はがき通信ホームページへもどる No.105 2007.5.25.
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 「NHKハート展」に入選 


 熊本県在住の石川清重さんが、第12回「NHKハート展」に入選されました。今回で5回目という快挙です。現在、展覧会が全国を巡回中です。
 「NHKハート展」とは、詩とアートを組み合わせた展覧会です。
 障害のある人が日常生活の中で感じたことを一編の詩につづり、さまざまな分野で活躍するアーティストや著名人が、その詩からイメージされるものを「ハート」をモチーフに表現しています。この展覧会は、障害のある人もない人も、互いに理解しあいともに生きる社会の実現(ノーマライゼーション)をめざして平成6年に始まりました。
応募された中から50編の詩が選ばれます。今年も開催予定(例年9月上旬締め切り)ですので、興味のある方はチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
なお、第13回のハート展の詩の募集については、6月上旬よりホームページなどでご案内する予定だそうです。
応募資格:障害のある人。年齢不問。
応募内容:100字程度の自作の詩、短くても可。作品には題名をつけること。テーマは自由。未発表のオリジナル作品に限る。
[作品の応募・お問い合わせ先]
 NHK厚生文化事業団「NHKハート展」係
 東京都渋谷区神南 1-4-1 第七共同ビルB1
 TEL: (03)3476-5955 FAX: (03)3476-5956
NHKハート・プロジェクトホームページ
 http://www.nhk.or.jp/heart-pj/

 以下に作品を掲載・ご紹介させていただきます。



 《図録より》
 パソコンにてプログラムの勉強をする毎日ですが、その合間に創作する詩は心を穏やかにしてくれます。最近は、筆を口にくわえて絵を練習してみたいなと思っています。(石川さん記)


 作画:藤原 喜明氏 
 プロレスラー/タレント
 色紙にアクリル絵の具/マーカー(240×272mm)


※掲載につきましてはNHKより掲載許可済みです。



 向坊さんを偲ぶ会 

59歳、頸損歴29年、男

 4月9日、北九州市八幡区の向坊先生の菩提寺・教念寺で1回忌の偲ぶ会を、グリーンライフ代表の太田さんとネパール本願寺のリーダーであるソナムさんがコーディネーターになり、主に幼なじみの同級生を中心に、後は私と「はがき通信」編集委員の藤田さんとK.H.さんと車椅子は3名でした。出席者は20〜30名だと思います。
 元気でいたころのなつかしい思い出話や向坊先生との出逢いやご縁のいきさつなど、思い思いに偲びました。なかには涙声で話す方も何名かいました。
 当日は天気も良く外は20度くらいあったのですが、寺の中は少し車椅子には涼しかったです。私も良い思い出がまたできました。



 「合わす掌も なき身にすぐる 幸せは 永遠の生命と 輝く世界」
 (昨年カトマンズ本願寺に分骨し、ストウーパーの石碑に書かれた文です。)

福岡県:M.M.



 新春“デブュー” 


 3月22日(10:00〜15:00)。
 昨年12月から車イス移乗ができなくなり、今年初めて遊び外出をした。九段下、千鳥ヶ淵の桜が気になって木になって、そわそわしていた。2日前に開花宣言が出た。さすが、ソメイヨシノはまだであった。他の桜は咲いているので、行った甲斐があった。
 九段下駅を出て、「昭和館」で「手塚治虫の漫画の原点」。きわめておもしろかった。彼の手帳の几帳面さ、戦争体験の精神的ショック、仏陀・ブラックジャック・火の鳥に至る作品までの心の葛藤。「日本人が漫画を読むのに、外人は驚く。それは、日本に手塚治虫がいたからである」との映画ナレーション、説得力があった。絵を描けないと悩んだ様子も、人間的。
 千鳥ヶ淵の桜は、残念であった。今日は卒業式で、武道館も途中の道も正装した大学生、親子づれで、うきうきしたフンイキがどこにもかしこにも漂っていた。吹上御苑の門をのぞき、国立近代美術館によって、竹橋から「東御苑」をぬけ、大手門から神保町に向かった。
 途中、「DPI」事務所により、地下鉄で「瑞江」に出た。吉野家が「牛丼復活」と旗が立っていたので、うれしくなって、380円「牛丼」を頼んだ。おつゆがたくさん入っているのがスキなので、そうしてもらおうと頼もうとしたが、「しるだく」「つゆだく」「あせだく」のどれだったかわからなくなって、他の人の注文を聞いてから注文しようとしたが、迷えば迷うほどに心臓がドキドキして、「あのぅ、おつゆをたくさん入れてください」と言うと、元気なバイトのお姉さんが「ハ〜イ、つゆだくですね」と言ってくれた。やはり、つゆだくで良かった。豚丼、焼肉などのメニューも健在で、吉野家は狂牛事件を通して体力がついたと感じた。
 「瑞江ステップ」で1月分介助費を支払い、次に灯油を入れるポンプを探し歩いた。季節も過ぎ、どこにも置いてなかった。最初のスーパーで「ドラッグストアーにいきなさい」と言われ、「ドラッグストアー」に行くと「もう置いてありません」と。次にデパート3階まで行き、「家庭用品・インテリア」コーナーにも「もう置いてありません」と。4件目、100円ショップに行ったらすぐに出してくれて、車イスの後ろに掛けてくれた。「灯油を入れるポンプ」も説明が難しかった。「しゅぽしゅぽ」「ぺこぺこ」「灯油を入れるやつ」などと、手まねで伝えた。この親指と4本の指でモム形が、ちょっとHぽかった。「しゅぽしゅぽ」で、ほぼ通じた。日本語は難しい。
 買ったのに軽かったのか、車イスの後ろにさげておいたのに途中で落としてしまった。長い道を店まで戻ったら、途中に落ちていた。日本では、落としても見つかる。これだけは、驚く。最後に「もぐらの家」によって、内職作業の障害者たちとバカ話をして、笑って帰宅。
 花もたくさん咲いていて、吉野家のどんぶりも自力で持てて、ほどよい良いデブになった。

東京都:M.K.



 ALS、私が思うこと(1) 


 平成7年の夏ごろ、単身赴任中の長崎県大村市で、それは突然にやって来た。兆候としては、今(平成19年1月)思えば平成6年から肩の筋肉が落ちてきていた。しかし、日常生活や仕事に支障を来たすことはなかったので、歳(45歳)のせいかなと思っていた。そして、平成7年夏ごろ、46歳になって歩くのが人より遅くなったり、夜中に足の痙攣(けいれん)が起きたり、階段の上り下り等も難しくなってきました。そして、業務にも支障を来たすようになり、歩行中によくつまずくことが多くなりました。
 3月に九大病院へ行くと、4月16日から1ヶ月の検査入院となりました。結果は、原因不明の変性疾患と説明され、特定疾患の手続きを申請するようにいわれた。この時、初めてALS「筋萎縮性側索硬化症」という病名を知りました。平成8年9月に人事部に相談した結果、単身赴任の解除と「しばらく休養しなさい」ということで、10月から6ヶ月間の休職となりました。休職期間中は毎日歩くことにしましたが、冬を迎えるにつれて、歩く歩数が1000歩から800歩になり、ついに12月には100歩以下まで下がってしまいました。
 平成9年4月からの仕事復帰に向けての在宅療養生活でしたが、身体機能が確実に低下してきており、車いすでの仕事復帰が確実になりました。4月からは歩行不能のため、車いすで福岡本部の経理部に復帰となりました。また、水泳やアーチェリーも仕事と両立しながら練習し、身障国体にも出場しました。しかし、平成10年末から翌年にかけて両下肢が全く動かず、両上肢も上がりにくい状態です。会社への通勤も、平成8年の休職中に改造した車のハンドル操作が難しく、平成11年3月で休職し、平成12年3月で退職となりました。
 目に見える形で足の筋肉萎縮が進行してきました。私は最初の症状から一時的なもので治るものだと思っていました。しかし、岩波新書の『神経内科』を読んだり、以前からこの進行性疾患についてインターネットを検索して情報収集したり、日本ALS協会の全国講習会、交流会が仙台や別府で開催されたときは参加し、先輩方との交流を通じてこの病気を再認識しました。そんな状況の中、私にとって身体が不自由になるたびに「生きる」ことを考えさせられ、最初のころはつらい思いをしたものでした。しかしながら、外出してこの病気の先輩の方々と交流するうちに「生きる」ことを教えてもらいました。この病気は進行過程で胃ろう、気管切開の選択を迫られますが、私は「生きる」ことを選択しましたので、受け入れました。
 私は、足から動かなくなって、手・腕・体幹機能と進み、首の機能も鈍くなり、球麻痺もあり気管切開で、発声できません。身体が動かないのに加え、食べることや呼吸すること、さらに舌の萎縮により発声不可と、人間として生きていく最低条件が欠如してきました。具体的には、頭から足先まで全く動きません。ただし、顔については、口の歯磨きをしてもらうくらいは開きますが、以前の気管切開したころと比べると、口の開きが1cm未満で口元を読める人は少ないです。両目はドライアイで左目は青白い膜があって、右目もかすみ膜がありぼやけています。しかし、眼科医はドライアイが原因では処方してくれません。そして、両目の周りが少し萎縮して来ています。近い将来に不安が募ります。耳は、耳鳴りや遠くなることがありますが、今のところはまだ良いようです。また、足が動かないくらいは許容範囲でしたが、手・腕の動きが鈍くなると不自由さが倍増します。そして、上記にもありますように、進行性神経疾患ゆえに「人間として生きていく最低条件が欠如してきました。」となりました。
「死」を前提にした病は「苦」を強烈に感じます。もちろん原因究明や治療は続けられますが、私を含めた当事者の「苦」の内は、身内といえども全ては理解できないと思います。私は、身内や主治医や周りの人に「苦」を全て取り除いてもらいたいとは思っていません。社会で普通に生きていく中で、不自由な部分は手助けしてもらいたいし、機器を利用して自分の周りの社会のために尽くす活動をしていきたいと思っています。「苦」の中のメンタルな部分は自分が受容して、解決していくしか方法はないと考えます。何故ならば現在、治療法がなく「悪くなることがあっても、良くなることはない」疾患のためであります。
 気管切開後の退院(2年4ヶ月目)で身体が動かない私の介護を、身内や訪問看護・ヘルパーさんに依頼していますが、吸引や発声不良のため透明文字盤を使用してもらっています。また、頭・手足・身体の体位交換等の位置決めも大変だと思います。しかし、私にとってはしてもらわないと、身体の節々が痛くなります。
 そして現在、私は、平成15年3月末に気管切開して、3年を過ぎました。昨年は退院せざるを得ない事情もありまして、平成17年7月23日に退院しました。在宅を希望していましたのでチャンスでした。平成18年の7月で1年になりました。皆さんも利用されている24時間介護は、退院して、介護保険・支援費・ガイドヘルパーで最初は330時間でした。しかし、吸引が24時間カバーできずに、再度区役所に陳情しました。結果的には550時間となり、深夜から早朝、午前中、昼間から夕方まで、訪問看護やヘルパーさんに来てもらっています。深夜は寝返り、吸引等をしてもらっています。早朝は、吸引を始め、髭剃りや歯磨きや軽いストレッチをして、最後に体位交換で終わります。午前中は、2日に1回の排便や洗浄と清拭をして、ストレッチで終わります。お昼は、訪問看護の方が用意してくれます。13時からはヘルパーさんが来てくれます。15時30分からは訪問看護の方が来て、16時30分からは、また、ヘルパーさんに来てもらっています。19時まで介護タイム。
 そして、週に1回の訪問リハや2回の訪問入浴、月に1回〜2回の訪問歯科・眼科、2回のカニューレ交換(喉のカセット)、3ヶ月に1回の胃ろうカセット交換等があります。3事業所から来てもらっていますが、吸引行為については訪問看護の方はもちろん、ヘルパーさんにもしてもらっています。
 夕食から就寝までは身内で看ています。しかし、私に付きっきりで、家内が介護をできるわけがないですね。家事や家のことなど、また、娘の出産でしばらく孫の世話をしなければならない。スポット的に介護をしてもらうしかない。

福岡県:H.K.



※編集者追記:K.さんに現在のパソコンの入力方法をお聞きしました。
 「平成17年の12月、ADSLの導入でキネックスソフトが作動しなくなりました。新しく、NECの『オペレートナビ』に切り替えました。このオペナビは、キネックスソフトより選択肢が多く操作が難しいです。しかし、やらなければいけません。ALSは、ストレスが続きます。今は、ヒカリを導入して、オペナビから新しいキネックスソフトに変えて使っています。操作は独学です。」
<キネックス(意思伝達装置)とは>
 キネックスは、キーボードやマウスを使うことができない人たちがさまざまな入力方法を選択して、パソコンのマッキントッシュを使えるようにする支援システム。障害を持つ人々とマッキントッシュコンピュータを結ぶインターフェース。マッキントッシュのADBポートにつなぐ本体と制御ソフトウェアから構成されている。
 ハードには3つの入力ポート(イヤホンジャック式)と1つの専用キーボードのインターフェースが付属。センサーの入力ポートの1と2にはスキャン用一点センサーをさせる。入力ポートの3はクリック専用。インターフェースには、キネックスオンボード、KING/MINIキーボードを利用できるようになっている。
◇おでこスイッチでパソコンを操作
 「私は、キネックスソフトをマッキントッシュコンピュータではなく、ウインドウズ版を使っています。全体の30%ぐらいの使用率と聞いてます。
 平成17年になって、首の動きが鈍くなりました。具体的には、水枕を使用しても、首が動かず頭も左右に振れません。ここまで進行すると、もう『タッチセンサースイッチ』は使用できません。そこで思い出したのが『ピンタッチスイッチ』、いわゆる『おでこスイッチ』です。
 スイッチマンコントロールボックスを使用し、額に小さな銅版等をテープで止めてしわを作り、センサーのコードに接触させてスイッチとします。今はこれを使用してナースコールの呼び鈴機能やパソコン入力には、特に問題はありません。パソコンを開くと、自動的にキネックスの表示がされますので、それに従って進みます。以前、ミニボードはなかったので助かってます。
 私は、入力方法として『オンスクリーン…画面に表示されたシンボルをマウス等で直接選択する』を使って表示されたマウス画面を使いこなしています。たとえば、上下左右斜めのマウス画面を使い、左の矢印をスキャンして、希望するワードのアイコンに到着すれば、おでこスイッチでスキャンして、五十音のミニサイズかキングサイズを選択します。そして、おでこスイッチでカチカチと入力スキャンしていきます。」 
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