結果は!?
前号の原稿の流れから水泳の県大会の結果を書かなければなるまい、って思っているのは本人だけ? 当日の体調は、今までからすればまぁまぁというところ。大会前に胃の内視鏡検査までしてしまった。どんなに体調が悪くても、出場しようとは思っていた。たかが誰もがエントリーできる県大会。どうってことないのかもしれないが、この1年間、冬の間もずっと泳ぎ続けてきた。それは、何のためだったのか……。やっぱり、県大会初出場を目標にやってきたのだからここまできて出ないというのは、何があっても考えられない。
当日は会場に早く着き過ぎたがレース前に練習時間があり(知らなかった)、2本泳ぐことができた。水に入ることでかなりリラックスすることができたように思う。2種目まで出場できるので、自由形と背泳ぎの25メートルにエントリー。自由形というと普通クロールだが、そんなもんはできないのでどちらも背泳ぎ。自由形だから何でもいいわけよね。 それで無事、2種目とも完泳することができ、金メダルでした〜(^^)v って、頸損は私一人だったので。頸損の水泳の競技人口は、やはり少ないのねー。私一人というのはちょっと寂しかった。(私はどうみても状態の悪いほうからみて2番目) 大会前日までは緊張していたが、レースになったら泳ぐことのみに集中は自分なりにできたと思う。別に心臓がドキドキすることもなかった(私が本番に強いのはこういうところにもあるような)。タイム的には1本目の自由形のほうは、神奈川リハのプールでの練習のときのタイムよりよく、ヨッシャ、背泳ぎのほうはもっと! と思ったが、スタートの介助の人とのタイミングが合わなかったことと、残り5メートル辺りで右手をロープに手首くらいまで引っかけてしまい、タイムロス。体勢を立て直すことができず、そのまま強引に何とかゴール。2本とも手ではなく、頭でいってしまった。スイミングキャップの中に梱包用のクッション材のプチプチを入れておいたが、頭でガツンとゴールしたときのためにマットでカバーしてくれる。無我夢中でタイミングを計る余裕などない。 ロープを張ったところで泳いだことがなかったのが不安だったが、やはりという感じ。両手で水をかくので、少し曲がると手がロープに当たってしまう。普通の背泳ぎのように片手でもかけないことはないが、身体がローリングしてしまう。頸損には、両手でかくほうが身体のバランスがとれる。手のリーチの長い私はなおさら。それから、スタートの介助者とのタイミングも重要。スタート用のバーにつかまれないので、介助者に後ろから身体を支えてもらうことになる。手の平をつく位置、肘の曲げ方、水の中の足の位置など重度障害の頸損スイマーにはとても重要だし、介助の人がスタートの合図と同時にタイミングよく身体から手を放し、よけてくれることも重要になるのだ。神奈川リハのプールは水深が深いせいか、地元のアリーナのプールで出しているようなタイムはどうしても出せなかった。水流も頸損には微妙に影響する。そして、当日は外気温が低く、水を冷たく感じた。 まぁ、初めてにしては棄権にならず、完泳できてよかった。でも、大会記録が出せなくてちょっと(内心は相当?)悔しい。大会が終わって一晩してから、“ミニ燃え尽き症候群”気味になった。水泳はこれからも続けていきたい。“忘痛”できるし、水の中は本当に気持ちがいい。水泳に巡り合えてラッキーだった。水泳を本格的にやり始めたせいか、今、テレビで放映されている「世界水泳」にも興味がとても沸く。世界のトップに立つ人たちの泳ぎを間近で見てみたい。そのモチベーションの保ち方など、いろいろなことに思いが及ぶ。 しっかし、水泳をやっていてもちっとも体重は減らない。(^^;; 編集委員:瀬出井 弘美
山猿が水泳サポート??
ひさしぶりに投稿しました。「はがき通信」が届く頃は、暑さが和らいでいることでしょう。スポーツオンチが、“体育系頸損”と言われている瀬出井さんの水泳大会までのサポート体験を記してみました。
平成10年の「かながわゆめ大会(国体)」時には現役の会社員(現在は瀬出井さんのガイドヘルパー)であり、市民マラソンにも参加し、体力もまぁあまぁあり、トランスファーもスムーズにできました。あれから7年、私は怠けて体力減退、今になって後悔しても後の祭り。瀬出井さんは体調不良になり、薬の副作用とむくみとで体重が増加してしまい、以前のようなスムーズなサポートはできなくなってしまいました。 瀬出井さんは、以前から参加していた車いす登山会にもここ2年参加ができなくなり、体育系の虫は治まらない、体重増加を抑えたい、水に入る気持ちのよさも前々から聞いていた。そのような経過から、水泳を本格的に始める気持ちになったようです。そういう私は長野生まれの山猿・陸育ち、泳ぎはまったくダメ、サポートの方法もどこから手をつけたらよいのかさっぱりわかりませんでした。しかし、体育系頸損の瀬出井さんは目的に対しての自分なりの練習法を模索し、指示を出し、私にサポート方法を依頼、練習に向かうことになりました。初めに神奈川リハ病院体育科にて指導を受け、シュノーケル、ヘルパー(浮具)を使い泳ぎ始める。水に入っている時は痛みも忘れ、気持ちよさそうです。泳いだ後の疲れはあるものの、気分的にはスッキリしたようである。 地元の公共施設のプールに問い合わせると、シュノーケルの使用ができなかった。神奈川リハ病院の体育科の指導の結果、泳ぎ方としては背泳がベストということになった。首と腰にヘルパーを付け泳ぎ始めるが、10mぐらいからは90度に曲がってしまいます。腕の左右の力の差、痙性が入ると曲がり方も大きくなるらしい。 昨年の9月から地元のプールに通い始める。ヘルパーを付けていることで沈む危険がないことからゆっくり泳ぐと、曲がり方も少しになり25mをクリアできるようになっていった。水に入る気持ちよさが重なり、週1回のプール通いを続けるようになった。通うほどにヘルパーを外して泳げるようになり、楽しさと自信からでしょうか、水泳の県大会を目標に練習を重ねてきました。 7月の大会に出場し金メダルは取れましたが、スタート方法の練習不足と水の重さの違いから思ったよりも記録が出せず、少し残念なようでした。本格的に泳ぎ始めて1年、痛みが増加した体でまたひとつ思い出に残るような体験をしたのではないでしょうか。気持ちよく練習できたように見えます。少しでもサポートできたことをとても嬉しく思っています。泳げない者にもできるサポート方法をまた新たに教えてもらいました。そして、障害者スポーツのためのインストラクターのような存在が一人でも多くいてほしいものです。 神奈川県:I・Y
「特定非営利活動法人 お世話宅配便」の事務所開設
皆さん、こんにちは。佐賀の原口です。空梅雨かと思えば、土砂降りの毎日で、出歩くのも大変な時期になりましたが、皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか? 今年は、3月3日より昨年、行きそびれたハワイにも家族で出かけ、とても良い思い出ができました。記念のじょくそうも作って帰って来ましたが……。(笑) それよりも何よりも皆さんにお知らせしたかったのは、念願でありました障害者の就労支援、障害者の足となる、軽福祉有償移送サービスを柱とする事業所、「特定非営利活動法人 お世話宅配便」の事務所ができ、開所式には佐賀県知事をはじめ、県の障害福祉課長、市の障害福祉課長など福祉関係者、30名ほどにお見えいただき、皆様の暖かい励ましに支えられ、スタートを切ることができました。 私どもの事業所の大きな特徴は障害者自身が運営に当たり、パソコン事業・デザイン担当は、筋ジスの25歳と21歳の2人が。事務局は、21歳の短大出の筋ジス(ミオパチー)の青年。総務(経理)は、てんかん発作のある内部障害の女の子31歳がそれぞれ担当し、口しか出せない私は副代表ということです。 また、事務所は佐賀市中心部で、空洞化が問題になっている地区の佐賀市の負の遺産、「エスプラッツ」というビルの北側の「エポック21」という商業ビルの1階です。障害者用トイレも作り、佐賀に住んでいる障害者の出会いの場として使っていただきたいと思い、完全バリアフリーで具合が悪くなったときのためにベッドも用意し、壁は皆さんが作られた作品を個展にしたり、販売もして利用していただきたいと思っています。 移送サービスは、軽の福祉車両2台とセダン型1台でとりあえずスタートし、最初の30分が600円+ガソリン代40円/km。以後、1時間ごとに900円+ガソリン代40円/km(消費税込み)ですが、うちの事業所のサービスをご利用いただくには、入会金1000円と年会費2000円が別途必要です。 来年度からはタクシーチケットの補助もなくなり、支援費の1割負担も決まりそうで、介護保険の要介護度1、2は要支援に変わるということで、障害者の生活は苦しくなる一方ですよね。最近、こういう仕事をするようになって特に感じるのは、世の中にはいろいろな障害や難病があっても横のつながりがなく、福祉サービスやイベント、勉強会など、情報が伝わってこないことが多いと思います。行政に対する不満なども、個人で言っても取り扱ってもらえないことでもみんなで声を上げれば取り上げてもらえることもあり、そういう意味でもネットワークを構築し、すみずみまで情報がいきわたるような活動をしていきたいと思っています。 動き出してからのこの10ヶ月間は、NPO法人の申請書作りだけでも県庁に何度足を運んだことか知れません。本当に、健常者だったときに有限会社設立に走り回っていたころがいかに楽だったか、思い出されました。 これからは、佐賀の障害者・高齢者・難病患者の皆さんの期待にこたえられるよう、安全で安心できる移送サービス、わかりやすく、楽しいパソコン教室などをがんばってやっていきたいと思っています。皆様も佐賀においでのときは、ぜひ気軽にお電話ください。お迎えに参ります。また、佐賀市にお住まいの方は、ぜひ遊びに来てくださいませ。お待ちしています。 「特定非営利活動法人 お世話宅配便」 電話/ファックス:0952−26−5271 原口 恭輔 E-mail: dream-walkers.com@suo.bbiq.jp <新聞記事から・右から2番目が原口さん> ハワイが心をほぐしてくれた(その2)
皆さん、こんにちは。埼玉のUです。懲りずにまた投稿させていただきました。今年も暑い夏でした。その上に大きな地震といろいろありましたが、皆さんはいかが過ごされましたか?
前回は、ハワイ初体験のことを書かせてもらいましたが、今回は私のハワイでの基本的な生活をご紹介いたします。まず、車椅子—ベッド間のトランスファー(乗り移り)ですが、妻1人の人力と私の非力な共同作業でおこないます(笑)。リハビリ訓練のお陰で自己トランスファーの真似事が少しできる程度なので、妻の協力ナシには無理なのです。車椅子は、補助電動のJW2です。ですから、段差以外はほとんど一人で移動できます。 次にお風呂などですが、現地に滞在中は基本的にお風呂は入りません。毎日の洗面と洗髪、それに身体は清拭で清潔を保つようにしています。排便は、日にちを決めてベッド上です。自宅にいる時と大きく違うのは、車椅子—ベッド間のトランスファー(自宅ではリフターです)とお風呂に入れないことぐらいです。まあ、旅先なので自宅の環境をそのまま持ってくるわけにもいかず、私も妻もそのことについてはあまり気にしていません。 食事は、ほとんど現地で妻が料理をしたものを食べています。最初の頃は物珍しさもあり、ガイドブック片手によく外食をしましたが、骨の髄まで日本人なのですね〜。和食はもちろん洋食、中華etc……日本で食べる食事が一番口に合うのです。それに、こちらでの1人前の量の多さにも閉口してしまいます。 そう言えばこんなことがありました。チャイナタウンを2人でブラブラしていたら突然の雨、雨宿りのつもりで近くのマクドナルドに入ると、皆考えることは同じでテーブルは込み合っています。しかたなく、おばあちゃん1人の席に相席させてもらいました。あまり空腹でもないので、kidsセットを2人でつまんでいると傍らのおばあちゃん、貧しくkidsセットを分け合って食べている私たちがあまりに哀れに思えたのでしょう。自分が食べていたフライドポテトやチキンナゲットを半分ほどこちらに押しやり、しきりに食べろ食べろと言うのです。英語力の乏しい私たちには事情を説明する術もなく、またせっかくの親切を無下に断るわけにもいかず、いただいたフライドポテトやチキンナゲットとkidsセットをバクバク懸命に平らげると、もっと食べろと言いたげなおばあちゃんにお礼を言い、早々にマクドナルドを後にしました。後でこの話を友達にしたところ、よほど貧しそうに見えたんだなと大笑いされました。 現地での移動は、どこまでも2ドルで乗れる市バスとリフトタクシーを使い分けています。これでオアフ島のほとんど何処にでも行けます。特に市バスは、オアフ島全体でも90%以上の車両にリフトが付いていますので、車椅子ユーザーも全然不便はしません。アロハスタジアム程度でしたら私たちは、迷わず市バスを使います。 アロハスタジアムと言えば、こんなこともありました。毎週水・土・日は、スタジアムを囲むようにアロハスタジアムの駐車場に市場が立ちます。スワップミートと言いますが、日本のフリーマーケットのようなものです。なかなか面白いのですが、なんと言っても炎天下。私のような障害者には1時間もブラブラしていると、少し休憩を取る必要があります。 妻と別れて、スナックブースの木陰で休みながら本を読んでいると、傍らの外人母娘連れが(外国人は私か (^_^;))しきりに私に話しかけてきます。見ると女の子は5〜6歳程度。もちろん英語で「※▽■§¥?!・・スタッフ・?*▽※@☆??」。なんとか「スタッフ」だけは聞き取れましたが、後はチンプンカンプン……。私には、困った顔しかできません。しばらくするとおもむろに母親は、トイレに駆け込みました。ハハーン、「トイレの間、娘を見ておいてくれ」と言いたかったのだなと思い、優しい笑顔で (自分にはそのつもり) 女の子に微笑むとまだ何か言っています。よーく聞いていると、「ウォッチ イット」と言いながら自分の目と自分たちの荷物を交互に指差しています。すると、スナックスタンドでは大声がしています。これで鈍い私にも全てが理解できました。「母はトイレ、娘は注文した食事をとりに行くから、その間私たちの荷物を見ていてくれ」。こうだったのです。 神妙な面持ちで荷物番をしてますと、いつの間にか傍らに妻が立っており、「なに、子供に荷物番させられてんのよっ!!」と、笑いながら言います。聞けば、私と母娘のやり取りを離れたところで見ていたそうです。そうこうする内に母、娘ともども戻り、私たちに「サンキュー」と一言いうと、当然のようにホットドッグにパクついています。自分の使命(荷物番)も終わり、その場を離れる私に妻が笑いながら一言、「よかったわねー、人の役に立てて」。当然のように、この話もしばらくみんなの酒の肴(さかな)になっておりました。でも私には、正直どちらのエピソードも悪い気はしないのです。むしろ私の心のバリアーを取り払ってくれた、ほのぼのと暖かい旅の思い出になっています。 長くなりましたが、私たちのハワイでの生活は「障害者だから特別な準備をして特別な費用をかけて」と、そんな大げさなものではないのです。飛行機だって、インターネットで格安航空券を購入して利用しますし、費用も一般の人とほとんど変わりません。つまり、自分の障害をよく理解することで、可能な限りいろいろな面で障害者と健常者の垣根を取り払っていけるのではないかと思っています。どうでしょう、皆さんも一生懸命生きている時間のほんのわずかだけ、旅をしてみませんか? ハワイでしたら私の拙い経験も、少しは皆さんのお役に立てるかもしれません。 最後に、前回もご紹介しました日本人がオーナーのリフト付きバンの業者さんをご紹介いたします。予約など全て日本語で済み、滞在中の病気や怪我などのアクシデントについても親切に対応してくれます。何よりも仕事としてはほとんど利益が少ないのに、リフトつきの車両を購入して車椅子ユーザーが観光に来るのを待っています。お2人とも口にはしませんが、料金より何より利用していただいて喜んでもらうのが何よりの励みだと思うのです。そんなお2人がいつまでもこの仕事が続けられるように、皆さんがハワイに訪れた際にはぜひご利用してください。 ●HONOLULU HANDI EXPRESS,INC. オーナー 鈴木さん TEL: 808-256-4848 FAX: 808-395-9296 E-mail: Suzuki@kurumaisuhawaii.com http://home.hawaii.rr.com/kurumaisu/ ●Aloha de Barrier Free(アロハでバリアフリ−) オーナー 熊谷さん TEL&FAX: 808-833-6295 E-mail: alohadebf@yahoo.co.jp U・T E-mail: usui-t@jcom.home.ne.jp <ハワイでお友達と・右がUさんご夫妻> |
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