はがき通信ホームページへもどる No.89 2004.9.25.
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 VIPとトイレのお話 

77歳、23歳で右股関節固定、脊髄神経空洞症、頸損症状へ移行中、常時激痛

 アジア各国の国際空港では車イスの障害者はVIP待遇なのです。したがって、映画「ローマの休日」の裏返しのひとときを体験できます。
 マニラ空港出国手続の際、順番待ちの長蛇の列を横目に、車イスの私は一番端の「VIP」と書かれた搭乗ゲート(?)を一人悠々と通過しました。ネパール空港では乗客が皆、階段を上っていても、私だけは空港職員の先導で、ポーターが押す車イスにふんぞり返って、世界各国から、この国を訪れた王侯貴族や要人たちが乗ったであろうVIP専用、全面彫刻の重厚なドア付きエレベーターを使用したのです。どこかの空港では、いくつものドアの鍵を開け事務所前では「ン? パスポート? ヒアリティーズ」な〜んちゃって迷路のような通路を通り抜けました。搭乗も、いの一番。これぞ障害者にのみ与えられた特権で、いい気分なのであります。
 話は一転してトイレに関してですが、マニラ空港のトイレ前通路には若い兄ちゃんが3〜4人いて、「アンタはここで用を足して、ここで手を洗って、ハイ このペーパーで手を拭きなさい」とサービス満点。だが、本当はチップ目当なのです。私は「フィリピンのお金は、もうないのだ、ごめんな ハイ さいなら〜」。
 ネパールの地方空港では、「トイレが狭くて入れない、どこで用を足したらいいのか?」と訊ねると空港ポリスは、「そこの金網フェンスの前でしろ」。搭乗待ち乗客たちの好奇の目を尻目に、導尿でビニール袋に取ったピサ(オシッコ)を、「どこに捨てるのか?」とまた質問、ポリス曰く「その辺に捨てとけ」。別の空港では滑走路の近くで導尿中、係員が不審げな顔で近づいて来ましたが「ピサだよ」と云ったら黙って去って行きました。
 カンボジアのアンコール遺跡群にはオシッコをしに行ったようなもので、そこここの空き地に、その痕跡を残して来ました。例えは悪いのですが、♂犬の行動に関連付ければ、それ以来あの広大な世界遺産の遺跡群は私のテリトリーなのです。私はこんな国々が大好きなのであります。終わり。
福岡県:H・M E-mail: bistari_2@ybb.ne.jp


 5泊7日が短かったハワイ懇親会 


 帰国後の日本の猛暑に閉口。ハワイは、明らかに湿度の高いアジアの暑さとは違う。滞在中から、なぜかメチャクチャにむくんでしまった足が今もムクムクで困っている。飛行機嫌いの私は、機中では音楽を聴きながら睡眠薬を飲んで眠っていた。ほとんど揺れなくて幸いだった。
 きっと読者の皆さんも、ハプニング・トラブル・アクシデントのほうが読んでいて面白いですよね。Iさんのような、電動車イスのアクシデント・トラブルは困りものですが。


                  ●Oさんの水泳見学

 前号のOさんの「S嬢の水泳見学」と、Mさんの「プールで泳いだあと、ジャグジーの凄い泡で身体の垢を洗い流した特に名を秘す……」は、おわかりでしょうがこの私です。O、I、Mの3氏にセクシーな(??)水着姿を見られてしまいました。(笑)
 実は、プールに入った日が排便のすぐ後でして。今も下剤を飲まなければ出ないのでまだ幸いなのだが、排便日の失禁がすごく多くなり、時間もかかるようになった。このときも排便後、すぐに失禁。でも、この日を逃したら泳ぐ時間がない!! せっかく水着を持って来たのに! ということで、ナント、肛門にビニール袋をテープで貼り付けてプールに入ったのです。(^_^;; そこまでして泳ぎたいかぁ〜! ですよねぇー。ジャグジーは、温泉並みの熱さでとても気持ちよかった(プールとも海水)です。まぁ、幸いにしてというかお陰さまで、気分が緩んで下まで緩まなくて本当によかったぁ! のですが……。(女性なのに尾籠な話でゴメンナサイ!)


                   ●ハンディキャブ

 観光のためチャーターしたハンディキャブの運転手さんは、まったく日本語が話せなかった。でも、両親指を立てて笑顔でひと言、「No problem!」。見た目がヒゲ面のごっつい人だったので初対面ではドキドキ、一歩引いたが、そのひと言で一気に緊張がほぐれた。片言の英語とボディランゲージで何とかなるもの。南国特有のすっごく陽気で明るくフレンドリーな人で、音楽をガンガンにかけ、ハイウエイを制限速度以上でブッ飛ばし、2回急ブレーキをかけられた。(笑)最後はHOLDし合ってのお別れとなり、一番心配していただけに彼のお陰でとても楽しい観光ができた。(Oさんだけなぜかオマケにチューをされていた。きっと彼の好み? だったに違いない)
 向こうのハンディキャブは大きい! 車イスが4台まで乗れて何より外が見える。リフトバスは8台くらい乗れる。そして、乗らなかったが、リムジンのタクシーがある。前号にOさんも書いていた、コニシキのお店で店番をしている曙ママ。一緒に写真を撮ると1ドル。しっかり商売してますワ。
 日立の「この木なんの木」のCMで有名な木の名前は、「チャイニーズバニヤンツリー」と言うそう。ハワイには動物園以外、ヘビがいないとのこと。ハンディキャブの運転手さんが言っていたのだが、その理由がどうしても英語力がなく、わからず仕舞い……。ウ〜ン、なぜなのか知りたい。アロハには、「こんにちは・さようなら・愛している」の3つの意味があるそうですよ。
 田舎のほうのビーチは、砂浜も海もメチャクチャに美しい。ゴミも落ちていない。真っ青の空の下、潮風に吹かれているだけで癒される。ゆっくりのんびり、少なくとも2週間くらいは滞在したいものである。
 
編集委員:瀬出井 弘美


 ハワイ懇親会に参加して 

頸髄損傷、C−3、受傷して9年め、55歳男性、在宅(妻の介護)

 新婚旅行以来30年ぶり、3度めのハワイ旅行。旅行において心配なのは飛行機に乗ることであった。国内で短時間の飛行経験は何度かあったのだが、今回は時間が長い。幸い行きはビジネスクラスクラスに空席があったので、ゆっくりと行くことができた。しかし問題は帰りに起こった。ハワイのJALのカウンターで席を聞くと54列めだと言ったので、一番前の席と取り替えてもらった。ところが、搭乗前に係の人がきて、最初の54列めに戻れという。聞いてみると、内側の4席を使えるように取ってあるとのこと。いままで諸先輩方が、空いた席を確保して横になったりして行くと楽であると言っておられたのを思い出し、54列めにきめた。しかしこれが間違いであった。私のように、上肢、下肢、など体全体に麻痺のあるものにとって席が4つあっても、あの狭いところではなかなか横になるにも一苦労。体が大きいから前の席に足が当たって座るのは苦痛である。背もたれが低いから頭が着かずだるい。などさんざんであった。やはり飛行機はビジネスクラスか、エコノミーの時は一番前の席にしたほうがよい。
 飛行機のことはさておき、30年ぶりのハワイは驚くほどの変貌ぶりであった。ワイキキの浜辺は倍近くになっているし、ホテルの数の多さにも驚いた。日本人の多さにもびっくり。つくづく日本の豊かさを痛感する。
 しかし蒸し暑い梅雨の日本を逃れてのハワイの気候は、頸損の体にとってはまさに天国であった。もう一つ驚かされたのは、バリアフリーが行き届いていることとアメリカ人の障害者にたいする接し方である。非常に過ごしやすかった。バスに乗るときも快く対応してもらえたし、どこの店もすべてバリアフリーになっていて問題なく入れた。
 ただ一つ困るのは、日本のホテルのように簡単に車イスからベッドへの移乗を頼めないことである。私のように重い人間はもう1人同行人を用意しなければならないことである。
 今回の旅行では、東京から来られたM氏とあと何人かの介助者の方々には非常にお世話になりありがとうございました。楽しく滞在できたのもこの人たちのおかげだと思います。
 それと旅行を企画して頂いたIさんやOさんやMさんにはいろいろご苦労をかけありがとうございました。楽しい旅行になりました。
 今回はワイキキの近辺での滞在でしたが、次回は、以前観光したハワイ島やカウワイ島など、離島の観光もしてみたいと思います。 
A・M E-mail: ashidaka@sage.ocn.ne.jp


 ファイト! 自立生活 

C4、5 受傷後46年、私的ヘルパー雇用、リクライニング式電動車イス使用、独居

 自立生活は難しいとは思いますが、一方、世の中で悲喜こもごも体験できる楽しさもあります。自立生活の上で、それは自分の住環境がどれだけの利便性を備えているかにも左右されるようです。
 パソコンはグッド。これなくしては一日も過ぎません。趣味に仕事にマウススティックをくわえて長時間過ごすのは楽しみです。移動用のハンディバン、これも必要不可欠です。いざというときに病院に駆け込めます。
 毎日利用する天井走行型リフター、これは超ベリーグッド。日曜大工の店で工業用のチェーンブロックと部品を買い込み、どうにかこうにか安い自家製のものを作ったんですが、以来20年間も故障なしで働いてくれています。謝々。


               ●自家製の天井走行型リフター


 ところで、うまく事が運ぶばかりでもありません。海岸の小さな私の一戸建てに住み着いた小さな小さなシロアリが600匹くらいの大軍をなして、6月と7月に4、5日必ず私を襲ってくるのです。それも、真夜中なので、動けない私は照明を消して、その大軍が明るいテレビ画面に集まるのをひたすら期待して、じっと息を潜めているだけです。
 ところが、他の動物社会同様、はぐれシロアリが必ずいて、容赦なくベッドの中、襟首の内側、果ては耳や鼻にまで侵入してきます。哀れや、私は人間様だぞ!と叫ぶんですが、どうにもなりません。
 そこで、専門家が使う薬品やドリルマシンを買ってきては本格的な対策を講じ、インターネットでシロアリの生態を調べては敵の殲滅をはかります。「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」という古い諺もあります。
 しかし、高度に訓練されたシロアリ社会は私の攻撃に対して頑として滅びません。一時はもう諦めようと思ったほどです。ところが、ついに降参しかけていた自立生活に勝利がもたらされました。20年戦争の果てに、今年はついに6月末の1日だけ、去年から生き残っていたらしい敵の敗残兵が、20匹くらい空中を力なく旋回しただけでした。敵の数次にわたる総攻撃がなくなったからには、床下に頑張っていた3匹のシロアリの女王は全滅したに違いないと確信しました。ヤレヤレ、悪夢はよもや、よみがえることはあるまい、と戦々恐々、天井を見つめている盛夏です。終わり 
 
編集顧問:向坊 弘道
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