はがき通信ホームページへもどる No.142 2013.8.25.
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 NPO(介護事業所)設立に向けて 


 「はがき通信」の皆さん、こんにちは。私は東京都大田区在住のT.M.と申します。編集担当の瀬出井弘美さんより依頼があり、「介護事業所」をテーマに原稿を作成してほしいということで引き受けさせていただきましたが、私は障害者運動を主とした団体運用の内容で記載させていただきました。どうかご理解をいただけたらと思います。

 【自己紹介】
氏 名:T.M.
生まれ:1967年2月生まれ(埼玉県川口市出身)
住まい:東京都大田区(一人暮らし15年)
障害名:頸髄損傷(5番完全麻痺)
障害歴:22年 
主な活動:NPO法人自立支援ネットワーク東京理事長・大田区自立支援協議会委員
その他:日頃は電動車椅子を使用しながら移動し、日々ホームヘルプサービスを利用しながら生活をしています。

 【団体設立の動機と経緯】
 私は一人暮らしを始める以前に、更生施設入所中に都内の自立生活センターで、多くの研修を受けていた経緯もあり、障害者の権利擁護には特に興味がありました。そして、地域で自立生活をするにあたり、障害者が主体性を持って組織化させた団体運営をすることが目標でもあったので、一人暮らし3年目を経て最初のNPO団体であります「ボーダレス」の設立に踏み切りました。
 1998年に東京都大田区で一人暮らしを始めた頃は、福祉制度によるホームヘルプサービスの利用が厳しいうえ、ホームヘルプ支給時間は1日6時間からのスタートでした。当時は、東京都の「全身性障害者介護人派遣サービス」(自治体に登録すれば誰でも介助者になれた)を利用するため、自薦登録の介助者確保を個人でしなければなりません。また、当事者による障害者運動が弱かった地域性もあることから、障害者が主体性を持って権利擁護と介護派遣の事業に取り組む必要性がありました。

 【設立準備から手続きまで】
 団体の設立には、理念と方向性を決める必要があります。私の場合は「障害者が地域で安心して生活ができること」にありました。この理念を考えると3つのことが浮かんできます。1つ目は「福祉制度の充実化」、2つ目は「街のバリアフリー化」、3つ目は「ホームヘルパーの育成と派遣」です。これら3つの方向性を目標とし、特定非営利活動法人の設立に至ったのです。NPO手続きには、下記に記載した手順をしていかねばなりません(各都道府県のNPO法人係のホームページには、手続きに必要な詳細があります)。
●社員を10人以上決定
●設立趣旨書
●申請書
●定款
●役員名簿
●就任承諾・誓約書
●役員の住所・居所を証する書類
●社員のうち10名以上の名簿
●設立総会議事録
●事業計画書(初年度)
●事業計画書(次年度)
●収支予算書(初年度)
●収支予算書(次年度)
 この他にも、介護派遣事業を開設するにあたり、東京都に申請をし東京都指定事業者として認定を受けなければなりません。これらの申請書類においても数多くあります。手続きを代行してくれる行政書士などに委託するのも一つの方法です。手続き料は一つの申請で、10万円〜15万円程度が相場です。

 【頸損者ゆえの苦労】
 生活すべての担い手が介助者であるように、団体運営においても介助者の労力は必須です。私たち障害者が的確な指示と強い意思決定を持ち合わせないと、担い手である従業者(介助者)も思うように動くことができません。また、現行の障害者総合支援法では就労(営利に関わる)へのホームヘルパーの派遣はできないことになっていますので、職場で活動する障害者には法人としての「職場介助者」を配置しています。身体的な面では、やはり空調設備の配慮や電動車椅子でも入れる広いトイレの確保が重要になっています。

 【活動内容(業務内容)】
 3年前に設立した自立支援ネットワーク東京では、各障害者と健常者スタッフによる役割分担がされています。内訳として、権利擁護(行政交渉・相談・障害者理解と啓発)、介助者派遣事業(請求・給料計算・人材教育と育成)です。また、法人としての年間行事がありますので、行事ごとに実行委員会を立ち上げ、準備から開催までに就きます。2011年からは災害時要援護者への防災&救助訓練に、行政を巻き込みながら取り組んでおります。

 【事業収益】
 介護事業は自治体の請負事業でもあるので、利用者のサービス量が増えれば必然的に大きな売上になってきます。自立支援ネットワーク東京の事業報告については、東京都NPOポータルサイトで閲覧できます。また、障害者の就労=自立という考え方から、事業収益からは障害者の職員に向けた活動手当として、給金を捻出させています。

 【介助者確保の手段・方法】
 求人誌の掲載(例:タウンワーク・an・フロムエー等)が主となっています。また、ハローワークへの求人登録やホームページからの募集、従業者の知り合いを通じて雇い入れる場合もあります。

 【困難・トラブル】
 介助サービスを利用する障害者と介助者の関係性が上手くいかないケースをはじめ、介助者の求人募集時に応募が少なかったり、介助研修途中で辞めてしまう場合もまれにあります。また、無資格者を雇用した場合、資格取得研修(重度訪問介護従業者養成研修)を受講させなければならないため、雇用契約日から独り立ちするまでに、2ヵ月近くかかる場合もあります。

 【やりがいとメリット】
 介護事業だけではない自立支援ネットワーク東京の活動では、私たち当事者が自らの障害を最大限に活かした啓発活動を通じて、近隣住民の方たちをはじめ、行政、他団体との関わりにつながりが持てたことが大きな喜びとなっています。ヘルパーにおいても、一般の介護保険主体で運営する事業所のヘルパーと違い、障害者団体ならではの障害を十分理解し、主体性を尊重できる介助者が、私たちの生活を担ってくれていることが大きなメリットです。

 【事業所経営のお奨めについて】
 身体障害があっても自らの労力を惜しまず、障害者の生活を担うヘルパーを育てたい!という強い意志を持った方であれば可能だと思います。ただし、障害者が経営側に携わることは、相当なる心身へのストレスを覚悟しなければなりません。ですので、比較的に体力の弱い頸損者には、私はあまりお奨めできません。(私も体力がないため苦労しているからです)
 当団体に興味ある方はお問い合わせ下さい。

 NPO法人自立支援ネットワーク東京
 事務所:03-6404-6293
 

東京都:T.M.



 オリンピック招致と障害者問題 


 2020年東京オリンピック招致の行方を占う、IOC(国際オリンピック委員会)の評価委員が3月3日来日した。4日から現地視察を行う。プレゼンテーションでは、安倍首相をはじめなでしこジャパン澤穂希、スキージャンプ高梨沙羅など、スピーチを行った。今回初めて皇太子殿下がオリンピック評価委員と面談するなど前回の招致活動のときとは違い、日本全体で招致に力を入れているようだ。下馬評では1位日本2位スペイン3位トルコとなっている。2020年なんとか私もまだ生きているかもしれない、ぜひ東京でオリンピックを見たいものだ。
 ところで最近「みのもんたの朝ズバッ!」をきっかけとし、障害者スポーツ(パラリンピック等)がマスコミ等で取り上げられるようになった。そのことは、全く取り上げられることのなかった時代に比べればとても嬉しい。しかし、障害者スポーツという華やかな部分だけを取り上げて、スポーツすらできない大変な状況に置かれている障害者がいることはあまり取り上げられない。
 私は時々福祉体験講話という形で小学校等に話に行くが、小学生を含む世間一般では全ての障害者が不自由で、何もできない不幸な存在であると思われている。私はそのことを否定するため講話の中で、障害者スポーツアスリートのことや盲目のピアニスト等の話をする。しかし一方で、いろんなことをしたくてもできない障害者の方が圧倒的に多いことをきちんと話すことにしている。できる障害者のことばかりを話すのではなく、光の裏には影があることはしっかりと伝えなければならないと思っている。
 昨年開催されたロンドンオリンピック後、ロンドンで行われたパレードでは健常者、障害者共に参加した。東京で行われた凱旋パレードは健常者のメダリストのみが参加した。この違いは何だろう、欧米のような、本当の意味での健常者、障害者の区別がなくなるような社会が日本にいつ訪れるのだろうか。
 どこかのテレビ局で毎年行われる募金番組についても疑問がある。山登りをしたり、海を泳いだり、楽器を弾いたり、歌ったりする障害者を取り上げる。またその中のドラマでも前向きに生きていく障害者が取り上げられる。制作者側からすれば、そのようなできる障害者を取り上げた方が視聴率を取れるのかもしれない。
 スポーツを含むできる障害者は社会からも認められ、マスコミにも取り上げられる。しかし、そうでない障害者は社会からは見放され、関心すら示してもらえない。「障害を乗り越えて」「障害を克服して」「障害と闘いながら」等の言葉がその番組を含めマスコミ等でよく使われるが、言葉自体障害者差別であり、障害というものを社会が受け入れようとしない現状を表していると私は思っている。障害は乗り越えなければならないほど邪魔なものなのだろうか? 障害は克服しなければならないような病なのだろうか? 障害は闘わなければならないほど悪党なのだろうか? そのような言葉や活字がマスコミや一般社会からなくなったとき、本当の意味での健常者、障害者の壁はなくなるのかもしれない。
 2020年もし、東京でオリンピックが開催され、その後のパレードで健常者、障害者共に参加しているだろうか。それまで生きて見届けたいものだ。

匿名希望



 『臥龍窟日乗』 —三つのエピソード— 


 ◆一つ目のエピソード
 シャンソンに『ケサラ』という曲がある。越路吹雪や岸洋子、演歌の内藤やす子などいろんな人が唄っている。シャンソン好きなら、誰でも知っていると思う。
 大阪で活躍しているブルースシンガーに木村充揮(あつき)という人がいる。ハンチングを被ったおっちゃんで、お世辞にもかっこいいとは言えない。「ダサい」イメージをわざと前面に出し、点を稼いでいるフシがある。
 フォーク時代の岡林信康を彷彿とさせる。『山谷ブルース』のような、一種のレジスタンス系を得意とする。伸びのいい高音と嗄(しゃが)れ声が特徴で、中高年層にファンが多い。飾らない性格が好きで、いつの頃からかCDが出ると買うようになった。
 あるヘルパーさんに「シャンソンって何ですか」と訊かれた。はたと困った。四十前後の女性だ。〈そうだよなあ、シャンソンが日本で流行ったのは四十年近くも昔だからな。ハイソの小母さまたちが、ドレスに身を包んで『銀巴里』とかに行ってたな〉
 でもシャンソンって、そんなお上品なものだろうか。生きる喜び、苦しみ、悲しみを唄った、どろどろとしたものではないだろうか。時間を持て余した上流階級の小母さまたちが、おフランス料理を召し上がりながら聞くような音楽とは、ちと違うんじゃないかという気がする。
 こういう人たちから見ると、木村充揮が『ケサラ』を唄うと、なんて下品なと感じることだろう。だが、木村充揮はたぶん、私と同じように、最底辺の人生を知っているに違いない。

 ◆二つ目のエピソード
 鴨志田穣(かもしだ ゆたか)という戦場カメラマンがいた。多くの写真のほかに『酔いがさめたら、うちに帰ろう』などの著書がある。題名から分かるように、重度のアル中だった。
 若い頃、私も憧れたことがあるので想像がつく。戦場カメラマンの題材は人の命だ。戦場では、先に殺さなければ自分が殺される。修羅場を駆け巡っているうちは、弾丸がよけてくれるが、一瞬でも恐怖を感じると命中するというジンクスがある。
 毎日多くの命が失われる。不条理の中で捉われる憤り、絶望、悲嘆。よほどタフな神経の持ち主でなければ、この仕事は務まらない。ナイーブなこの人は、酒に救いを求めた。そして癌に侵され、四十二歳の若さでこの世を去った。

 ◆三つ目のエピソード
 我が家には十数人のヘルバーさんが入っている。時として二人介助もある。三十代、四十代の女性が多い。この世代はシャンソンは知らずとも、漫画とかアニメはやたら詳しい。こちらは『鉄腕アトム』や『鉄人28号』くらいしか知らない。ただ漫然と会話を聞き流していた。
 あるとき一人のヘルパーさんが、
 「毎日かあさんの実写版があるんだってね」
 と切り出した。
 ストーリーを聞いていて、何かが頭の隅っこに引っ掛かった。えてしてこの手の「引っ掛かり」は、時間とともに増幅していくものだ。西原理恵子(さいばら りえこ)という人の実生活がストーリーだとか、夫婦を演じた二人が、離婚した元夫婦だという話だった。
 家人に頼んで、レンタルのDVDを借りてもらった。

 ◆そして四つ目のエピソード
 主人公は西原理恵子さん本人。その夫はアル中の戦場カメラマンで、入退院を繰り返している。えっ、アル中のカメラマン。〈そんなぁ〉と思いながらジャケットを見ると、鴨志田穣の名があった。二つのエピソードがつながった。
 やがて映画が終わり、出演者名の永いながいテロップが流れるが、主題歌『ケサラ』を唄うのが木村充揮だ。内容については触れない。ただ、生きていくのがしんどくなったとき、奇妙に力づけてくれるのです。本物のシャンソンだと思います。  
             
※youtubeだと 『ケサラ 木村充揮』

千葉県:出口 臥龍

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