は が き 通 信 | No.57 - Page. 1 . 2 . 3 . 4 |
POST CARD CORRESPONDENCE | 1999. 5. 25 |
もどる 私が訪問しているKさんは、在宅生活にも慣れ、車椅子で近所を散歩するようになりました(介助は必要ですが)。 Kさんの今の一番の悩みは両腕の痛みです、日によっては、さしこむような激しい痛みがあるそうです。鎮痛剤も試してみましたが、効果はなく、ROM訓練、マッサージによって痛みを軽減されているようです。頑張ってください。
千葉県 : HT
★四肢麻痺の佐藤哲也が作詞作曲をし、ず−ずしくもボ−カルまでとって叫びまくってるハ−ドコアバンド“蛾蝶”の9曲入CD「FINAL DISCULT...」の宣伝の巻 ★ 基本は80年代のコ−ラス全開U.K.HARDCORE。ロックやハ−ドロックでなくハ−ドコアで,音楽でなく音で,いかに綺麗にとるかでなく、いかに上手くノイズを入れるかで,ギタ−をハウらせたりボ−カルの音をわざと割ったりするのに時間をかけました(笑)。 詩は普段TETSUYAが感じてる些細な事をJAPANESEなまり(笑)の全編英詩で。TETSUYA以外のメンバ−4人はみんな昔からの友人。整体師,キックボクサ−,サラリ−マンなどをしている健常者。ライブも福祉的な意味あいの強い場から街の企画モノまで適当にやって,曲作り&音合わせは夜TETSUYAの部屋でやってます。 収録曲
群馬県 :TETSUYA
自分で起きようとしても起きられません。身体が云うことを聞かないのです。すでに尿はもれ、右手、右足が動きません。主人は大きなショック状態になり、「右手が無くなってしまった、右足はどこだ」と探しています。意識ははっきりしていましたが、大変な事態が起きています。何がどうしたのか良く分かりませんが、私がとっさに考えたことは、脳内出血か、それとも脳梗塞ではないかと思いました。 CT写真を撮りますと、以前に2回梗塞を起こした古い跡があり、今回は3回目のショックだと云う事でした。先生の話を聞いて、本当にびっくりしました。気付かないような軽いものだったようです。私は信じられないような目の前の出来事に大きなショックを受けました。何とも云えない悲しい気持ちに襲われ、これからの事を考えると、不安でどうする事も出来ませんでした。 今日から3、4日でこの状態から脱出出来れば、リハビリも出来るようになり、一般病棟へ移れると先生から説明がありました。どうかこの最悪の状態から脱してほしいと、祈るような気持ちで10分間の面会をして来ました。 主人は酸素マスク、血圧計、心電図、点滴、排尿などのたくさんの管が付き、時々左手が動いていました。 話しかける言葉にも反応し、自分の名前も答えていました。このような状態を見て少し安心し、10分間の面会を終わりました。 4日目、5日目とだんだん状態も落ち着き、動く左手で酸素マスクを外したり、点滴を取ったりと、目がはなせない事態が起こり、左手はベッドにしばられていました。また、話す言葉に異常が見られるようになり、何か変なのではと心配になって来ました。 5日目、6日目、7日目と何事もなく過ぎ、ベッドアップされ、おかゆが出され食事が出来るようになりました。本当にびっくりしました。一筋の光が見えたような嬉しい記念すべき一日でした。右半分にマヒがあるため、むせないように少しずつ、ゆっくりと口に運んんで、飲み込んでいました。血圧は121〜81と安定しています。 1月21日(12日目)、一般病棟へ移れました。 2月2日、国リハに長く通われていた塩崎様の良きアドバイスもあり、主人は国リハへと決めました。CT写真と紹介状を持ち、国リハへ行って入院予約をしました。 2月17日、国リハより入院決定の通知を頂きました。何と1ヶ月も待たずに入る事が出来、ありがたい気持ちで一杯です。 また、失言症もあるので、言語の先生にも付きました。作業療法の先生にも付きました。主人は体が硬く、動きが悪く、何をやっても出来ず大変でした。 4月5日、もう一つ、嬉しい事には主人を交えて、国リハの庭に咲く美しい桜の花をバックに、国リハの春を記念して記念写真を撮りました。助けられた命に感謝した一日でした。 美しく、素晴らしいお花見をする事が出来ました。きっと主人も命の大切さ、生きる喜びを実感し、一日一日を大切に生きて行く事を学んだのではないかと思いました。 毎日毎日、病院へ通いつめた私も嬉しさで一杯です。病院の皆々様に深く感謝しております。 元気で明るく、残る期間を過ごしてほしいと思います。
埼玉県 : HS
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◆ 頸損連絡会・全国総会「愛知大会」6/5・6 愛知社会福祉会館(名古屋) 問い合わせ頸損連絡会大会実行委員会 TEL 052-841-8841(AJU車椅子センター) |
千葉県 : HT
しかし、山口県立大学に無事合格することができ、今年4月から山口で引き続き福祉の勉強をします。 話は変わりますが、匿名氏の「施設の中の叫び」を読んで、とてもショックを受けました。 私は先月、身体障害者の施設に見学に行きました。その施設ではパソコンやワープロ、デジカメなど多数の人が所持していて、毎日楽しんでいました。 私は施設に対して、「施設に入所することが社会参加を阻止するのではないか」と問いました。 「在宅では暮らせない人もいて、その人たちには施設が必要で、生活の場である施設は家庭のような暖かさや、入所者が好きな時にやりたいことをできるよう意思を尊重しなくてはならない」という答えでした。 実際に入所者をみたり、一緒に過ごしてみて私も施設の方針に納得しました。 見学日だけ実施しているのではない証拠に、入所者に以前の写真や施設で作詩した楽譜を見せてもらったり、カセットを聞かせてもらいました。 ひどい施設や職員の存在を知りました。しかし、暖かい施設、優しい職員だっていることも知ってほしいと思います。 そして全ての施設が私の知っている施設のように改善されることを願っています。
山口県 :M
脊髄損傷、頸随損傷、脳性マヒ、ポリオ、筋ジストロフィーなどもともと対象者が希少なうえ、雑誌類の読者カードに比べれば、驚異的な回収率と言えるだろう。皆さんありがとうございました。 最も興味ある「夢に車いすが出てきたことはあるか」という問いには、「ある18人、ない21人、その他4人」という集計になった。ほぼ半々。それも受傷以来の年数とはあまり関係ないようだった。 障害者歴47年にもなるのに「一度もない」という人もいたし、ふだん活発に障害者運動をしているような人の中にも「ない」という人はいた。逆に障害者歴数年の人の中にも「ある」という人がいたりして、ほとんど特徴的な傾向というものは読みとれなかった。しいて言えば筋ジスの女性6人すべてが「ない」と答えていた点くらいだろうか。また「夢の中で歩行と車いすの割合はどう変化してきたか」の問いには「変わらない」が14人で一番多かった。 統計総数が少ないせいもあるだろうが、夢とその人の障害の受容度とはあまり関係なさそうなのである。これにはちょっと拍子抜けだった。と同時に人智の計りがたさをあらためて思い知らされた。私の小賢しい予測など突っぱねられた感じであった。 ただ、末尾に多くの人が自らの夢を記述してくれたのは、大変参考になった。「大蛇に追いかけられる」「空を飛んでいる」「エレベーターでどこまでも上がる」「走っている足がぼやける」「殺される」「立ちションしている」「無免許運転で崖から落ちる」「指先がとける」「透明人間になっている」「目だけになっている」「あの世にいる」「自分の骨壺を見下ろしている」「複数の女性と交わるが途中まで」などなど。 性的なものも混じっていて身につまされる。植物的人間のような日常を余儀なくされている彼らが、実に豊かな精神世界や性的世界を経験していることがわかる。(してみると、脳死者だってひそかに夢を見ているのかもしれない。だとしたら、そこには紺碧の空がかいま見えていてほしいとも思う。)
佐賀県 : 中島虎彦 「障害者の文学」の著者
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