みなさんはじめまして。私は38歳男性で胸髄5番以下の完全麻痺です。受傷して18年になります。昨年1年間米国カンザス大学にVisiting scholarとして在籍し、「米国に暮らす脊髄損傷者の社会参加」について質的研究(インタビューを中心とした研究)を行ってきました。米国行きを励ましてくれた知人から、現地での生活の様子について「通信」に投稿してはと勧められ、筆を執った次第です。今回は研修の最後に訪れた南米ペルー訪問のことを紹介したいと思います。
ペルーは日本からはちょうど地球の裏側ということもあり、ペルーのことを詳しく知っている人は少ないと思いますのでざっと紹介します。外務省ホームページによれば、ペルー共和国は人口2790万人で面積は日本の3.4倍あります。公用語はスペイン語です。1人当たり国民所得は3,450米ドルですが、GDP成長率は年率9.8%(2008年)と高く、実際首都リマ市では、いたるところで建築中のマンション等があり、経済が右肩上がりであることが覗(うかが)えました。道路を走る車は多くが本国で役目を終えて輸入されたとおもわれる古い車が多く、そしてオートバイに毛が生えたようなモトタクシーが排気ガスをまき散らしていたため空気が汚く、喉が痛くなるほどでした。
今回ペルーを訪れた理由を説明します。カンザス大学における私の指導教官であるGlen.W.White教授(彼も脊髄損傷で車いすユーザーです。胸椎11、12番の完全麻痺と聞いております。以下「ホワイト」と表記)は、ペルーの障害を持った当事者の中からリーダーを育てて、現地に自立生活センター(以下「CIL」と表記)を設立するというプロジェクトに1998年から取り組んできました。今回は「US-Peru Independent Living Working Summit」と銘打ち、米国のCILの運営に携わっているホワイトの仲間8人とともに、ペルーの当事者たちにCILの歴史や哲学、経営手法等を伝え、同時に、彼らへの福祉サービスや、彼らの権利を向上させるための取り組みの方法について現地の当事者たちと知恵を絞ることを目的とした訪問です。それに同行させていただいたのです。
新年早々、カンザス空港を出発して乗り換え空港のアトランタへ。アトランタ空港で今回の旅に同行するホワイトの仲間たちと合流しました。バックグラウンドや年齢層もいろいろでしたが、「Nice to meet you」で握手を交わしたあとはファーストネームで呼び合えるのがこちらの人づきあいの良いところ。アトランタ空港でペルー行きの便を待っている間、全米に幅広い人脈を持つホワイトは知り合いの航空会社の職員と再会して抱き合い、なにやら話し込んでいました。すると、ペルー行きの彼のシートだけがビジネスクラスにアップグレードされていました。
◇盛りだくさんのスケジュール
ペルー共和国の首都リマ市での滞在は1週間でしたが、出発のかなり前からホワイトは現地での行動を綿密に計画していました。メンバーとは、事前に何度も電話会議を重ねて現地でのプランを詰めていました。私は米国滞在中に彼の出張に何度も同行させていただきましたが、今回もハードな旅になりました。
深夜未明にペルーの首都リマ空港に到着。空港では現地の障害者団体のリーダー格のメンバーを始め、十数人の人々が歓迎してくれました。

<左からDr.ホワイトとペルーの当事者代表のホゼ氏、ハイミ氏>
ホテルへ送ってくれるために車を手配してくれていたのですが、今回のメンバーたちは障害の種類や重さに幅があったため、それぞれ電動車いす、手動車いす、電動スクーター等を使用していました。そのことは事前のペルーの障害者リーダーも含んだ電話会議で打ち合わせ済みだったのですが、空港の駐車場で誰がどの車に乗せるか考え込む受け入れ側の一同。用意したタクシーの台数もぎりぎり、というより若干少なめな予感。空港の駐車場を出発するまで軽く1時間はかかったと思います。なんとか用意してくれた車に収まったものの、私は自分の車いすを分解してそれを自分の体の上に載せられ辛かったです。それを見てホワイトが言いました。「Toshi ペルーへようこそ!!(笑)」「われわれの9時はペルーでは9時半だ。時々10時半になることもあるよ」ホワイトが彼らと付き合い始めた当初は、彼らとの時間の感覚や仕事への考え方のズレに大変苦労したようです。

<米国メンバーたちとペルー当事者たちの集合写真>
◇ペルーのホテルでの「べからず集」
ペルーの首都リマ市のホテルでは、やってはいけないことが何点かあります。①トイレで使ったトイレットペーパーはトイレに流さずに付属のごみ箱に捨てる。これは水洗の圧力が弱く、紙がすぐに詰まってしまうため。②持ち込んだ電気製品を直接コンセントにつないではいけない。現地の電圧は220ボルトで米国と違うので、変圧器を使用する。同行したメンバーのひとりが、ホテルで電動車いすの充電のために直接コンセントを接続したところ、充電器から煙が出て故障してしまい、地元のDIYショップで代わりの品を買い求めるはめになった。③蛇口の水は飲まない。歯磨きの際の口をゆすぐ際にもペットボトルの水を使うほうが良い。ホテルといえども水は不衛生。出発前の電話会議等でホワイトが繰り返しわれわれに周知していました。
◇格差社会ペルー
次の日はペルーの中心街を歩く時間がありました。暦の上では1月でしたが南半球のリマ市は暖かく、極寒のカンザスから来た自分は一気に気分が明るくなりました。歩道などの車いすでのアクセスも思ったほど悪くありませんでした。ただ、車道を走る車はクラクションを浴びせながら気合いを入れて走っているので注意が必要です。現地でチャーターしてくれたタクシーの運転手も非常にアグレッシブな運転をしたため、シートベルトを装着しようとしましたが、ベルトの先のバックル(金具)がなかったので恐ろしかったです。
その日の夕方、受け入れ側の中心人物のお宅(脊髄損傷)にお邪魔しました。彼のお宅は閑静な住宅街にあり、彼の邸宅がある居住区の入口ではセキュリティチェックがありました。リマ市内の住宅やマンションのエントランスは高い塀に守られていることが多かったので、治安はあまり良くないと思われます。
遅れて到着した私が彼のお宅の塀の呼び鈴を鳴らすと、蝶ネクタイをした執事が出迎えてくれました。この邸宅の主人は受傷前には建築家として活躍していたそうで、当時はこの家の3倍の広さの家に住んでいたそうです。といってもすでにこのお宅は広かったです。自分は遅れて参加したのですが、他の皆はすでに中庭で大変おいしい料理をふるまわれたそうで、私が到着したときには時すでに遅し。皆食べ疲れた表情で僕を迎えてくれました。がっかりしました。しかし、幸い私にも御馳走してくれました。チキンがとてもおいしかったです。
そんなハイソな夜を満喫した次の日、われわれはペルー郊外へ向かいました。ホテルを出発してしばらく走っていくうちに車窓の景色が少しずつ変わっていき、赤茶色をベースとした背の低い粗末な住居と未舗装の道路、そして強烈な臭いが鼻を突きました。道路を走る車も、繁華街を走る車よりいっそう古く、道端には無造作にゴミが捨てられています。私は日本のテレビで貧しい国の様子を見たことはありましたが、実際にこのような光景を目の当たりにしたのは初めてでした。日本も格差社会といわれて何年か経ちますが、そんな生ぬるいものではない圧倒的な格差がここには存在し、その格差は世代を超えて引き継がれるそうです。貧しい家庭に生まれた子供が上の階層に上がっていくのは大変困難だそうです。高等教育を受ける機会がほとんどないからだと地元の人は言っていました。同じ市内なのにもかかわらず、いったいこの差はなんなのかと言葉を失いました。
その日はスラム街で作業所を経営している方々を訪問しました。べニア板を張り合わせたような小屋のなかで衣類やバッグなどを作っていました。売上はとても少ないそうです。貧しいながらも、少しずつ当事者の生活の質をあげるための努力をしているそうです。しかし、ただでさえ貧しいスラムにおいて、彼らのような社会的弱者が文化的な生活を送るのは大変ではないかと思いました。

<リマ市郊外のスラム街にある当事者が運営する作業所>

<作業所前で責任者から説明を聞く>
◇現地でのミーティングなど
「今回のペルー訪問は自分にとってはリラックスの意味もあるんだよね」と言っている割には、現地でのスケジュールは朝から晩まで人と会う約束が入っていました。これから自立生活センターを設立、運営し、そして第2、第3と普及させていくためには、ペルー国内のいろいろな障害を持った当事者の横の連帯が必要であり、ホワイトはその連携を作るのに一肌脱ごうとしていました。しかし、いまのところ一致団結には程遠く、乗り越えなければならない高い壁があるようです。感情的な行き違い。妬み。ホワイトは「どちらの障害者リーダーとも親友だから、辛いんだよね」と言いながらそれぞれと会ってなんとか彼らをうまくつなげようと努力していました。普段は陽気で人懐っこい彼らでしたが、ホワイトに相手方の悪口を言っていました。詳しい事情はわかりませんが、いろいろなしがらみがあるようです。
連日いろいろな肩書きをもつ当事者たちとのミーティングの他に、リマ市の施設でホワイトたちアメリカの障害者リーダーたちが現地の人々にCILの歴史や哲学、そして経営手法などを講演するというイベントがありました。そこでは私も日本の障害者運動の歴史や現在のバリアフリー、日本の障害者雇用の様子などについて講演しました。事前に2か月以上かけてパワーポイントで作った資料は、日本から持ち込んだ写真などを盛り込んだ40枚以上のスライドとなりました。時間の制約があったため早口になりましたが、皆熱心に聞いてくれました。このスライドを作る過程で日本の障害者運動や現在の法律や仕組みについて調べたため、自分にとっても良い機会となりました。
私の講演が終わった後で、リマ市長も参加し、現地の当事者たちとの対話をする時間が設けられました。ペルーでは、首都リマにおいても障害者福祉については黎明期(れいめいき)といったところで、今後彼ら自身が、いろいろな権利を勝ち取るために運動や交渉をすることになりそうです。彼らが市長にいろいろな意見をぶつけている様子を見ながら、日本でも30年ほど前には当事者のリーダーたちが行政に向かってこのような取り組みをしてきたのだろうと感じました。

<ペルー国会議事堂正面玄関前>
そして今回の一番のイベントは、ペルー国会議事堂にて、同行した米国のリーダーたちがCILの歴史や哲学や経営について講演するというものでした。議事堂の入口では警備の兵士たちが直立不動で迎えてくれました。そして、議事堂内で150人以上の参加者たちの前で、米国CILの歴史や哲学等について講演しました。私は残念ながら客席側でしたが、ペルーの当事者たちにとってエポックメイキングな機会に参加することができたのは貴重な体験でした。


<ペルー国会議事堂内の議場での講演風景>
◇国際的な連携を
当事者たちがいまだ貧困や差別に苦しんでいる国は、ペルーだけではないと思われます。日本の当事者リーダーたちは、1980年代に米国からCILによる当事者主権の手法を学び、現在ではアジアを中心とした途上国に、そのノウハウを伝授するまでになっており、その取り組みは米国のリーダーたちも一目置いているほどです。
彼らは、欧州や日本の当事者運動に学ぶべき点が多々あるとも言っています。現在世界的に景気が低迷し、ともすれば当事者が長年の努力の末勝ち取ってきた権利や環境が後退しないとも限りません。今後日米や欧州、そして途上国のリーダーたちが、CILを核とした当事者運動について双方の知恵を交換しあう場を創り、それぞれが持っている既存のノウハウやリソースを共有できないだろうかと思いました。