2kgのウンコ
いつから脱肛ができたのか覚えていない。その脱肛を育て、約20年間になる。てき便で刺激になったのかピンポン玉ぐらいまで成長した。その脱肛が、突然、2倍の大きさになっていて訪問看護師さんが驚いた。脱肛をデジカメで写して確認してみると、確かに大きくなって膿が出ていて色も悪かった。不安になって、ホームドクターに電話をしたら、肛門科で有名な“松島病院(横浜市中区)”への受診を勧められ、紹介状も書いてくれた。 3月10日、松島病院へ。病院は、多くの外来者がいたのにビックリ。院長の診察時間は終わっていたのだが、自ら診察してくれた。「手術は簡単で、今直ぐに手術する状態ではなく、いずれ手術した方がいい」という診断が出た。しかし、この病院で手術しても術後のケアができないということで、“川崎社会保険病院”を紹介してもらった。この病院も肛門科が有名であった。 さっそく3月13日紹介状を持って受診に行った。病院は、川崎大師の近くにあり、新しい建物だったがあまり大きくはなかった。ここでも院長先生が診察してくれた。診察後、院長が「すぐにやっつけましょう」と言われ、2日後の15日に入院し、16日が手術となった。心の準備もできないままで入院日が決まった。頸損の外科病棟の入院は初めてらしいので、ケアの面がとても不安だった。院長にエアマットを確認してもらうと、病棟にあったのでホッとした。呼気のナースコールもあって助かった。ナースの対応も悪くなかった。 午前中に入院を済ませ、午後から排便。翌日は手術。手術は麻酔しない方が回復が早いということで、麻酔なしで右側臥位のまま受けた。手術は40〜50分で終わり、院長先生から「無事、終わりました」と報告を聞いて気持ちが楽になった。 しかし、病室に戻ってくると首と肩にびっしょり汗をかき出した。やはり、痛みを感じないとはいえ、身体は痛みを感じていたのだ。痛み止めを出してもらって飲んだら汗が止まった。手術後から食事が取れ、朝・昼・晩の食後、抗生物質と便を柔らくする薬を飲み始めた。3日後の20日、浣腸で排便をしたがピンポン玉ぐらいの便が出ただけで終わり、21日も浣腸したが同じ量に終わった。便が出なくてイライラしていた。 22日、退院し自宅へ帰ったら、お腹がパンパンに張り、食事も取れず吐き気がしていた。23日、訪問看護師さんに排便をしてもらった。てき便ができないので、60mlの浣腸を3回に分け、計6個も使った。3時間もかかって、やっと出しきった。出なければイレウスになるところだったらしい。便の量が多量というので、量を量ってもらったら、ナント約2kgもあったのだ。ビックリ!! 排便時には汗をかき、排便後は多量の便を出したせいか貧血が凄く、すぐにベッドを起こせなかった。こんなに酷い貧血は、初めてだった。それから、排尿のためタッピングして指圧するたびにガスと一緒に便が出て困った。しかし、2週間後、便が止まり、排便も楽になってきた。ただ、ベッド上で座位を取ると肛門が痛いのか汗をかく。マットは、ロホクッションを使っていたが、エアマットに換えたら汗が出なくなった。 手術から2週間後、訪問看護師さんにてき便をしてもらったら、赤黒いドロッとした液が出たらしく、すぐに病院の院長先生へ電話をかけた。「電話の問い合わせに、応じてくれるかな?」と思っていたら、すぐに院長先生が出て、看護師さんに丁寧に説明してくれた。注射器で腸にうってある薬だと聞いてホッとした。院長先生は、受診の時も妻に手術方法を丁寧に絵を描いて説明してくれたり、手術後、何度も病室に様子を見にきてくれたりして心強かった。親切な専門医に診てもらったことで本当に助かった。 手術から1ヶ月、やっと汗をかくこともなくなり、傷もきれいになってきている。このまま順調に回復し、楽に排便できるようになればと思っている。ウンコは、バカにできない。 横浜市:M.I. ★ご協力を★ NPO法人「日本せきずい基金」 2007年3月末の基金残高 39,031,622円 [問い合わせ先]日本せきずい基金事務局 〒183-0034 東京都府中市住吉町 4-17-16 TEL: 042-366-5153 FAX: 042-314-2753 E-mail: jscf@jscf.org http://www.jscf.org/jscf/ ひとくちインフォメーション
★ 映画『プライドinブルー』 昨年、ドイツで開催された知的障害者による“もうひとつのワールドカップ”INAS-FID(国際知的障害者スポーツ連盟)サッカー世界選手権。この大会に日本代表選手たちも遠征しました。 映画『プライドinブルー』は、大会に出場する選手を追ったドキュメンタリーです。選手はもちろん、チームのスタッフ、選手の家族や勤務先、養護学校の先生にも取材し障害のあるなしにかかわらず、夢をもっていきることの素晴らしさを感じていただける映画になりました。 ぜひ応援してくださいませ。 [公開情報] 2007年7月14日よりテアトル新宿にてモーニングショー。 大阪シネ・ヌーヴォ、名古屋シネマスコーレ、札幌シアターキノ他全国順次公開予定。 [サポーター募集] 障害者スポーツおよび障害者の社会参加への理解を目指した本作の応援をしてくださるサポーターを募集中です。 1口3,000円からで、お1人様何口でもお申し込みいただけます。 詳細は、映画ホームページ《http://www.pib-line.jp/》をご覧ください。 [お問い合わせ] 「映画『プライドinブルー』の製作を成功させる会」事務局 TEL: 03-3206-2355 FAX: 03-3555-8709 E-mail: su@pib-line.jp ★ 本の紹介 『僕は「五体不満足」のお医者さん』 〜四肢麻痺の障害者から世界屈指のリハビリ専門医へ〜 イ・スンボク 著 鶴見ユミ 訳 アスペクト出版 1,680円(税込) オリンピック体操競技の代表候補選手だった著者は、18歳の夏、練習中の事故で車椅子の障害者に。重度の障害を乗り越えた車椅子のスーパー・ドクターが、生きることの悦びを教えてくれる感動の自伝エッセイ。 ★ 向坊さんの肉声講話 福岡のH.さんからの情報です。下記のアドレスをクリックしますと、向坊さんの肉声の講話(38分)を聴くことができます。 http://amida.jfast.net/mukaibo32.mp3 ★ 駐車規制除外章 障害者本人へ 平成19年6月めどに・警察庁 検察庁は7日、これまで身体障害者本人や介護する家族の使う車両に対して公安委員会が交付していた駐車規制除外の標章を、障害者ら歩行の困難な人に交付することを決めた。短時間の駐車でも摘発される改正道路交通法が今年6月に施行され、身体障害者や介護の必要な人が利用する介護タクシーなども取り締まり対象となり、画一的な取り締まりに批判の声が出ていた。今後は本人に交付される標章を示せば、介護タクシーなどは規制から除外される。 検察庁は、この変更点について来年1月11日まで国民の意見を聞いた上で、全国の警察に通達し、各公安委員会が道路交通規則を改正、来年6月をめどに実施する。 全国介護タクシー協会関東本部によると、同協会に所属するタクシーは約1500台。身体障害者ら介護の必要な人たちの送迎を一般のタクシーと同じ料金で行い、通院などの貴重な足としてニーズも高い。しかし現状では介護タクシーに駐車禁止の適用除外が認められておらず、今年6月の取り締まり強化以降、タクシー側は「摘発が気になり送迎に専念できない」などと適用除外を訴えていた。 こうした批判もあり、検察庁が検討した結果、標章を障害者ら歩行の困難な人に交付することで、標章を持つ人が乗る介護タクシーなどの車両は取り締まり対象から外すことにした。また、今年6月の取り締まり強化以降、引っ越しや葬儀などの場合に認める駐車許可の申請も増えており、審査を迅速化し、警察署の夜間休日の申請窓口も整備していくことも決めた。 全国介護タクシー協会関東本部の石井紀・本部長は「取り締まり強化の前から問題が起こることは分かっていたのに対応が遅すぎる。現状では通院時などの駐車場代金を介護タクシー側が支払っており、負担も大きい」と話している。 (情報提供:平成18年12月7日 毎日新聞) ★ 電動床ずれ治療器具から出火? 1人暮らしの障害女性死亡 21日午後2時10分ごろ、大分県別府市千代町のマンション6階に住むNPO法人職員五十嵐えりさん(25)から「布団が燃えています。体が不自由なので動けません。助けに来てください」などと携帯電話で2度、119番通報があった。 消防隊員が駆け付け、燃えるベッドの上でぐったりしていた五十嵐さんを運び出したが、やけどを負っており、間もなく死亡した。 別府署などの調べでは、ベッドを中心に約4平方㍍を焼き、ベッド中央にあった電動床ずれ治療器具付近が激しく燃えていた。マンションは安全のためオール電化になっており、ほかに火元になるものがないことから、治療器具から出火した可能性があるという。 五十嵐さんは1人暮らし。交通事故で数年前に脊髄(せきずい)障害になり寝たきり状態で、ヘルパーの介護を受けながら生活。当時、ヘルパーは買い物に出かけており、五十嵐さんから携帯電話で「すぐに戻って来て」と助けを求める電話があったという。 マンションは7階建てで、五十嵐さんの勤務先のNPO法人「自立支援センターおおいた」がバリアフリーマンションとして建設。1階が駐車場、2階が法人事務所、3階以上が障害者らの住宅だった。 五十嵐さんは、在宅でパソコンを使って、障害者の自立を支援する仕事をしていた。 (情報提供:平成19年4月22日 読売新聞) 【編集後記】
中島虎彦さんが亡くなられた。今まで数多くの投稿で「はがき通信」を盛り上げてくださった。ハワイ懇親会にもご一緒した。あとで「写真を1枚も一緒に撮らなかったのが残念」というメール。探してみると、ご一緒に写っている写真が見当たらないことに愕然となる。 中島さんは脳出血を発症され、1日も経たないうちに亡くなられたのこと。急逝と言ってよいだろう。人間、誰しも苦しまずにポックリ死にたいと思っているのではないか。中島さんの亡くなり方は不謹慎な言い方かもしれないが、ある意味、理想的? しかし、向坊さんの私たちへの最後のメッセージを思い出す。「あと1ヶ月の命であっても、突然倒れる高血圧の人の場合よりも、はるかに長い事後処理のための時間が恵まれているということをありがたく思っています。」 中島さんに最期まで意識はあったのだろうか? 彼の中で人生を振り返る時間はあったのだろうか?……想いは複雑に乱れる。 次号の編集担当は、藤田忠さんです。 編集委員:瀬出井 弘美
………………《編集委員》……………… (2006.11.25.時点での連絡先です) 発行:九州障害者定期刊行物協会 |
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