立った!そして今ついに歩いた(その6)
<前号より続く> 小樽に来た最重度頸髄損傷のかたがたに対して私が必ずやらせる訓練が5項目あります。手足をしばり付けてでも、半ば失神しようとも、そして腰砕けしようともこれには例外はありません。それは「立ち」「丸椅子端座」「正座」「四つん這い」そして「寝返り」の5項目です。 この訓練はいずれも失落した体幹機能を回復させ、躯体の中心点を脳に刷り込みさせる生体としての根源的なものだからです。なぜなら躯体の中に芯という柱を一本通さなければ、どんな訓練を何年行っても全く無意味だからです。これがいかに大切か、健常者にはとうてい理解できないでしょう。これを成し遂げたとき、大の大人でも号泣します。 彼らにとって立ち、正座し、そして半回転ながらも自力で体位交換などは夢のまた夢なのです。その夢が現実だということを強烈に焼き付けるのです。これによって困難に立ち向かう自信と希望が俄然頭をもたげてくるからです。ですから必ずやらせます。そうして間違いなく彼らはやり遂げます。 小樽に来るかたがたは「何としても立ち、歩く」との激しい気迫で立ち向かいます。これは当然であり、その強い執念が最も大切な訓練の持続につながるのです。立たせる場合、私はスタンディングフレームなどの器械立ちは絶対行わず、他力介助であっても自分の足と腰、そして腹筋の支えで立たせます。 「これから立たせる」と言いました。若者は驚愕し、両親は唖然としています。立たせたその瞬間、私はすかさずストップウオッチを押します。自らの躯体という重力を腰と両脚に受けたその立位を、彼は目をカッ!と見開き、驚愕して鏡を見続けます。「ホラ! あなたはいま立っているのよ! 気をしっかりもって鏡を見なさい!」お母さんの悲鳴が飛びます。やがて彼の視野に白い靄がかかり、それがどんどん狭くなり点となり、蒼白を通り越し唇まで色が抜けてきました。私の檄も聴こえなくなり、ガクリと首が垂れます。しかしまだ立ち続けます。それでも若者は微かにかぶりを振ります。「座らせるな!」と言っているのです。気力で立っているのです。わずかに残された全筋力を振り絞ったその立ちと圧倒する凄まじい精神力に母親は悲鳴を上げ、父親は激しく震えます。その壮絶な立ちにリハルームに寒気が走り、鳥肌が立ちます。椅子に下ろした瞬間もすかさずストップウオッチで覚醒タイムの計測です。 わが息子、娘がこのようにして立ったとき、ほとんどの母親は腰が抜けて床に崩れ落ち、そして両足をしっかり抱え込み、なでさすり、身をよじりいつまでも泣いています。覚醒した彼らはこの現実が理解できず、呆然としていますが、やがて突き上げてくる激しい衝動に「うぉー!」と獣のような唸り声を上げ号泣するのが常でした。それを見るとき、私たちもまた激しい訓練に明け暮れた8年間の日々がまざまざとよみがえり、リハルームにいる全員の頬から泪が滴り落ちます。 脊髄を損傷し、その躯体から瞬時に動きを奪われた時からこれらの若者が立つことにいかに激しい執念を燃やしていたか。これを全国多々あるリハビリ施設で訓練に携わっている関係者の一体何人が彼らの血のうめきを分っているでしょう。それどころか執拗に諦めさせるのです。 この訓練は起立性低血圧を何としても克服しなければならない立ちの原点であり、最初は1分弱、ところが訓練が終わる最終日には優に30分以上立ち続けます。そして覚醒に至っては椅子に下ろした瞬間となってくるのです。 立ったことにより彼らはどうなるか。まず計り知れない自信と同時に内臓、特に消化器官と排泄器官への顕著な機能亢進をもたらすのです。 これは今まで一人の例外もありません。こうして人間の尊厳を取り戻すのです。躯体の中心点に位置する腰と腹部は、全ての力の支点であり、手の挙上さえも大きな影響を及ぼす躯体を支える「要」です。 ここへの徹底した訓練の大切さが森を通して思い知らされていたのですが、ところがどういうわけか下肢だけの集中訓練を受けたかたがたは今までただの一人もいません。それこそゼロです。そのため腰から下はブラブラであり、椅子に座ることさえできず、両脚は骨に皮が巻き着いているのが常でした。 これはT損(胸髄)L損(腰髄)で上肢が自由に利くのに、上肢筋トレと車イスバスケ、車イスマラソンを全国一律で行うことから起こる下肢への伝達遮断の特徴です。「何故下肢を捨てる?」私にはどうしても理解できません。そのため消化器官、排泄機能への刺激と蠕動が失われ、下腹部に力むという括約筋が機能せず、直腸の開口角度という人間の生理機能を全く無視した無理な姿勢で薬物と摘便排泄により、人としての尊厳が著しく傷付けられるのです。 まず尊厳を取り戻すにはこの排泄が原点と私は確信しているからであり、そのための腹式呼吸と立ち訓練なのです。 私の100の設問項目の最後は次の問いです。「立ち、歩くという前に、今切実に思っていることを一つ」その回答です。「せめてベッドか車イスに座りたい」「せめて指一本動かしたい」「せめて車の助手席に座り外の景色を見たい」「せめて顔の痒いところを自分で掻きたい」「せめて胸ベルトを外したい」「せめて大きく深呼吸したい」そして胸を打つのは「せめて明るい希望という生き甲斐を持ちたい」でした。その全てに「せめて」という字句が付きます。 やがてこれらの方々の「せめて」はどんな最重度の方でも半年以内に全て叶いました。ベルトを外した方は立ちに、顔の掻けた人は自走車イスに取り組んでいます。これも全員であり一人の例外もないのです。 唯一の望みが叶った今、それで満足して以後の訓練は止めたでしょうか。大切なのは躯体の一部位の可動よりも、そのはるか以前の希望という生き甲斐を見つけ、生きる目的をしっかりつかみ、精神的に立ち上がったことです。 <次号へ続く> 北海道:右近 清 E-mail: Ukon@aioros.ocn.ne.jp
〜脊髄損傷〜立った!そして今、ついに歩いた。 【完全四肢麻痺からの生還・その全記録】 http://www15.ocn.ne.jp/~ukon/ ひとくちインフォメーション
◆もう一度歩きたい 第3部・支え合う社会へ (2)「はがき通信」の役割 重度者らが情報交換 今でこそ脊髄損傷者はパソコンで様々な情報を手軽に入手できるようになったが、1980年代までは情報源がほとんどなく、とりわけ重度者は自宅や施設に閉じこもりがちだった。 「必要な情報を必要な人に」。都神経科学総合研究所(府中市)で脊損者の在宅生活などの研究に取り組んでいた松井和子・国立看護大学校教授(61)は常々そう思っていた。 そんな時に出会ったのが北九州市在住の向坊弘道さん(65)だった。約15年前のことだ。向坊さんは自動車事故で頸髄(C4、5)を損傷、車いす生活を送っていた。しかし、絶望から立ち直り、フィリピンで日本人向けの障害者施設を経営するなど、際立った行動力があった。 研究者と障害者。立場は違うが、二人は意気投合した。脊髄損傷は時と場所、さらに人も選ばず、誰もがなりうる。わずかな情報でも貴重だった。特に脳に近い高位の脊髄を損傷した本人や家族はもちろん、地方の医療従事者からも対処法がわからないという声が上がっていた。 二人はそうした人たちに呼びかけた。「自分が役に立ったことをはがき一枚でもいいから書いてほしい」。こうして、90年2月1日、「四肢マヒ者の情報交換誌」と銘打った「はがき通信」第1号が誕生した。わずか50部程度、B4判の一枚紙の裏表に印刷した簡素なものだった。 第1号には、向坊さんの依頼で、83年に自損事故で頸髄(C4)を傷めて四肢まひとなり、群馬県の温泉病院に入院中だった麩沢孝さん(38)(練馬区)が自己紹介を載せた。麩沢さんは「高位頸損者が生き生きと人間らしい生活を送れる社会を作っていくことが、これからの(通信の)役割」と呼びかけた。 隔月発行で、その後も受傷者の近況、床ずれや排便排尿ケアに関する助言などのほか、松井さんが最新の医療情報をかみ砕いて紹介した。「原稿が集まるかな」と心配したこともあったというが、多くの「生の声」が次々と寄せられた。 麩沢さんは、「毎号楽しみで、苦しんでいるのは自分だけじゃないんだとわかり、投稿した人に連絡したり、載っている情報を試してみたりしたものです」と話す。松井さんも「『はがき通信』で専門家と当事者が交流することによって何が必要なのか、何を求めているのかを知ることもできました。双方がともに学ぶ場でした」と振り返る。 そして、「通信」は出会いの場ともなり、「通信」を通じて知り合い、結婚したカップルも生まれるなど、多くの人間ドラマが凝縮された貴重な情報誌となった。 無料で始まった「通信」は現在、B5判冊子となり、発送部数も約500部に上り、年間1000円の購読料を取っている。98年6月からインターネット版がスタートし、すべてのバックナンバーが閲覧できるようになっている。「はがき通信」の問い合わせは、電話・FAX093・741・2413。 (情報提供:読売新聞多摩版 平成16年6月9日) http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/kikaku/056/main.htm ◆条例で障害者差別を禁止へ 堂本知事 「法制定、刺激したい」/千葉県 ○04〜08年度 「第3次障害者計画」も公表 堂本暁子知事は8日の定例会見で、障害者に対してあらゆる差別を禁止する条例制定を盛り込んだ「千葉県障害者地域生活づくり宣言」を発表した。併せて、宣言の内容を具体化した04〜08年度の「第3次千葉県障害者計画」を公表した。【吉岡宏二、山本太一】 ○ペナルティーも検討 ●障害者差別禁止条例(仮称) 堂本知事は会見で、「国の法律作りを刺激する意味でも、全国に先んじて制定したい」と意欲を見せた。「差別」の定義については、「障害者の方々にどういう時に差別を感じたかを丁寧に聴き、それを県民にも知ってもらう必要がある」という方針を示し、「極端な差別については何らかの罰則も含め検討する」とペナルティー導入の可能性にも触れた。 制定時期は「現在の法律との整合性のチェックや、県民に差別について共通認識を持っていただくには、どうしても1年ぐらいかかる」という見通しを示す一方で、「誰が知事になっても条例が成立できるような態勢を作りたい」とした。 ●障害者計画 計画策定に向けた県民の作業部会が設置されたのは昨年8月。23人のメンバーのうち5人が障害者、5人が自閉症を含めた障害児の親たちだった。2週間に1度、仕事を終えた後の午後6時から9時までの3時間、議論した。「当事者のニーズに制度を合わせる」という観点から、計画には、障害者が暮らすための「地域づくり」として、県独自の事業が随所に盛り込まれた。 知的障害者らが地域で暮らすグループホーム建設については、近隣住民の同意書の提出を撤廃。国の制度の対象外である重度・重複障害者のためのホームも建設する。 今年10月には県内14カ所で「中核地域生活支援センター」を発足させる。障害者に限らず、高齢者や子どもの権利侵害などの相談を年中無休・24時間体制で受け付けるコーディネーターを配置する。 昨年12月にオープンした「障害者就業支援キャリアセンター」(千葉市)では、身だしなみなどを学ぶ生活実習を実施し、職場ルールを教える指導員の増員も図る。 また計画の5年間での数値目標を定めているのも特徴だ。▽定員517人分のグループホーム(今年3月末現在で116カ所)を1490人分に増やす▽キャリアセンターを通じた就職実績9人(同)を260人に増やす——など、計57項目にわたっている。 (情報提供:毎日新聞 平成16年7月9日) 【編集後記】
毎年夏にくる熱帯夜には、ベッド横の温度計が28度前後になる暑さです。体調を崩しそうで夜間エアコンを切るために身体に熱がこもりアイスノンと扇風機でしのいでいます。 暑さ対策として今年の夏の一番の発見は、扇風機を据え置き型から壁掛け型に変えたところ今まで横からきた風が斜め上からくるようになり風があたる表面積が広くなったのか少し涼しく感じ楽になったことです。暑くなるともっと最善策はないかと考えています。 次号の編集担当は、瀬出井 弘美さんです。 編集委員:藤田 忠
………………《編集委員》……………… (2004.5.25.時点での連絡先です) 発行:九州障害者定期刊行物協会 |
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