はがき通信ホームページへもどる No.91 2005.1.25.
Page. 1 . 2 . 3 . 4 .


も く じ
ballごあいさつ 編集顧問:松井 和子
ball自作の天井走行リフター 山形県:M・S
ball利用者無視の勝手な事業所 Y・H
ball“山女”から“水女”へ 編集委員:瀬出井 弘美
ball「脊髄損傷に伴う異常疼痛に関する実態調査」についてのご協力お礼と結果報告 東京都:A・Y
ballサルツバーグさん追悼 佐賀県:中島 虎彦
ballアジアの遺産 編集顧問:向坊 弘道
ball在宅におけるカテーテル関連尿路感染症予防と効果的指導法に関する研究 A・H
ball読書メモ(7) 編集委員:藤川 景
ballひとくちインフォメーション


新年のごあいさつ

 「はがき通信」の皆さま

 2005年の新しい年、いかがお迎えですか。

 昨年は真夏の異常な猛暑、超大型台風の連続的な襲来、そして新潟中越地震と、ほんとうに「災い」で象徴される1年でした。皆さんの地域では被害の状況はいかがだったでしょうか。

 年末、在宅ALS者のボランティア活動をしている学生がALS協会新潟県支部の会報「ひまわり」を届けてくれました。新潟中越地震特集号でした。今回の被災地に人工呼吸器使用のALS者が18人おり、その全員が無事避難されたなど被災状況の報告とともに、阪神震災体験の交流から静岡県の当事者が作成された「人工呼吸器使用者の災害対策マニュアル」が紹介されていました。
災害マニュアルの紹介など新年号にふさわしくないと思いますが、防災対策についても当事者主導の取り組みが進んできたことを実感しました。

 昨年はハワイにも京都の交流集会にも参加できませんでした。その替わり、教え子の学生たちが東京近辺の家庭訪問させていただいたり、卒業研究の調査協力をお願いしたりと、学生を介して頸損の皆さんとかなり頻繁に交流できました。その交流で貴重な情報もいくつか得ています。難治だった褥創が講演会で得た新情報によって改善したこともその1つでした。地域の頸損者から学ぶことは非常に多いと訪問ナースから聞くこともあります。そうした貴重な情報は「はがき通信」で共有できるよう、今年も皆さんの積極的な交流に期待していますし、「はがき通信」を通じて私も学生と共に皆さんと交流できますよう、願っています。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。そして今年はぜひとも「幸」多き年であってほしいと願っています。

 2005年1月吉日
編集顧問:松井 和子

butterfly


 自作の天井走行リフター 

51歳、C4、頸損歴10年

 私は、山形県に住むMという者です。平成6年頸椎C4損傷して現在にいたっております。
 ベッドから車イスへの移乗はカール君を使用していたのですが、膝がいたくなり使用できず天井走行リフターしかないだろうと思い業者に見積もりをしてもらうと、リフター一式+補強=100万円ぐらいかかるとのことでした。どうしても必要なのですが100万はちょっと高すぎるので、いろいろ検討したところ「はがき通信」No.58の「手製の天井走行リフター」の記事をみました。そのアイデアを参考にさっそく大工さんにきてもらい写真などみながら検討したところ、大工さんも「できるでしょう」とのことでした。
 大工さんも忙しかったのですが、あれもこれもと欲張り大仕事になりました。当初30万ぐらいでできあがる予定でしたが、40万を超えてしまいまいた。それでも予算の半分ぐらいです。チェーンホイストも当初120kgでしたが、低速高速のある240kgになり、Rをつけたり、アーム部分、スリング、天井補強とお金、時間かかりましたが、市販されているものより何倍も丈夫にすばらし物ができ上がったと自負しております。これも「はがき通信」Fさんの親身なアドバイスとS大工さん、福祉用品山形のIさんのお陰と心より感謝しております。






   (既製品を組み合わせた天井走行リフター)

山形県:M・S E-mail: matsuura@poppy.ocn.ne.jp



 利用者無視の勝手な事業所 

C5〜6、独居、公的介護

 新春の お慶びを 申し上げます。独居 高齢 障害者 この1年を振り返り、まことに天国と地獄を見るような日々でした。
 実は、平成16年1月に実の父親が亡くなりました。O市に住んでいました。89歳でした。私が小学校2年生の頃に両親が離婚して、母親に育てられたのですが、悲しみは大きくそれが悪い方向への始まりです。1月31日に日頃は来ないヘルパーの主任が来て、2月一杯で我が家の訪問を中止すると宣言?
 5年間世話になった、訪問介護です。たちまち困ることを、文章にして抗議をすると、ベテランのヘルパーが3人辞めるので回らない本当にご免なさい!と頭を下げて帰りました。謝りに来たのも主任(今は主事)ではなく所長でした。謝るのではなく、お互いに納得の行く話し合いをしてほしかったと思っている。ベテランは給料も高く、新人は安いから……?
 その上、父親の納骨の時に問題が起きました。私と妻は二人の、お墓を作っていました。それを知った親戚が、先祖の墓もそちらに持って行けという話になり、それもできない私たちは離婚して、別々のお墓に入ることにしました。そんな時も、ケアマネージャーが次の所を探してくれました。お陰で、安心してハワイに行きその前の悪夢を忘れ楽しい1週間を過ごしました。
 そして老人ケヤーハウスと在宅支援センターを、新設した所がヘルパー派遣を引き受けてくれました。前の所から、二人のヘルパーが移動していました。一人は、ケアーマネージャーになっております。本当によく頑張ってくれて安心しかけた時に、新人ヘルパーが、小さなミスで、仙骨の左上部に褥瘡の原因を作りました、1週間後に皮膚は破れ褥瘡ができてしまいました。私は、しかたがないと許していたのですが、施設長が、お出ましで自分の所のヘルパーは、再教育するので1週間後からの派遣を、中止させてもらうとケアマネを通して連絡が入りました。4ヶ月と1週で終わりました。とにかく、話し合うことができない人たちばかりです。ケアマネも、私も、為す術もなく、困り果て養護老人ホームにショートステイをして、ケアマネに任せました。
 20日後に、社協と、前と同じような老人保健ハウスから、ヘルパーの派遣を、訪問看護も、1つ増やし合計4ヶ所から入ってもらい9月から出直しです。今の訪問看護婦は10年、ヘルパーは社協が5年、1月に断られた訪問介護ステーションが、やはり5年目です。しかし、まだ契約も終わらない内に(2週ほど)老健施設のヘルパー派遣が中止になりました。留置カテーテルを付けて生活をしているような人は訪問看護が、世話をするのが当然で、ヘルパーのかわりに訪問看護婦を派遣すると言うのです。今度は設立2年目のケアサービス介護ステーションが、ヘルパー派遣を約束して現在も、続いています。ここのお陰で、10月の「はがき通信」の懇親会(京都)にも参加できました。
 この間も褥瘡は、酷くなり右背中にも500円大の傷ができました。11月の始めに癌検診で、胃カメラを、飲みましたら、他には異常はないものの、胃には潰瘍ができて糜爛(びらん)していると、主治医に報告が入り胃ぐすりも飲んでいます。
 12月に入ってすぐにまた、後で参加した訪問看護婦も、9〜11月一杯という約束だったのでと、辞めて行きました。そんな約束は契約書のどこにも書かれていないし、誰も知らない。辞める訪問看護の主任の紹介で(責任感はある)隣町のM町から知り合いの訪問看護「20年ぶりですと」12月から入ってくれています。
 褥瘡も11月になってから良くなり、仙骨の上部と背中は完全に完治しました。「はがき通信」のハワイ懇親会も行けた(受傷後、生涯実行できないと思っていた旅行でした)。京都も行けた。だが「私がいったい何をしたんだ!」と叫びたいような事柄が1年間に起きました。
 国内でも、夏は猛暑、台風、地震、と災害の多い年でした。私に起きたことなど、小さい小さい。今年は安泰で、平穏な年であってほしいものです。

Y・H E-mail: hy0025@ncn-k.net



 “山女”から“水女”へ 


 『一年の計は元旦にあり』と言うが、この原稿を書いているのはまだ2004年の11月。しかし、「はがき通信」が発行されるのは新年なので、今年の目標を書いてみたい。
 「ダイエットを兼ねて本格的に水泳を始めてみたい」と以前「はがき通信」にも書いたが、昨年の夏、神奈川リハ病院の体育科で指導を受け、その後地元のアリーナの温水プールに通い始めた。神奈リハの頃はまだ浮き(ヘルパー)を使用していたが、アリーナに通い始めてから何とか何もつけずに泳げる(背泳)ようになった。山登りを趣味としていた“山女”は、今度は“水女”になった。途中でブクブクと何度も沈んだ。水も飲んだ。そして、とうとう25メートルを休まずに泳げるようになった。水に対する恐怖心もなくなってきた。左足の痙性や左手の機能のほうが弱いせいか、どうしても左に曲がってしまう傾向がある。これが課題。今年はクロールを教わりたいと思っているが、頸損にクロールは難しそうだ。
 とりあえずの目標は、7月にある県大会にエントリーすること。そこで、ぶっちぎりの大会新記録を出したい(な〜んちゃって)。そうすれば、全国身体障害者スポーツ大会(国体)推薦が近くなる。
 競技としての水泳は、背筋、腹筋も利かず、足もまったく動かず、肺活量も少なく筋力もノーマルではない頸損にはかなりハードなスポーツだ。今のところ、25メートルを15本泳いだだけでクタクタになる。でも、コンスタントな記録は出せている。あとは、体力と筋力をつけてタイムを少しでも縮めるのみ。
 水の中は楽しい。一生懸命泳いでいるときだけ、痛みも忘れられる。痙性も弱くなるようだ。そして、泳いだ後のクタクタになりながらも、心地良い疲れが何ともいえない。おなかも空く。日常、痛みを抱えている身には、なかなか味わえない貴重な快感だ。ストレスがたまると泳ぎに行きたくなる。
 本番では失敗するかもしれない。それでもいい。一生懸命泳いだ結果がどうであろうと成功・失敗は関係ない。まだまだひよこだが、水泳という新しい世界に一歩踏み出すことができた。考えてみれば、最初の一歩を踏み出すのに私には躊躇(ちゅうちょ)というものがほとんどない。楽観的というわけではないのだが、重いハンディキャップを抱える身、さまざまな制約、少ない選択肢の中、可能性があることにはチャレンジしてみたいという気持が強い。新しい出会いもきっとまたあるかもしれない。
 それにしても、40歳を過ぎてもまだ『体育会系頸損』の私であった。“頭”は、いったいいくつになったら使う気なのだろう。(笑)

編集委員 瀬出井 弘美  E-mail: h-sedei@js7.so-net.ne.jp
このページの先頭へもどる  次ページへ進む

line

HOME ホームページ MAIL ご意見ご要望