は が き 通 信 No.57 - Page. 1 . 2 . 3 . 4
POST CARD CORRESPONDENCE 1999. 5. 25

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訪問看護の現場から

「はがき通信」の皆様こんにちは。「はがき通信」を読みはじめて約1年になりますが、たいへん勉強になります。
私が訪問しているKさんは、在宅生活にも慣れ、車椅子で近所を散歩するようになりました(介助は必要ですが)。
Kさんの今の一番の悩みは両腕の痛みです、日によっては、さしこむような激しい痛みがあるそうです。鎮痛剤も試してみましたが、効果はなく、ROM訓練、マッサージによって痛みを軽減されているようです。頑張ってください。

千葉県 : HT



四肢麻痺者の作詞 作曲 ボ−カルのCD
★四肢麻痺の佐藤哲也が作詞作曲をし、ず−ずしくもボ−カルまでとって叫びまくってるハ−ドコアバンド“蛾蝶”の9曲入CD「FINAL DISCULT...」の宣伝の巻 ★

内容は重く暗く突っ走る曲から,スロウでヘヴィな曲,打ち込みの曲,詩の朗読まで。
基本は80年代のコ−ラス全開U.K.HARDCORE。ロックやハ−ドロックでなくハ−ドコアで,音楽でなく音で,いかに綺麗にとるかでなく、いかに上手くノイズを入れるかで,ギタ−をハウらせたりボ−カルの音をわざと割ったりするのに時間をかけました(笑)。
詩は普段TETSUYAが感じてる些細な事をJAPANESEなまり(笑)の全編英詩で。TETSUYA以外のメンバ−4人はみんな昔からの友人。整体師,キックボクサ−,サラリ−マンなどをしている健常者。ライブも福祉的な意味あいの強い場から街の企画モノまで適当にやって,曲作り&音合わせは夜TETSUYAの部屋でやってます。

レコ−ディングは今回もYUKO wiz TEA(クラシックや映画音楽を中心としたTETSUYAがカミさんとやってる別ユニット)の時と同じく、soundTAMでお世話になりました。ジャケットはTETSUYAと同じ四肢麻痺で“ア−ティスト”のヒロ小林さんに彼の普段の画風とは違う“SKULL MASTER”を無理にお願いして書いてもらいました(THANX!!)。みなさんが今までに聴いたことのない音にのせて、TETSUYAみたいな四肢麻痺の体でもここまで声が出るっていうのを聴いてみて下さい。

主要都市のマニアックなインディ−ズ専門店なら、このCD置いてあります。TAXインの¥2,000です。なかったら連絡下さいませ。300作ってレコ−ディングに60かかってるんで、完売しても±0です。同情して買ってくれやがれ!! 東京にも行くぜ!! んじゃサラバッ!!
収録曲
1.FINAL DISCULT....intro Voice.TETSUYA
2.ANTHEM OF AGONY Guitar.SATORU
3.COZ DIE Guitar.GILL
4.DRUNK WITH REGRET Bass.MASA
5.PRETTY VACANT(SEX PISTOLS)
              Drums.SHUE
6.RUSH TO TRASH
7.JOLLY WALKS,JOLLY RUNS
8.AS TIME GOES BY
9.D-LOOP HAS NO IDEA

群馬県 :TETSUYA



まだまだ頑張れる

平成11年1月10日、AM5:00、この日は明け方に一段と冷え込んだ朝でした。寝ていた主人が私に、小声でしきりにトイレに行きたい、身体を起こして、と云っています。
自分で起きようとしても起きられません。身体が云うことを聞かないのです。すでに尿はもれ、右手、右足が動きません。主人は大きなショック状態になり、「右手が無くなってしまった、右足はどこだ」と探しています。意識ははっきりしていましたが、大変な事態が起きています。何がどうしたのか良く分かりませんが、私がとっさに考えたことは、脳内出血か、それとも脳梗塞ではないかと思いました。

そこで静かに寝かせ、おむつとおむつカバーを用意して着替えさせ、救急車を呼んで三芳厚生病院の救急室へ運んでいただきました。診察によると、病名は脳梗塞でした。つまった血管の範囲が広く、右手のマヒがかなり強い事、右足は膝を曲げる事は出来るが、時間を追って様態を見てないと分からないと云う事でした。
CT写真を撮りますと、以前に2回梗塞を起こした古い跡があり、今回は3回目のショックだと云う事でした。先生の話を聞いて、本当にびっくりしました。気付かないような軽いものだったようです。私は信じられないような目の前の出来事に大きなショックを受けました。何とも云えない悲しい気持ちに襲われ、これからの事を考えると、不安でどうする事も出来ませんでした。

1月11日(入院2日目)、一夜明け主人の様態は「昨日より悪い方向へ進んでいる」と先生からの説明でした。CT写真によると、昨日よりつまった血管の範囲が広がり、脳がむくんで来ていて、血管から血が少しずつもれているということでした。

主人は意識がなく眠ったままの状態でした。このまま死へと向かうかも知れない最悪な状態になっていました。脳がむくむ脳死の状態に、ふと健二が脳死状態から脳死となり、死へと向かった事を思い出しました。あまりにも突然の出来事に深い悲しみに包まれた2日目でした。
今日から3、4日でこの状態から脱出出来れば、リハビリも出来るようになり、一般病棟へ移れると先生から説明がありました。どうかこの最悪の状態から脱してほしいと、祈るような気持ちで10分間の面会をして来ました。
主人は酸素マスク、血圧計、心電図、点滴、排尿などのたくさんの管が付き、時々左手が動いていました。

1月12日(入院3日目)、入院の日から5日間くらいを乗り越えられれば、リハビリの段階に入る事が出来ると、先生の説明がありました。今はただ、主人の回復を祈り、病院へ通っています。今日は昨日に比べて、目をしっかり開け、意識もはっきりして来ていました。
話しかける言葉にも反応し、自分の名前も答えていました。このような状態を見て少し安心し、10分間の面会を終わりました。
4日目、5日目とだんだん状態も落ち着き、動く左手で酸素マスクを外したり、点滴を取ったりと、目がはなせない事態が起こり、左手はベッドにしばられていました。また、話す言葉に異常が見られるようになり、何か変なのではと心配になって来ました。
5日目、6日目、7日目と何事もなく過ぎ、ベッドアップされ、おかゆが出され食事が出来るようになりました。本当にびっくりしました。一筋の光が見えたような嬉しい記念すべき一日でした。右半分にマヒがあるため、むせないように少しずつ、ゆっくりと口に運んんで、飲み込んでいました。血圧は121〜81と安定しています。

1月18日(9日目)、とうとう大変なところを乗り越えました。1月11日のCT写真と今日9日目の写真を見比べて、先生も笑顔で説明して下さいました。脳のむくみ、血管のもれも止まり、これ以上悪化する事はないと云う事でした。酸素マスクも尿の管も取れました。そして心電図と点滴だけになりました。
1月21日(12日目)、一般病棟へ移れました。

1月25日(一般病棟6日目)、病状は安定しています。早くリハビリの専門病院、国リハ、または所沢リハビリテーションのどちらかを選ぶようにと先生から云われました。マヒのきつい右足はリハビリをしても歩けないかも知れないとも云われましたが、頑張ってリハビリをして歩けるようになるよう願っています。
2月2日、国リハに長く通われていた塩崎様の良きアドバイスもあり、主人は国リハへと決めました。CT写真と紹介状を持ち、国リハへ行って入院予約をしました。
2月17日、国リハより入院決定の通知を頂きました。何と1ヶ月も待たずに入る事が出来、ありがたい気持ちで一杯です。

2月24日、冷たいみぞれの降る中を国リハへ転院しました。506号(5階病棟)室のベッドが決まり、主人は新しく生まれ変わろうとしています。きっと厳しい訓練を乗り越えなければならないと思いますが、自分の為にがんばらなければなりません。

入院期間は3ヶ月半と担当の先生から云われました。この期間の中で動く左足を使って、自分で着替え、洗面、車椅子を動かし、移動出来るようにと、なかなか大変なスケジュールに向かってがんばらなければなりません。
また、失言症もあるので、言語の先生にも付きました。作業療法の先生にも付きました。主人は体が硬く、動きが悪く、何をやっても出来ず大変でした。

4月23日、早2ヶ月を迎えました。色々と困難な事もありましたが、一生懸命乗り越えて来ました。歩行器(4本の足のついたもの)を使って、少し支えてもらいながら20m位も上手に歩く事が出来るようになりました。自分で着たり脱いだりも上手になりました。本当に良く頑張ったと、嬉しい気持ちで一杯です。
4月5日、もう一つ、嬉しい事には主人を交えて、国リハの庭に咲く美しい桜の花をバックに、国リハの春を記念して記念写真を撮りました。助けられた命に感謝した一日でした。
美しく、素晴らしいお花見をする事が出来ました。きっと主人も命の大切さ、生きる喜びを実感し、一日一日を大切に生きて行く事を学んだのではないかと思いました。
毎日毎日、病院へ通いつめた私も嬉しさで一杯です。病院の皆々様に深く感謝しております。

4月28日、担当の先生より、今がリハビリのピークでしょうが、よく頑張りましたとほめて頂きました。そして、少し退院の期日がのびたようで、まだまだ頑張れるのではと思っています。
元気で明るく、残る期間を過ごしてほしいと思います。

埼玉県 : HS


◆ 頸損連絡会・全国総会「愛知大会」


6/5・6 愛知社会福祉会館(名古屋)
問い合わせ頸損連絡会大会実行委員会
TEL 052-841-8841(AJU車椅子センター)


ビデオテープの無料貸し出しとビデオテープのカンパのお願い

いつも「日本せきずい基金」設立準備会の活動に協力していただきまして、ありがとうございます。

■私たち「日本せきずい基金」ではせきずい損傷者の早期の障害受容と生活の質の向上に役に立つことを目標に して、ビデオテープの無料貸し出しの事業を始めました。せきずい損傷者の日常生活や、バイスキーなどのレジャーを撮影したビデオテープの無料貸し出しを行っております。マウススティックを口にくわえてパソコンを打っている場面や入浴の場面などもあります男性障害者用の泌尿器関係の器具の使い方を説明しているビデオテープもあります。ビデオテープの貸し出しをご利用ください。

■せきずい損傷者に役に立つ個人でお持ちのビデオテープがありましたなら、どうか「日本せきずい基金」設立準備会・事務局にお譲りください。多くの方に無料で貸し出して、お役に立てます。無料貸し出しデオテープのリストあります。(内容を言ってくだされば、当方で探します。)

「日本せきずい基金」設立準備会

〒183-0033 東京都府中市分梅町5-27-1石井ハイツ102
TEL & FAX : 042−366−5133
E−Mail : kayama@mtb.biglobe.ne.jp
ホームページ http://www1.normanet.ne.jp/~ww103753/index.htm

千葉県 : HT



暖かい施設、優しい職員も

愛媛の大学を辞め、山口へ帰りました。やはり身内や知人のいない土地での一人暮らしは想像以上に大変で断念しました。
しかし、山口県立大学に無事合格することができ、今年4月から山口で引き続き福祉の勉強をします。
話は変わりますが、匿名氏の「施設の中の叫び」を読んで、とてもショックを受けました。
私は先月、身体障害者の施設に見学に行きました。その施設ではパソコンやワープロ、デジカメなど多数の人が所持していて、毎日楽しんでいました。
私は施設に対して、「施設に入所することが社会参加を阻止するのではないか」と問いました。
「在宅では暮らせない人もいて、その人たちには施設が必要で、生活の場である施設は家庭のような暖かさや、入所者が好きな時にやりたいことをできるよう意思を尊重しなくてはならない」という答えでした。
実際に入所者をみたり、一緒に過ごしてみて私も施設の方針に納得しました。
見学日だけ実施しているのではない証拠に、入所者に以前の写真や施設で作詩した楽譜を見せてもらったり、カセットを聞かせてもらいました。
ひどい施設や職員の存在を知りました。しかし、暖かい施設、優しい職員だっていることも知ってほしいと思います。
そして全ての施設が私の知っている施設のように改善されることを願っています。

山口県 :M



第14回 リハ工学カンファレンス

8/26〜28 金沢市文化ホール
問い合わせ 石川県リハビリテーションセンター内
TEL 076-266-2869



障害者の夢

この欄で「障害者の夢に関するアンケート」を紹介したら、いろいろな人から関心を寄せてもらった。現在までに面談、郵便、電話、FAX、機関誌などを介して配布した62通のうち、43通が返ってきた。
脊髄損傷、頸随損傷、脳性マヒ、ポリオ、筋ジストロフィーなどもともと対象者が希少なうえ、雑誌類の読者カードに比べれば、驚異的な回収率と言えるだろう。皆さんありがとうございました。

どうしても起ち上がりの遅い重度障害者たちのため、今月になって送り返してくる人もいる。パソコンネットからの取りまとめなども少し待ってみるつもりだが、このあたりでひとまず中間報告を。
最も興味ある「夢に車いすが出てきたことはあるか」という問いには、「ある18人、ない21人、その他4人」という集計になった。ほぼ半々。それも受傷以来の年数とはあまり関係ないようだった。 障害者歴47年にもなるのに「一度もない」という人もいたし、ふだん活発に障害者運動をしているような人の中にも「ない」という人はいた。逆に障害者歴数年の人の中にも「ある」という人がいたりして、ほとんど特徴的な傾向というものは読みとれなかった。しいて言えば筋ジスの女性6人すべてが「ない」と答えていた点くらいだろうか。また「夢の中で歩行と車いすの割合はどう変化してきたか」の問いには「変わらない」が14人で一番多かった。
統計総数が少ないせいもあるだろうが、夢とその人の障害の受容度とはあまり関係なさそうなのである。これにはちょっと拍子抜けだった。と同時に人智の計りがたさをあらためて思い知らされた。私の小賢しい予測など突っぱねられた感じであった。
ただ、末尾に多くの人が自らの夢を記述してくれたのは、大変参考になった。「大蛇に追いかけられる」「空を飛んでいる」「エレベーターでどこまでも上がる」「走っている足がぼやける」「殺される」「立ちションしている」「無免許運転で崖から落ちる」「指先がとける」「透明人間になっている」「目だけになっている」「あの世にいる」「自分の骨壺を見下ろしている」「複数の女性と交わるが途中まで」などなど。
性的なものも混じっていて身につまされる。植物的人間のような日常を余儀なくされている彼らが、実に豊かな精神世界や性的世界を経験していることがわかる。(してみると、脳死者だってひそかに夢を見ているのかもしれない。だとしたら、そこには紺碧の空がかいま見えていてほしいとも思う。)

ともあれ、これだけの資料をあだおろそかにはできない。詳しい分析はこれからの仕事になるだろう。  

佐賀県 : 中島虎彦 「障害者の文学」の著者



つづく
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