は が き 通 信 | No.58 - Page. 1 . 2 . 3 . 4 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1999.7.25 |
私は夏になると窓から青い空と入道雲を眺めて、汗をしたたらせながら登った夏山に思いを馳せます。この夏で、山で転落事故を起こしてからちょうど10年になりました。山で怪我をしたのにもかかわらず、車いすになってもコリずに山登りを続けている私です。
堤さんが前号で、「抱えてくれる人さえいれば世界中どこでも行ける」とおっしゃっていました。一昨年冬の蔵王でのバイスキー登山には、22人の山のクラブの仲間が手を貸してくれました。
編集委員 瀬出井
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いよいよ「はがき通信」懇親会 in 広島まで、3ヶ月となりました。「案内はまだ?」と“きりん”のように首を長くしておられた方もいらっしゃる?のではないでしょうか。
「皆さんに楽しんで頂けるように」と、個性派揃いの広島が、腕によりを掛けて(?)知恵を絞り、計画しております。皆さんにお会いできるのを楽しみに頑張りますので、是非、ご参加下さい。
◆ その他の注意事項
以上の通りです。初めての試みで、試行錯誤の連続です、ご意見ご要望等がありましたら、お聞かせ下さい。
広島頸損ネットワーク会長 mami2@enjoy.ne.jp
〒739-1412 広島市安佐北区白木町小越230 TEL (082)828-0123(17時まで) 携帯090-1184-4339 FAX (082)828-3456 「はがき通信」というものがあると知ったのは松井和子さんの「頸髄損傷」という本からです。書かれていた先輩諸氏のあれ程の行動力にはとてもかなわない、と大変驚きましたが、障害者になってしまって落ち込んでいた時だったので、とても勇気を分けていただく事ができました。
横浜市 S
只今、メル友募集中。お時間のあいたときにでも、もしよければメールもらえたらうれしいです。
北九州市 : H romio@pop12.odn.ne.jp
若いボランティアの娘さんや美貌のヘルパーさんに不純な動機で言い寄るのは止めろとの妻の言い分に、言い掛かりだと弁解しつつも改心を約束させられた。G・W明けに二週間の手術入院で視力を取り戻してみると、性格まで明るくなれたように思う。くれなずむ夕暮れにたたずみ、母の帰りを待つ少年のような自身であっただろうか。 水晶体を人工レンズにしたので三百年は持つから大丈夫だと美人先生は仰った。トドの生誕三百五十年祭までレンズを通して時代の流れを見続けられそうです。それにしても、目の見える事はありがたい事で、文字が読めたりテレビや人の顔が見えるのも嬉しい。改めて失明者や難聴の人々に思いを馳せる。そして、頸損者の自分が視聴覚を失った場合を想定して対策を講じようと思うのだが……。 比国に遊んだ時の言葉が通じない状況より悪いだろう。せいぜい自制して五官を大切にしたいものだ。 トドのオッサンも無い才覚で地域にしぶとく活路を択きたいものだ。末筆ながら入退院の際に関わって下さった方々に感謝したい。M嬢さんたちから戴いたお花はとっても美しく引き立つねっと、トドの顔から視線を外す看護婦さん の言葉に???。看護婦さんにはこの花も負けているねっと、ヨイショしたトドの心は、やっぱり「目は心の窓で、治療したのに濁ったままなのかしら……」 広島頸損ネットワークが「はがき通信」の集いを広島市で開催する事を引き受けており、個人的な気持ちとしても多くの頸損仲間に来広して欲しいです。役員の一人として大いに歓迎しますので、みなさんの御参加を期待しています。
広島県 : トドのオッサン
車椅子の注文はなるべく早めにしましょう。というのは、私は早めにやったつもりが、それでも遅かったという経験をしたからです。
今まで使っていた車椅子は8年ぐらい使っていました。使おうと思えば使えないことはないのですが、コントローラーのジョイスティックを離しても、完全には車椅子が停止しなくなったので、あぶないときもあって、新しい車椅子の注文を申請しました。 ところが、いろいろあって、とくに今までの車椅子はリクライニングの装置が必要なかったのに、今度はなぜ必要なのかということになって、間違いなく必要という決定がでたのが約4ヶ月後でした。 そのとき、役所の人は「これですぐできます。最近は交付も早くなっていますから」というので、安心していましたところ、それから2ヶ月間何の知らせもありませんでした。 このあたりでやはり早くしてくれと言わないと、いつになるか分からないと感じて、業者に連絡したところ、来週には持っていくとのこと。 乗れるよう準備をして待っていたところ、持ってきた車椅子は充電ができてないし、安全のためリクライニングすると運転できなくなる設定も調べてありません。その一週間後にやっと乗れるようになりましたが、6月27日現在、まだ新しいフットレストはできていないので、古い車椅子のものを使っています。
千葉県 :HK kuromaru@fsinet.or.jp
KN (H元年にC3.4.5を受傷・不全)
「はがき通信」の皆さん、ご無沙汰しています。新緑が目にしみるこの頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。平成9年5月に仲間入りさせていただき2度目の投稿になります。 「はがき通信」No.55でSさんが「頚損者が閉じこもりになるのは、排泄に不安があるからだ」と断じ「食文化優先社会に敢然として排泄文化に陽を当てられる頚損者よ出よ!」と檄をとばされているのを読み、思わず喝采を叫びました。まさに小生の思いとピッタリ。このことは初稿でも書きましたが、少し具体的に書いてみたいと思います。 結局、排便だけに1時間半前後を要する。すべてホームヘルパーか訪問看護婦の介護による。 それでも、後刻失便し、ヘルパーさんや家族に迷惑をかけることがチョイチョイ。 「粗相したって、死にゃ〜せん」と言われると「オムツやるけん、垂れてみろ〜っ」と言い返すが、「はがき通信」諸氏の行動力を思うと、反省と同時に、どんな対応をしてあるのかが気になります。
佐賀県 : KN
宮崎県 KF (C4,5,電動車イス)
県北でも要望して”いかんとね!” ”アマチュア取材班X”はJRで1時間30分の道のりの宮崎駅へ到着。昼食(ビールを少々)をすませ、始発点へと転がって行こうとしたところ、県の担当者とバス会社担当者がお出迎え。”オッ! お迎え”と思いきや、電動車イスがゆっくりしすぎて他の乗客の出発が遅れると困るからだった。”僕のゆとりのない行動が出てしまった。” 県、バス会社担当者のお出ましは、たまたま僕らが市外地からの予約第1号だったからです。始発停留所へ着いたとたん、報道陣とカメラ2台に囲まれて「おったまゲエ!」 警察には囲まれた経験はあるけど(若かりし暴走族時代…)、しかし底床バスには驚きましたね。 折り返し点に着き、戻りのバスの時間まで1時間近くあったので、喫茶店でコーヒーでもと思いきや、2人に報道3社の報道ぜめ。僕らが取材に行ったのにプロから取材されるとは予想外。 「はがき通信」の宣伝。 『なぜこられたのですか?』 そうこうしているうちに”バスがキタロ〜”戻りは宮崎駅終点へ。帰りは取材もなく、乗客も少なく、45分間のんびりした車内。 ケガして13年ぶりに大衆交通機関・バスの雰囲気を味わい、ゆ〜らユラ…。バスの良さを感じましたよ。 今まで自家用、タクシー、ともプライベート空間でしょ。路線バスは、いろんな人たちが入れ替わり乗車してくるから、街の臭いを感じるんです。 「僕に似合わないフレーズかな?」 良かったなぁ〜。失礼します。 ご無沙汰しています。今までベッドからの移乗は、両親に抱えてもらっていました。母の具合が悪くなってそれが出来なくなりました。手動のリフターはあることはありますが、面倒くさがって誰も使おうとしません。そうなると天井走行式リフターしかありません。 そこで福祉機器総合カタログで調べるみると80万〜120万円と高額で、すぐに買える代物でもありません。あまりの値段の高さに途方に暮れていました。そういえばフィリピンで「15万円で天井走行式リフターをつけることができて、家族が楽になるから、日本に帰ったらつけてみては?」というアドバイスをある頸損の人から頂いたのを思い出して、さっそくE-Mailで相談しました。そしたら、詳しく教えていただくことができました。 次に、お金が貯まるまでしばらく待ってから、大工をしている幼なじみに、リフターの写真をみせながら説明しました。天井に柱を取り付けてもらい(15万)、それから弟にリフターをレールに組み込んでもらいました。 汎用の既製品を組み合わせれば驚くほど安くあがるので、びっくりしています。人間、頭の使い方次第でどうにでもなるな、と思いました。一つ難点をあげるとすれば、工業用である故に音がうるさいことです。でも利用する時間が短いので、そんなに苦になりません。 この天井走行式リフターだと、肩と膝にベルトを入れるだけなので、力の弱い母親でも簡単にベッドから車椅子に移乗させることができます。わが家では大いに活躍しています。 天井走行式リフターの装着を検討している方はご連絡下さい。写真をお送りして詳しく説明します。また、E-Mailでお問い合わせのかたには鮮明な .jpg ファイル画像を5枚送ります。 電話(092-608-3011)で問い合わせると、駐車許可証が送られてきました。当日出かけてみると関係者以外立入禁止の入り口から入って玄関横に駐車出来(駐車料無料)、入場料が介助者1名とあわせて2500円と良心的な価格設定でした。グランドに入ると車椅子用スペースはとても見やすい良い場所にあり、車椅子用トイレも直ぐ近くにありました。 よそ見しているといつの間にかゴールが決まっていて目が離せません。存分にサッカーの醍醐味を味わいました。アビスパ福岡のゴールが決まったときの、会場中の一体感は何ともいえないものがありました。
福岡県 : TF fujita-t@try-net.or.jp
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