はがき通信ホームページへもどる No.132 2011.12.25.
Page. 1 . 2 . 3 . 4 .
前ページへ戻る

 特集 「シーティングに関する講演会」に参加して 


 私は、「はがき通信」や神奈川頸損連絡会のメンバーではありませんが、今回の交流会にはH会長(神奈川頸損連絡会)のお誘いで講演会にのみ参加ささせていただきました。


       ●HさんとFさん(右)

 さて、車イス生活をおくるうえで、正しいクッションの選び方や使い方を知っておくことは重要ですね。ですが、私のクッションに関する知識というものは、購入時に受けた簡単なインストラクションと製品説明書、そして自らの「使用経験」に基づいたものがほとんどで、きちんとした理論をベースにしたものではありませんでした。なので、自分流の知識と、最新のクッション理論とをつき合わせて考えられる良い機会になると思いました。
 私は現在、ロホ・クッションを使用しています。参加された人の中にも同じ製品を使用されている方もいらっしゃることでしょう。ロホのクッションは空気圧の調整により最善の体圧分散効果を発揮します。ですから、適正な空気圧の設定とチェックが欠かせません。しかし、自分が設定した空気圧がはたして正しいのか判断が難しいところです。また、車イスとの相性や車イス各部の調整、衣服などとの関係も考えなければいけないので、本当にシビアなものです。何か目安が欲しいと思っていたところ、今回の講演会「車いすとクッションで二次障害を防ぐシーティング」では体圧分散値を計れる機材を使って、現状を3Dグラフで視覚化できる機会があり、非常に参考になりました。実際に計測してみると、右座骨に圧力の高い部分がありましたが、耐圧分散はおおむね良好のようでした。ズボンの折り目や姿勢に気をつけることで、お尻に良い状態を維持できそうです。計測してもらったクッションはロホのハイ・プロファイルの正方形型ですが、カバーはロホ純正ではありませんでした。理由は純正のカバーが劣化したので交換したということもありますが、私はクッションを安定させるためのベース板を敷いているので、純正カバーではクッションがズレてしまうのです。このため車イスとクッション、ベース板をそれぞれベルクロ(マジックテープ)で貼り付けて固定できるカバーが必要だったからです。純正以外のカバーが除圧効果に影響があるのではと思っていましたが、その心配もこの講演会で解消できました。
 また、クッションはお尻の肉や皮膚という身体の表面を支えるだけでなく、身体の内側の骨盤も支えていくことが重要であると、骨格見本を使った説明で知ることができました。この情報は私にとって非常に有益なものでした。クッションの使い方しだいで内臓も骨盤によってしっかり支えることができ、もしかすると慢性的な便秘を好転させることができるのでは、と思ったからです。そういえば東急ハンズに行った時に、クッション売場で骨盤サポートを謳(うた)った商品が多く展示されているのを見ました。トレンディーな製品を使ってみたいなと思いましたが、それらの製品は私の身体には除圧効果や車イスとの相性の面で利用不可能と思われます。ですから専用に開発されたものを手にとって見ることができ、その使い方をシーティングフィッティングマスターの資格を持った講師の方(佐野俊也氏:アビリティーズ・ケアネット(株))から学べるというのは非常に大きな収穫でした。


  ●講師の佐野氏と体圧分散値の測定中

 身体の状態を良好に保つことが難しい私たちにとって、今回の講演会はとても重要な機会だと思います。交流会でもお互いの意見を交換し合い、そこから新たな考え方を引き出して、生活の質を高めていくための情報が得られたと思います。機会があれば、またぜひ参加したいと思いました。

横浜市:T.F.



 感想文 


 ※「シーティングに関する講演会」に、ボランティアとして参加していただいた学生の方の講演会の感想を数名ご紹介いたします。

 今回、講演会に参加させていただき、ふだん学ぶことのできない多くのことを知ることができました。シーティングひとつでも、クッションにあらゆる種類があり、どのような利点・問題点があるかなど詳しく知ることができました。また、実際に使ってる方々の声を聞けることは、どのような視点で見ているか、ふだん使用してる上での意見などを聞くことができ、より勉強になりました。
 今後も、作業療法に関わるより深い勉強のため、このような貴重な機会には積極的に参加していきたいと思います。(K)

 初めて頸損会のボランティアに参加させていただきました。会場の雰囲気がとても良く、健常者と障害者の壁を感じなかったことが印象的でした。病院見学や授業では感じられない、頸損の方の生活を垣間見ることができ、非常に勉強になりました。貴重な機会をいただき、ありがとうございました。(T)

 初めて、学校以外の講習会に参加させていただきました。病院外で脊損の方に会う機会がなく、病院で「急性期の患者様」を見る機会の多い私にとって、皆さんの明るい言動は、とても印象的でした。また、講習会では、具体的な商品を交えた説明は面白く、皆さんがどのような点に興味を持っているかが垣間見え、作業療法士として“生活”を考えるヒントをいただいたように思います。また機会があれば、ぜひご一緒させてください。(N)





 特集 2011年「はがき通信」懇親会in横浜に参加して 

48歳、C3−4不全、受傷歴23年


 はじめまして。K.Y.と申します。初投稿なので簡単に自己紹介します。現在、48歳、頸髄損傷C3、4不全で電動車イスに乗っています。関東平野西端の埼玉県入間市在住、ある特例子会社で在宅勤務をしています。
 25歳のときに海水浴中に高波に巻き込まれて頸髄を損傷しました。障害者となって23年、過ぎてしまえばあっという間です。みなさんほどではないにしろ、自分にもいろいろあったなと思います。

 ◇「はがき通信」懇親会の思い出
 「はがき通信」を知ったのは15年ほど前だったでしょうか。会員のみなさんの生活や工夫、ご活躍を毎号楽しく拝読しています。
 懇親会に参加するのは、1999年の広島と2002年の京都、そして今回の横浜で3回目になります。自分でも参加の少なさに驚きます。アットホームな雰囲気が好きで、参加したときは次回もと思うのですが、いざ申し込む頃になるとあれやこれやと心配事が先に立って見送ってきてしまいました。参加すれば素晴らしい思い出を作ることができるのに。
 広島の懇親会のときにはまだ一人一発表が義務付けられていました。そのとき、今でも心に残っている発表がひとつありました。その方は、頸髄損傷者で仏師をされていました。家業を継いで仏師になられたと。受傷されてからの葛藤をお話になられた後、その方が彫られた仏様の写真がスクリーンに映し出されました。それは素晴らしい仏様でした。〈すごい〉、手と指にマヒがある人が彫ったとは思えない、僕は驚かされました。
 京都では、向坊さんと、一言、ニ言でしたが、話をさせていただくことができました。そして、それが私にとって最初で最後の会話となってしまいました。もっとお話を聞きたかった。残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。


●講演会前の自己紹介

 ◇懇親会in横浜
 前置きが長くなってしまいましたので、他のイベント(講演会)の報告は他の方に期待して、夕食パーティ(レセプション)に絞って報告します。
 夕食パーティは「崎陽軒本店」ダイナスティーでおこなわれました。会場はとてもきれいで、高い天井からはシャンデリアがぶら下がり輝いていました。参加者が席についてもスペースに余裕があり、テーブルが違う方とも交流することができました。なかなかこういう会場はないと思います。素晴らしかったです。料理はバイキングでした。会場の端に中華とイタリアンの2本立てで提供されました。これもとても美味しかったです。さすが崎陽軒ははずしません。
 食べて飲んで落ち着いた頃に、自己紹介がありました。僕は懇親会の参加回数が少ないので、お名前と顔を確認しながらお話をうかがいました。みなさん、「はがき通信」との関わりを語っていました。初期の頃と顔ぶれが変わったことや亡くなられた方を懐かしむご発言が、数名の方からありました。特に、松井先生が、懇親会を始めることになった経緯をお話になりながら、亡き向坊さんを想い涙ぐまれていらっしゃったご様子が心に残りました。大切な先輩たちが亡くなられていることをあらためて実感しました。



 パーティ後半は、みなさん、テーブルを超えて交友を温めていました。直接会って話をすることはとても大切なことですね。
 さて、そんななか僕はといいますと……。僕はバイキングと聞くと、心が燃えてしまいます。<戦え>、<食うぞ、喉元まで>、<元を取るぞ>と心が吠えます。お恥ずかしい。もういい歳なのだからそんなに食べられるわけはありません。食べたもののほとんどは余計な脂身となるだけなのに。「崎陽軒といえばシュウマイだ」と料理のテーブルへ突撃して行きました。料理に満足してリクライニングをして休んでいる方たちの間をすり抜けて、「まだ食べるの」とクスクス笑われながら4往復。頑張りました。元を取るまではいかなかったけれど、やれることはやったと満足しました。
 面識のない方、久しぶりにお目にかかった方がいらしたのにもかかわらず、バイキングと戦っているうちにお開きの時間になってしまいました。失敗です。次回の福岡ではみなさんとしっかりと交流したいと思っております。はい。
 最後になりますが、横浜の懇親会を企画してくださった幹事のみなさま、楽しい時間を過ごさせていただき、どうもありがとうございました。

埼玉県:K.Y.




 特集 横浜懇親会での心配事 

59歳、C4

 毎年行われている懇親会ですが、妻の会社の展示会行事と懇親会の日が重なることが多く、ここ6年間参加できずにいました。今年は珍しく日程が重ならなかったのと、鎌倉が好きな妻のためにも久し振りに思いきって参加することにしました。
 そこで一番心配なのが、羽田空港から横浜までの交通手段です。時はさかのぼって10年前、2001年にも懇親会が横浜で開催され出席いたしました。そのときにランドマークタワーから中華街に行くために、JR桜木町駅からJR石川町駅まで電車を利用しました。その際1度だけでなく2度までも、石川町駅の駅員が待機していなかったのです。この顛末(てんまつ)は、2001年の「はがき通信」に投稿していますが、私の脳裏にトラウマのように残っており、今でも電車に乗るのが心配です。
 このような事情もあり、幹事の伊藤さんに福祉タクシーの会社を調べてもらうことにしました。ところが、福祉タクシー料金はかなり高いので「京急電鉄」でなら羽田空港と横浜駅を乗り換えなしで行けるので電車にしたらと言うことでした。妻といろいろ考えましたが、やはり万が一のことと知らない大都会の駅をウロウロするのが嫌で、再度伊藤さんに無理を言って探してもらいました。ありがたいことに、どうにか半額で良いと言うタクシー会社を探していただきました。
 次の心配事はどの車イスで行くかということです。飛行機で行くときは、いつも簡易電動車イス(YAMAHA)JW−Ⅱで行っていたのですが、最近は旅行先でリクライニングできないとかなり疲れます。大きなリクライニング電動車イスは持っているのですが「空港でのバッテリーの取り外し、取り付けが大変」「移乗の際に相当高く持ち上げる必要があるので多くの人数が必要」という理由で飛行機のときは利用しません(電動車イスにまつわるトラブルや移乗等の工夫等を、「はがき通信」で特集していただけると幸いです)。それで今回は、車イス屋さんから手動リクライニング車イスを借りて行きました。手動ですので、妻に負担がかかるのが気がかりでしたが……。
 次の心配事というか、嫌なことは飛行機の座席への移乗です。車イスですので最初に乗り込み飛行機の座席に移乗してもらうのですが、これが一番厄介で大嫌いです。男性職員2人に脇と膝を抱えてもらって移乗しますが、要領を知らない方が多いので、両肩が真横に開く格好になってしまい、肩に力のない私は肩が抜けるように痛かったです(お手伝いには感謝していますが……)。飛行機は、雨と羽田空港の滑走路の混雑で1時間遅れでしたが、無事に羽田空港に着き、迎えに来てくれた福祉タクシーでホテルに着きました。
 飛行機の遅れで最初の会場には出席できませんでしたので、次の食事(レセプション)会場に向かいました。今回の懇親会の参加者は24名で、皆さん付き添いの方も一緒ですので総勢約50名の参加になりました。



 懐かしい面々、初めての方とおられましたが、近況報告等で話が弾みました。参加者一人ずつ(付き添いさんも)の簡単な自己紹介があり、最後に記念撮影をして食事会を終了しました。
 2日目は自由行動ということで、妻の待望の鎌倉見学です。車イス5台と他8名で横浜駅から鎌倉駅までJRで行き、そこから江ノ電を利用しました。電車を乗り継いでの鎌倉見学ですが、電車恐怖症の私も伊藤さんの先導ということで安心して後をついて行けば良いだけでした。また、本当でしたら私の車イスは妻が押すのですが、兵庫県のSさんが男性2人の介助者を連れて来られていましたので、その内の1人の方を私の車イスを押す係りにして下さいました(大感謝でした)。


    ●鶴岡八幡宮でカッパを着て

 ここでの心配事は、古い観光名所である鎌倉での車イスのアクセスです。鶴岡八幡宮と大仏様の2か所しか見学できませんでしたが、やはり砂利と石畳が多く手動車イスの細い車輪では「ガタガタ」と胃への振動は相当なものでした。大仏見学の後は、他の皆さんは江ノ島へ行くことになりましたが、私は船酔いのような気分になりホテルに帰ることにしました。それでも長谷駅から藤沢駅まで江ノ電に乗り、テレビでよく見る江ノ電の車窓風景を満喫しました。
 最後の日は、日産本社ギャラリーを見学して反省会の予定でしたので、ホテルの地下に車イス9名と介護者が集合して日産本社まで車イス集団の行進です。ホテルから日産本社まで、横浜駅地下街を通りエレベーターで上がったり下がったり、SOGO百貨店内をウロウロと迷路のように動きます。はぐれたら最後、迷子になりそうです。もし、福祉タクシーを予約せずに電車で羽田空港へ行く予定にしていたら、日産本社から横浜駅には戻れる自信はありませんでした。新幹線で広島まで帰るOさんは、無事に帰れたようですが……。感心します。
 日産の方の取り計らいにて、本社内の会議室をお借りして、今回の懇親会の感想や来年以降の懇親会の予定について話し合いました。来年は福岡開催ということでまたの再会を誓って12時頃に解散になり、私はこの会場まで迎えに来てくれた福祉タクシーにて空港に向かいました。羽田空港では「車イスが大きいのでこのままでは積みこめないかも」と訳のわからないことを言われて時間をとられ、いつものように座席の移乗には四苦八苦しました。
 「行く前、行くとき、行ってから、帰るとき」といろいろな問題や心配事がありましたが、無事に我が家に帰りつきベッドに横たわると、故郷に帰りついた安堵感でホッとしました。この懇親会を企画実行された横浜の人たちには大感謝です。さらに横浜でお世話になった方々にお礼を申し上げます。

熊本市:K.I.

このページの先頭へもどる  次ページへ進む



HOME ホームページ MAIL ご意見ご要望