はがき通信ホームページへもどる No.159 2016.6.25.
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 ゴールデンウィークのエッセイ 

 金曜の夕方から土曜の夜更けまで、中山七里の『さよならドッビュシー(前奏曲)』と『さよならドッビュシー』を根詰めて読んだ。まあー読書好きなのだから、僕にとっては普通のことなのだけれど、ここしばらく根詰めて本を読むことがなかったので、読み終わったときに長い間忘れていた喪失感を味わうことになった。実際何十年という単位で、こういう感情を忘れていたのだが、本を読み始める前の心の在り様次第では、本当に期待してもいないことがついてくる。
 僕の場合、本を読み始めると、本から飛び出てきた物語が頭の中で生き生きと存在感を持って動き出す、いつものことだ。それで、現実と束の間存在する物語のギャップがありすぎると現実に戻ったとき、面倒な場面が多々ある。だから普通、心がどっぷりと重いときには軽く読む、穏やかなときには深く読む、浮かれたときには読まない。すると大概、現実界には柔らかく戻ってきて、有意義なひと時を持てたと余韻を楽しむことができる。
 ところが、孤独や辛さなど負の感情に支配されているときに根詰めて読むと、ひどい喪失感が読書感だったりする。大胆に言えば、本は心の健康度を測るリトマス試験紙のような所があるのだろう。
 実は、心の健康度を測るものにちょっと意外なものがあるのをご存じだろうか。胸キュンだ。
 胸キュンは「春風や恐らくわたし恋をする」のように、若者にとって色恋の代表のようなものだが、高齢者になるとこれが油断のならない代物になる。経験を積むと解るが、この年代の胸キュンはロマンチックなものでなく、精神なり肉体なりが不調になり、心身のバランスが崩れ、結果として体が警告を発するときの現象にもなっている。
 もっとも老いてなお恋をすれば、胸キュンは若さを保つ特効薬になるかもしれないし、最近の老人は元気があるから、案外これも有りかとも思う。
 それにしても今年は春から初夏へと移る季節感は尋常でなく、季節を測る僕の体内時計は狂いぱっなしだ。何しろ我が家の玄関脇のつつじが、4月のはじめから一輪、二輪と咲き出したのにはびっくりした。35年ほど前、実家から根分けをして持ち帰り移植したつつじは、いつだって5月の大型連休前から、一気に咲いて、パッと散った。それが今年に限って、4月のはじめから咲きはじめ、連休に入ってもなおいくつかの花を枝先に残している。ん、まるで我が家のつつじは主(あるじ)たる僕を哀れに思い、励ましてくれていたのか。
 それでも気候が暖かくなるのはいい。冬には、あれほど着込んで重かった気持ちが日毎に軽くなって行く。大丈夫、明日はもっとよくなる。ロマンスだって向こうから「こんにちは」ってやってくる。そう言い聞かせる言葉も無理なく口に出てくる季節になった。
 そうだこの夏、僕の装いはきらめいて、ますます若作りで年齢不詳になるというのはどうだろう。
 

神奈川県:M.K.



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 頸損と介助犬(その6) 


 ずいぶんと長い期間で紙面をいただいていましたが、まとめとさせていただきたいと思います。
 介助犬と実際に暮らし始めて1年が過ぎての感想は、そもそも犬が好きであるから大型犬に抵抗がないことをベースにしても、やはり、新しいことをする決断は、タイミングと勇気がマッチしたおかげで踏み切れたと感じています。
 介助犬が介助者の代わりに何でもしてくれる訳ではないし、世話をする責任の重さもあります。揉めるまでは至らなくても、犬がきっかけのトラブルはなかったとはいえません。しかし、私の生活はかなりの幅で変化をしていきました。
 車の運転はしていましたが、用件があって行かなくてはならないといった必要に迫られての移動手段でしたが、介助犬の相棒に向かって、今日は何処に出かけようか?と休日に外出をするようになっていました。まぁ、最初のうちは、ある種の義務感のような感覚に押されての行動でした。
 しかし、日々が過ぎてくると、家族や友人等と外出をするよりも楽しく外出をしている自分が存在していました。もともと、誰かとつるんでの行動よりも一人で過ごすことが好みでしたので、誰かに気を使わないでいられる新しい時間を過ごせることに意義を見つけていました。
 この効果の理由は、何か困ったときに誰かに頼むストレスを、知らずのうちに感じていたのを和らげる効果を犬が持っていたようです。例えば、物を落としたときに拾ってもらうことを犬が拾うほかに、通りかかった誰かへ頼むときのコミュニケーションツールとなっている訳です。1つの緩衝剤(かんしょうざい)となっているのです。
 仕事以外での社会とのつながりを敢えて持ちたいとは思わなかった私が、学校への出前授業や企業への講師として出向く機会が増え、生活の奥行きが出てきたことを感じています。
 誰にでも勧めることは現実的ではありませんが、1つの選択肢となることをお伝えしたいと思います。(終わり)

東京都:K.S.

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