緊急手術
「マリちゃん〜、訪問看護師さんに電話してくれる? ちょっと、お腹が張って息苦しい、吐き気もするから……。」 2013年2月25日(月)今日は排便の日。訪問看護師さんに2時間、カンチョウと摘便してもらったが便はまったく出ず、ガスが少し抜けただけ。聴診器で腸の音を聞いてもらうと動きが悪いようである。「明日、もう1回チャレンジしてみようか。何かあったら電話してね。」と看護師さんが帰って行った。最近、ガスの出が悪く、お腹が張って食欲がない。便の出も悪いので憂鬱(ゆううつ)であった。排便は、週2回(月・金曜日)のペース。 その夜、今まで見たことのないほどお腹がパンパンに張って吐き気がする。訪問看護師さんに電話をしてもらったら、救急車を呼ぶように言われた。救急車を呼んだが、夜なので受け入れの病院がない。外来にかかっている病院や看護の充実した大きな病院などに電話しても担当の医師がいないとか、ベッドの空きがないとかで断わられて行く病院がなかなか見つからなかった。救急車を呼ぶときは、昼間のほうがいいようである。自覚症状が(頸損なので痛みがわからない)あまり出ないので、救急隊員も緊急性を感じなかったせいなのか、「病院は自分たちで電話して下さい。」と言われた。これには、家族もビックリ。 かかったことのある病院に電話したがダメだった。結局、救急隊員が電話で見つけてくれた、自宅から少し離れた病院が受け入れてくれたので、そちらに運んでもらうことになった。T共立第1病院である。すぐに心電図、胸部・腹部レントゲン、腹部骨盤CTの検査をして入院となった。部屋は、6人部屋の窓側でとても狭い。頸髄損傷者が入院したのは初めてらしく、ナースコールの呼気スイッチがない。リフトもない。しかし、エアーマットがあり、3時間おきに体交をしてくれたので褥瘡(じょくそう)ができなかった。ナースの皆さんもいろいろ工夫してくれて、本当に助かった。 翌日の26日から3日間検査が始まり、腹部レントゲン、ガストロ胃透視検査、27日は腹部レントゲン、注腸検査。28日大腸カメラ。検査中、テレビ画像を見ながら医師が説明してくれた。腸が伸びきっていた。検査結果が出て医師に呼ばれた。医師から、「イレウス」と言われ、「今のままでは腸が破裂することもある。」と言われて手術を決意。やっぱり緊急だったのだ!! のんびりした救急隊員だった。 3月2日手術。午前中、手術台に移されて数字を数えていたら意識がなくなり、肩をたたかれて気がつくと手術は終わっていた。手術は1時間ぐらいで終わったようだが、私としてはまったく時間が経過してないように思われた。 手術後、病棟に戻った。手術後は順調に快復し、ストーマに貼るパウチにも慣れてきた。ストーマは、おへその左横に真っ赤な大きな梅干がくっついたようだった。お腹の張りがなくなり、食欲が出てきてお腹が空く。起立性低血圧が酷かったのが楽になったのにはビックリ。オシッコの出も良くなり体調が良くなってきた。週2回の憂鬱な2時間の排便がなくなり、1日1〜2回の便を取ってもらうだけで済む。介護者に34年間、大変な思いをさせていたのだなぁ〜。これで長期旅行も安心して行けそうだ。 入院中の毎朝、今日の担当の○○と紹介される。ある朝、「あの〜Iさんですか?」と声をかけられた。その看護師さんは、中学生の時に私の講演を聞いたことがあるとのことで覚えてくれていたのだ。ビックリ! 人生って面白いものだ。 ゴリラみたいな私の検査は大変だったと思う。なんといっても身体が動かないのだから……。検査技師の皆様ありがとうございました。リハビリの方にもお世話になりました。病院の先生や看護師さんたちが親切で、入院中に電動車いすには乗れなかったが入院生活を楽しむことができた。先生の説明もわかりやすく、手術も上手で本当にありがたかった。そして、毎日、仕事が終わって面会に来て夕食を食べさせてくれたマリちゃんに感謝。 神奈川県:M.Ⅰ. NPO法人「広島頸髄損傷LifeNet」への思い
2012年11月に広島県からNPO法人の認証が出ました。 そもそも何でNPO法人(特定非営利活動法人)なの? 私も長い間、広島頸損ネットワークの会長をさせていただいておりますが、常々思うことがありまして、団体にはそれぞれ強み・弱みがあると思うのです。任意団体の強み、行動の自由度が高いこと、弱みとしては対、自治体・行政・法人・医療機関の場合のインパクトの弱さ。 強みはここからどんどん伸ばせばいい。しかしながら今後、対、行政や法人・医療機関といった対等の位置で話し合わなければならない場合の弱みを改善したい。そう考えて広島頸損ネットワークの表となり裏となり活動ができる別働隊が欲しい。 ●広島松江道路開通記念サイクリングイベント(ハンドバイクでの参加) 私が頸髄損傷になってから続けている講演活動やピアカウンセリングを本当の活動として行きたい。以前からそう考えていました。ある後輩に『徳政さんはNPO法人を設立するくらいの活動ができているのに、なぜしないのですか?』と聞かれたことがあります。そのときにそろそろ重い腰を上げなければいけない時期にきたかな。そう感じました。 それから頸髄損傷になって6年半勤務した会社に退職願を提出し、本格的な活動を目指して行動を開始しました。私の法人の場合、介護事業や支援センターのようなことでなく、講演や広島頸損ネットワークの活動サポート、同じ頸損・脊損で苦しんでおられる方々、ご家族からの相談。といった内容です。何か目玉事業があるわけでもありませんが最近はピアカウンセリングの相談(無料)が週に2件くらい、講演は地元の中学校、地元企業様からも数件入ってくるようになりました。 ●上:広島市宇品中学校1年生『生きる事』講演 下:(独)自動車事故対策機構広島主管所交流会にて講演 法人としての責任を感じたのは、病院での治療を放棄されたある頸損の患者さんのところへ、名刺と法人のブルゾンを着てお見舞いで医療機関へ訪問したところ、その日を境に治療が再開されたという実例があります。医療機関側と何を話したわけではありません。それがインパクトなんだと感じました。しかしその逆も考えなければなりません。治療がさらにしてもらえなくなるかもしれないリスクも……。 団体の責任者というものの重責をひしひしと感じているこの頃です。まだ生まれて間がない法人ですが、少しずつ積み重ねて、頸髄、脊髄損傷者、介護者、ご家族のお力になって行ければと思っています。 ※注意:活動範囲は広島県だけに限定されるものではありません。 ●上:新年度役員会 下:広島国際平和マラソン(ハンドバイクでの参加) 『NPO法人広島頸髄損傷LifeNetの理念』 ☆一緒に考えて、工夫して、みんなで一緒に前進して行こう☆ 特定非営利活動法人 広島頸髄損傷LifeNet URL:http://www3.hp-ez.com/hp/k-sonlifenet/page1 広島県:K.T. 四国でアンパンマン列車に乗ってきました!
海の日の連休で、四国へ、アンパンマン列車に乗ってきました。 今回のツアー、アンパンマン列車が取れないと意味がないため、乗車1か月前にチケットを買いに博多駅に行った。複雑な行程でもあり、1時間近くかけて緑の窓口カウンターで次々と列車の座席を押さえてもらう。特にアンパンマントロッコ列車の方は、発売開始から1日を経過していたこともあり、家族ばらばらの座席だったが、何とかチケットが取れた。 7月13日土曜日、朝6時過ぎ自宅を出て博多駅へ向かう。道がすいている。博多発7時17分のこだま732号で岡山へ。 ここで、なぜ岡山まで乗るのに「こだま」なのか? 「のぞみ」や「ひかり」や「みずほ」や「さくら」ではなく「こだま」なのか? しかもあえて7時17分発の「こだま」なのか? それは、その7時17分発の「こだま」が500系車両で運転されるからだった。やや鉄道オタクのようですが、新幹線500系について簡単に説明させていただきますと、1997年、JR西日本開発の500系は、日本で初めて300km/hで営業運転した新幹線で、そのジェット戦闘機のようなフォルムの先頭車両と、グレーの車体にブルーの帯が特徴的な車両です。近年、同じく300km/hで運転でき、居住性に優れたN700系の登場により、2010年に東海道・山陽新幹線の「のぞみ」を引退し、現在は山陽新幹線区間で「こだま」として運用されている。 その500系車内で朝ごはんを食べ、約3時間後の10時34分岡山駅に到着。この岡山駅では、乗り降り及び乗換案内に専門のスタッフがついてくれる。次の瀬戸大橋線、アンパンマントロッコ号のホームまで連れて行ってもらう。 ●新幹線500系 1日目のメインの列車に子供たちも大喜び、記念撮影等をすませて車内へ、トロッコ列車といっても前半はまったく普通の列車に乗る。途中、本州最後の駅「児島」でトロッコ車に乗り換える。ここで駅に連絡がいっておらず、スロープが来ていない。ちょっとあせったが、意外にも停車時間が長く、無事にトロッコ車両に乗り移ることができた。しかし、暑い。もう昼近くである。今度は、「早く出発しないか。」とイライラしだす。さっきまで、「できるだけ停車時間が長ければ、トロッコ列車に移れるのに。」と考えていたのが人間とは状況によって身勝手なものだ。 ようやく児島駅を出発、涼しいトンネルを抜けると瀬戸大橋だ。両側に瀬戸内海、前方は橋が連なって続いている。車で渡るのとはまた別の良さがある。 瀬戸大橋区間を抜けると四国だ。直射日光が当たりだし、かなり暑い。しかも停車駅が多く風もあまり入ってこなくなる。もってきた携帯霧吹きの出番だ。 ●アンパンマントロッコ号 13時、こんぴらさんで有名な「琴平」に到着。駅のトイレで頭から水をかぶり、気力をふりしぼって(おおげさな)、炎天下、こんぴらさんの階段を目指す。1kmもないくらいと思ったが、遠い、遠い。しかも、2歳の次男が膝に乗ってくる。もはやほとんど自力で動けなくなり、妻と長男に交代で押してもらう。 参道に入り、両側におみやげ屋さんが並びだすと徐々に上り勾配に、暑さでよれよれになりながらも何とか階段下まで来た。そこで記念撮影して速攻駅に戻る。帰りの参道は、下りで楽ちん。膝に乗った次男は大喜び、あっという間に下りきった。そこから登りに感じる残り半分をアーケードを通りながら何とか琴平駅に帰りつく。いっぱい吊るされたホームの風鈴の音が、気持ちを涼しくさせてくれた。 一休みして、15時13分発の快速サンポートで、今日の終点「高松」を目指す。実は、今回一番地味な存在のこの列車が、私には一番快適だった。16時1分「高松」着。ホテルまでは、アーケードが多く、何とかひからびずにたどり着いた。 2日目、朝9時過ぎ高松駅へ。おみやげを買った後、ホームで今日のメイン、「ゆうゆうアンパンマンカー」を待つ。この高松駅、行き止まりの線路になっている。かつて、瀬戸大橋などなかった時代、連絡船で本州から渡ってきた人たちは、ここで鉄道に乗り換え、四国各地に向かっていった。「行き止まり線路」はその名残である。 「ゆうゆうアンパンマンカー」は、一両の半分がプレイルーム(子どもが遊ぶ部屋)に改造されている列車。残り半分が指定席になっていて、そこもシートから壁、天井とアンパンマンとその仲間たちのイラストで装飾されている。しかも、私が収まる(笑)ベビーカー置き場の壁面には、やなせたかし氏の直筆のイラストとサインが書いてあるというマニアにはたまらないであろう仕様だ。 ●ゆうゆうアンパンマンカー車内 子どもたちが喜んでプレイルームに走って行く光景は予想の範疇(はんちゅう)だったが、連れてきたお母さんたちが、壁や天井のイラストを写真に撮りまくっている。そして、サインの書かれた壁を背にした私のところへも入れ替わり、立ち替わり写真を撮りに来る。 そんな感じで、あっという間に1時間半。最後に吉野川の長い鉄橋を渡り、徳島に着いた。この旅の折り返し点である。いったん列車を降りるが、30分後、同じ列車で徳島線を走って阿波池田を目指す。かつてプロ野球選手も輩出したことがある、高校野球の強豪「池田高校」のある町だ。 ここからは、カーブの多い路線でそうとう揺れた。四国の大河、吉野川とほぼ平行に走って行き、途中からきれいな川面や、川遊びをする風景が見えた。今回の中で、一番車窓の風景が楽しい列車だった。窓を見ているうちに13時15分、終点「阿波池田」に着いた。 この駅の乗換時間は、7分しかない。池田高校などの感傷に浸る間もなく、自分と家族を降ろして乗換列車「特急南風」を待つ。降りたホームの反対側に入ってくるとのことで助かった。 「南風」は、高知と岡山を結ぶ四国の代表的な特急だ。しかし走る路線は、山間部の険しい坂が多く、特に乗車してすぐの徳島県から香川県に抜けるまでは、木々の緑が列車の間近にまで迫り、トンネルをいくつかくぐるなど、まるで遊園地のアトラクションにでも乗っているかのようだった。そして、次の停車駅は「琴平」。ここからは、昨日トロッコ列車に乗ってきた線路を後戻りするように岡山へ向かう。14時41分、岡山に着いたら雨が降っていた。炎天下の四国にさっきまでいたのがうそのようだった。 トイレ休憩をしたりして、新幹線の時間まで過ごす。その間「のぞみ」を何本もやり過ごすが、あえて九州新幹線「さくら」を待つ。しかも「のぞみ」や「ひかり」に比べて割高となる山陽新幹線区間である。今回の新幹線でのこだわり第2弾である。実は私、九州人でありながらまだ九州新幹線に乗ったことがなかったのだ。九州内の移動は、現地での行動半径を重視して、いつも車にしていたためだ。 雨のおかげでかなり涼しく、ホームで新幹線「さくら」を待つことができた。九州新幹線「さくら」及び「みずほ」は白藍(しらあい)色(薄い水色のような色)に塗装されたN700系車両である。その外見よりも特徴的なのが、指定席は両側2列ずつのゆったりした座席配置と落ち着いた配色の内装である。値段相当の高級感が感じられた。 多目的室も広く、車いすでかなり動けるが、逆に落ち着かない感じがした。私としては、2、3時間なら、天井に向かって狭くなり、やや圧迫感のある500系の多目的室が好みだ。でも、子どもたちは、広い分、動きまわれていいようだ。多目的室と妻が寝ている指定席を行ったり来たり、しょっちゅう自動ドアが開いて、さらに落ち着かない。 行きの「こだま」と違って格段に速く、17時34分、博多着。しかし、この乗り方だと岡山も博多も途中の駅のため、新幹線との記念写真が撮れない。長男が残念がる。7月14日、博多は追い山笠(おいやま)前夜、蒸し暑い。車のクーラーをガンガン効かせて家路を急いだ。 今回、切符を買うときから各列車の乗り継ぎ等JRにはよく対応していただいた。特に、徳島駅で助役さんが、次の阿波池田での乗り継ぎ時間が短いことを見越して、阿波池田に切符のコピーをファックスするなど機転をきかせてくれた。暑い時期だったが、体力的に何とか持った。またいつか、鉄道で旅をしたいと思った。 福岡県:Y.S. |
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