はがき通信ホームページへもどる No.156 2015.12.25.
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 ◆特集 笑外(しょうがい)への思い 


 「はがき通信」の懇親会に、2年前の広島についで今回の横浜で2回目の参加になります。



 今回は、ふだんから来てもらっている介助者さんとではなく、「将来の支援者」となる学生さんと一緒に参加することにし、学生さんを紹介してもらいました。一緒に参加したのが、同じく兵庫のYさんと学生Sさん、学生Mさん、計4名で「一緒に楽しむ」をテーマにあげました。介助練習(車イス上での着替え、トランスファー、ミルキング、側臥位など)日常生活でやってもらっていることを介助者さんと一緒に伝えながら練習をしました。学生さんの覚えるスピードには驚きました。
 もちろん現在の支援者さんがいなければ、日常生活の不安の解消、社会参加への一歩を踏み出せずにいたのは間違いありません。環境(住環境、支援体制)を整えることも大切なことですが、支援者の発掘が重要だと感じる。私自身の経験から言えることは、介助者がいなければ外に出られないと諦めるのはもったいない。周りにはたくさん協力してくれる方がいるのに、自分が気づいていないことのほうが多いのではないのでしょうか。障がいの理解をつい求めてしまうが、自分の体のことを自らも知ることが大切で、どの部分の介助が必要であるかを相手に伝えることで協力を得られる。


         ●左からYさん、瀬出井さん、Sさん

 横浜まで行くために、新幹線の切符を電話予約をしたときに思ったことがある。新幹線って便利であるんだけど、11号車しか車イス対応ができない。多目的室と車イス指定席の2つしかないから先に予約があったら時間をずらさないといけないのが大変です。バスみたいに座席が折りたため自由席で対応できれば、車イスでの利用も多くなると思います。
 「はがき通信」に参加させてもらって、同じ境遇を克服した者、または立ち向かっている者と出会えることがとても嬉しい。突然、事故や病気で障がい者になったとしても、そこからどのようにすれば諦めずに人生を楽しむことができるのか。一緒に考えてくれる仲間がいるから。
 今の私を突き動かしているのは「自分らしさ」を見つけること。自分の意思とともに、諦めや我慢をする毎日を過ごしたくない。「失敗を恐れずに」失敗や間違いから多くのことを知ることができ、自分にもできると自信がつき、自立生活に向けて動き始めた。
 

兵庫県:S.S.



 ◆特集 参加することで何かが得られる−同窓会と観光と情報交換− 


 深夜の暴風雨が嘘のように晴れ上がる。いざ行かん横浜へ! 岡山から新幹線に乗り換えたらKさんに出会う。2年ぶりの再会〜♪。今回は新幹線から富士山が見えた。ラッキー(^^)v。



 会場に着いたら懐かしい顔・顔・顔が……。元ハンセン病回復者、H.Iさんの淡々と語る差別と偏見を経験された講演内容に胸を打たれ、夜は崎陽軒本店での懇親会。ご機嫌斜めの膀胱のせいで各テーブルに挨拶には行けなかったが、初顔合わせのNご夫妻と楽しく過ごせた。
 翌日はNさんの奥様お勧めの大観覧車を乗りに横浜みなとみらいへ行った。10時半、まずは赤レンガ倉庫へ。11時から始まるドイツビール祭りとやらで既に行列ができていた。あちこち歩いていたら海の方から「横浜クルーズ、もうすぐ出発ですよ〜」との声。「車イスでも乗せてくれる〜?」「大丈夫ですよ〜」と船員さん。狭いと思われた渡し板も船員2人で担ぎ上げ、船内にも軽々と入れてくれた。55分の遊覧を終え、降りるときに問題が……。何と船員が一人で降ろすと言う。板幅が狭い、車輪はみ出そう〜( ;∀;)後ろ向きで降ろそうとして後ろを持ち上げようとして斜めに傾く〜( ゜Д゜)。「落ちる〜(>_<)」の声に主人が気付き、急いで車イスの前を持ち上げ難を逃れた。やれやれ……。それでも大桟橋、ベイブリッジ、本牧埠頭の大型クレーン群、みなとみらい地区、海上保安庁近くではロケの様子も見ることができ、小型船ならではの揺れも体験でき、思い出深いクルーズだった。
 船内の効き過ぎたエアコンで冷え切った身体を温めるべく、赤レンガ倉庫のイタリアンレストランへ入った。熱々のグラタンセットを頼んだら、サラダから運ばれてきた。生野菜、ちっとも身体は温もらず、次に運ばれて来た野菜スープでようやく温もり観覧車に向かう。
 よこはまコスモワールド(遊園地)は入場料無料、各乗り場乗り場でチケットを買うようだ。観覧車乗り場の4階へ急ぐ。車イス用のは2台あるそうで、シースルーのも4台あった。乗るときには一時停止してスロープを渡して乗せてくれた。
 ゆっくりと回りながら上昇、てっぺんだと思われたときに回転が止まる。車イス者かベビーカーが乗っているのだろう……。ここで主人に無理を言い、主人の席の後ろ側のヨットの帆の形のインターコンチネンタルホテルを撮ってもらう。「気色悪〜」と言いつつ、おっかなびっくり場所移動、観覧車が揺れる。これも醍醐味……(^^;)。15分の空中散歩を終え「今度は反対向きで乗りたいわ」と言ったら、即、主人に却下された。



 近くのビブレでティータイム。「田舎のビブレと違い都会のビブレはおしゃれだね〜」と、あちこちを見て周る。すっかりお上りさん……(^^;))。みなとみらい駅への帰り道、膨らんだビニール袋に入ったカップ麺を首にかけた人々に出会う……。今日は何かのイベントか??? 後日調べたらカップヌードルミュージアムで自分好みのが作れるらしく、遊びに行くなら予めのリサーチが必要と改めて思うが後の祭り……(゜Д゜)ノ。


   ●横浜海上防災基地・巡視船の前で

 膀胱具合が怪しくなってきたので早めに新横浜駅へ。待合室の椅子にバッグを乗せ、ぱんぱんに浮腫(むく)んだ足をその上に乗せ約2時間。午後6時9分発ののぞみに乗り、へとへとのくたくたで家へ帰りついたら11時を過ぎていた。それでも行って良かった。同窓会と観光と情報交換、行くことで何かが得られていると思う。

香川県:M.S.


 ◆特集 懇親会参加で行動力アップ&思い掛けない出会いも 

59歳、C4、頸損歴22年目、人工呼吸器、電動車イス使用

 はがき通信懇親会には、今年で6年連続参加させていただきました。同会は、私にとって1年に1回の遠出=外泊=参加することが目標であり励みにもなっています。初めて参加させていただいたのは2010年の沖縄でしたが、そのときは行くことに体力のほとんどを使ったという感じ(「はがき通信」123号参照)でした。それに比して今回は、2日目の観光を目一杯させていただきました。以下はその内容です。

●No.123「はがき通信」懇親会in沖縄に参加
http://www.normanet.ne.jp/~hagaki-t/pcc123a.htm


 今回は、実行委員のHさんが案内してくれるということでお言葉に甘えさせていただきました。同行はHさんと付添のAさんと私の付添のWさんと私の4人だったのですが、大雑把に鎌倉観光をお願いしました。
 ホテルを出たのは9時ごろ、横須賀線30分弱で鎌倉駅着〜最初は鶴岡八幡宮へ小町通りを歩きます。途中「好きにお店に立ち寄っていい」と言うので、おみやげを物色しながらでした。鎌倉には何でもあります。逆に、これは名物と言うものはないようです。それでも「ごぼう」の看板が多かったのでその漬物と、有名な「鳩サブレ」の豊島屋の本店があったのでいろいろなお菓子を買ってきました。



 さて観光=鶴岡八幡宮では、大石段があって本宮までは行けませんが、大銀杏の跡まで行くことができました。途中、静御前が舞ったという舞殿や毎年9月16日に流鏑馬(やぶさめ)神事が行われるという馬場を見学することができました。また、近くの鎌倉国宝館に行きました。ここは荷物搬入用の巨大なエレベータがあって見学できたのですが、一方、やはり近くの県立近代美術館鎌倉はメインの2階には上がる術がないということで見学を諦めざるを得ませんでした。また、鶴岡八幡宮内は石道で車イスの揺れは広島の宮島以上でしたので、行かれる方は心して歩いてください。



 鎌倉駅に戻って、江ノ電に乗って長谷駅下車で大仏様に向かいます。懇親会参加の方々の御忠告に従って、歩道ではなく車道を歩きました。なるほど、車道においてもところどころ傾斜があり、行かれる方は転倒しないよう気を付けてください。それにしても人の波が続くことに驚きました。特に外国人の多いこと=新潟では見られない光景でした。中学校の修学旅行で訪れて以来45年(?)ぶりの大仏様との再会でしたが、周囲に何もないポツネンとした佇まいは懐かしく思いました。帰路に昼食で鎌倉丼と言うのを食べましたが、これはカツ丼のカツをエビに変えたものでした。
 私の当初の予定では、これで観光終了と思っていたのですが、Hさんが「江の島まで足を伸ばそうか?」と言ってくれます。私は受傷前横浜に住んでいたのですが、江の島には行ったことがありませんでした。せっかく来たのだからと欲が江の島に向かわせました。江の島とは何ぞや=陸続きの島であり、土産店が一杯=人が一杯な所でした。どこからこんなに人が来るのか=やはり田舎者には不思議でした。
 江の島から横浜に帰るに当たって、わざわざ藤沢まで行って江ノ電で鎌倉、そして横須賀線で横浜のルートを選んでくれたのですが、これが思い掛けない僥倖(ぎょうこう)をもたらしてくれました。藤沢駅で受傷前の直属の上司に声を掛けられたのです。新潟に帰ってから記録を見ると、私が施設にいるとき、一度訪ねてくれたのが2010年ですから5年ぶりの再会でした。それにしても、混雑した駅構内で唯一のそのタイミングで私を見出してくれるというのは、どういう「お導き」だったのでしょう。驚きの中、短い会話でお別れしたのは心残りでした。
 横浜に帰ってから、夕食を実行委員のIさんたちと御一緒させていただきました。ホテルの部屋に着いたのは9時半過ぎだったと思います。われながら1日の行動力に驚きでした。これでまた自信がつきました。沖縄のときと何が違ったのか=呼吸器が小型になって車イスに積めるようになったり、広島のとき(「はがき通信」145号参照)に比べて車イスのバッテリーの持ちがよくなったり、その年の不具合を次の懇親会への参加を目標にして、改良を年々加えてきたおかげと私自身は思っています。

●No.145はがき通信懇親会in広島に参加
http://www.normanet.ne.jp/~hagaki-t/pcc145a.html

 そして、皆さん、ぜひ懇親会に参加しましょう。参加している人たちのいろいろな工夫がとても参考になります。近況報告や今後の目標を聞いて、また元気な姿を見て、私自身元気をもらいます。



 最後になってしまいましたが、実行委員の方々はじめ御協力の皆さん、また参加された皆さんにはお世話になり本当にありがとうございました。
 (2015年11月27日記)

新潟市:T.H.

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