<特集!「はがき通信」懇親会in横浜2015> 今号の「特集」は、10月2日(金)〜10月4日(日)に開催された横浜懇親会です。親睦を深め励まし合う目的で年に1度、仲間が一堂に会する懇親会のことはもとより、2日目の自由行動での(バリアフリー情報も含む)観光や道中について情報交換のためにご投稿をご紹介いたします。 ◆特集 2015年「はがき通信」懇親会in横浜を終えて
実行委員:M.I. ◆2015年「はがき通信」懇親会in横浜会計報告
※紙面版のみ掲載 ※懇親会にご参加いただいた皆さま、どうもありがとうございました。おのおの観光も楽しんでいただけたでしょうか。お天気にも恵まれよかったですね。 当日カンパをいただいた方々には、厚く御礼申し上げます。 なお、余剰金につきましては、瀬出井が責任を持ってお預かりいたします。 実行委員・会計担当:瀬出井 弘美 ◆特集 これまでの懇親会の思い出&鎌倉・江ノ島観光
私が「はがき通信」に関わったのは、15年くらい前に、2001年横浜懇親会があるので遊びに来ないかと瀬出井さんから誘われたときでした。記憶は前後しますが、横浜(3回)、小倉、広島(2回)、京都(2回)、沖縄、福岡、福島と参加させていただきました。 ●実行委員とボランティアの皆さん 印象に残っているのは、10年前の福岡県北九州市での2005年小倉懇親会です。夕食会で偶然にも向坊さんと同席になりました。 「明日の予定が決まっていないのならば、わが家に来いよ!」と向坊さん。 そして急な話にもかかわらず車の手配等もしてもらい、小倉北区から1時間くらい車で移動した若松区の海の近くの向坊さん宅に訪問することになりました。 車道を電動車イスでしばらく移動してから山道の草の生い茂るところを行く。ぬかるみに足を取られ苦戦しながら着いたところは、玄界灘の若松北海岸。遠くに船の行き交う海の眺めはすばらしかった。海風も心地よかったが、冬は寒さ厳しくフィリピンで半年くらい過ごされるのも理解できました。お宅の中も見学させていただき、バーベキュー大会ともなった一日は楽しい思い出です。 あとで私は「はがき通信の創設者」である方と同席できたことを天の配剤と思いました。その後、向坊さんは体調を崩されて翌年に亡くなられましたが、いろいろと話ができたことは忘れられません。 私はやがて懇親会実行委員として京都(2007・2008年)と沖縄(2010)では司会を務めさせていただきました(緊張し過ぎてすみません)。実行委員という役割は舞台裏での苦労もありますが、全体を把握することもでき、司会をすれば人前で話すことにも慣れてきて、良い体験になりました。 今年の横浜懇親会2日目は新潟のHさん&W(付添)さん、私&A(付添)さんの4人で鎌倉&江ノ島へ行くこととなりました。 9時にホテル2階に集合、鎌倉駅へ。電車の待ち時間もありましたが10時過ぎには「小町通り」に到着。この時間は人通りが少なくHさんもゆっくりとお土産を買い、鳥居の前の交差点を通過、TVで放送される流鏑馬(やぶさめ)の通路を横切り、鶴岡八幡宮の階段前横の大銀杏の前で記念撮影。 次に鎌倉国宝館へ到着、建物は古いが大きな荷物搬入用EVで館内へ。ひと通り見て回りました。それにしても石畳は車イスには辛い。Hさんはバランスを崩しそうになりました。 次は鎌倉大仏様へ。「江ノ島電鉄・長谷駅」下車。歩道が狭いので車道へ。やがて大仏様へ。外国人観光客も多い。帰路、高級そば屋で少し遅い昼食。さらに長谷駅から江ノ島駅へ。江ノ島へ渡り、Hさんは急な坂を登って神社の鳥居まで。帰りも狭い商店街の人の多さに驚きながら下の休憩所へ。帰りの橋の上から富士山を眺めつつ駅へ。江ノ島電鉄の始発駅(藤沢)から終点の鎌倉駅まで。本日、3回目の乗車。横浜には18時頃か。その後、皆さんと夕食。ホテル帰着は21時過ぎ。 以上のような強行軍で、Hさんには少ししんどいところもあったのでしょうが、楽しかったようです。私も楽しみました。 3日目の話し合いは近況報告で、最近参加されていないAさんやBさんの近況も話題になりました。愚痴やため息もありましたが、正直なところ、体調や付添の問題をクリアして横浜まで来て下さった皆さんは上手に歳を重ねているように見えました。また、私も個人的に皆さんと会い、直に話ができて元気をもらいました。 終わりに、皆様の健康を願いつつ、一つの区切りとなりました横浜懇親会、参加されました皆様どうもありがとうございました。 実行委員:F.H. ◆特集 学生ボランティアと参加して自信に
去る2015年10月2日(金)〜4日(日)に四肢マヒ者の情報交換誌「はがき通信」懇親会が横浜にて開催されました。私は1泊2日の予定で2日(金)に「かながわ県民センター」にて元ハンセン病回復者のH.Iさん「ハンセン病を生きて」の講演会に参加し、その後に崎陽軒本店で行われた夕食レセプションに参加してきました。3日(土)は1日観光で自由行動だったことから中華街に行ってきました。 この2日間、一緒に行ってくれる介助者は学生ボランティアさんです。(全国頸髓損傷者連絡会全国総会)東京大会、(神戸市の総合福祉ゾーン)しあわせの村宿泊体験合宿に続いて3回目です。今回も初めて会う学生さんとの旅行だったので家に来てもらい介助練習を行いました。介助練習の内容も前回と同じなので伝えたいことも同じです。自分がしてほしいことを相手に伝わるように言うだけです。でも、介助者が変われば伝え方が同じでも伝わる人とそうでない人もいます。今回の介助練習においても相手に伝わるように伝えることが難しく、また大事だと感じました。 当日までに学生さんと2回会いました。そのうち介助練習は1度だけでした。もちろん、不安はありましたが「なんとかなるか」と前向きに考えることができていました。そう思えたのも東京大会、しあわせの村宿泊体験合宿を経験していたおかげで“初めての介助者”と旅行することに少し自信があったのかもしれません。 当日、JR明石駅に学生さんと9時30分に集合してJR姫路駅に向かいます。姫路駅で兵庫頸損連のSさんともう一人の学生さんと11時に待ち合わせをしていました。全員が揃ってから昼食をコンビニで購入して“準備万端”いざ横浜へ姫路駅を11時49分発のぞみに乗り新横浜に向かいました。車内では昼食を食べながら他愛もないお喋りをして、時に携帯の地図アプリを使い現在地から移動している私たちのスピードが異常に速いことに驚いていました。そんなふうに楽しく過ごしていると新横浜駅に着きました。電車の中で過ごした時間がとても早く感じられました。 かながわ県民センターに着いたのが16時ごろでしょうか。もうすでに会場ではIさんの講演会が始まっていました。私は、ハンセン病について何も知っていません。名前も聞いたことがないぐらいです。Iさんの話を聞いてハンセン病患者は地域で言う部落みたいなもので病名を聞くだけで差別されてしまうような難病だと伝わりました。例えば親戚にハンセン病患者がいるという理由で結婚ができないことがあったそうです。 最後にIさんが「開き直りが大事」と仰っていたのが心に残りました。これから私が生きていく中でいろんな所で必要な言葉だと感じました。 講演会が終わり横浜駅前にある「ベイシェラトンホテル&タワーズ」に移動。チェックインを済ませてレセプション会場の崎陽軒本店へホテルの地下から移動。道中まったく道が分からず迷子に。地下街の店員さんに聞きながら、地下を散策してようやく到着。今回の「はがき通信懇親会」は、なんと発行25周年、懇親会20年と節目の年でした。初参加でメモリアルな年に参加できて嬉しかったです。頸損の母ことM先生の挨拶があり、兵庫頸損連のIさんの乾杯の音頭で交流会が始まりました。さきほど地下をぐるぐる動いてお腹がピークに空いたころでした。食べ物はバイキング形式で飲み放題、なんて嬉しいことでしょうか。まず崎陽軒と言えば“しうまい”を食べ他の料理も食べて本場の中華を満喫できて横浜に来て良かったと思い、ひととき食べることばかりに集中していました。 ほどよくお腹もいっぱいになり、同じテーブルのKさんと話をしていました。お互いの自己紹介や日常生活の世間話からKさんの自立生活についての話などたいへん盛り上がり勉強にもなりました。 レセプションも終盤に入り参加者全員が自己紹介をすることになり、皆さんのユーモアを交えた話しに会場から笑いがでるなど楽しい時間でした。最後に参加者全員で記念撮影をして楽しいレセプションが終わりました。 ホテルに戻り、荷物の整理をしてから夜食に買っていた“わさび味のカラムーチョ”を食べながら明日はどこに行こうかと話をしていました。少し休憩をしてから学生さんはベッドに移乗するお手伝いに行ってくれました。自らの意志で移乗のお手伝いをすると言ってくれた積極的な学生さんに嬉しくて感動しました。朝食を買いに深夜0時頃、ホテル近くにあるコンビニへ行きサンドイッチとコーヒーを買いました。ホテルに戻ってからも話をしたり買い物に行ったりとバタバタで就寝時間は夜の1時30分でした。こんな遅い時間になり学生さんに申し訳なく思いました。明日のために眠りました。 翌日、起床は6時30分で学生さんは移乗のお手伝いに。私が車イスに乗ったのが10時ごろになっていました。バタバタと朝食を摂り荷物を片付けホテルをチェックアウトしました。この日は中華街へ行く予定です。みなとみらい線横浜駅に乗り元町・中華街駅で降ります。ここが有名な中華街かと駅から徒歩1分ほどで着きました。まず、休日で観光客の多さに驚きました。人混みで何度かぶつかりそうになるぐらいでした。 ぶらぶら、お昼ご飯を探しながら中華街を散策していると“中国料理世界チャンピオン”という看板が目にとまったのでこのお店に決めました。肉まんとゴマ団子を注文して路地を入った所で食べました。ここ中華街で“男気ジャンケン”をすることになりました。理由は、6個入りのゴマ団子を4人で仲良く食べ、残りの2個を誰が食べるのか決めることになったからです。結果、2回とも勝った私が食べることになり、しばらくゴマ団子を見たくない気持ちになりました。 楽しく食事をしてから新横浜駅に向かいお土産を買って帰路に就きました。この2日間を通して“人がいれば旅行はできる”と改めて自信がついた貴重な経験になりました。学生さんたちのおかげです。ありがとうございました。 兵庫県:T.Y. ◆特集 ハワイの想い出と横浜懇親会
「はがき通信」懇親会 in横浜2015に、遠方よりお越し下さった皆様、松井先生ご夫妻、そしてボランティアの皆様お疲れ様でした! 私は神奈川県川崎市在住、皆さんご存じの「厄除け川崎大師」の近郊(電動車イスで約10分)に住んでおりますS.K.です。今回の懇親会開催準備もIさん、Hさん、瀬出井さんにお任せきりでしたが、ありがたいことに記念品の“お水のいらないお花!”のご注文をいただいたというチャッカリ者です。提供させていただいた花束は、私が代表を務める地域活動支援センター「手作り工房ウィンドウ」で製作した作品ですが、私たちが作ったお花が全国に飾られていると思うととても嬉しいです。ウィンドウについては、またの機会に詳しく掲載させていただくことにしまして……。 ●綿を布でくるんだ、可愛いお花です。水をあげなくてもずっときれいに咲いています! 100円(3本セット)手作り工房ウィンドウ さて、今回の懇親会では懐かしい方々との再会もあり、とても有意義でした。「はがき通信」を購読したきっかけは覚えていないのですが、2004年6月の「懇親会inハワイ」はとても印象に残っています。そこで、以前にも寄稿させていただきましたが、振り返ってお話しさせていただきます。 私は2度目のハワイ旅行でしたが、母と3姉妹で参加させていただき、各地からご参加の皆さんとはホノルル空港で合流しました。「はがき通信」の集まりに参加することさえ初めてだったので、Iさんや瀬出井さん以外の方とは初対面で、少々緊張しての顔合わせでした。 まずは、渡航準備でメールのやり取りなど、お忙しい中をお世話になった故・向坊さんにお目にかかった瞬間に「ただ者ではない!」オーラを感じました。そして、ポリネシアカルチャーセンター観光行きのバスの中で、Oさんや故・Hさんたちと初対面とは思えないほど会話が弾んだこと。 ポリネシアンの広いレストランで食事中に「あれマイケル・チャンだよねぇ?」と姉が騒ぎ出し、聞かれても私たちにはただのおじさんにしか見えず、「マイケル・ホイなら知ってるけど……」と気にもとめず。今ならあの錦織圭のコーチで有名ですが、テニスファンの姉はこれまでの活躍を良く知っていて、店を出て来たところで声をかけて2ショット写真を撮らせてもらい「ハワイでの最高の1枚だ!」と喜んでいました。(2ショット写真は89号にあります) ●No.89「リベンジ(?)の旅」http://www.normanet.ne.jp/~hagaki-t/pcc89a.htm 続いてはラストナイトパーティー後のある事件。Iさんの思わぬお部屋訪問で母が無理矢理ビールを飲ませていたとき……。Iさんがいることを知らずに露わな姿でシャワー室から出て来た姉、とその姿に驚くIさん。「見〜ちゃった!」と言っていたけれど真相はいかに……・。 そして、松井先生の代わりに参加されたご主人とも初対面でありながら打ち解け過ぎて、勝手に「マイケ〜ル!」などと名前を付けて呼ばせていただく無礼な私たちに、「ハハハ……」と笑って応えて下さるマイケル。ハワイは人をおおらかにさせる? ハワイは何度行ってもイイ! このとき取った10年パスポートもその後利用する機会もなく切れてしまいましたが、皆さんとの楽しい想い出がいっぱいのハワイ旅行でした。 さて横浜懇親会に話を戻しますと……。1日目は、川崎市身体障害者協会で顔見知りであるH.Iさんの「ハンセン病を生きて」の講演会がありました。日頃の陽気なIさんからは見て取れない、私たちとはまた違った大変な人生を送って来られたお話を伺いました。 その後の夕食会は横浜駅を越した位置にある「崎陽軒」ですが、方向音痴な上に駅前が工事中でもあり「あっちだ、いやこっちは行き止まりじゃん!」と県内在住のくせに妹と迷い、横浜駅で他県の方たちと会えて一安心。恥ずかしながら案内していただくという始末でした。会場には大勢が集まり、バイキング料理とお酒をいただきながら、初対面の方との交流もできました。 ホテルにチェックインしたら、どこかの部屋で飲みながらお話でも……と思っていたのですが、皆さんの行方が分からず……。きっと翌日の観光に備えて早めに部屋に落ち着いたのでしょうか? じゃあ、夜気が気持ち良いから朝食を調達しにコンビニに行こうと出掛けた帰りに道、「Kさ〜ん!」とSさんに声をかけられ、一緒にホテルに戻ってお部屋にお邪魔しました。 その後の就寝時の移乗は、腰痛持ちの妹では心配だったのですが、起床の移乗も皆さんの付き添いさんにお願いできてとても助かりました。二日目のお天気も良く、皆さんは観光を楽しめたのでしょうか? 私たちは二日目の朝に帰宅しましたが、役員の皆さんは四日がかりで大変だったことと思います、本当にお疲れ様でした。 ハワイ以来の再会だったTさん、Sさん&付き添いさんとはあまりお話ができませんでしたが、自宅に戻ってハワイの写真を改めて見てみると、若かりし頃の皆さんが写っていました。皆さん、またお目にかかれる日まで。 川崎市:S.K. ◆特集 20周年懇親会へ参加して想うこと
今回の懇親会は20周年ということでいつになく感慨深く参加させていただきました。そんな思いで来られてる方は、やはり私一人ではなかっただろうと思います。この情報交換誌の創立者の一人であり皆さんの牽引者であった向坊さんを失っても、なおこうして続いているのは、やはり向坊さんを慕いその意思を引き継いだ人たちの力なのだろうと思います。 会場には懐かしい常連さんの顔が揃い、そしてもう会えることのない人の顔も同様に思い出された。それぞれの人に等しく20年という時が流れて、それぞれの暮らす場所で遠くつながりながら今を生きている。そのことが私には時折静かな励ましのように立ち上がってくるのです。 関西から参加されていた若い方たちとお話する時間があり、この懇親会へ参加し始めた頃を重ねながら一昔前の話しも交えて会話に沸いた。 現在では、多様な情報に溢れ福祉制度も以前と比べて利用しやすくなり高位頸損者の在宅スタイルも選択肢が増えたと思う。それぞれに自分らしい地域生活が築けることが身近になりつつも、人と出会い共感し合える思いを大切に広げていけるのは尊いものだと実感しています。 こうして若い人たちが継承して、この情報交換誌が時代に合った発展を続けていけることを願って止まないのです。 東京都:H.K. |
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