格安SIMでスマホ料金節約
私のスマートフォン(以下、スマホ)の用途や使用頻度は、月に約6回の外出時に音楽プレーヤー、レコーダーから転送した持ち出しテレビ番組視聴、徒歩や車のナビ、カメラ、便利なアプリ、調べ物など持ち歩けるパソコンとして大活躍しています。自宅では、メインはパソコン、通話は主に固定電話で、スマホは光回線によるWiFi(無線LAN)を使いちょとした調べ物を使うくらいで、頻繁には使っていません。 2015年に今まで使っていたドコモのスマホの料金が、2年間の毎月3000円(機種で額は異なる)割引期間が終わり、毎月平均して通話300円以内とデータ通信量0.6GB(ギガバイト)くらい使い、約6〜7000円になりました。 総務省が、昨年、実質0円販売の適正化やデータ通信量の少ない利用者向けに割安な料金プランを大手携帯電話会社(以下、キャリア)に要請し、これから月5000円くらいのプランが導入されるかもしれませんが、私の使い方ではキャリアの電話カケ放題+月1GB以上のデータ通信量プランは、余分なプランと感じていました。そんななかで広告で半額以下料金の“格安SIM”があることを知り、もし乗り換えた場合にこんなはずじゃなかったという事態は避けたいので、ネットで詳しく調べました。 格安SIMのMVNO(仮想移動体通信事業者。以下、格安SIM業者)とは、キャリア(大半がドコモ)の回線を借りて、独自の通信サービスを提供する事業者のことです。安さの理由はネットでの契約が主体のため全国津々浦々にある実店舗(ドコモショップなど)を持たなくて、基地局などの設備を持つ必要がないためだそうです。 安くなるかわりに、デメリットとして、「docomo.ne.jp」、「ezweb.ne.jp」、「softbank.ne.jp」などのキャリアメールは使えなくなります。しかしグーグルやヤフーなどのフリーメールか携帯番号でやりとりできるショートメール(SMS)で代用できます。また借用回線のためデータ通信速度がキャリアに比べて時間帯や場所によって遅くなります。実例として自宅前で15Mbps出ていたのが2Mbpsになりました。サポートはキャリアにはさまざまな保障・窓口・サポートセンターなどの手厚いサービスを受けることができますが、必要最低限のサポートのみです。 調べた結果、私の使い方では格安料金は魅力で、手元にあるドコモのスマホはそのまま(SIMロック解除不要)使えますし、乗り換えまでネットから自分で行えそうでしたし、デメリットもそんなに問題ないため、格安SIMに乗り換えることにしました。 乗り換えまでのおおまかな流れとしては、 (1) まずたくさんある格安SIM業者からネットで調べて、業界でトップシェアということで“OCNモバイルONE”を選択。 (2) 数あるプランの中で、音声通話+データ通信量(ドコモ回線のXiとFOMA)3GB/月+通話料通話料金30秒20円の月2000円くらいのプランを選択。 (3) MNP(携帯の番号を変えずに他社に乗り換えること)の手続きをキャリアのサイトから行う。 (4) 格安SIM業者のサイトから申し込み手続きをする。 (5) 格安SIMカード(携帯電話の契約情報が記録されたICカード)到着まで数日待つ。 (6) 到着後、スマホに格安SIMカードを差し替えて、説明書どおりに接続設定(APN設定)を行う。 (7) スマホとして使用可能になります。 格安SIMに変えて4ヶ月使用した感想は、「docomo.ne.jp」のキャリアメールはそんなに使用していなかったためフリーメールで代用できました。アプリ使用やサイトを見るくらいならデータ通信速度が遅くなっても支障はなく、場所によってはかなり速いところもあり問題ありませんでした。料金は通話代込みで月2200円くらいになり、大正解で、スマホ料金を年間のトータルで計算するとずいぶん安くなりました。 それでスマホ料金節約や新規スマホ開始に“格安SIM”に興味があるようでしたら、2〜3万円のSIMフリースマホと格安SIMのセット販売もあり、他の格安SIM業者として楽天・BIGLOBEなどまだまだたくさんあります。そして文章の分かりやすさは横に置いて、文中のスマホ用語がさっぱり分からないようでしたらイオン・ヤマダ電機・ビックカメラの店頭で契約・販売されています。販売員に分からない点は説明を受けながら購入されることも可能です。 福岡県:T.F. 『臥龍窟日乗』-39-『グラバーの暗号』
『グラバーの暗号』と題した小説に取り組んでいる。もうじき上がる。 グラバーは、長崎グラバー邸の主(あるじ)。 坂本龍馬を殺した犯人を後世に知らせようと、とんでもないところに暗号を忍ばせた。 龍馬暗殺については、何十人もの作家さんが書いている。それを承知で、「新説」として書いた。 たんなるミステリーと受け取られないよう、史実はしっかりとおさえたつもりだ。 類書は40冊余り。幕末の写真集や古地図もできるだけ当たった。 1年におよぶ史料の渉猟(しょうりょう)の旅は、実にエキサイティングで楽しかった。 インターネットのお世話にもなった。もしITがなかったら、障害者の身で、これほど厖大(ぼうだい)な史料を漁ることなど、とうてい不可能であったろう。 車椅子に座ったまま全国の図書館をまわった気分だ。 ただITの怖さも思い知った。活字で印字された書物と違って、ITは高校生でも書き込みできる。 どう見てもイタズラとしか思えない年号が、堂々と罷(まか)り通っていたりする。 人物像もしかりだ。『竜馬がゆく』の坂本龍馬は、司馬遼太郎さんが創りあげた司馬龍馬像であって、現実の龍馬は女郎屋に入り浸るだらしない面もあったらしい。 龍馬の妻はお龍さんだが、龍馬の浮気がひどく、お龍さんも愛人を作り龍馬を殺させたという説まで出ている。 執筆で最後まで手こずったのが、三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の足跡。 岩崎はグラバーときわめて親しい関係にあった。薩長に売った軍艦や武器・弾薬の代金回収がとどこおって、グラバー商会は倒産するが、救いの手を差し伸べたのが岩崎だった。 岩崎弥太郎は、龍馬と同じ土佐の出身。事業の才あって、土佐藩の長崎出張所をまかされる。 明治維新が〈渡りに船〉となり、大坂転任となる。 大坂の街を東西に貫くのが長堀で、いまは御堂筋と並ぶ大通りとなっている。 長堀の西のどん詰まりが西長堀だ。鰹座橋(かつおざばし)の地名が示すとおり、長堀はむかしは堀だった。 ここに土佐藩の大坂屋敷があった。 廃藩置県というのは、徳川幕藩体制のツケをちゃらにする大仕掛けなカラクリだったと、私は思っている。 岩崎弥太郎は、よほど強運な男だったのだろう。 崩壊した土佐藩大坂屋敷の地所を、社名を頻繁に変えることによって、自分のものにしてしまった。 明治7年、岩崎は東京に出た。湯島梅園町に居を構える。やがて弟・弥之助が駿河台の東紅梅町に引っ越してくる。 いまのJR御茶ノ水駅の東隣。日立製作所の本社ビルがあった場所だ。 遊興に身をやつしたかつての上司・後藤象二郎の広大な屋敷だったが、岩崎が借金の穴埋めをし、土地を分けてもらったのだろう。 兄・弥太郎も湯島梅園町から、弥之助家の隣に屋敷を移転した。 海上運輸から出発した三菱社は、あれよあれよという間に拡大し、現在、旧岩崎邸と呼ばれる池之端の大豪邸を手に入れる。これは現在、東京都の公園だ。 さて、どうしても分からなかったのが、岩崎が東京に移り住んだ最初の住居、湯島梅園町の所在地だった。 明治初期の古地図をいろいろ調べるが見当たらない。 もう無理かなと諦めていたら、ヘルパーさんが見つけてきてくれた。 なんと湯島天神の裏。小道一本隔てた向かい側だったのである。 湯島天神裏は、もと花街だったという思い込みが災いした。岩崎弥太郎ともあろう人物が、花街なんかに住むはずがないと。 大坂を去るにあたって、土佐藩の債権者とはかなり揉(も)めたはずだ。花街に紛れ込むとは、弥太郎は忍者の才も持っていたのかもしれない。 千葉県:出口 臥龍
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