家族で応援できたアテネオリンピック
「通信」の皆様、残暑お見舞い申し上げます。お元気でお過ごしでしょうか。昨年はヨーロッパ各地で猛暑に見舞われ、多数の死者まで出た大変な年でした。今年は日本が観測史上初めてと言われる猛暑の年でした。ほとんど雨らしい雨も降らず、連日35度〜37度という暑さが続き、日中外へ出られないような暑さでした。クーラー(28度に設定)、扇風機2台をフル回転させ、室内温度を調整していました。お陰様で主人も私もどうにか元気で何事もなく猛暑の夏を過ごすことができました。
暑い暑いと言いながらも楽しみにしていたことがありました。それは、ギリシャ・アテネオリンピックです。8月13日(日本時間8月14日AM2:40からAM6:30)五輪生誕、アテネの地にいよいよオリンピックスタジアムにて108年ぶりに戻ったアテネ大会、開会式典です。参加国は史上最多の202国です。スタジアムでは7万人の大観衆のもと、各国選手団に続き、日本は史上最多の513人の選手が女子レスリング浜口京子選手の堂々たる旗手を先頭に日の丸を掲げ入場行進できたことは、これから始まる各種目にメダルをかけた力強さを感じました。 7万人の観衆が見守る中、今まで見たこともないようなセレモニーが始まりました。ギリシャ的な音楽、リズム、色彩の美しさ、古代ギリシャから現代ギリシャへの歴史的移り変わりを絵巻のような美しさで表現されていたことは、私の心に大きな感動と喜びを与えてくれました。 素晴らしかった開会式も終わり、2日めには早くも女子48キロ級で谷亮子選手、男子60キロ級の野村選手が金メダルを果たすことができ、夏季オリンピック通算金メダル100個となった快挙を遂げました。初日から金メダルとは、これからの種目に選手にとって大きな影響を与えるのではないかと楽しみにしています。 主人も私も家中で応援した柔道、卓球、水泳。水泳では北島選手が平泳ぎ100メートル、200メートル、1600メートルメドレーに出場し、水泳陣全部で金メダル・銅メダル各3個と驚くべき快挙を遂げ、日本国民を喜びの渦に巻き込みました。 次に、女子マラソン・野口みずき選手にも大きな期待を持っていました。紀元前490年、ペルシャ軍との戦いに勝利したことを告げるため、兵士はマラトンの丘からアテネまで駈けぬけたと言われる丘からスタートした野口選手の、ものすごい走りに3度めの驚きと感激を覚えました。そして、堂々1位、金メダルに輝きました。 長嶋ジャパン、銅メダルおめでとうございます。金メダルが取れなかったのは残念でしたが、選手一同頑張りました。女子ソフトボールも銅メダルを取って頑張りました。明るい笑顔が見られました。 次に健二も夢見たオリンピック男子体操チームが団体演技で金メダル。28年ぶりに頑張れました。個人演技は残念でした。きっと天国で健二も喜んでいることと思います。 それから、シンクロナイズドスイミングも大きな期待をかけて応援しています。一晩中応援し、テレビを見ていました。ビデオを撮りました。立花さん、武田さん他チームの選手の皆さん、力の限り美しく素晴らしい演技ができました。本当はひとつ金メダルがほしかったと思う私でした。でも、銀メダルがたくさんチームの皆さん8名の胸に輝いていました。本当に素晴らしかった。おめでとう!という気持ちでいっぱいです。 4年後、中国・北京でのオリンピックには、また美しいシンクロナイズドスイミング見せていただきたく応援しています。8月28日、楽しかったオリンピック種目も残り少なくなってきました。最後まで選手の皆さんには頑張ってほしく思います。ビデオもたくさん撮りました。日本チーム頑張れ、日本の会員にもなり家中で応援できたアテネオリンピックでした。いつまでも私の心に、家族の心に残るアテネオリンピックでした。メダルを取れなかった選手の方たちも気持を新たに、次のオリンピックを頑張ってほしいと思います。主人も元気でアテネオリンピックを応援できたことが嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいです。 「通信」の皆様、まだまだ残暑厳しい日も続くことと思います。くれぐれもお身体を大切にお過ごし下さいますように。 2004.8.28 埼玉県:S
ハワイよいとこ夏バテ知らずとことば遊び集第17弾!
前号で大まかなところは書いておられましたので、私は個人的なエピソードをお伝えしようと思います。今後何かのお役に立つかもしれません。
(その①) 6月29日の午後4時前ごろJR佐賀駅に着く。NPO「たすけあい佐賀」のノンステップ移送車は駐車場において、博多までの往復乗車券を買う。これからはすべて介助者のTさんと2人分の出費となるので、お金の出てゆくのが早くて大きい。 階段の車イス用エスカレーターで、駅員さんの「ちょっと前へ」という声に促されて乗りかけたところ、進みすぎたらしく前輪が階段に乗り上げ、あっというまに後ろにひっくり返って後頭部をしたたかに打ちつけた。転倒防止の補助輪も効き目がなかった。出血などはなかったが、たんこぶが出来ているらしくいくらかズキンズキンする。まわりの女子高生たちが怯えたように見守っている。タイルの床にバンザイしたみじめな格好で転がりながら、跳ね上がった足先を変な角度で見上げていた。 『こいつあ、とんだ出だしとなっちまったなあ・・・・・・』。 あとでその話をすると、みんなから「電動車イスで後ろにひっくり返るのはかなり危険なことだ」と呆れられた。 「今のは私が早く進みすぎたんですかね?」 と抱え起こしてもらうときに聞いたが、誰も何も答えず、駅員が自分の不注意であるかのように恐縮していた。以前にも転倒したことがあったしその時は何ともなかったので、今度もたいしたことはなかろうとひとり決めして、もう一度乗り直してホームに並んだ。念のため駅員に私の連絡先は伝えておいた。もしや旅先で後遺症でも出た日には、せっかくの旅が台無しになってしまうからなあ。 「これから博多へ行かれるんですか?」と訊かれたので、 「いえ、ハワイに行くんです。日本に帰ってくるのは7月の5日です」と答えると 「ええっ、ハワイですかあ! せっかくお楽しみの旅行なのにねー」 「まあ、何とか大丈夫でしょう。旅行保険にも入っているし・・・・」 いや待てよ、保険は空港出発の時点から効力を発するのではなかったろうか。するとここの事故はどういう扱いになるのだろう、などと考える余裕もなかった。それより転落騒ぎのため予定の博多行き特急かもめに乗り遅れ、30分後の便にずらさねばならず、これが後々まで響いて福岡空港国際線ロビーに着いたのは1分前だった。 (その②) ホテルに着くともう1つの難題があった。というのも私は自宅のベッドでは天井から紐をぶらさげその先に三角形の補助具をつけて、いちいちそれにつかまりながら小便(しびん使用)や体位交換をしていた。しかし世のおおかたのホテルや旅館にはこんなものを取り付ける余地はないから、不自由なことといったらない。これがあるとないとでは天国と地獄。ないと夜がこわくてたまらない。そのため今まで泊りがけの旅行は気が進まなかったのである。 そこで一計として、私は電動車イスをベッド横につけてそこから物干し竿のような棒をななめに立て、その先端に持参した補助具をぶらさげようかと、事前に向坊さんらと思案していた。竿は現地のアラモアナショッピングセンターにあるのではないかと。 ●ホテルの部屋につけた補助具の写真です。 ベッドを敷居の所までずらしています。 しかし幸いバニヤンホテルはリビングと寝室の間に戸板があり、その天井のレール覆いが木製だったため、内側の見えないところに持参したS字型ネジ釘を2本ねじこみ、そこに紐をかけて補助具をぶらさげることができた。拍子抜けするくらいの難問氷解だった。 もちろん調度類に傷をつけることなんかご法度だから、これはここだけの話である(笑)。もっとも日に1度ゴミ捨てに入ってくるメイドさんは、それを見ても何も言わなかった。チップを渡しておいたのが効いたのかもしれない(笑)。帰るときはネジ穴をなるべく目立たぬよう押し潰してきたが、覗き込めばわかるほどの跡が残った。せめてティッシュペーパーでも押し込んで白いビニールテープで塞いでくればよかったかなあ、と後になってから気づいた。 (その③) 2日めには念願だったワイキキの浜での海水浴に挑んだ。せっかくハワイまで来て泳がないのはもったいない。前日砂浜の距離が一番短いところに目星をつけておいたから、その横の埠頭にメンバーのうち福岡勢のTさん・Uさんと介助者のOさんらともに電動車イスを止めた。 ●ワイキキビーチ通りで ジャージのズボンを太腿までめくり、Tシャツを脱いだ(もちろん脱がせてもらったのだが)。下っ腹が恥ずかしいけれど、ハワイではハゲと同様そんなの気にしない気にしない。私の右足親指がないのをチラリと覗いたUさんがひそかにショックを受けているようだった。まさかヤーさん風情と思われたりはしなかっただろうが(笑)。旅行前から傷のあった左足にはビニール袋を巻きガムテープで完全密閉しておいた。一応かかりつけの医院からはOKをもらってきていたのである。 電動車イスの片方のフットレストを取り外し、TさんとOさんたち3人がかりで「よっこらしょっ!」と抱えてもらい、その勢いで5、6メートル先の波打ち際に浸からせてもらった。コンビニ(ABCストアー)で買ったピンクの浮き輪を頭からバンザイしてかぶるのだが、贅肉のためきつきつだった。大の男がかっこ悪いが、さすがにこれがないと溺れてしまう。やはり泳ぎ馴れている瀬出井さんはライフジャケットを着て浸かるといっていた。私にも貸してやろうかと勧められたが、せっかく浮き輪を買ったのだからと慎んで辞退した。しかし次の機会には試してみる価値はあるだろう。 そうしておもむろに沖へ押し出してもらう。頸髄損傷には尻が宙に浮いている瞬間なんてほとんどないから、まさしく目ならぬ尻からウロコが落ちるような思いだ。胸から下がマヒしているから水の感触はほとんどわからないが、視覚や聴覚や嗅覚など総動員すれば十分に海水浴の気分になれる。たとえばふだん痺れが足の形をしているようなものである。もちろん海底など見てしまうと底知れない恐怖が湧いてくるが、それでも歓喜のほうが凌いでいる。海という字には母という字が含まれているように、羊水の海に浮かんでいたころの胎児の安らかさを思い出すのかもしれない。 水深1メートルくらいのところで、自分でもパチャパチャ腕をかいて方向転換すると、ずらりと建ち並んだ摩天楼や椰子の木やその向こうのダイヤモンドヘッドがぐわーん!と迫ってきて、『ああ、ついにハワイの海で泳いだぞー』という達成感に包まれた。日本の海では何度か泳いだことがあったのだが、内海で波の穏やかなところばかりだった。しかしハワイの海では(波消しブロックの内側とはいえ)さすがに豪快な波を味わうことができた。浮きつ沈みつしながら至福の時がたゆたっていった。頸髄損傷になってこんな幸せが訪れるとは、あの担ぎ込まれた病院の集中治療室に管でつながれて寝たきりであったころには想像もつかなかった。人生とは何と味なものであろう。 足指がそろそろ心配になってきたので、あんまり長い時間ははばかられ、30分足らずで上がることにした。時間は問題でなく「泳いだ」という事実が大切なのだ。波打ち際まで引き戻してもらい、再びTさんらがうんうん抱え上げようとすると、ズボンにたっぷりと水を含んで予想外に重いらしい。すると隣で泳いでいたたくましい白人男性が2人すーっと近寄ってきて手伝ってくれた。そういうふるまいがごく自然にみえるところがハワイである。もちろん私も満面の笑顔でお礼を言った。イラクで一般市民まで撃ち殺している米兵と同じアメリカ人なのだということが何だか不思議だった。ビニールシートをかぶせておいた電動車イスに座らせてもらい、身体を拭きTシャツを着た。濡れたままのズボンはホテルに帰ってからベッドに降りて脱がせてもらうつもりだった。もっともベッドにおりると、下半身が砂だらけであった。せっかくだから記念として小壜にでも詰めて持ち帰ればよかった。 ●ワイキキの浜での海水浴。 そのあとTさんたちも(初めてということだったが)同じように泳ぎ、私より長い時間を満喫していた。ハワイの海で泳いだ日本人頸髄損傷者はひょっとすると私たちが初めてではないだろうか。というのも私は障害者本をかなり読んできたが、頸髄損傷者が泳いだという記述をほとんど見かけたことがなかったからである。脊髄損傷なら国会議員の八代英太氏が日本の海で泳いだという記述を見かけたことがあるが。そうそう、最近普及しはじめたスキューバダイビングでは頸髄損傷者数人が沖縄や海外の海で潜ったというが、泳ぐというのとはちょっと性質がちがうだろう。 その他にも、ホテルの6階にある海水プールで泳いだSさんや、ジャグジー風呂に浸かったMさんのような勇気あるメンバーもいたことを付け加えておかねばならない。 まっ昼間はいくら何でも日射病になりそうだからと、陽射しの弱まる4時頃から泳ぎ始めたのだが、みんなもさすがに泳ぎ疲れたころ、椰子の木をつつむ夕焼けが言葉にならないほどきれいだった。 ことば遊び集 連休初日の出を拝む。野暮野暮してるとリスがトラになる。チャットの長さ危険の佐世保。国民の恋済み首相。台風一家(小姑台風、雷親父台風、新妻台風、孫々台風、オレオレ台風)。果実を盗む錯乱坊。ワイキキのホテルで今度ミ二編む。タナぼた祭り。フォーク世代は先割れスプーン世代。頸損が泳ぐと尻からウロコが落ちる。たかが選手去れど選手。桃太郎には鬼切りのご褒美。ビキニ面の娘。夜景になるまで摩天楼。都留くんかめへん。センスのいい団扇。総特価のカットソー。平山綾が平謝り。冷房病か冷遇病か。森田ヤフー検索。ジャカルタじゃ歌留多ばかり。性職者。知覧攻防の世の中。脇芽もふらず毟りとる。夕立と朝立ち。無理解なサポーターなんか無視しちゃいな。南米の腹具合の悪い国。スーツをせびろう。お手ヤワラかにちゃん。銀メダルの山本貴司選手の奥さんは錫メダル。盆カレー。 最近の趣味
このところ「療護施設考」(5月号)、「資格問題考」(7月号)と考え続けてしまったので、今回は夏休みとして、「最近の私の趣味」を紹介します。
この夏は、「希望外出」(それまで買物外出として服などの買物に目的が限定されていた施設サービスが、昨年6月から食事や飲酒などでもOKになりました。外出に施設のリフトカーと介護員さんの付き添いを付けてくれるものですが、出帰2時間弱の制限があるため近間の外出に限られます。現在、制限時間の延長を要望中。)を利用して、いわゆる「観光地」に2週間に1回のペースで外出しました。目的は、バリアフリー情報の蓄積=「入り口の広さ」「スロープの有無」「エレベーターとトイレの有無と広さ」などのチェックです。これらを記録しておけば、(ちょっと押し売り的ではありますが?)単なるパンフレット以上に施設の皆さんの役に立つはずです。 施設においては、どこか観光地に行きたいと思っていても、「どこに何が?の情報を得るのが難しい」(当施設では今年から共用場所に「観光のパンフレット」のファイルを置いてくれるようになりましたが、これを手にとって見ることができる人も限られます。)からはじまって、「どうやって?を考えると家族に連れて行ってもらうのを待つしかない」と思い込んでいるフシがあり、しかも第3者に誘ってもらっても、「トイレは?と心配が先に立ってしまう」ようで、実際に出掛ける人は本当に限られてしまっているようです。 私の場合、パンフレットをスキャナーでパソコンに取り込んでじっくり内容を吟味し、さらにインターネットで下調べしてある程度のバリアフリー情報をおさえておき、リフトカーを運転してくれる付き添い介護員さんが道に迷わないように、目的地の地図を出しておくこともできます。 こうして万全を期したつもりでも、実際に行ってみると思い掛けないことが起こるので、私はやはり「○○探検」と称すことにしていますが、以下ではこの夏の「探検」を日記風に記します。 (1) 7月31日(土)「○○ロープウェー探検」:10時出発〜12時前帰着。 ロープウェー乗車は7分間×(往復)のみ。障害者手帳を忘れたにもかかわらず、付き添い介護員さんと私の分を合わせて障害者割引を適用してくれた(往復合計1800円)=現場はどこも親切です。上は猫の額ほどの、足場にチップ(木片)を敷き詰めた広場があるのみ。しかし、快晴にして風もなく、越後の山々を近くに眺め「ここまで回復したな」の感慨しきり。 (2) 8月15日(日)「□□美術館探検」:10時出発〜12時前帰着。 白亜の建物とそれを写す池〜遠方に広々とした公園〜さらに遠方の山景=人工と自然が調和。2階建ての美術館の中は一通り急いで廻るのみ。エレベーターは広く、電動車イスでもOKだろう。階上階下ともに広い車イス用トイレがあって、自分は関係ないのだがなんとなく感激。帰途イタリアンジェラートというアイス屋さんに寄って、「神楽ナンバン」と「ブラックベリー」を介護員さんと一緒に試食。前者は、やっぱり辛かった=辛いアイスなんて初めて。美術館入場券400円(身障者割引=100円だけ)×2+アイス250円×2+シュークリーム(おみやげ)100円×5=1800円。 (3) 8月29日(日)「△△ロープウェー探検」:14時出発〜16時半帰着。 ちょっと遠いので高速道を利用(650円×往復)。ところが台風16号で運行中止とか「お〜い台風はまだ九州の南海上だよ」と言っても仕方がないので下見にとどめる。身障者用トイレが階下にあり、階上のロープウェー乗り場もつなぐエレベーターはややせまい。車イスのギャッチを上げて、2分程度の我慢を強いられる。しかし、この大きさなら電動車イスもOKだろう。帰途、レストランに寄って「残念会」=生ビール+海鮮ラーメン+アイスコーヒー(付き添い介護員さんへ)+塩辛(おみやげ)=2900円。 なお、下見ということで、いつも使っている電動車イスではなく、手押しのリクライニング車イスで出掛けます。2時間以内と短時間なので人工呼吸器は携行せず、吸引器は持っていくのですが、今のところ使用実績は少数回です。 私のような者でも行くことができたという事実が、施設の皆さんのより具体的な安心材料になればいいと考えています。 (2004年9月1日記) リベンジ(?)の旅
6年ぶり2度めのハワイでしたが、今回は最高でした! というのも前回は直前に風邪をひき、箱ティッシュを抱えながらの過酷な(?)滞在で、私も母も不完全燃焼の旅だったからです……。 今回は母と姉と妹の“やかまし4人組”での参加です。6/29成田空港で別便のIさんや瀬出井さんたちと顔を合わせた後、私たちのみでの出発となりました。じつは嬉しいことに全日空の配慮で「空席があるから」とエコノミーからビジネスクラスに変更(食事も)して下さり、1ランクアップの違いに驚きそして感謝いたしました。 さぁ、青い空が待つ(ん?雨だ……)ホノルル空港に到着です。リフト付きバスでホテルへ移動、さっそくチェックインと思いきや数時間待たされる様子。すでに空港で3時間も待たされてイライラ気味の私は「体を休めたいので清掃前でも良いから部屋に入らせて」と姉に交渉してもらい部屋へ向かいました。ドアを開けると素晴らしい……散らかりようにビックリ! それでもしばらくソファに横にしてもらえたので気分も回復。清掃に来たメイドさんにチップを渡して、いざワイキキへ! まずはビーチを眺めながらマクドナルドでソフトクリームをペロペロ「うーん、やっぱりハワイは良い!」。ABCストアで夕食とアルコールを買い込んで、綺麗になった部屋で乾杯! 2日めは路線バスを使って出掛ける予定なのに電動車イスが赤ランプ。どうやら変圧器が合わなくて充電器が壊れてしまったみたい。皆さんとの顔合わせも早々にIさんの充電器をお借りして部屋に戻り、私もカップラーメンで充電を済ませて、出発できたのは午後2時でした。路線バスで眺めが素晴らしいアロハタワーへ……が、なんと修理中で展望台へ上ることができません。しかたがないのでタワー内で買い物をして、名物「ロコ・モコ」を食べつつ予定を確認。カメハメハ大王に会いに行って記念撮影をし、やっとアラ・モアナ・ショッピング・センターにたどり着きました。夕食はガイドブックで見つけたトム・ハンクス主演映画「一期一会」をモデルにした(?)というシュリンプの店へ。映画でよく観る音楽ガンガン料理もドッカンの典型的なアメリカンな店で、母を連れて行くにはちょっと選択ミスだったかなぁ。ABCストアで食料とアルコールを調達し、ホテルに着いたのは10時過ぎでした。 3日めはビーチへ行って写真を撮り、午後からポリネシア・カルチャー・センターへ向かいました。園内見学後のバイキングディナーの最中に何やら姉が騒ぎ出したので聞いてみると「マイケル・チャンがいる!」と興奮気味。テニスに興味のない私は顔を見てもわからず、妹に関しては問題外でマイケル・ホイと間違えていたらしい(笑)。姉は一緒に写真を撮ってもらって大喜び、最高の想い出となったようです。興奮といえば、ナイトショーでは色とりどりの衣装やダンス、飽きさせない演出に魅了され、ラストに近づくにつれて会場が一体となった時の大拍手には鳥肌が立つほどでした。だからホテル到着後には、ABCストアで調達済みのワインで乾杯して眠ったのです。 ●マイケル・チャンと緊張気味の姉 4日めの午前中はD.F.S(免税店)でお土産買いの総まとめ。その後、少しの時間も勿体ないので「車をチャーターして観光を」と思ったが予約満杯で無理とのこと。結局また姉と買い物に……。夕方からシェラトン・ワイキキホテルで開かれた食事会(1日早く帰国する私たちに合わせて下さった)には25名ほどが集まり、美味しいバイキング料理を味わいながら写真を撮ったり、「K家は酒豪だ」だと怖がられたり……。姉が例の写真をIさんたちに見せていたら、Mさんに「まだ興奮している、ガハハ」とからかわれ、なぜかその後からMさんのことも「マイケル」と呼んじゃったりして(Mさんごめんなさい、でもかなりその気になっていたような……)。食事会の後、部屋にはマイケルたちが遊びに来て下さり、Iさんは母にビールをガンガン飲まされていたみたい。 ●ワイキキ・バニアンホテルのラナイにて 最終日の朝、ホノルル空港では電動車イスのバッテリーと接続コードの外し方が分からずに、わざわざ「空港No.1エンジニア」に来てもらうハメに……。でもさすがにアッという間に解決し、無事搭乗することができました(売店でダチョウクラブの上島さんを見つけましたよ)。席は予定通りのエコノミーでしたが、足下が広い場所を確保してもらったので意外と楽ちん。しっかしあの機内食には閉口しました(数回の海外旅行の中でも一番……)。 7/4成田に着陸した時、自宅に戻ってからも「また行きたーい!」と、リベンジの旅は大成功でした。あれから数ヶ月経ちますが、あの4泊6日を想い出しては写真を眺める日々。もちろん母や姉妹にとっても満足な旅となったようです。いろいろな手配をして下さったMさんやIさんやOさんをはじめ、関係者、参加者の皆さん大変お世話になりました。 K・S E-mail: sabu_k0228@yahoo.co.jp
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