も く じ | |
ごあいさつ | 編集部委員:藤川 景 |
「はがき通信」懇親会 in 京都 | |
「はがき通信」からのお知らせ | |
追悼 中島虎彦−自由な心の在処を歌う− | 佐賀県:S.Y. |
『蟷螂(とうろう)の一灯』 | 千葉県:T.D. |
中島虎彦氏を悼む | 東京都:Y.A. |
火傷防止の工夫と「独居抄」(5)(遺稿) | 佐賀県:中島 虎彦 |
<特集!「尿路管理」> | |
□尿路感染防止方法 | 北九州市:I.M. |
□妻への感謝 そしてイレウス(腸閉塞)と尿路感染 | 福岡県:K.M. |
□なにがあっても当たり前(?)の私の尿路管理 脱線だらけでごめんなさい! | 福島県:T.S. |
□膀胱瘻(ぼうこうろう)、目下の悩み | 東京都:F川 |
□カテーテルが真っ赤に | 編集委員:藤田 忠 |
□ずっと「膀胱瘻(ぼうこうろう)」の私です | 編集委員:瀬出井 弘美 |
□私の尿路管理変遷—留置カテーテルのケース | A.Y. |
「NHKハート展」に入選 | 熊本県:石川 清重 |
向坊さんを偲ぶ会 | 福岡県:M.M. |
新春“デブュー” | 東京都:M.K. |
ALS、私が思うこと(1) | 福岡県:H.K. |
2kgのウンコ | 横浜市:M.I. |
ひとくちインフォメーション |
「はがき通信」懇親会 in 京都
今年の「はがき通信」懇親会の日時と会場、宿泊場所が決定いたしましたのでお知らせいたします。なお、詳細なご案内と申し込み方法につきましては、次号・7月号で掲載させていただきます。よろしくお願いいたします。 【会場と宿泊場所】 『聞法(もんぼう)会館』 京都市下京区堀川通花屋町上ル TEL:075-342-1122 FAX:075-342-1125 会場:多目的ホール・3F 宿泊:5〜6F 朝食:レストラン・B1 新幹線京都駅・烏丸口(からすまくち)より徒歩約15分 駐車場320台無料 チェックイン/15:00 チェックアウト/10:00 【日時と部屋数】 ●2007年9月21日(金)〜23日(日) ・ツイン(ベッド2)6部屋 ・トリプル(ベッド3)13部屋 ・車いす対応部屋(ベッド2)3部屋 ・和室(布団3)2部屋 ・和洋室(ベッド3・布団2)3部屋 ※相部屋になることはありません。トリプルに2名でもかまいません。 聞法会館が宿泊定員オーバーとなった場合(障害当事者25組位まで)、新幹線京都駅近くの“リーガロイヤルホテル”を交渉中ですが、宿泊料金が高くなることをご了承ください。お申し込みはお早めにお願いいたします。 【懇親会日程】 ●21日(金) ・14:00〜17:30(開始挨拶・スピーチ等) ・17:30〜18:00(夕食準備) ・18:00〜20:30(夕食レセプション:3Fホール) ●22日(土) 1日観光 注:ボラさんを同伴しての観光案内は先着4組までとさせていただきます。なお、ボラさんの食事代は依頼者負担となります。 ●23日(日) 10:00〜12:00(スピーチ・終了挨拶等) 【宿泊料金と参加費】 ・1泊目:2食付 14,000円 ・2泊目:朝食付 11,000円 ※大人1名の料金です。どの部屋も宿泊料金は同じです。 夕食、朝食は無しでもかまいません。(夕食:3,000円/朝食:1,000円) ・参加費:障害当事者1泊1,000円(日帰りも同額・3日目のみ無し) [お問い合わせ先] 実行委員 伊藤 実行委員 藤田 「はがき通信」からのお知らせ
1月号に郵便振替用紙を同封させていただきましたが、お陰さまで納付率が上がりました。ご協力いただき、どうもありがとうございました。 さて、繰り返しとなりますが、振込み手数料が高く皆様には大変申し訳ございませんが、頸損当時者が会計担当ということでご理解いただき、ネットバンキングと通帳で管理のできる現状の郵便局への振込み方法のみで今後ともよろしくお願いいたします。 ところで、振込み手数料が210円より安い方法があります。ただし、郵便貯金通帳を持っている場合に限られますが、振込み用紙に届出印を押し、通帳もしくはカードを持参して窓口へ出すと140円になります。 また、購読料か寄付金かの内訳を明記していただけますと、会計管理がスムーズにいき大変助かります。しかし通信文は有料ですので、振込み後に占部さんにメールやFAXでご連絡いただいたほうがお得です。 それから、広島懇親会会議時、途中加入者の納付月がまちまちなので不公平さがあるということで、「購読料」の名称を「会費」に変更する検討案が出されていましたが、その後、編集スタッフで話し合った結果、「購読料」という名称はそのままに加入初年度はたとえば「2007年度の購読費」として1,000円納付していただき、その年度に発行されたバックナンバーもふくめてお送りすることにいたしましたのでよろしくお願いいたします。 【特集原稿募集!】 使わないですむなら、使わないにこしたことのない薬ですが、四肢マヒ者はどうしても薬のお世話になることが多い現状があります。しかし、多くの方は確信をもって使っているわけではないと思います。 次号・106号の特集のテーマは、「私の常備薬」とさせていただきます。皆さんの普段備えている薬にはどんなものがあるでしょうか。医師に処方してもらう場合も自分で薬局やドラッグストアで買う場合もあると思います。どういう時にどんな薬を使用しているか、効果の程度や副作用、使い方の工夫などの体験談を募集いたします。 服用薬、軟膏、貼り薬、湿布薬、坐薬、いろいろあると思います。薬に関する質問でもOKです。薬についてのどんなことでも募集いたします。 ひと言の短い文章でもかまいません。それがきっとどなたかの役に立つはずです。ぜひドシドシご投稿ください。よろしくお願いいたします。 締め切り:6月30日まで! 追悼 中島虎彦−自由な心の在処を歌う−
中島さんが亡くなって、当分身体に力が入りそうにない。 お身体の調子が今いち優れないように感じていたので、万一を慮(おもんぱか)って、作品集を出すとしたら何を収録しますかとお尋ねして、大体のところをお聞きしたばかりのところだった。虫の知らせとでもいうのだろうか。 去年の5月に10年来の念願かなって、身障者の自立を支援するふれあい住宅に入居され、1人暮らしが始まっていた。1年も経たない内の訃報である。結果として、1人暮らしはしない方が良かったのか。お母さまの嘆きはどれほどのものだろうか。 嬉野市のはずれの吉田の山道を、ぷちぷちとドングリの実を車椅子のタイヤで潰(つぶ)しながら散歩する方が、中島さんの性に合っていたのではないか、とひそかに考える。 どんぐりをぷちりぷちりとこれだから電動車いすはやめられません/生きていてよかったような野の小みち犬は車いすのあとさきになる/いまどきの変なおじさんに住みにくい世の中となり野みちまでくる 中島さんには、「卑弥呼まで」というS氏賞をとった小説の名作もあるけれど、やはり短歌が彼の資質を最もよくあらわにするジャンルではなかっただろうか。 車いすゆえにひとさし舞わずにはみなさまたちが南瓜の頭……何というすばらしい諧謔(かいぎゃく)精神だろう。私たち健常者の前でずいぶんと「ひとさし舞」ってくれたことだろう。そもそも「夜明けの闇」という歌集自体が、すばらしく自由な心で「ひとさし舞」ってみせた姿だったのかも知れない。 定型といういましめのマゾヒズム馬鹿ていねいな月も出ている……口語自由律を武器にあくまで自由な心の在処(ありか)を歌った。しかし、寂しさだけはどうしようもなかったようで、死の誘惑もまた強かったようだが、渾身の力を込めて誠実に生き抜こうとした。 みつ葉だらけの土手をゆくときぼくよぼくを決して見捨てないでおくれ/何百回川っぷちまで来てみてもさらさらそんな気はないくせに/堕ちながら全生涯を見るというわけではなくて死にそこないめ/つぎつぎと気分の逸れてゆきながら淋しさだけは逸れてゆかない/丘の上ではりつけになることだけが見せしめではなく生かされてゆく 少し若い頃に、まぶしい脚光を浴びたこともあった。 小説をテレビドラマに仕立てられ喜んでいる場合ではない/そのおりの恋人も読んでいるはずの新聞ずいそうを書きついでゆく/盗汗ぬぐう私の本が天声と人語の下に広告されている あまり知られていないけれども、彼がひそかに力を入れていたのは、障害者の性の問題だった。 ひとづまと出っくわしている幸せにもう小便をもよおしてくる/思慕となるいつも笑っている人の笑っていない顔を見てから 歌集には慎重にごく大人しいものだけが収録されているが、脊髄損傷ニュースに連載した書評や評論では、障害者の性を正面から取り上げ、いずれも瞠目(どうもく)すべき作品となっている。 彼が突然に亡くなって、もっとも痛ましいと感じるのは、彼に自分の家族がいなかったことだ。妻があり子供がいれば、彼もどんなにか幸せだったろう。 昼寝からさめてしばらく妻と子がないことに首をかしげつづける 私には何より彼に子供がいてほしかった。お子さんと彼の想い出を語り、お子さんの風貌(ふうぼう)に面影をしのびたかった。そして、彼の作品の素晴らしさを共に語り合いたかった。 しかし、彼の人生は感謝の人生でもあった。 おふくろのうしろ姿に絶句するよりほかの誠実さを知らず/早苗田を吹きわたってくる風のように訪ねてくれるヘルパーさんたち/うしろからそうっと肩に手を置かれおとなしくなっている夕焼け 充分に幸せを感じた一生でもあったのだろう。 S.Y.(歌集『夜明けの闇』『とろうのおの』編集者) 『蟷螂(とうろう)の一灯』
いじめられたくらいで死ぬな馬鹿者よ這(は)いつくばってでも生きてやれ 昨今テレビや新聞で毎日のように報道される、小中学生のいじめや自殺が題材である。「馬鹿者よ」とはまた短歌にはそぐわない直截(ちょくさい)な表現ではあるが、この言葉を使うか否か作者はかなり逡巡(しゅんじゅん)したのではなかろうか。でも敢えて使った。理性よりも感情が先行したとも思える歌である。 「オレたちは這(は)いつくばってでも生きている」のに、いじめられたくらいで死ぬな、という作者の激しい思いが込められている。世の中には長生きしたくともできない者だって大勢いる。なのに自ら命を絶つなんて。しかも、いじめられたくらいで……。だが、すでに亡くなった子供たちに対して、馬鹿者よという言葉の選択はむごい。 詠み人は中島虎彦さんだ。面識はない。しかし広島懇親会の出席者名簿にはお名前があったので、お見受けしていたのかもしれない。その中島さんが3月14日に急逝した。この報は3日後の17日、レッツの勉強会で瀬出井さんに聞いた。そして、この歌が出たのが「はがき通信」の104号。発行日は3月25日。冥界からの中島さんのメッセージかもしれぬ。まだ53歳。あまりにも若すぎる旅立ちだった。 中島さんの著書に「とろうのおの」というのがある。蟷螂(とうろう)の斧(おの)をもじったものであろう。蟷螂(とうろう)とはカマキリのことだが、カマキリは相手がどんなに大きくとも斧(おの)を振り上げる。「とろうのおの」に私は「徒労(とろう)の斧(おの)」と充てて読んでいた。権力に歯向かっても結局はつぶされてしまう、しかし言うべきことは言わせてもらうぞという、文士の反骨精神のようなものを感じて楽しみに読ませていただいていた。 100号の向坊さん追悼特集に、中島さんが追悼文を寄せていた。「……ほとんど全身的な麻痺のため旅は難渋をきわめ、途中で何度も死にそうになっておられる。ひそかに客死を望んでいるようにさえ見えた……」。一人暮らしをされてから、お好きな焼酎を飲んで車椅子ごとひっくり返ったこと、そのままの姿勢で12時間も耐えたことなど「はがき通信」に紹介された。 無理がたたったのだと思う。ライフワークを抱える一方では、おそらく自らの運命を予見されていたのではないか。向坊さんがそうであったように、私には中島さんもなぜか死に急いでおられたように思われてならない。死期が近いことを予見され、一方でそんな弱気の自分を腹立たしく思い、自らを叱咤激励(しったげきれい)したのが冒頭の歌ではなかったか。 願わくば、蟷螂(とうろう)の一灯となって、われわれ「這(は)いつくばってでも」生きていこうとする者どもを照らし続けていただきたい。……合掌。 千葉県:T.D. 中島虎彦氏を悼む
3月14日に突然訃報が舞い込み驚いた。氏から10日にメールをいただいたばかりだったからである。「痛み緩和のために」というタイトルで受け取ったメールにはギャグ川柳と小品の短編小説が添付されていた。私は熱発が治まったばかりのときで返信は遅れて送らずじまい、借りを残したまま氏は逝ってしまった。突然の早すぎる死であった。残念で心残りである。 「はがき通信」で虎彦さんといえば、オヤジギャグのネタを鍛えているかのような「言葉遊び」の連発で知られる。読者としてはそろそろ飽きたよと言いたくなってはいたが、これも途絶えてしまうと寂しい。よく考えると言葉遊びに選ばれた言葉には彼の思いとセンスが隠されていたように思う。人として普通に生きたいという切なる願い、それを許してくれない世の中への鋭いシニカルな視線、それをユーモアに包んでさらりと表現する、論争は嫌いなのだ、諦めに似た醒めたところも持ちながら生身の人間の本音をぶっつける、でもどこかで孤独感ものぞかせていた、独特の語り口はオヤジギャグにも現れていた……。 病や障害をもち恵まれない環境で生きる人々の視点から、人が生きていく日常の営みの真実を語りたい、そして、障害者としてのハンディキャップに関わりなく納得のいくレベルの虎彦流文学的表現を目指したい、それが彼の志であったろう。短歌、俳句、詩、小説、評論、エッセイなど、さまざまな分野に挑戦しながら模索してきた。最後の歌集のタイトル、「とろうのおの」、即ち「蟷螂(とうろう)の斧(おの)」は本気の闘争宣言だった。弱者に常に温かい視線を注ぎながら、一歩も引き下がらず、頑固に、サボらず発信し続けてきた。地方の小さな町で、経済的条件も福祉環境も思うにまかせないなかでの厳しい闘いであったろうと思う。得難い人だった。 誰でも「ピンピンコロリ」の死を、と願う。彼の場合、これから老いに向かうとき、障害者としては「ピンピンコロリ」に近い苦しみの短い終わり方だったかも知れない。でも彼は一瞬「しまった!」と思ったかも知れない。道半ばなのだ。虎彦さん、焼酎の晩酌の度が過ぎたかな〜? あの世で彼はこの顛末(てんまつ)について、どんなギャグを飛ばしているだろうか。 次の五首は虎彦さんの気持ちがしみじみと伝わってくる。 ・パソコンを起ちあげるこのしばらくに心の墨をすっている ・一日に一首をそなえ身のうちの鬼を飼いならしておりまする ・心から笑ったことがなくってもへのもへ流の家元である ・おふくろの漬け物に忍ばせてある手紙ただより恐いものはない ・ヘルパーさんキャンセルしたら一日を誰ともしゃべらない支援法 心からご冥福をお祈りいたします。 東京都:Y.A. 火傷防止の工夫と「独居抄」(5)(遺稿)
独居で用心していることが幾つかあり、火傷もその一つです。胸から下がマヒしているため、熱さ冷たさがわからず、低温ヤケドも起こりますよね。 オール電化の調理台で味噌汁鍋を温め、おたまで茶碗につぎ、膝におろし、食卓までもってゆくのも難問でした。もし途中でひっくり返したら膝から股間まで大火傷してしまいます。初めは膝の上全体にビニールシートを広げてみたりしましたが、どうもまだ無用心です。 そこで考えついたのが、流し台に置いているポリの底の平たい器。その中に初めから茶椀を入れて味噌汁をつぎ、器ごと膝の上に移し、食卓までもっていき茶椀だけおろす。これだと途中でちゃぷちゃぷ溢(あふ)れ出しても、器内に溜まるので火傷の心配はありません。 同じような電動車いすの生活をしておられる方にお奨めです。 *2007年2月* 虎の胃を借りていたけど胃の獅子にとって変わられ遠吠えてくる 雪のない新潟という嬉しがるよりもうす気味悪がる多恵子 姉ちゃんの二十日ゑびすの鹿島からふなんこ喰いが待たれる夕べ お大寒さまをともかくやりすごしあとはゆるゆる春待つばかり 障害をダシにしている韓流のドラマとはいえそれなりのわけ 妻が夫を兄が妹をバラバラにしている夕べむらぎもの雲 オーケストラ演奏前の音合わせみたいな上海朝焼けてくる 中国とコトをかまえるもんじゃない上海帰りの古書店主がいう コンプライアンスなんぞと人口に膾炙(かいしゃ)しているおつもりですか とやかくも朝っぱらから麗しい女子アナたちに起たされている セックスと祈りと死とは同じかもしれないという小山内美智子 別にもう短歌じゃなくてかまわない一行の詩は言うまでもなく 乾電池即席ラーメンウォークマン胃カメラカラオケVTR おふくろの漬け物に忍ばせてある手紙ただより恐いものはない ひとり暮らし車いすから落ちぬよう火傷せぬよう風邪ひかぬよう ヘルパーさんキャンセルしたら一日を誰ともしゃべらない支援法 ヘルパーが鎖骨に水が溜まるようになりましたよと喜んでいる 健常者という言葉を知らなかった介護タクシー運転手さん 晴眼者と呼ばれてること車いすになって初めて知らされている 日々歩きつづける者が誰よりも遠くまで行ける夕焼けの道 民謡のはやしことばの豊かさに目をつけないでいるわけがない 佐賀県:中島 虎彦 ※障害者の文学や「はがき通信」でも常連でした、佐賀県嬉野在住の中島虎彦さんが3月14日に脳出血でお亡くなりになりました。あまりに突然の訃報に言葉もなく、いまだに信じられない気持ちでいっぱいです。 生前にお送りいただいた瀬出井宛ての私信を遺稿として掲載させていただきました。またこの原稿を書いているときに、やはり古くからの購読者でいらっしゃったH県のK.T.さんの訃報が飛び込んできました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 なお、中島さんのホームページは現在、追悼文を寄稿していただいたS.Y.氏が引き継ぎ、管理してくださっております。 新ホームページアドレス http://apiarance.web5.jp/torahiko/ |
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