを書き出してみます。

新しい行先で、平面的な地図を見て把握しても、道の凸凹感や傾斜がわからず、苦労します。
 現地に行ってみると、目的の建物がすぐそこに見えているのに、傾斜のある坂道を上らねばならず、がっかりすることがあります。

ホテルにバリアフリールームがあるといっても、途中に傾斜のある廊下があったり、車椅子が通れない段差や通路幅のせまいところがありました。
 また風呂の取っ手が高い位置にあって使えない。適当な広さの洗い場がないなど……。

研修先では車椅子を押してくれるスタッフがいるのですが、押すことだけに集中して、段差の有無を配慮せずに、前方にこけたことがありました。

JRではホームに行くまでの動線が長すぎて予定の時間に乗れませんでした。

 などなど慣れない場所、特にパラリンピックが開催される東京でこのような不都合をクリアできれば、世界に対して誇れるバリアフリー国になれることでしょう。

一つ補足しておきますが、東京は坂道やでこぼこ道が多いからこれをフラットにすべきということを言っているわけでなく、そこは外国人の言葉や気持ちを理解できる市民ボランティア等の人的支援があればよいと思うのです。
 ホテルもしかり、あえて改造する必要もなく、適切なフォローがあればよいと思うのです。

 次に、現在困っていることを書きます。

 昨年転倒し、右肩を脱臼し、痛さでいろいろな動作に支障が出て、ほとんど左手で対応していました。
 そして、今年の初めに右肩の痛みが治まったと思いきや、出張後に、左の腕に痛みが出てきて、今度は逆に右手で対応している最中です。左腕を酷使しすぎた結果、一部筋断裂を起こしたそうです。朝、目が覚めて、腕で起きあがろうとしても痛みで起きあがれません。
 JWⅡという車椅子にのせてもらう機会があり、こんな便利なものがあるなんて!!と感激し、買おうかとまで思いましたが、今楽をすると、筋肉がなくなることが心配になり、あえて買わず、茨の道を歩くことを決心した次第です。
 そんな毎日を送っています。皆様にあってはお体に気を付けてどうぞ元気で楽しくお過ごしください。


 福岡県:E.U.



 佐渡旅行 

60歳、C4、頸損歴24年目、人工呼吸器、電動車イス使用

 佐渡は新潟人にとって、東京人の東京タワーのような所です。いつでも行けると思うがゆえに、なかなか行かない。この6月に「死ぬまでに1度は」ということで、初めて佐渡1泊2日(6月14日〜15日)で行ってきましたので、旅行報告を以下に記します。

(1)予約
 初めに、6ヶ所のレンタカー屋さんに電話して、佐渡には私が乗ることができるような大型の福祉レンタカーはないことがわかりました。佐渡タクシーに唯一の大型の福祉タクシーがありましたが、7千円/時と割高です。そこで、いつも利用している近くのレンタカー屋さんから車を2日間レンタルして、カーフェリーを使うことにしました。
 一方、宿についてはそもそも佐渡が古くからの観光地のせいか、ベッドのある宿が限られていました。観光協会に電話して紹介してもらったのは4ヶ所、折しも新潟県内外の小学生の修学旅行の季節と重なり、予約できたのは最後の1軒で選択の余地なしでした。

(2)1日目
 新潟から両津港まで穏やかな日本海を2時間半ほどの船路です。12時ごろに佐渡に着き、最初に向かったのはトキの森公園です。この旅の第1の目的は社名「ときプランニング」(重度訪問介護)の由来になったトキに会いに行くこと。ボランティアガイドさんの説明を聞きながら、やや遠くではありましたが、本物のトキを見ることができました。
 その後は、佐渡の上半分にあたる「大佐渡」を海岸沿いに名所を巡りながらドライブしました。
 北の端の弾崎(はじきざき)灯台は、主題歌が「♪おいら岬の灯台守は」で始まる映画『喜びも悲しみも幾歳月』の舞台になった灯台です。しかし、もう一歩というところに階段があったので、遠望するのみになりました。
 二ツ亀は佐渡の自然が造形した海に浮かぶ2つの小さな島のような奇岩です。また、大野亀も同様ですが、こちらは陸続きで遊歩道が整備されていました。と言っても坂道でデコボコで車イスにはきつく、途中まで行くのがやっとでした。しかし、ここは旅の2つ目の目的であるトビシマカンゾウの群生地です。満開を1週間過ぎてしまっていましたが、一面を黄色が覆っていました。



 次に、尖閣湾(せんかくわん)に行ったのですが、ベストビューは入場料を払わなければ行けないところにあるようです。そもそも自然を観るのにお金を払うというのはどうなんでしょうね。しかし、せっかく来たからと入場券を求めたら、17時半までという入場制限があり、17時を過ぎていたためNGでした。この日の長い季節に商売っ気がないというか、結局尖閣湾を観ることはできませんでした。
 最後に、夫婦岩(めおといわ)に行きました。少し大きさの違う岩が並んでいれば夫婦岩だそうで、ここも綱こそ張っていませんが同様でした。缶ビールを飲みながら夕陽になるのを待っていたのですが、宿のチェックインリミット19時に間に合いそうもなくなり、これも断念せざるを得ませんでした。



 宿は2階から5階が客室で、各階の隅の1室にだけ洋室があり、あとは全部和室のようでした。エレベーターと居室の入り口はせまかったのですが、私の大きい車イスはなんとか入ることができました。
 夕食は佐渡の海産物づくしを2時間もかけて堪能させてもらいました。
 さて、ベッドへの移乗は女性の付き添い2人にチャレンジしてもらいましたが、私の体重が増えたのも災いしたのか、無理でした。そこで、フロントに電話して手助けをお願いしたら、若い男性がすぐ来てくれて、スリングシートごと移乗することができました。

(3)2日目
 翌朝は、宿の御主人と思しき初老の男性が車イスへの移乗を手伝ってくれました。
 2日目は旧跡と館巡りでした。
 初めは佐渡金山跡、ここには2つの坑が観光用に整備されていますが、車イスが入れるのは一般客が行かない階段のない坑だけでした。しかし、この坑の途中には外に出るところがあって、古い機械の展示をしており、やはりボランティアガイドさんが説明してくれました。
 次に、佐渡奉行所跡に行きました。奉行所内には入り口に大きな階段があって、車イスでは入れませんでしたが、隣接して金の精錬所跡があって、昔の精錬法を紹介していました。
 次に行ったのは佐渡博物館です。ここでは、佐渡の自然の成り立ちから美術品まで網羅的に展示していました。



 さらに、佐渡歴史伝説館をまわりました。ここでは、佐渡の伝説や寓話を動く人形と放送で順々に5分ぐらいで説明してくれます。20話ぐらいあったのですが、車イスは2階に上がれず、半分だけ見聞してきました。
 最後に、佐渡国分寺から五重塔のある妙宣寺へとまわったのですが、ともに歴史的にも美的にも趣のある建物があるにもかかわらず、他の観光客がいなかったのは意外でした。



 そして、早々に両津港に戻って名物のブリカツ丼を食したのですが、新鮮というならブリヅケ丼の方がいいかなと思った次第です。

(4)まとめ
 総じて、食良し、景色良し、天気良しの旅でした。佐渡は見どころが多く、車でまわるのが正解のようです。鉄道はなく、低床バスは見かけましたがどれくらい普及しているか疑問です。宿の部屋の入口の広さや移乗については、宿の選択肢もなかったことから、あえて確認せず、問題が生じたらそのときに考えようと覚悟して出かけました。また、2泊すれば、小佐渡の小木方面も観光できたようですが、次の機会を待ちたいと思います。
 (2017年7月29日記)

 新潟市:T.H.

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